minminzemi+81's blog

あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

日本人が観ておくべき傑作名画『男はつらいよ』紹介します。八月二十七日は「寅さんの日」【大好きな映画③】前編

 

八月二十七日は「寅さんの日」なんだって

 

1969年の一作目『男はつらいよ』の公開日が「8月27日だった※1」ことから。最近の若者(平成生まれとか)は、「フーテンの寅さん」を知らないんだって。そして「観たこともな~い」とのたまうのです。

若者「ナニそれ。虎、フーセン?…タイガース?」

ワイ「そう、そう、そう。甲子園球場でタイガース勝ったら、みんなでピュ~て飛ばすヤツ、フーセンの寅さんっ!私設応援団…チャウわっ」ピシッ!マジかよぉ~、ショック!

じぇねれーしょんぎゃっぷ、いうヤツね、これなー。

もちろん映画なんだから、好き嫌いはあってもいいケドさ。でも喰わず嫌い選手権は、何か勿体ないよぉと思ふ。ならば、語り伝えておかねば!「国民的名画」として、永年にわたり人気を博し、毎年恒例どんどん制作され続けた名シリーズだからね。

しるべし、観るべし。さぁさぁ、傑作を「しらざぁ~いって聞かせや Show !」パン、パンッ!(←ハリセンの音)

えぇっ~、大丈夫かぁ~しかし。オイっ!(( 汗 たしかにぃ…

まずは、最初の一歩。一作目の『男はつらいよ』絶賛推し。さすがにワタシは映画公開時の「リアル世代」ではありませ~ん!半世紀、五十年以上も昔だよ、すでに日本映画史のひとコマだ。考えてみると、なんだかアタマがクラックラするよ。昭和44年(1969年)は、東大安田講堂の攻防戦があり、アポロ11号が月面へ着陸した。そ~んなドガドカな時代、この作品が生まれた。

シリーズ物の一作目は、“多くの映画の常”として、完成度がピカ✨イチ!寅さんファンなら「満場一致」で、ねっ!?

▽少し前にも思い出話をチョコっと描いてみました。

minminzemi81.hatenablog.com

(※1 松竹のHPにそう書いてあった!とらさんだから、10月3日でも良かったのでは?)

(※ご注意/大幅にネタバレします。もしも、まだ一度も観たこともない方、映画作品をみてからを推奨)

 

01.第一作『男はつらいよ』レジェンド

1969年8月に公開される。

 

東京葛飾水元公園の咲き誇る桜をバックに『桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が、今年も咲いております。思い起こせば二十年前、つまらねぇことで親爺と大喧嘩、頭を血の出るほどブン殴られて、そのまんまプイッと家をおん出て、もう一生帰らねぇ覚悟でおりましたものの、花の咲く頃になると決まって思い出すのは故郷のこと。ガキの時分、鼻垂れ仲間を相手にあばれ回った水元公園や、江戸川の土手や、帝釈様の境内のことでございました』と、寅さんのモノローグ(独白)で映画ストーリーが始まった。

矢切の渡しに乗り、故郷を懐かしむ男がいた

江戸川を松戸側から渡し舟(矢切の渡し、大人三十円、小人二十円だった)に乗り、河川敷ゴルフ場を平気で横断する。カップイン前のボールをピックアップ、さらにはバンカーではコケる。いちゃこいアベックの邪魔をする・・。

主人公のキャラが判ります

傍若無人で余計なお節介したがるおっちょこちょいなのです、このヒトは。今風にいえばADHD※1といったところでしょうか。

土手法面を駆け上がり懐かしさいっぱい、河川敷風景を一望します。ドド~ン!

アバンからドラマが始まる、ワクワク。

でも、ここでフト違和感も感じる。まず寅さんの衣装が違う。定番キャメル背広が「グレー格子柄にネクタイ」。いつもの雪駄ではなくオシャレな「白黒コンビの革靴」を履いてる。トレードマーク「寅ンク」も、ずいぶんボロくて小ぶりサイズです。そう、これはTVシリーズからの小物ですね。スクリーンは柴又風景の描写が続く、画角の切り方がとにかく素晴らしい。高羽キャメラ※2 

いまは喪われつつある「古き良き昭和の原風景」をシッカリ画面に捉えています。しっとりとした雰囲気がとてもイイ!

f:id:minminzemi81:20200827030648j:plain

みんなが知っている寅さんの姿はコチラ

(※ADHDは成長障害者のこと、注意欠如多動性障害とも呼ばれる)

(※2 高羽 哲夫 たかは てつお、福島県河沼郡湯川村出身。映画カメラマンとして、山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズのほとんどの撮影に携わった。地方ロケの絵がとても情緒あり良いのです)

 

タイトル男はつらいよド~ン!

 

華やかな「題経寺(だいきょうじ※3)」の庚申祭り。みずから纏(まとい)を廻す寅さん。昭和時代の人情と活気などが、はやくも画面から伝わってきます。現地柴又ロケは、だいたい4月から5月あたりでしょうか。春先ですね。

そして寅さんは帝釈天へ、御前様(笠 智衆)に「寅次郎が帰ってきた」とシレッと挨拶をします。さっきからぼんやりと、この 謎な纏男を眺めていたオバちゃん(車つね、三崎千恵子)が、その正体に「ハッ!」と気づいた。

オバちゃん「寅ちゃんじゃ、ないかい…?!」

寅さん「オバちゃぁぁ~ん!」とガッチリ抱きあった、感動の再会ですっ!十六歳から二十年間も家出していた、車 寅次郎(渥美 清)が、故郷の葛飾柴又にある団子屋※4「とらや」へ帰ってきた。

(※3 柴又 帝釈天 題経寺(しばまた たいしゃくてん だいきょうじ)は、葛飾区柴又七丁目にある、日蓮宗寺院。通称「帝釈天」とも。題経寺の寺伝では、開基は江戸時代の寛永六年となる)

(※4 とらやは、帝釈天参道脇にある。ちなみに団子と餅の違いは「団子は粉から作るが、餅は粒を蒸してから作る」「団子はうるち米の粉、餅はもち米を使う」「餅は祝儀に用い、団子は仏事に用いる」などの違い)

 

涙の再会は嵐の前触れ、序章なのか?

 

緊張するオイちゃん(車竜造、森川信)、オバちゃんを前にして渡世人挨拶の口上をきります。店先には、ご近所さんまで集まっています。これぞ昭和フレーバー!

寅さん「十年ひとむかしの勘定でいきゃあ、ちょうどふたむかし、父母も亡き兄も、さぞかしご迷惑をお掛けしたことでございましょう…なお、たったひとり残りました愚かなる妹が無事に成長しましたのも、ただただひとえに、お二人の御訓育の賜物と、まことに兄としてはお礼の言葉もございません。オイちゃんっ!ならびに、オバちゃんっ!本当にありがとうございました…」

うん、普通だ。ここまでは、まだ普通だね。会社から帰ってきた妹のさくら(車櫻役、倍賞千恵子)と、寅さんの涙の再会の場面へと移る。

 

<推しポイント!>

スクリーンの倍賞千恵子が、とにかく美しいっ!もうキラッキラッ輝いています!「これぞ映画☆スター」というものでしょう。もう、団子は悶絶、ハート♡ズキュ~ン!さすが元SKDのトップスターです!

谷よしのを前立てに、見事な画面構成となっておりますね。笑

f:id:minminzemi81:20200701012027j:plain

とにかく美しい、倍賞千恵子

(※谷 よしの、写真右側。一作目より「男はつらいよシリーズ」でチョイ役ながら、ツボを抑えた演技を魅せる。スっと登場して、スっ~と消える。本編のストーリーに深く絡まず、画面にアクセントを与える役目。とらやのご近所さんや、旅館の仲居さん、とらやのお客さん、花売り役など、役柄を変えて二回登場の巻もあった)

 

さくら「ただいまぁ~!」

オバちゃん「さくらちゃん、おかえり」

寅さん「さくら…おまえ、ホントにさくらかい。ほら、ほら、ほらっ!俺だよ、この顔に見覚えねえのかいっ?」

ドンドンさくらに、にじり寄ってゆく。さくらは恐怖で顔面蒼白、後退しつつ。

さくら「ねぇ…このヒトっ…誰なのっ…??」

オバちゃん「やだよぉ~、まだわかんないのかい」

オイちゃん「よく見ろよぉ~」

寅さん「いいんだ、いいんだっ、無理はねぇ。五つか六つのちっちゃいガキん頃に、ほっぽりだしてそれっきりだぁ、ふぅ~。親はなくても子は育つ、というがでかくなりやがったぁ…」

さくら「あぁっ…お兄ちゃん!生きてたの?!」

「お兄ちゃん!生きてたの?!」驚くさくら

やっと笑顔となる。どうやらとらやでは、死んだことにされていたみたいですね。そして集まった皆んなが、感動して涙ぐんでいる。

寅さん「んっ…!」

さくら「お兄ちゃんっ!」

寅さん「苦労かけたなぁ…ご苦労さんっ…」

まず手を握りあう。感動のハグでもするのかな?ところが突然、裏庭へ向かう寅さん。

寅さん「なに、しょんべんよぉ!」

寅さん「なに、しょんべんよ!」

これで緊張が一気に解ける、ここ笑うとこ。

寅さん「♪泣くなぁ~いもとよぉぉ~いもとよぉ泣くなぁぁ~泣けばぁ幼なぁいぃ~ふたりぃ~しいてぇぇ~故郷をぉぉ~すてぇ~たぁ~かいがなぁぃ~(人生の並木道)」

立ちションしながら、唄ってる。『ゴォ~ン』と題経寺の鐘が鳴る。

歌が残念賞だったのか?

▽名曲『人生の並木道』渥美清さん、歌がホント上手いよねぇ!

youtu.be

 

翌日、事件勃発!怒濤の展開のはじまり

 

寅さんが妹さくらの見合い(しかも玉の輿的)をぶち壊し、おジャンにしてしまう。このことがきっかけで、兄妹の仲に早くも亀裂がはしる。言い争いから大喧嘩へと展開します。

さくら「お兄ちゃんこそ何よっ、アニキ面していい気になって、昨日から今日にかけて、私がお兄ちゃんのために、どんな辛い思いしてるかわかんないのっ!」

寅さん「うるへえぇぇ~!」

ビシッと、さくらの頬を打つ。ありゃ~簡単にキレたっ!ダメだよ寅さん!頬をおさえながらも、キッと睨みつけるさくら。

さくら「お兄ちゃんなんかっ、どっか行ちゃいなさいよっ!」

オイちゃん「オレはもうぉ~我慢できねええぇ~ !!」

これで「寅さん VS オイちゃん」のとらや裏庭対決へ発展する。そこに裏の工場のひろし(前田吟)が登場!寅さんを後ろからガッチリ羽交い締めにする。身動き出来ず一方的にポカスカと殴られる寅さん。

オイちゃん「てめぇがなぁ~、てめぇがぁ、家をおん出た時、オヤジはどれだけぇ心配したかっ、えぇっ!おとついてめぇのツラ見たときはなぁ~、嗚呼、親父が生きてたらどんなに喜ぶかと、でもかえって死んだほうがよかったっ!このザマ見るくらいならなっ、死んだほうがマシだったぁぁ~!親父はいまごろ草葉の陰でぇ…草葉のぅ…陰で…ぅ…」

オイちゃんが、とても苦しそうだ。まずいっ!心臓が悪かったのかな?

オバちゃん「あんたっ、しっかりしておくれっ、大丈夫かい?」

これでオイちゃんは、裏庭リングから一時退場。

相手なくした寅さんは、縁側にションボリとし、その横にさくらも座る。

寅さん「おいちゃん、大丈夫かい…?」涙ぐんでいる。

さくら「うん…」

寅さんは、ひろしの腰のタオルを奪い取り、涙顔を拭うとインクで真っ黒になる。その顔を見て吹き出すさくら。“緊張の後には必ずオチ”があります。泣き笑いの往復ビンタ!これが「男はつらいよ」なのです。

 

とらやから、寅さんの姿が消える

 

翌日。寅さんの置き手紙があった。とてもヘタな文字※1だった。

妹よ、夕べは悪いことした。俺は出てゆく、たびの空。お前のしあわせいのってる。俺の弟、のぼるのことはよろしくたのむよ。さようなら。 愚かな兄の寅次郎

ヘンな七五調の文章だね。

江戸川堤を走りさがす、さくらとのぼる。あれぇ?柴又駅じゃないのか。

のぼる「兄貴ぃ~!待ってくれえ~ぇ~!」叫ぶ。走る。

さくら「お兄ちゃ~ん!」走る。

この時寅さんは、すでに江戸川の渡し舟(矢切の渡し※2)の人となっていた。旅立ちのシーンまで疾走感があります!とにかくストーリーも、走っておりますっ!

本作品の特長は『笑いと感動と疾走感』なのですっ!パン、パパン!

(※1 この手紙の文字「金釘流」は、倍賞さんが左手で書いたという逸話あり。「金釘流は世界で最も盛んな書道の流派。門下生は全世界で恐らく一億人を越すと試算される。しかし、この流派に属している門人は口外ならぬ掟らしく、正確な門下生の総数は不明である」wikiから引用) 

(※2 「矢切の渡し」は旅立ちの絵になります。渡った先は、野菊の墓で有名な「千葉の松戸」。すると寅さんはこの先どこへ向かうのか?昔からの謎となっていて、京成矢切駅から電車に乗るためには、さらに相当歩くことになり、理不尽だ)

 

それから一ヶ月…旅先の奈良にて

 

寅さんは、何故か外人観光客を連れ「奈良東大寺 二月堂」にいた。たまたまバッタリ出逢ったのが題経寺の御前様と、その娘 冬子(光本幸子)だった。

寅さん「あっ、どうも御前様。なかなかスミに置けませんね。こんな綺麗な方とお愉しみを。それじゃ、わたくしは、これで…」

「あっ、どうも御前様。なかなかスミに置けませんねぇ」

御前様「馬鹿っ!娘だ。ほらっ、忘れたのか?おまえが出目金とアダ名をつけて、よくいじめとった冬子だっ!」

寅さんうろたえ鞄を落としかける。

寅さん「は~ぁ~出目キン!」

この冬子に瞬間的片恋した寅さんは、この二人と同行して奈良観光で珍道中を繰り広げます…話のテンポが、ここでも加速しはじめます。次々と始まり終演する逸話、まるで寅さんの啖呵売、いや舞台演劇みたいなストーリーの詰み込みをしていますね。なので注意しないと色々見落とします。

旅先で注目の小物『ピンクのバンビ』が登場する。当時、奈良の土産物屋で「人気商品」だったのだと想われます。寅さんはこのピンクバンビを買い求め、背後から冬子に背負わせます。

寅さん「はいっ、おんぶっ、おんぶぅ~!」

ふゆこ「いやぁ~やめてぇ~!」

ピンクの鹿に寅さんの浮かれ気分♡の恋心が、うまく投射されています。そしてエピローグのシーンにも、その“結果報告”としてまた登場。コレは注目案件ですね。

▽『男はつらいよ』映画予告編。リニューアル4Kデジタル画面が美しいな。

youtu.be

さて、ここで映画の中締め。話の舞台は旅先の奈良から、東京柴又へと移ります。映画人の意気込みと役者陣の熱量で、ひとつ目のヤマ場である感動シーン「さくらの結婚披露宴」まで一気呵成突っ走るのですっ!パパン、パン!

▽後半へ続く。終盤まで「泣き笑いの波状攻撃」が続く。

minminzemi81.hatenablog.com

(※まるで「瞬間湯沸かし器」のようなスピードで、寅さんがマドンナにベタ惚れします。信じられない心の振れ方ですね。しかも冬子は、寅さんの幼馴染なのですから、なおさら~変ダナ!)

 

~おまけ話~

どうでもいいけど、気になりますっ!年齢問題

 

寅さんの劇中の年齢が、よくわからな~い💦のです。それで寅次郎とさくらの「年齢設定問題」を考えてみた。

一作目『男はつらいよ(1969年)』16歳で家出して、20年ぶりに故郷へ帰ってきた逸話が正しければ、36歳は間違いなく越えているハズ。では、どのあたりで整合性を求めるのか?

この一作目の時点で「寅さんが36歳+‪α‬で、さくらが26歳+‪α」‬として、年齢差は「10歳」程度あるのが妥当な気がする。

寅さんが16歳での家出時、さくらを『…五つか六つのちっちゃいガキん頃に、ほっぽりだして…』と言ってるからだ。

さくらの部屋には家族写真が飾ってあった

~暫定アバウト~

(家出時)寅さん十六歳、さくらが六歳。→二十年が経過→(再会時)寅さん三十六歳、さくら二十六歳。

そして二作目の『続 男はつらいよ(1970年)』の映画アバン(冒頭部)で「38歳」との発言アリ『いまを去る三十八年前、雪の降る寒い夜、玉のような男の子を産んだ覚え…』云々のセリフがあります。

そして、とらやに舞い戻った寅さんに対して、オイちゃんが発言します『(前回から)まだ、一年も経っちゃいねぇよっ!』と言う。

このことから逆算すると、寅さんは一作目時点で、だいたい37歳あたりと推定は出来ますね。そうすると…生年は「1932年(昭和七年)」なのか?

(この年は、海軍将校がクーデター起こし首相官邸を襲撃。大養首相を射殺したという、有名な「五・一五事件」があった)

~結論~

当初の設定は、寅さんが「37歳で、チョンガーテキ屋」だったようですね。しかし、さくらは「27歳オリエント電気の独身OL」これ昭和時代には少々キツいなぁ…?なので焦って「お見合い」に走ったのだ、とも考えられますね。

(※後の作品では「入学願書の履歴書」に、昭和15年11月29日とあるから、何とも悩ましい。年齢詐称かな)

(※倍賞さんは昭和十六年生まれ。作品当時の実年齢は二十八歳だった、若いよねぇ。一方、渥美清さんは四十一歳でした。なんか実年齢にビックリだ) 

 

参考、写真/松竹映画公式サイト、ウキペディア、ウェブ電通報、Google MAP

(6500文字、Please enjoy “Tora-san's” movie.)  #男はつらいよ お題「ゆっくり見たい映画」

佐藤琢磨が二度目の優勝の快挙 !! 2020年『インディ500』アメリカ、インディアナポリス【自動車レース】

 

佐藤琢磨が2017年に続き、2020年『104th インディ500』二度目の優勝!!

勝負のアヤはイエローコーションにあった。レース中のアクシデントで七回のコーションが出た。各チームはその都度、ピットイン戦略を繰り返し、順位が入れ替わった。

 

今年はコロナパンディミックの影響で、レース開催が真夏の暑い八月二十四日(例年は五月開催)にずれ込んだ。しかも(毎年のべ八十万人が集まるという)観客もいない無観客レースと、異例だらけの開催となった。

 

さてレース、157周目。ストレートスピードが伸びる佐藤琢磨は、トップのディクソンをキャッチアップ!初めてトップに立った。

f:id:minminzemi81:20200825225852j:plain

#30佐藤琢磨がついにラップリーダーに

「やったぁ~!コレは暑いっ、いや熱い展開!」熱帯夜に、萌えるぜ!

 

拓磨は169周目。ディクソンは170周目にピットインする。ディクソンは拓磨の前でコース復帰。しかしスピードを上手く乗せた琢磨が「ターン1」で、ディクソンをオーバーテイクし、再びトップに立つ。ワクワク。

 

終盤、ディクソンは拓磨に並びかけるが、ストレートではスピードの伸びがたりず、抜けない。息詰まる接近戦が続く。そして、スペンサー・ピゴットの大クラッシュ!これで七度目のコーション。残りあと四周だ、ドキドキ。

 

レースは、イエローコーションのままチェッカーとなった。佐藤は2017、2020年と「インディ500」で二勝目を達成したっ、とんでもな快挙!🇯🇵 オメでとう~琢磨っ!

 

▽二勝目の真実

インディ500 ② - YouTube

▽リンク/モータースポーツ記事

jp.motorsport.com

 

「インディ500」の優勝がなぜ、凄いのか?

 

基本的な解説します。インディ500は「F1のモナコGP」と「ル・マン24時間レース」とあわせて『世界三大レース』のひとつに数えられる。なかでもインディ500は「世界で最も偉大なレース!」と呼ばれています。

 

インディアナポリスオーバルコースで、レーススピードが半端なく速い。だいだいトップスピードが360kmあたり。瞬間最高速度記録が380km 越え~!延々とクルクルと周回続ける。我々なら血管が千切れて、プシュ~💦となるカモ?笑

 

そして何よりも凄いのは「佐藤琢磨は四十三歳」だということ!まさにおやぢの星☆なのだっ!こんな現役暴走族見たことな…現役レーサー見たことないよぉ!ホントにね。

f:id:minminzemi81:20200826102806p:plain

4790 W 16th St, Indianapolis, IN United States of America

🏎…インディアナポリス モーター スピードウェイ


オーバルトラックの一周2.5マイル(約4km)を二百周し、走行距離は500マイル(約805km)※で競う。第一回レース開催は1911年のこと。109年目の歴史あるオールドコース。オープン当初は、全面煉瓦敷きトラックで「ブリックヤード」と呼ばれていた。いまもコースの一部に残っている。

(※東京から札幌までが、直線距離約800キロ)

 

レース後、佐藤琢磨が語ります。

『最高のマシンだったと思います。終盤の燃料戦略で、ディクソンに一周の遅れをとっていました。ゴールまでの燃費は、少し厳しかったですね。しかしできる限り燃料をセーブする走りを続け、最終的には最後のバトルが激しくなったとしても「フルパワーで戦える燃料」を確保できていました。

最終グリーンフラッグラップの第4コーナーでは、ディクソンがずっと来ていましたが、信じられないことに僕はそれを抑えることができたんです!だれもがすばらしい仕事をしてくれました。

HPDとHondaは、我々に多くのパワーと燃費を与えてくれました!「自分たちのマシンが今日は最強」だったと感じています。二勝目を飾れるなんて、これもみんなチームの努力のおかげです。

(中略)

日本のファンの皆さんは、夜中からのテレビ観戦だったと思います。応援ありがとうございました。インディでの二勝目をこうして挙げることができました。皆さんの応援があることでインディで走り、優勝することができていると思います。次のレースも、がんばります!』ホントよくやった!

f:id:minminzemi81:20200826010958j:plain

インディではシャンパンでは無い、牛乳!

「No attack no chance」

佐藤 琢磨は1977年生まれ。2002年~2008年までF1バイロット。2010年からインディシリーズに参戦する。2017年に初めて「インディ500」で優勝し、2020年には、2度目を制覇した。

 

🎊祝インディ500、二冠ウイナー佐藤琢磨に、この曲を捧ぐ。

 

We are the champions

 

I've paid my dues

充分犠牲は、払ってきた。

Time after time

そうさ、何度も、何度も。

I've done my sentence

ペナルティを受けてきたんだよ。

But committed no crime

でも何も、間違ってなんかいない。

And bad mistakes   I've made a few

そりゃ確かに、ミスることだってあったさ。

I've had my share of sand kicked in my face

そのたび路面に叩きつけれ、顔面に蹴りを入れられ、砂を噛まされたっ!

But I've come through

でも、闘い続けてきたんだ。

 

白パンツ一丁がこれ程似合うヒトはない。フレディマーキュリー!

youtu.be

 

We are the champions, my friends

オレたちはチャンピオンだっ!戦友よっ

And we'll keep on fighting 'til the end

矢尽き刀折れても、最後まで戦い続けるのさ

We are the champions!

オレたちは、勝者なんだぜっ!

We are the champions!

われわれは、勝ったんだっ!

No time for losers

リタイアすれば、すべてが終わる

Cause we are the champions of the world

ここにいる全員が、すべて勝者なのさっ、この世界!

 

(2400文字、参考/HONDA HP) 今週のお題「暑すぎる」#佐藤琢磨

「首なしライダー」が走ります。ひぇぇ!和歌山県、由良隧道トンネル怪異譚【怪談話】

 
f:id:minminzemi81:20200819205315j:plain
思えばこの「由良トンネルの怪」をはじめて聞いたのは、小学生の頃だった。いまから何十年もむかしのコトですから、相当年季がはいっている怪談となりますね。何かやだなぁ~

 

地元に伝わる恐怖の「首なしライダー」とは?

 

地元の噂話によれば…こうだ!

 

夜間に一台の乗用車が、旧道「御坊湯浅線」を走っていた。紀州の山道のこと、あたりには人家もなく真っ暗闇。ただ見えるのはヘッドライトが照らす黒い森と、やたらクネっ曲った道路のみ。

 

やがて「由良隧道トンネル」にさしかかった。トンネル内は、対向車がスレ違い出来ないためスピードを緩め、ドライバーは前後を用心しながらゆるゆると進入する。

 

トンネル中程まで来た時に、バックミラーにライトがひとつ映った。どうやら後続車のようだった。

 

後方からオートバイが一台、スピードを上げながら急接近してきた!

 

 

やがて白バイが乗用車右側で並走する。

 

 

「いったい、なんだろうか・・何かあったかな?」

 

 

 

ドライバーがたまらず横を向いて見ると…白バイ隊員の首から上が無かった、、、~泣💦

「嫌ぁぁぁっ~!!」

 

 

………………………🚗ぐぅ😱げっ💦……………………

 

 

なんでも、ここで殉職した白バイ隊員がいたらしいのだ。そして、このトンネルの近くには「古い慰霊碑」があって、この「殉職した警察官」のモノという。しかし、ホントに白バイ隊員の慰霊碑だったのかな…?

少し調べてみます。

トンネル内部には電灯もなく、水たまりも出来やすく、壁面も地下水で濡れている。でこぼこの荒掘りになっていて、まるで巌窟王の洞穴の感あり。

f:id:minminzemi81:20200831232539j:plain

でもこれ「隧道マニア」には、たまらない逸品と想われますね。侵入口頭上の「由良洞」の文字(けっこう見えずらい)も、何だか誇らしげですよ!

 

和歌山県の真中辺り、南北に走る「御坊湯浅線(県道23号)」ちょうど由良町日高町の境目に「由良隧道トンネル」があります。

「由良隧道トンネル」は、明治時代の建築遺産

正式名称は「由良洞隧道」や「由良洞」ともいわれ、もしかすると現役トンネルでは『日本最古級』かも知れませんよ!

 

地元郷土資料には…『熊野街道は有田、日高の郡境に横たわる鹿ヶ瀬山の急勾配にはばまれ、人と牛馬の往来が困難であった。この街道を鹿ヶ瀬周辺で根本的に付け替え、由良回りの県道として完成されたのが、明治二十二年のことでした』とある。

f:id:minminzemi81:20200819191347j:plain

くねった旧道の方が、由良隧道トンネル

「由良洞隧道」は、現在の県道「御坊由良湯浅線」にあり、阿戸から日高町池田へと抜ける「全長一三八・四メートル」の当時にしては、わりと長めの隧道だった。

『明治の県道「熊野街道」を由良回りに誘致したとき貫通したもので、工事には囚人なども動員されたと言われ、当時は郡内でも類を見ない早期の設置であった。昭和四十年の国道開通により通行量も激減し、現在ではほとんど人通りも絶えている』(由良町誌より)

 

この記事中で、特に気になったのは・・

『工事には囚人なども動員され』 という一文。

 

明治二十二年。まだ人権意識の低さから、落盤事故などの物故者の扱いも、ぞんざいだったのでは?それでトンネル工事現場近くに、ろくに弔いもせずに適当に葬ったのではないかな。人柱とかさぁ・・・😱ひぇ

それを哀れんだ心ある人々が『慰霊碑』を建立したとも考えられるではないか。しかし、それだと怪談がもっと怖くなるやん~💧だよねぇ!

それで、“本当の事情”はとても言えないので少し話をアレンジして、親から子に怪談として語り伝えたのでは、ないかな?

 

「あの場所には、近づくなっ!」と。

 

▽入口はレンガ造りでレトロ感満載です。機会あれば是非一度ご笑覧あれっ!


YouTube

▷案件住所/和歌山県 日高郡日高町 大字池田。県道二十三号線。

 

 (1500文字、have a nice day!)  今週のお題「怖い話」

夏になると…必ず思い出す歌があります!『夏は来ぬ』【夏の歌】

 

拝啓、連日猛暑が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

f:id:minminzemi81:20200813200326j:plain

 

🌺もう、今年はギンギラギン!のナツ~ですね。

 

とても暑いっ 💦アツすぎるっ!ピーカン空!

散歩するだけで、頭がクラックラした。

これでは、熱中症になりますね。

 

日本の夏はとかく蒸し暑い。

なのにサラリーマンは、厚着しすぎ。

見るからに、むさ苦しいよぉ~そのネクタイさぁ。

 

この際ねぇ「アタマにカンカン帽、上着がアロハ、下にステテコ」を

リーマン正装とすべし。ホント、そう思うよ。(植木等か!)

 

「さすればじゃ、社内の風とうしも、良くなろうて」いいこと言う!

 

あっ、思い出した。「Suteteko 履いたネーチャン」が街をかっぽした少し昔の話。

たしかUNIQLOが、ステテコ流行らしたのだった。そうそう、確かそうだったな。

 

タイトルの「夏は来ぬ」は、文語体なので⇒口語「夏が、来たぁぁ~!」です。歌詞中『卯の花、不如帰、五月雨、早乙女、橘、蛍、楝、水鶏』いろんな夏の風物詩をこれでもかと、折り込んでいるところも、なんだか凄いな。 

 

▽『夏は来ぬ』はいだしょうこさん。大好きな歌!夏が到来した感じ。


www.youtube.com

 

卯の花の 匂う垣根に
時鳥 早も来 鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬ
 
五月雨の そそぐ山田に
早乙女が 裳裾 ぬらして
玉苗 植うる 夏は来ぬ
 
橘の 薫るのきばの
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ

 

f:id:minminzemi81:20200813201115p:plain 

楝ちる 川べの宿の
門遠く 水鶏 声して
夕月すずしき 夏は来ぬ
 
五月やみ 蛍飛びかい
水鶏鳴き 卯の花 咲きて
早苗 植えわたす 夏は来ぬ

 

(700文字、Thank you. Enjoy the song!) 

今週のお題「夏うた」

「納豆か…腐ったマメや」言うよねぇ、和歌山市民の納豆消費量は、常に全国最下位なのです!【発酵食品】

 
わたしは、納豆を愛用しています。
現在、和歌山住みなのですが。
身体に良いと聞いてから、
毎日ワンパック程度は、
消費していますね。
納豆に玉子、刻んだネギ、長芋と合わせたり。
あと紫蘇とかもいい感じかな。
醤油をさして、🍚あったかご飯にデロ~ン!
とかけるのです。んで、ワシワシ喰うのだ。

 

市民の納豆嫌いは筋金✨入りです

 
「それは何故かと訊ねたら、ベンベン」
「わかりまへ~ん!」笑

 

例えば、和歌山県が誇る地場産品を考えてみますと、湯浅醤油、金山寺味噌かつお節、熟鮨とかの発酵食品は、昔より沢山あります。考えてみたら、やたら発酵しまくり千代子な土地柄なのです!もう日本の発酵食文化を古代より、ブッチギリィ独走状態だったはずです、和歌山はね。

ところが、同じ日本の伝統的発酵食である「納豆消費額」は、全国調査にて和歌山市がダントツの・・

「全国ワースト一位 !!」

(※しかも毎回のコトだよ、ある意味スゴい)

f:id:minminzemi81:20190509200051j:plain

ネバネバNEVER納豆

しかし、なぜなんだろか?納豆は、特別うまいモノではないけど、それほど嫌うほどのことも無いからね。やはり納豆は、庶民の強い味方なのだ!

 

統計データが示す、納豆の真実とは

  

〜納豆消費金額ランキング〜
第一位は、盛岡市、6,189円。
第二位が、水戸市、6,171円。
第三位の、山形市、5,723円。
そして和歌山市は・・
全国最下位、2,306円。

(※調査データは、2017年~2019年の三年間平均値)

 

盛岡市が全国一位だったとは、少し意外だ。納豆王国といえばやっぱ水戸市だよね。茨城の水戸納豆のイメージ。 それで和歌山市ブービー賞だった五十一位 高松市の、2,589円よりも283円少ない。そして一位の盛岡市と比べれば、3,883円も少なく、だいたい三分の一ぐらいの消費となるのかな。

 

これはいったい、どうしたことだろう?

 

きっと、何かあるんだよねぇ・・ひとには言えないさ、悲しい裏事情がなんかさ。あぁ、和歌山にいったい何があったのですかねぇ?

 

ホントに納豆食べない和歌山のひと

 

ところが和歌山にも、ちゃんと「納豆メーカー」はある。それが「豆紀」さん。この工場では、現在一日平均三十五万食もの納豆が製造されています!

f:id:minminzemi81:20190710211607j:plain

納豆混ぜ混ぜ百回の法則

聞いた話よると納豆菌には、麹菌や酵母菌、乳酸菌などをはるかに「凌駕する繁殖力」があるらしい。それで、簡単に納豆菌に負けてしまうらしい。なので「忌み嫌われる一因」となったらしい、と聴いた。

 

いや待てよ、それは食品メーカーでのハナシで、我々一般家庭は、関係ないのでは?むむっ、やっぱりホントの所は、いまだ判かりませんね・・?!

 

〈納豆歴史ロマンなど〉

一説にいわく。日本で納豆が始まったのは、弥生時代という。大陸より稲作と大豆が伝わり、それらが偶然あわさったという。当時の住居は、床にワラを敷いていたことから、煮こぼれた豆が藁につき、自然に発酵したのがはじまりらしい。土器にこびり付いた煮豆が、その証拠となるか?

さらに遡る縄文時代。すでに納豆は食べられていたのではないか?との説もある。縄文土器から野生種のツルマメ痕跡が発見され、縄文人が大豆を食べていたことがわかった。稲作伝来以前は藁はないが、葉っぱで包んで発酵させていたのか?

確かに納豆は、日本の食文化である。しかし、納豆の起源は中国南部の雲南省あたりらしい、との説あり。食文化は照葉樹林分布と関係が深く。 西日本、朝鮮半島、中国、東南アジア、ネパール、ヒマラヤを結ぶトライアングル照葉樹林国は、植物利用の形態が似ているとか。

日本における納豆の起源話。聖徳太子が馬の飼葉で残った煮豆を、藁で包み置いたら出来上がった!うそくせーな。また、後三年の役で農民が供出した煮豆の藁包みが、糸を引き良い香りを放ち始めたので、食べられるようになった。 いずれもご当地伝説であ~る。

水戸納豆ってさ、有名。明治時代。常磐線が開通、水戸駅のホームでは納豆が販売された。お土産としても広まり、全国的に知られるようになりましたっ!とさ。小粒な納豆は、米に絡みやすくて大評判。茨城県の「納豆小粒(なっとうしょうりゅう)」いまも小粒納豆が、めっさ人気あるのも判る。

日本の新型コロナ陽性者が、欧米に比べて非常に少ない理由は「納豆菌」などの発酵食品のおかげではないか?もちろん臨床データが少ないので、この件はハッキリしないが、食生活が“大切な要素”なのは、やはり間違いない!

 

〈納豆の上手い喰い方〉

①まず器に移す。ぐるぐる掻き混ぜる。だいたい200回程度でトルク固めに。そこで醤油をひとたらし。また固くなる迄、ぐるぐる掻き混ぜる。辛子投入、ぐるぐる掻き混ぜる。疲れる。

②トッピングは・・卵黄身、刻みネギ、キムチ等などが、相性が良い。さらに健康にも良い。炊きたて🍚ご飯にデロリン落とせば、素晴らすい出来ばえとなる。

▽参考動画/一番美味い食べ方

魯山人風の納豆茶漬け」とは・・

https://youtu.be/hW9Y1KJVCoA

 

(2000文字、Thank you for reading.)

今週のお題「納豆」#和歌山#納豆