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あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

名作、第27作「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」【大好きな映画⑩】後半パート

 

男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』

🎥 ここでチョロっと解説項。各シリーズに共通する基本的なプロットの流れ(一部例外あり)

アバン『寅さんの夢パート』⇒『寅さんが旅から帰郷』⇒『とらやでのいざこざ』⇒『また地方へ旅する』⇒『マドンナとの出逢い』⇒『マドンナがとらやへ』⇒『トラブル、問題の開示・解決』⇒『寅さんの失恋へ』⇒『またもや旅立ち』⇒『エンディング』となる。

悪くいえば「ワンパターン」なれど。それが映画の面白さへ繋がってゆくのだから大変だよね、山田監督はホント「繰り返しの天才!」。

🚕💨前半のカンタンあらすじ

豊島で出逢い、石切さんで奇跡の再会を果たした寅さんとふみさんは翌日、生駒宝山寺へ出掛けます。そこで絵馬奉納時、ふみさんに“生き別れの弟”がいることを知った。

だが、何故か逢うことをためらうふみさんに、寅さんは「いますぐ逢いにいこう」と言う。二人は弟が勤める運送会社へタクシーで駆けつける。

▽ぜひ前編からお読みください。

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ふみさん生き別れた弟探しの巻

 

寅さん「すぐ行こう。早くっ!ほらっ!」目指す住所は「大阪市港区波除6丁目2、山下運輸株式会社」。タクシーは安治川沿いを走ります。

恐怖の心霊現象として有名な車中シーン。誰?

長距離なので、タクシー代が気になります!支払いは、ふみさんか?

安治川大橋(国道43号線)がみえる。運転手は車を降りて、歩いて探してくれる。なんて親切な運転手なのか・・イイひとだね。

運転手「そのネキですわ」

寅さん「なんだい、ネキって?」

(※この「根際、ネキ」、どうやら固有の大阪弁ではないらしい。他地域から流入してきた言葉?ちなみに、ネト用語では「アネキ、姉貴」のこと)

ウマい具合に御手洗前に車両主任(大村崑)がいた。こんなとこに、崑ちゃんがいるなんて。何でだろ~な配役だ🤔うむゅ?

主任さん(大村崑)チャックで○○挟んだのか?

寅さん「あの・・水上英男という男、おりませんでしょうか?」はじめて弟のフルネームがあかされる。それを何故か困惑する主任・・「二階事務所へどうぞ」と案内される。

ここからのパートは「シリアス」、ホント辛い話ばかり。喜劇ではなくなる。そして、事務所ではショッキングな新事実を告げられます。

『尋ね人の英男君は、すでに死んでいた・・』

川を渡る行為は、山田シナリオ的には「此岸⇔彼岸」の関係となる。向こう岸には既に“隠世”が待っている!春日出橋を渡ったところにある、彼のアパート『松風荘』尋ねてもまだ「辛い話の連続攻撃」続く。

寅さんの混ぜっかえしギャグもなく、淡々と。

何と英男くんには「可愛い婚約者の信子」までいた。部屋には仏画風の「ふみさんと思しき絵」まである・・なんだ、なんだ、これはぁー!!

信子「うち、英男さんから聞いてました。お姉さんのこと・・お母さんみたいに、懐かしい人や・・とっても、逢いたがってました・・」

おふみ「お茶、飲んだら帰ろっ。うち辛い、この部屋におるの・・」

ついに、おふみさんに“部屋に居るのすら辛い”とまで言わせてしまう。「ふみちゃんをそんなに苛めんでもエエやろがぁ!」当時、そう思ったよ。これが演出の狙いか・・ここに来て盛り下がり感⤵︎ 半端ねぇ~ぇ~。あ”~違う映画だ、ヤダヤダ😫

安治川に浮かぶ渡し舟、ジッと見詰めるふみさん

で。ここでふと思う。この“安治川をロケ地”と定めたのは、本作と同年公開『泥の河(1981)』(小栗康平監督)への“せめてものオマージュ”だったのかも?山田洋次は本来社会派監督、自分が「泥の河」を撮れずに悔しかった・・これ、あるやなしや。

(「泥の河」は、昭和31年の夏の安治川河口が舞台。川べり食堂の子供「信雄」は、鉄くずを盗もうとしていた「喜一」と出会う。喜一は、対岸の廓舟で姉の「銀子」と、姿が見えない母「笙子」と暮らしていた・・この姉弟との“出逢いと別離”を描いた、'81年度の傑作映画。作品名言『子どもはなぁ、産まれてきとうて生まれてきたんやない。親、選ぶわけにはいかんのやぁ』😭涙)

▷リンク/「男はつらいよ浪花の恋の寅次郎」ロケ地案内

映画 寅さんシリーズ 浪花の恋の寅次郎ロケ地案内♪ - YouTube

 

これぞ「浪花の恋の寅次郎」最高場面

 

「うち気分が悪い」と、勝手にお座敷(宗右衛門町。源氏名は蝶子はんと判明)を抜けて来た、おふみさん。その足で「通天閣ホテル」の寅さんの部屋へスッとあがり(←オイオイ)窓辺りで座っている。もう芸者を辞める腹づもりか?

希望の星が見えると寅さんに伝えるふみさん

おふみ「星が出てるよ~ひとつ・・ふたつ・・みっつ・・」

外には新世界のギラギラな夜景がみえる・・まぁリアルなこといえば、“この場所”では星はほとんど見えないハズだ。おふみさんの心象での「希望の星」だネ!✩.*˚

おふみ「♪別れる~ことは~つらいけど、仕方がないんだ・・キミの・・うち泣きたい」

▷参考音源/繰り返し登場する『星影のワルツ』✩.*˚千昌夫の大ヒット曲(1966年)。
https://youtube.com/watch?v=sQUosDz7w8g&feature=share

別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君のため
別れに星影の ワルツをうたおう
冷たい心じゃ ないんだよ
冷たい心じゃ ないんだよ
今でも好きだ 死ぬ程に

一緒になれる幸せを
二人で夢見た ほほえんだ
別れに星影のワルツを うたおう
あんなに愛した 仲なのに
あんなに愛した 仲なのに
涙がにじむ 夜の窓

この歌この歌詞、別れのフラグ立てと思えます。

この憂いを秘めた眼差しが、とってもイィ♡

 

ウルウル泪をためて、何かを訴えるふみさん・・寅さん!もうダメ、こりゃダメ。苦手ターンに突入だ!

おふみ「寅さん・・泣いてもええ?」

寅さん「!」ビクッと驚く・・

😱ありゃま〜雪隠詰めついに王手か?!ふみさんは、寅さんにしなだれる。寅さんの膝に顔を伏せ、そこで泣き崩れます。これが大阪の劇場で「いてまぇ~!寅やん!」の声が上ったという「伝説的シーン」です。判るわぁ~そやでぇ。好きなおなごはんに膝しがみ、それ拒絶する馬鹿男ってそんなの何処におるんや~

何でぇ、めぐり逢せ悪いんやろかっ、うちはぁ・・

ここで“細かいカット割り”があり。①入口側(喜介目線)からと、②横側から(状況さま)に撮り分けている。見る方向により「視える情景が変わるよ~♪」という親切説明カット(エロネタ😆)。もちろん次に続く「階段オチのシーン」と関係しています。

喜介「お待っとうはん!あいにく冷蔵庫の中がぁ・・うゎ~あぁぁ~すんまへん、ナンも見てまへん」

喜介「お待っとうはん!」グツ悪い時に登場!

慌ててドア閉め、後退りドタタタタ・・・階段オチする!雰囲気ぶち壊し。山田演出のお約束。雁之助はん演技最高です!

喜介「血ィやぁ~お母ちゃん!血ィ~出てるわぁ!血ィ~!」

階段の下で煩く騒ぐ、喜介はん。

喜介はんデコ打って血ィ滲んでいる・・

おかん「情けないガキゃなぁ。ええ年こいてぇ、大きい声だしてからにぃ、こっちおいで。見せてみぃー!」

初音オカンにデコをペチン!される喜介

カンペキな“初音オカン”の演技、ホント凄いよぉ~!👍✨

○初音 礼子(1908~1987年)元宝塚歌劇団、男役。雪組の組長。兵庫県神戸市の出身。宝塚歌劇創設以来、初の殿堂入りするレジェンド。

▷リンク/名場面「天王寺ホテルの夜」

映画『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』(第27作)HDリマスター - YouTube

 

浪花の夜の秘め事は・・肩透かし

 

残された信子の心配(自分の心情も重ね合わせ)までする、ふみさんだった。

寅さん「そりゃ、いまは哀しいだろうけどさ、月日がたてばどんどん忘れて行くものなんだよ。忘れるってことは、本当にいい事だよ・・」と慰める。いいこと言う寅やん、これを“時薬”という。

浪花の夜はゆっくりと更けていきます

酒に酔ったふり?ふみさんは「今晩、この部屋に泊めてほしい」と伝え、寅さんの膝に頭をあずけ眠る。これには嬉し・・困った寅さん。

しか~し、寅さんは部屋からコソコソと逃げ出し、喜介の部屋で寝るというのだ・・🙃ありゃりゃ~?!な展開となる。またか・・

松鶴おやぢ「そんな殺生なぁ・・」と寝言ひとつ。

翌、未明・・ふみさんはタクシーを拾って、ひとり寂しく帰っていく。

阪神高速松原線高架下、公園通り角

ふみNA『寅さん夕べはごめんなさい。私がこの部屋に泊まるのが御迷惑だったなら、そう言ってくれればタクシーを拾って帰ったのに。これからどうして生きていくか、一人で考えていきます。寅さん、お幸せに。 さようなら ふみ』と、チラシの裏へ切々と書いた「別れの置手紙」が残されていた。この「愛想尽かしの文言」には、少なからずショックを受けている。その、憮然とした顔。

 

覚醒す!浪速のことは 夢のまた夢・・

 

長逗留していた天王寺ホテルを、慌てて引き払うと言い出した。寅&喜介コンビは、地下鉄乗り場への道すがら事後策を、スタスタ歩きながら話し合う。

さらば天王寺また来るまで・・次は39作だ!

喜介「そやけど・・寅やんがおらんようになった後、もしあの娘が訪ねてきたらワテ、どない言うたらエエねん?」

寅さん「尋ねちゃ、こねえよっ!」スタスタスタ・・

喜介「そないなコトは、判らへんがな・・」

寅さん「いや来ねぇ・・もし来たとしたらその時ゃ、あの男は東京へ帰ったと、そう言ってくれりゃいいんだ」スタスタスタ・・

喜介「何でやねん。なんで、そない逃げるようにして帰らないかんねん!」

寅さん「男ってものはなっ、引き際が肝心よぉ」スタスタスタ・・

大阪地下鉄「恵美須町駅③番階段」を手を振り降って消えた。しかし、ここは堺筋線。梅田へ出るには、動物園前駅の方が都合いいぞ(こまかっ!)。

大阪メトロ「恵美須町駅③番階段」寅消失点

はい、舞台は柴又とらやへと移ります。

 

いまだ恋煩い厨、哀れな寅さん

 

夕方、とらやの茶の間。帰ってからずっと様子がおかしく、食欲も無い寅さんを、皆がいろいろ気遣っている場面です。

オバちゃん「じゃ、玉子でも焼こうか、ねっ?」

寅さん「いいよ、いいよ。おふみちゃん、ありがとう・・」

突然の“おふみちゃん”の名前に、ギョギョッとなる一同。それはいったい誰なのか?意中の相手の詮索が始まった!

ゴーン!「四天王寺の鐘の音かぁ」病膏肓に入る

寅アリア ふみver.開始される。

寅さん「いい女かって、聞いてるのか・・もし、ここへ、すぅーとあらわれたら・・タコは腰抜かすよっ!ぬけるような白い肌、それが嬉しい時なんか、パァーと桜色に染まるんだよ。哀しい時には、透き通るような青白い色。黒いほつれ毛が、ふたすじ、みすじ。黒い瞳に涙を一杯ためてぇ・・寅さん・・うち・・あんたの膝で泣いても、ええ?可哀想だったなぁ~あん時のおふみさんは・・」

ひろし「兄さんが色々と、力になって上げたんでしょ?」

寅さん「気持ちだけは、あるんだ。でも、いくら気持ちだけあったって、何してやりゃぁいいのか、判らねえんだよっ。金はねえしなぁ・・ましてや、頭でも良けりやぁ、何か気の利いた言葉のひとつも、かけてやれるものを・・それもできやしねぇ・・」

腹巻にしまってあった“チラシ裏の手紙”をとりだし、凝視する。皆もつられて注目の的。

寅さん「そんなオイラに愛想をつかして、あの娘はいっちまったのさっ・・これからどうして生きていくのか、ひとりで考えていきます。寅さんお幸せに・・そう言ってねぇ、まぁ、今更そんなこと言ったって、こりゃ愚痴になるだけだからさっ、ねっ?今夜はこのあたりで、お開きってことにしようか」

トントン階段を昇りながら、また挨拶す。

寅さん「お茶の間の皆さん。お休みやすぅ~嗚呼、しんど」変な関西弁で〆る。

 

摩訶不思議な女心とらやに何故?

ところがしばらくして。おふみさんが柴又とらやに、突然訪ねてくる。ここで疑問がわいた。何故ふみさんは「自身の結婚報告を、わざわざ寅さんにするのか?」この女性心理が、よく判らな~いですね。劇場公開時には、ワタシにはソレがさっぱり理解出来なかったよぉ・・

 

いわゆる「不思議な女心のなせるワザ」てか?ふみさんは、大阪で寅さんに色々と世話になったのだから通常の「御礼挨拶」位は、当然な行為かもしれない。

しかしデスねぇ。これはとてつもなく“気まずい行為”なんです。態々逢いに来るとは?ふみさんは、寅さんが大好きだった・・まぁ、ゲスい言い方すれば「抱かれてもいい♡」行動までとった。なのに、寅さんに軽く「ダッキング&敵前逃亡」された訳でぇ、相当プライド傷ついたはず。そんな想いも夜明けの旅館「置き手紙」でケリつけたハズだったのだが。

乙姫と夢のような出逢いの豊島

一方の寅さんも豊島の出逢い以来「好意メチャあり態度」をず~と取ってきた。さらにアテもなく(嫌いな)大阪まで、おふみさんを探しに来るのだから相当な入れこみ方。でも、置き手紙を見て「愛想尽かしされ、振られたぁ!」と思い悩んでいる。なので逃げるようにコソコソ大阪から舞い戻って来たのだ。

🙄ならば、この「結婚報告」は、ふみさんのせめてもの「意趣返し」なのか・・??

やはり彼女の行動原理がイマイチよく判からない。普通の女性感覚なら、寅さんと“顔をあわせるのも避けたい”気持ちだろうからね。この後、一連の流れには観客の多くは「ええっ?」だったはず。いつものテンプレート「問題抱えるマドンナ⇒とらやの訪問⇒ドタバタ解決👍🏼めでたし、めでたし」ではない、妙なモヤモヤ感がズゥ~と残ります。

何となんと!おふみさん柴又に襲来

おふみ「あのぅ・・こちら、とらやさんですね。寅さん・・いてはりますでしょうか?」オバちゃんがパタパタ立働く店先で、女の声がする。

📣 「噂の“大阪の美人芸者”がとらやに、来たぁぁ~!!」この一報にザワつく参道周辺の人々。話はあっちゅー間に伝播する。持ち前の客あしらいの上手さで、客を捌いてゆくふみさん。夕刻頃には源ちゃんと一杯引っかけ、上機嫌な寅さんが帰ってくる。更には、思いがけない「ふみのとらや来訪」に、天にも昇る心地の寅さんだったが・・。

 

泡わの輪、開けてびっくり玉手函!!

 

「実は大阪を引き払い、対馬へ行く」といった話のくだりから微妙に茶の間の空気が変化する。何故また、対馬へ・・?

おふみ「実はうち・・・結婚するんですぅ・・」

予想外の爆弾発言が飛び出し一転、凍りつく茶の間・・ひぇ・・ひぇ~💦

おふみ「対馬から大阪に、板前の修業に来ている人がいてね。こんど島に帰って、小さなお寿司屋さん開くことになったんです。そのひと、前からうちのこと思うてくれてて・・うちみたいな女でも、奥さんにしてくれるって、そない言うんよっ、寅さん!」ビシッと、問語り気味に告られた。「対馬の寿司屋に嫁ぐ」というトンデモ展開・・アララどうしましょ?

程なくその結婚の相手、誠から電話ありふみさんが急いで帰った後・・外は土砂降りの豪雨となった。さらに雷鳴も轟く!やはりこれはリリーパターン※の流れです。

一天にわかにかき曇り、雷鳴轟く

(※「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」では、とらや茶の間で気まずい思いまでして、“結婚承諾したリリー”に対し、寅は「冗談だろ、リリー」と決めつけ、避けつづける。その曖昧な態度に絶望して、怒りながらリリーが立ち去る。すると雷鳴トドロキ、土砂降りの雨となる。二階では、寅とさくらがリリーを物語る場面となります)

二階部屋では寅さんがさくら相手に、ぶちぶちボヤくシーン。反省会まで同じ流れだな。

寅さん「わざわざ来ることはなかったんだよぉ、こんなとこまで。ハガキ一本出しゃ済むコトじゃねぇかぁ。こっちの気持ちにもなってくれって言うんだよ、こんな惨めな気分にさせられてよぉ・・」

さくら「そんなこと言っちゃ、可哀想よ。わざわざそれを言いに来た、ふみさんの気持ちにもなってごらんなさい・・・」

このさくらの諌言が、理解出来たのだろうか?そして翌日、寅さんは再び旅立った。それは、何故か。

🤔さくらが言う“気持ち”とは、ふみさんが最期に魅せた「女の意地”みたいな静かな怒り」・・と仮定すると、かなり理解が優しくなるね。以前にもリリーとの心のすれ違いあり、今回のふみさんの件と二重構造に透けてかさなり、寅さんに重くのし掛る。やはり、大変な多重スクリプトだよなぁ~単純ぢゃないね。きっと山田監督も寅に怒ってますよォ!

 

ついにエピローグ対馬での再会!

 

寅さんは遥々、対馬まで逢いに出かけたのだ。この物語は冒頭、対馬の「和多都美神社」から始まり、ラストの「青海の段々畑」に円環して、終わりを告げる。おふみとその亭主、誠(斉藤洋介)の寿司屋店先(※対馬市厳原町国分、對馬醤油店の隣に「寿司処海八」があった)。新鮮寿司ネタで盛り上がっていると・・。

まこと「お袋から電話でなぁ、家のほうにアンタ訪ねてお客さんが来てるんやが・・車さんちゅう人やてぇ」

おふみ「車さん・・?寅さんよっ!ほらぁ、いつも話してる、寅さんよっ!」

ワゴン車に乗り、万関橋を渡る…🚐💨…走り続ける車。実家まではずいぶん遠いようだ。

青海の里の美しい段々畑で終話となる

嫁ぎ先である、石垣で囲まれた古民家(対馬市峰町青海130)その門先でひとり座り待っている、寅さんの姿があった!

寅さん「よぉ、元気そうだなぁ。遠いトコだなぁ、おい。船着場からずっと歩いて来ちゃったよぉ、ははは…」

そんな馬鹿な。確実に倒れるよ、夏場でこの距離はね!

おふみ「よく来てくれたぁ・・・」

うるうる・・涙を流しながら歓ぶおふみさん。所在なく困る亭主の誠。

門戸でズッコケそうになる寅さん

それを晴ればれとした表情で、二人を祝した寅さんだった。きっと、また乙姫に「お・も・て・な・し」されて、対馬で長逗留したことでしょうねぇ。

👏パチ👏パチ  ~終演~

 

どぶに落ちても根のある奴は
いつかは蓮の花と咲く

意地は張っても心の中じゃ
泣いているんだ兄ちゃんは

目方で男が売れるなら
こんな苦労も

こんな苦労もかけまいに
かけまいに

 

○マドンナ/松坂 慶子(1952年~)本名は、高内慶子。東京都大田区の出身。韓国人の父と日本人母との間に生まれる。🎬映画『夜の診察室』で本格映画デビュー!『青春の門』や、本作『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』、有名な『蒲田行進曲』など。ドラマ主題歌「愛の水中花」が、大ヒットした!本作で日本アカデミー賞主演女優賞。

大映映画『夜の診察室』映画デビューした

○入場料1500円、上映時間104分。

▷リンク/『愛の水中花』(松坂慶子) 愛の水中花 - YouTube

▷リンク/『男はつらいよ浪花の恋の寅次郎』予告

〈余録〉蛇足解説始めま~す

 

さてさて。このドラマは『浦島太郎伝説』をモチーフにしているのは明らか(ハナからアバンでそう告げている)です。浦島寅次郎と、ふみ乙姫です。豊島から亀の船で着いた場所が、大阪はネオン✨チカチカ通天閣だった。

昔むかし浦島はぁ助けた亀に連れられてぇ♪

竜宮城で“飛び切りのおもてなし”されたのに、コソコソ逃げ出した浦島寅次郎は、あろう事か玉手函すら持たず逃亡した。それに怒った乙姫が、追いかけてきました。まるで安珍清姫のように。そして「ドカ~ン!」とイカヅチを降す!うわぁ怖い話だぁ・・ホンマやで、これなぁ・・

という訳で。リリーの登場回、第15作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』

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男つら物語、その本質とは・・?

~わかるヒトだけ解ればイイってハナシ~

 

まず、日本の古代から続く『マレビト伝説』について。マレビト(客人)は、各地方ごとに様々なバリエーションがあり、一番有名な寓話は「かぐや姫伝説」月から来た宇宙人設定。ある時、なぜか月から地球にやってきて、竹のカプセルホテルで過ごす。それを竹取の爺さんに発見される。スクスク急成長し、やがて「婿取りに目覚める」のだ・・。

(※お爺さんは山に柴刈りに来たのだから、得物はナタか。それで竹切ったら、かぐや姫も真っ二つ!・・子供の頃、そうおもたね!😂ひゃ)

続きまして「桃太郎電鉄」。違うやろ!ボンビ〜か!昔話 桃太郎伝説では、川で洗濯していた婆さんが「大きい桃」を発見👀し、すくって持ち帰る。包丁でスパーンと真っ二つにする。なかから飛び出す桃太郎!恐ろしい速さでスクスクと成長し、やがては「鬼退治に目覚める」のだった・・

(※婆さんは川に洗濯なので、手洗い桶?洗濯板?これで川を流れてくる巨大桃キャッチは到底出来ない・・やはり、そうおもう!😂ひぇ)

いずれも共通するのは⇒『マレビトをもてなせば、マレビトの「行動や言動」により、地域に住む人々に「生きる力や知恵」が授かって「災厄をも祓われる」といったもの』古代から日本人は、マレビトの霊力により「豊かで健やかな生活が、延々続いてゆく」と信じて暮らしていました。

半年のおわり、夏越の行事「茅の輪括り」

我々は正月や夏越に、ふらりやって来る「マレビトをおもてなし」します。それらの風習を単純に云えば『漂泊民(マレビト)と定住者(一般人)の交流物語』なのです。コレが「男はつらいよ」の裏コンセプトでしょうね、そう思いまふ。

(※マレビト(稀人・客人)は、ある時期(正月や夏越など)に他界から来訪する霊的な神々。この存在を定義する、折口信夫の思想でもある。「まれびと」が発する呪詞・寿詞が後に「文学」に、所作が「芸能」へ昇華した。日本人の信仰や観念を探る、キイワードとして重視されます)

(8800文字、Please enjoy “Tora-san's” movie!)  お題「ゆっくり見たい映画」

有田蜜柑 誕生秘話「伊藤 孫右衛門」有田蜜柑の礎を築いた男の話【戦国時代】

 

毎年、五月頃になると有田の山々にみかんの白い花が咲き誇り、甘酸っぱい香りが街中に広がります。「全国一の生産量」を誇る有田ならではの風物詩だと思います。

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ミカンの花が咲いている

そして九月ともなれば、蒼い「極早生蜜柑」が市場に出回り、秋が深まるに続いて「早生、中手蜜柑」と出荷量が増えていきます。品種には「ゆら早生」「日南1号」「上野早生」「大浦早生」など。

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その中で「ゆら早生」は、和歌山県で発見された品種で、果皮が緑色。でも果肉は糖度が高く、さわやか風味なのが特徴です!

 

さぁ、もうすぐ温州みかんの季節到来ですね!なんでも夏の暑い陽射しが、甘くて美味しい蜜柑を育てると言います。今年も、まずまずの作柄ではないでしょうか?

▷みかんの花咲く丘 https://youtu.be/_UFiQcGe_Qc

🍊 極早生ゆら蜜柑

鼻歌♪「みかんの花が 咲いているぅ~ 思い出の道 丘の道ぃ~ はるかに見える 青い海 お船がとおく かすんでるぅ~」有田のみかん畑から海を眺めていると、童謡「みかんの花咲く丘」を思い出しました。

 

有田蜜柑の礎を築いた男がいた

 

有田出身の方の話によると、この地方を“日本一の蜜柑産地に変えた男”がいるというのです。でも、世に名高い「紀伊國屋文左衛門」ではありませんよ。三波春夫先生が唄います。「沖の暗いのに、白帆がぁ~見ゆるぅ~あれが紀伊国ぃ~蜜柑ぶねぇ~♪」

▷名調子『豪商紀伊國屋文左衛門』豪商一代紀伊国屋文左衛門 三波春夫 - YouTube

いや漢、文左衛門・・ではなく。それはまだ世に知られていない、ひとりの男。

その名を『伊藤 孫右衛門』という。

時代は元亀天正あたりの出来事、世の中がガチャガチャ騒乱していた頃ですね。宣教使のルイス・フロイスが「紀州の地には四つ、五つの共和国的な存在があり、いかなる権力者も、それを滅ぼすことができなかった」と述べています。そんな国人衆や寺社勢力が入乱れ、自主割拠していた紀州は有田地方、糸我村でのハナシです。

 

蜜柑で全国的有名な有田地方は、元々蜜柑が無かった・・えっ?!

 

ここ紀州有田地方は「山また山、こりゃまた山、振り返ったら、川か海」と云う土地柄で、水田はなく米が殆ど採れなかったそうな。昔より見るべき産物もなく、食うや食わずの着るものさえままならないという「極貧の地」であった。その有田の糸我村で農業を営んでいた伊藤孫右衛門は、そんな村民の窮状を日々憂えていた。というか、単純に腹が減りすぎていたのだ。人間、貧すれば鈍するのです。

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第一村人登場

野良仕事を終えた村人が、立ち話をしている…

「のう、バァさんやぁ、たまには熟鮨でも、食べたいもんじゃなぁ~」

「あでぇ、おぢぃさん、アタマでも可笑しくなったのかぇ、米なんか見たこともねぇぇぇ・・」

孫右衛門は「この地域に殖産を起す」には、何がよいかと色々思案シマクリ千代子だった。荒地を開墾し様々な木を植え試してみたが、なかなか良いものを見出せなかったそうな。そのような時、肥後の国は八代高田(やつしろ、こうだ)の地に『蜜柑』という樹木があることを旅人からツテ聴いた。

何でもたいそう「芳しい香りがする果実」がなるというのだ。さらに「山地にあっても生育し、歩留りも悪くない」とも聞いた。「♪からたち、からたち、から〜たぁ~ちの、花よぉ~」か?その時、何かを閃いた孫右衛門は思わず膝をポン!と打ち、眼がキラリと光った・・

みぃ、蜜柑じゃこれじゃぁ~

欣喜雀躍その神木を是非とも我が手に入れ、この地を「ばぶりぃな国」に変えたいと願うようになった。だがしかし。なんでもその木は「藩外不出、面会謝絶、一子相伝アンタッチャブルな木」であり、おいそれと手に入れられるような代物ではなかったそうなのである。

 

🍊ぷろじぇくと おれんぢ

♪地上にある星を 誰も覚えていない 人は空ばかり見てるぅ~

(※1 熟鮨は和歌山の特産品。鯖・秋刀魚など魚と飯を合わせ、樽に漬け重石をする。数日から数か月あるいは数年間も乳酸発酵させる。乳酸発酵によって味は酸っぱくなるが、雑菌の繁殖を抑えつつタンパク質の分解に伴う、アミノ酸成分の旨みを増加させる料理法で、“寿司の元祖”と云われる)

 

そして孫右衛門は来る日も来る日も、たいそう思案した

 

そして和歌山の上役に相談したが、色良い返事をもらうことはできなかった。だが、それであきらめるようなお人ではなかった。ヘタレではなかったのだ。さても~さても~どうしたものか、想い悩んだ。

和歌山県有田市 糸我町の集落

▷リンク/有田市糸我町
https://maps.app.goo.gl/3kryjZBRCcvqqVpL9

村民の窮状を見るにつけ、オイシイ熟鮨を食べたいという自己要求は、ますます強まってゆく一方であった。それで彼は上役に幾度も願いでて、遂に上役も彼のしつこさに呆れ、彼を肥後の国に遣わすことにしたらしい。そこで上役は思う「しかしのぅ、そう簡単には譲ってくれぬであろうぞ」そこで一計を案じ、彼に一通の手紙を持たせたらしい。その内容は「木の所望は、殖産の目的ではござらぬ。単に盆栽として花実の美をめでたいのよ。よって数株恵与されたし…云々」との内容が書かれていた。これでは「テイの良い詐欺or搾取」である。果たして巧くいくだろうか?

そうして孫右衛門は九州に渡海した。八代高田でのすったもんだの末、ようやく「高田小ミカンの苗木二本」が彼に与えられた。孫右衛門は、念願のみかんの木を手に入れた!「イェイ、ゲッチュ~!」それは天正二年のことでござった。

(※2 天正二年と云えば織田信長に追放された公方様「足利義昭」が、紀州由良にある興国寺へ逃げ延びてきた頃なのです。興国寺は、金山寺味噌や醤油発祥で有名ですね)

 

ぷろじぇくと おれんぢ

♪名立たるものを追って 輝くものを追って 人は氷ばかり掴むぅ~

地上の星 / 中島みゆき [公式] - YouTube

 

人は皆、徒歩で旅をした。孫右衛門だって歩くしかない

 

しか~し。さらなる苦闘が孫右衛門に待ち受けていた。今日のように交通手段の発達した社会ではない。人は皆、テクテクと歩いて長旅をした。新たなる難題「いかに木を枯らさずに、郷里まで持ち帰るのか?」といった状況が待ち構えていた。彼は孫を慈しむかのよう(そら孫右衛門だけに)、その苗木を大事に扱い、郷里へと持ち帰ったのです。道中は「背中から二本の木がはえた男」としてたいそうな噂に、マヂかぁ?しかし、長旅の故に苗木は枯死寸前、ハラホロヒレハレ状態であったそうな。一本を和歌山の上役に賄賂としてソッと渡し、残りの一本をようやく糸我村へ持ち帰った!「ばぁ、ばぁさん…ただいま」バタッ!和歌山の木は当然の如く枯れてしまったが、糸我で植えた苗木の方は孫右衛門のたゆまぬ努力と熱情により息を吹き返し、唯一この地に根付いたのである。俗に言う “Dreams come true” ついに願いは叶った・・かに思えた。

ところが、一難去ってまた一難、更なる難題が待ち構えていた。ピンチの連続波状攻撃だぁ・・

 

地場産業と育成してゆくには、繁殖させねばならないですティニー

 

次の難問は苗木の繁殖であった。苗木を増やさねば殖産は叶わないのだ。「繁殖させることこそ、重要!」なのです。農業立国、アグリ産業の命題。「産めよ~増やせよ~金に成る木」孫右衛門は、有田に自生していたという「橘の木」に接ぎ木を試みて、ようやく見事成功させた。これで沢山の苗木を産むことも出来るのでした。やがて数年が過ぎ去った・・

遂にその夢にまで見た果実を、得ることができた。「実の麗しきこと、また美味なこと」は、他の果実の遠く及ばないところであったといいます。

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果実は得られ苦労は報われた

いまで例えれば「メロンより<<マンゴーより<<蜜柑🍊LOVE♡」ですかね。孫右衛門は、さぞや有頂天だったに違いない。孫右衛門の熱意とその果実のすばらしさに、周囲の村人達も大絶賛開催中!です。そして驚いたことに孫右衛門は、栽培方法を惜しげも無く近隣の「保田庄、宮原庄、田殿庄」にも教え、有田地方を密柑産地として興産せしめた。さらに紀州浅野、続き紀州徳川家の庇護のもと、作付面積もドンドン拡大されてゆく。ようやくここに、貧困地有田を窮状から救い、豊かな大地へと変える「一大蜜柑産業が産まれた」のでした!

👏拍👏手👏…めでたし、めでたし、と。

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♪行く先を 照らすのは まだ咲かぬ 見果てぬ夢

遥か後ろを 照らすのは あどけない夢

旅はまだ 終らない…

ヘッドライト・テールライト - YouTube

文中引用した楽曲「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」どちらも神曲✨です。まさに孫右衛門、江戸時代のプロジェクトXだ!

 

柑橘栽培の起源と小みかんなど、こぼれ話詰め合わせ

しかし、ふと想う。「この話はホントのことなの?」起源は諸説あるようです。現在の「有田市糸我町 中番」で紀州藩の委託を受けた、伊藤孫右衛門が栽培したのが始まり・・というのが、やはり“一番の有力説”とのことなんです。

 

🍊曰く、神話時代(十一代垂仁天皇)に、田道間守命(たじまもりのみこと)が中国南部より持ち帰った「非時香果」が、現在の「海草郡下津町」に移植された。その後、有田地方に「橘」として徐々に広まったと伝わります。※3

(古事記 日本書紀)

 

🍊またある説。永享年間(1429年~1440年)糸我町の神田池のふちに、橘が一本自然に生えており、年々実を結び蜜のような味であったことから「蜜柑」と名付けられた。その後、各地方へも広まった。

(糸我社由緒)

 

🍊天正二年(1574年)今回のお話に登場した、糸我の地頭「伊藤孫右衛門」が命を受けて、はるばる肥後八代より「高田蜜柑(小みかん)苗木二本」を持ち帰った。その後、各地方へ広まった。

(紀州蜜柑伝来記)

 

🍊 「小ミカン」とは日本に最初に伝わった品種。肥後国八代に中国浙江省から小ミカンが伝り「高田みかん」として栽培された。のちに有田に移植され大発展したことから「紀州蜜柑」の名で全国に広まったという。

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たわわに実った早生みかん種

🍊江戸で小ミカンが高騰していた。その話を聞いた「紀伊國屋文左衛門」が、紀州から船で蜜柑を運搬し巨大な利益を得たとされる「文左衛門伝説」でも有名ですね。和歌山の湯浅に「紀伊國屋文左衛門生誕の碑」がある。

 

🍊温州みかんが忌み嫌われたのは「種がないから」とか。子孫が絶えるコトを嫌った「縁起かつぎ」のため。時代は移りいまや栽培種のほとんどが、いまある甘くて美味しい「温州みかん種」となっています。 

 

🍊有田の地はその昔「安諦(あで)」と呼ばれていた。ところが平城天皇の名である「安殿」に似ているので「ありだ(在田)」に変えられたそうです。さらに安諦も含めて有田という地名由来に「荒れた川」からきたという説もあり。

 

🍊江戸時代、和歌山城にあった有名な「三宝柑」。その味をいたく藩主が気に入り、「藩外移出禁止令」が出たほどだった。名前の由来は「三方」に載せて、紀州の殿様に献上されていたことから名付く。

 

そして蜜柑はとても甘く、高価なフルーツに進化した✨

 

🍊昭和時代なら当たり前だった「コタツみかん」籠にオレンジ色の蜜柑が盛ってある風景。コタツにこもりムシャムシャ食べるのが、冬の幸せパターンだったねぇ~♪

 

🍊もちろんいまは「薄皮、種無しの温州みかん」です。いまや伝説の小ミカンはお正月の鏡餅の上に、チョンと乗っている位しか見かけなくなった。

 

🍊新堂地区で生産されたもの⇒「新堂みかん」湯浅町田地区で生産されたもの⇒「田村みかん」と呼ぶ。“有田ミカンのトップブランド”としていずれも高名である。お値段もそれなりに。

 

🍊ブランド蜜柑は、有名百貨店や高級フルーツ専門店に並び、とても高価で販売されている。味は「芳香と濃厚な甘さ」があり、近年、諸外国からも大注目されています。

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幸せのコタツみかん

(※3 長めの引用注釈。“日本人に一番身近で親しみのあるのが蜜柑の愛称で通用している「温州みかん」である。そしてその本場とされているのが、和歌山県の有田であり「有田みかん」である。みかんが市場価値をもってから450年余りが経過し、有田地方の農業といえば「みかん栽培」が大宗を占め、天下に冠たる特産品となっている。長い歴史の間では品種改良等があったとはいえ今も変わらぬ消費需要があることは、日本の産業史でも特異な存在であろう。日本書紀には、11代垂仁天皇の御代に、新羅国から帰化した子孫、但馬の国出石の住人「田道間守」は病気静養中の天皇の勅命で、遥か南方の常世国(中国大陸南岸)に旅立った!彼国に「非時香菓、トキジクノカグノコノミ」という果物が年中実っており、それを食べると延命長寿の効果があるらしく、その果物を採りに行くこととなった。そして苦節10年。田道間守は南方の海上常世国を探し求め、ついに香菓「橘」を得て帰国する。都に着いた時は、10年を経過していたので帝は既に崩御していた。田道間守は帝の存命中に使命を果たせなかったことを残念に思い、御陵に「橘入手の報告」した。「香菓」を手に入れた常世の国の気候風土に似ている土地を探し求め、熊野街道沿いの下津町橘本(旧海草郡加茂村)に橘を植えた、と云う。田道間守は死後ここに祀られ「橘本神社、御神体」となった。この田道間守の植えた「橘」が紀州蜜柑のルーツ。田道間守は”蜜柑の始祖”として10月10日を「みかん祭り」として、蜜柑の関係者が集まりお祭りする。これは昔は「果物」を「菓子」といい、全国の製菓業者がお詣りするようになり、神社では毎年4月3日に「菓子集り」を開催する”和大のセンセの話)

今年冬には「コタツみかん」やりたいな♬.*゚これにて『有田蜜柑 誕生秘話』一巻の終わり。

 

わぁ(っ'ヮ') (( 🍊

 

[おまけコーナー] ちょっとイイ感じの話です

 

▽文豪 芥川龍之介の傑作短編に『蜜柑』と云う、とても爽やかな作品があります。わたしの大好きな作品なのです。ラストで蜜柑がとても鮮やかな色彩を放って登場します。

朗読/窪田等氏、渋いええ声。

窪田等 朗読『蜜柑』作:芥川龍之介 - YouTube

作者:芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、明治二十五年~昭和二年七月二十四日没)

○本名も同じ、大正を代表する大作家。精神疾患から睡眠薬自殺した。その動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」の言葉はあまりにも有名。辞世の句「水洟や 鼻の先だけ 暮れ残る」でした。

○代表作品『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』『河童』など。文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した「芥川賞」を設けた。これが新人小説家の登竜門となる。

▽美味しい「有田みかん早和果樹園、味まろしぼり」濃厚な絞りたてのジュースです。お土産にピッタリだと思います!美味~い!

⇒Link/ホットな“みかん産地”のリンクです

早和果樹園⇒ 和歌山有田みかん、味一しぼりの早和果樹園

JAありだ⇒ http://www.ja-arida.or.jp/index.php

参考文献/ウキペディア、JAありだ 、早和果樹園 、和歌山県観光振興課

(6,200文字、Thank you for reading.bon voyage.) 今週のお題「人生最大のピンチ」

推し!「友ヶ島 関連ブログ特集」和歌山市 紀淡海峡 友ヶ島【まと👀ます】

 


ヒトはとかく“何か”を求め「旅」に出たがるもの

 

つまんない日常を飛び出し、非日常に我が身を置いてみる。そして未知の土地を、ひたすら尋ね歩く。あげくヘトヘトとなる。そして求める“何か”は発見するのだが「謎」は読み解けないまま「とほほ気分」で旅を終えるコトに。

それでイイのだ!

なのでまたも“新たなる旅”に出る訳なのだね。いやはや、何やってんだかね。世の中には「自分探しの旅」に出るヤツ迄いるらしい。オイオイ、旅行なんかで自分探して、ド~すんだい・・?

それでもイイのだっ!

🎶Summer Joe Hisaishi - Summer - YouTube

「そうだっ友ヶ島、行こう!」

というわけでぇ~友ヶ島総軍推し!

𓂃𓊝𓄹𓄺  𓂃𓊝𓄹𓄺  𓂃𓊝𓄹𓄺 

 

😎「いやぁ、かなんなぁ~そうかいな~」

🙄「最近イチオシ!伸びて漫画なぁ~!」

サマータイムレンダ』おもしゃいやん

春先のこと。「サマータイムレンダ、和歌山観光大使となった!」とりあえず、再告知しとくで。

minminzemi81.hatenablog.com

😎「友ヶ島ゆーたら、何ですか?」

🙄「昔からユーレイ話、ありますねん」

😎「え”~ほんまか、キー坊?!」

🙄「誰がキー坊やマジやで」

ホンマにあった話やして、こえな・・

とある場所で写真を撮っていた。すると、不思議なものが写っているではないか!一体これは、何なんだろうか・・😱!?

minminzemi81.hatenablog.com

😎「友ヶ島のな、裏話みたいなモンやろ?」

🙄「キミ、ウワサ話好きやなぁ・・」

😎「ぜぜこ、ぜぜこっ!」💰👌

信じるか信じないかは、あなた次第!

江戸時代に紀淡海峡で大暴れした海賊「つむじ風剛右衛門」の隠し島という、お宝伝説✨がいまに伝わります。

minminzemi81.hatenablog.com

😎「友ヶ島渡るの、船出せんゆーた船頭さん」

🙄「船頭さん、古いなぁーキミ。船長さんや!」

😎「キャプテンやな、エーゴでな!白帽子」

海が荒れた時には、別のエエとこあるよ

明治時代の海軍が「由良水雷隊」を編成し加太北方の深山の地に、極秘理に「水雷基地を構築」していた話を探る。

minminzemi81.hatenablog.com

 

余録😆旅行先魅力度、第1位は・・和歌山県!!

 

パチ👏パチ👏とりま、めで鯛のう。前回、和歌山県は8位だったが、今回ブッチのランクアップ⤴︎しての堂々全国1位となった!沖縄、北海道抑えての一位とは、こりゃスゴい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4d88e127aaf6fc02a4c0d20d81605e6d25594002?page=2

「子供から大人まで楽しめる。パンダ、高野山、抹茶ソフトクリーム・・」ありゃりゃ、なんかチャウやん。

高野山はともかく🐼パンダは和歌山?

世界的な宿泊施設予約サイト「Airbnb」では、全世界中で『2019年に訪れるべき19の観光地✨BEST19』(下図)に、日本国内で唯一「和歌山県 Wakayama Prefecture」が選ばれている。このコトの意味・・

▽コチラは順位ではない(和歌山県観光交流課、資料)

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(1500文字、thank you for reading.be happy!)お題「うちの自慢スポット」

名作映画、第27作「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」前半パート【大好きな映画⑨】

 

男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』街宣ポスター

 

🎥 第27作『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』(1981年公開)

わたしは大阪生まれで、大阪市内で永く住んでいた関係で「浪花の恋の寅次郎」に、メッサ期待していた。「いよいよ、大阪の寅さん!よしっ!」そして、映画館へイソイソ観に行ったのですね。

大阪ゆーたら通天閣やぁ、🐡看板なくなった哀し
シリーズ初の大阪を舞台にし、東西喜劇界を代表する役者の「お笑い対決!?」かと思いきや、しっとり情感溢れる作品となっていました。

浦島太郎が乙姫と出逢ったぁの巻

今回の乙姫様(マドンナ)は松竹の看板女優、お色気バツグン「松坂慶子」がようやく初出演!そうそう「愛の水中花」だよねぇー♪

 

でも、実のところ「大阪芸者か。この役どころ松坂慶子では無理なんじゃね?」そう思ったけれども・・そうだ、初めて松坂慶子を見たのは『夜の診察室』という深夜映画だった。大映なのに、結構エロってたよな、そんな感想だった。

んで、実際のところ。松坂慶子は本作に乗り気でなく、方や山田監督も“エロい松坂”を嫌っていたらしい。それを松竹首脳が出演の説得したという逸話がある。や・や・や?の「難産気味のキャスティング」だったようで。

𓇼𓆉 ⋆.*・゚𓆉.゚・*.𓇼𓆉 ⋆.*・゚𓆉.゚・*.

さて、お約束「アバンの夢パート」は、浦島伝説のパロディだった。

寅さんNA「昔々、浦島寅次郎は助けた亀に連れられて、竜宮城を訪れ夢のように楽しい日々を、過ごしたのでありました・・・」学芸会風タッチ仕上げ。いつも思うことだけど、寅さんは稚拙な変な夢ばっか見てるよネ。いま風にいえば「厨二病の悪夢」ってことか?

タイトル明けは、遥か対馬の海岸、「和多都美神社(竜宮伝説がある神社)」で目覚める。寅さんは捕まった亀を、子供から買取り救ってやる。コレは「乙姫様と逢えます」フラグですよ。寅さん今回は「浦島寅次郎」やからねっ!そやろ。

和多都美神社、三ツ鳥居

まず、とらやでのドタバタ描写あり(お約束タコ社長経営不振ネタ。コレひどいよ使い回しシナリオ)続きまして、舞台はビュンと「瀬戸内、豊島小野浦」での出逢いパートへと飛びますぅ、飛びますぅ!

(※満男役が中村はやと⇒吉岡秀隆に。これ変更点)

序盤の流れは寅さんが、まず「亀」を救った。次に「蛸」をも救った!それに続いて「乙姫マドンナ」も救うはずだよな。

今回のバイのネタ、「アッパッパ」を吊します

渡船フェリーには寅さんが乗っていた。瀬戸内いずくかの離島へ向かう様子。着いたのは大島下島の大長港(大長みかんの産地で有名)。鄙びた港風景で農船が並ぶ。これがイイ風情なんです。漁港で、さっそくバイの準備始めます。「心斎橋か、天王寺の一流デパートで、紅白粉をつけたおねぇちゃんに下さい、頂戴でお願いしたら・・」と、寅さんは口上で「大阪へのフラグ立て」をします!というのは“小物”で大阪フラグを示しているのです。今回のバイネタ「アッパッパ」とは何か?女性の真夏用ワンピースで、通気性よくゆったりなサイズ。大正末~昭和初期にかけ“大阪で大流行”し、その後に全国へと広まったという。ダブダブ、ルーズさがオバちゃんウケしたらしい。

もうヤケクソ!ヤケのヤンパチ日焼けのナスビ!

(※島外に畑を求めて出かける「出作」が古くから行われた。島外の畑へ移動や収穫物運搬には「農船」という木造船が使われていた。いまは橋が懸かり、農船は廃れてしまったようです)

 

いよいよマドンナふみさん登場!

 

〈名シーン!続々〉

港を見下ろす眺めいい場所で、「アンパン&牛乳」を食べるシーン。ここがホント素晴らしい!ロケ班よくぞ見つけたよね。絶景👏絶賛!

(ロケ地は大崎下島⇒豊島へとワープ)

そして、墓場近くにある坂道を歩く美人(おふみさん)を、寅さんが発見する。何かの縁とばかりススッと船虫のように近寄り声をかける。何故か「仏事に強い寅さん」の本領発揮だよ?

寅さん「南無阿弥陀仏・・🙏🏻こんなお美しいおかみさんを残して、先立たれたご主人はさぞかしお心残りだったでしょうねぇお気の毒です・・」

寅さんの強引(カマかけ?)なセリフ。普通の男は、とても言えないよぉ、こんな男前なセリフはね。

おふみ「ふふっ」失笑

寅さん「えっ?なにか・・」

おふみ「うち、主人はいません。これはねぇ、おばあちゃん」お墓の主は、バアちゃんだったぁ

寅さん「うあっ・・おばあちゃん・・おばあちゃん。南無阿弥陀仏🙏🏻」早くも失策だ、ちーん。

二人は、坂道をゆっくり降ってくる

坂道を日傘さし歩くおふみさん。軽く身の上話かわしながら、豊浜港まで二人が歩く流れは、もう100点の素晴らしさだ!じっくり時間をかけて「丁寧に情緒たっぷり」撮影していますねぇ。

ここで「ふみの両親は幼い頃に離婚、祖母に育てられた。この島で育ち、現在は大阪で暮らしている」と、マドンナの過去が少しあかされる。しかし、職業は伏せられたママ。寅さんは「女工とかOL、郵便局員」など当てずっぽうに言うが、顔を伏せ首を振るふみさん。

続く豊島港(浮桟橋)での別れ、とてもいい風情です。「これから何処に行くの?」と尋ねるふみさん。

寅さん「うん?へへっ・・風の吹くままっ、気の向くままよっ!」

おふみ「自由でいいねぇ・・お魚みたいに・・」

最後の最期になって名前を聞く。これも“リリーパターン”だね、もしや勿忘草の別稿シナリオなのか?全編通しリリーシリーズとのイメージがダブります。

港町特有の細く入り組む裏道

おふみ「お兄さん、名前なんて言うの?」

ほらで・た・よ!

寅さん「オレはなっ、東京は葛飾柴又の車寅次郎っていうんだ。人は寅と呼ぶよっ。娘さん。アンタの名前、なんて言うんだ?」

おふみ「浜田ふみ・・」

フェリーに乗船し、盛んに手を振り続ける👋寅さん。去る船をジッと見つめる、おふみさん。やがて日傘を掲げ、振り続ける。いま、運命の赤い糸が結ばれたぁてか?粋な別れで〆める。船は出てゆく、煙は残る。残る煙が、シャクの種デデン、デン。

さて、寅とふみの“運命の糸”はいかに?

⛴️リンク/豊島、こんなところ。「Toyoshima Island」https://maps.app.goo.gl/ih4VfsHHjn9gAvuS7

 

浪花描写パートも情緒タップリ

「♪ひとりでぇ~生きてくなんて でぇ~きないとぉ~泣いてすがれば ネオンがぁ ネオンがぁ しみるぅ~♪」大阪の(古め、いや、大御所)松竹お笑い芸人が多数登場する。大阪の新世界パートでは、お約束の「お笑い展開」始まります!

 

寅さんは一目惚れしたふみさんを求め『新世界ホテル(恵比寿東3丁目あたり、通天閣南通りのどっか筋を西入る)』に長逗留する。宿賃(一週間も!)まで、きっちり溜め込んでいるヤバめ状況からスタート!何時もながら状況設定、相当無理あるよなぁ…

通天閣、新世界周辺地図(Googleマップ)

この新世界の一帯は、昔からデンジャラスゾーンで有名でした!が、しか~し。近年は大阪万博も控え再開発が続いている。旧来の面影とイマージュはかなり違ってきましたね。でも、ジャンジャン横丁は、まだ愉しいよね、その南側もさぁ・・㊙ダヨ。

笑福亭松鶴芦屋雁之助」お笑いツートップ。そして「初音礼子(元タカラジェンヌ)」のオカン役がマジで良き演技を魅せます。大阪オカンの特徴が良く出ていますからね。このままラストまで、新世界辺りで引っ張って欲しい位だ。それだと松竹新喜劇になるやん、そりゃあかんな。

ワテもでてまっせぇ!

(※松竹新喜劇はご存知、藤山寛美が座長をつとめた人情喜劇団。ホームグランドは道頓堀中座で、無休ロングランで一世風靡しました)

渥美さんはゲストと絡みずらい感じか?いや、諸先輩方に遠慮しているダケかも。喜劇界は色々ある罠。その訳とは・・・松鶴師匠は、言わずと知れた上方落語、四天王のひとり。芦屋雁之助は「裸の大将放浪記山下清役で一世風靡した立役者。どちらも関西お笑い界の重鎮、なのに端役扱い・・現場はヤバみ、怖!

 

寅&ふみ石切さんでミラクル再会!

 

寅さん、石切さん参道でバイネタ『愛の水中花』(不発ギャグ)しかし、まったく売れないようだ。「ダメだ、ダメだぁ」と嘆いている、そやろな。

石切劔箭神社。創建は三世紀の崇神天皇の時代、祭神は「饒速日尊」と「可美真手命」の二柱。デンボ(出来物)の神様で有名。参道には薬屋や占い屋、骨董品店などが並ぶ。ひやかし眺めるのが楽しい。
▷/https://maps.app.goo.gl/zM9mcBsEDHenUcb6A

石切劔箭神社絵馬堂、バイは門の向こうで

そしてふと、対面の「占いクジ屋」をみると。何と「かしまし娘」がいる!(ウチら陽気なかしまし娘ぇ、誰が言ったか知らないがぁ、オンナ三人寄ったらぁ、かしましぃとは愉快だねぇ~というテーマソングでお馴染み。歌江、照枝、花江の三姉妹トリオ。松竹芸能所属)・・いや、芸者三人組だった。

芸者花「姐さん、引いてみいひん?」

芸者照「アホくさぁー、何を占うんねんな?」

芸者花「決まってるがなっ。エエ男に逢えるか、どうかやがな」

おふみ「フフッ」

芸者花「ねぇ、ちょうだい」

おやじ「へぇ、何年だっか?」

芸者照「この子、タヌキや!」 鉄板ギャグ!

おふみさんがクジ引くと「待ち人あらわる」ふと、自分を見つめる寅さんに気付く。

おふみ「兄さんっ!いつかの・・」つつと駆け寄る。

寅さん「おふみさん・・って、いったな!」びっくり嬉しい再会。

〈名シーン!続きます〉

はいっ、ミラクル再会!きましたよ。この後、二人の出逢いを祝して四人で飲みに出掛けます。おあいそ時に寅さんは、自分の財布をふみさんへポンと預けるのです。こりゃ粋な兄さんですね。このことの意味は、ふみさんは「女房扱い」というワケですよ。もちろん、寅さんの財布では(いつもながら)支払いには足らない、だよね。ふみさんは、背を向け自分で精算をサッと済ませる。なので財布を寅さんには返せなかった。これは、“恥をかかせないための配慮”ですね。

(もう~寅さんに10万位、貸してあげたいよ。もちろん、トイチで!←それ萬田金融やがな)

新世界ホテルにタクシーで戻って来た、寅さんとおふみさん。少し酔っている。預かりぱなしだった寅さんの財布にふと気づくシーン。

寅さん「こんなもんで、足りたのか?」

おふみ「あ、そうやこれぇお財布」

寅さん「こんなもんで、足りたのか?」

おふみ「へぇ、じゅうぶん!」 大嘘。

寅さんは受け取った財布から数枚サッと抜き、ふみさんにチップを渡そうとする。すっかりお馴染み「五百円札」などではなく「千円札数枚(推定)」だった!ひぇぇヤルやん、寅やん。

友達同士でチップって、おかしいのとちゃう

おふみ「なにっ、これ?」

ふみさんは、友達同士でチップって、おかしいのちゃうかと。財布取り上げ、手にしたお札を挟み寅さんに突き返す!

寅さん「そりゃ、そうだ・・」

おふみ「二度とこんなことしたら、もうつき合わんからっ!」

寅さん「わかったよ。オレが悪かった・・」

まるで、イタズラした小学生みたいなションボリ顔になる、寅さん。この顔いいな。

寅さん「わかったよ・・オレが悪かった」

寅の手紙(ナレ)「さくら元気か?オレはいま、大阪で暮らしている。住み着いてみりゃ、大阪はいいところだ。人情は篤いし、食べ物は美味い。この土地は、オレの性に合っているらしい・・」そりゃ、そーだ。何故ならおふみさん♡が大阪で、すぐ側にいるんだからね。もちろんとらやの面々には、女絡みがバレバレだった。ハハッ

ふみさん「きょうは・・楽しかったっ♡」

ふみさんの和装に注目。着物柄が「青海波(せいがいは)」その意味。大海に無限に広がる波文様。「未来永劫続く幸せ」の願いと「人々の安寧な暮らし」への願いが込められた縁起柄です。乙姫に相応しい紋様だよ。今迄寅さんが嫌いなモノ。飛行機や鰻と並び、「大阪」があった。この回で偏見解消されたのは、ひとえに「ふみさんの功労」によるものデス。

 

ついに初デートにこぎつけた!

 

もうこれ本格デートだよね!生駒聖天の参道を昇っていく、寅さんとふみさん。でも階段が辛そうだ。

「ドーンと参道があってね」帝釈天自慢する寅さん

おふみ「(とらやは)いつ頃、建てたん?」

寅さん「あぁ~アレはねぇ・・奈良時代かな?そこに古びた夫婦がいるんだけど。あの二人も、奈良時代からいるんじゃねぇかなぁ、きっと・・・」絶好調なホラ話を披露する、寅さん!セリフになぜ“奈良時代”が出てくるのか?それは「大阪→奈良」へと、空間移動したことを示している。

近鉄宝山寺線。ケーブルカーは、大正7年8月、日本初の登山鉄道「生駒鋼索鉄道」として開通。「イヌネコ車両」いまでは「ファンキーデコ車輌」でインスタ人気を集めています!

わりとキツめ階段が続く宝山寺参道
リンク/宝山寺 絵馬堂

宝山寺は「生駒聖天」や「生駒の聖天さん」とも呼ばれ、「商売の神様」を祀る日本三大聖天のひとつとされる。なので“現世利益を求める人々”の古刹として、門前町も含め古くより栄えてきた。鎮守神歓喜天」が祀られています。

生駒の聖天さんは、商売の神様

▷/https://maps.app.goo.gl/snvDGMaXWV4cttdf8

歓喜天とは?

歓喜自在天は、仏教の守護神。ヒンドゥー教のガネシャ同様に、象頭を持つ「雌雄♡合体の図」とされる。ワタシは、歓喜天立像を「高野山霊宝館」で、ガネシャ像の方は、「白浜美術館」で見た。いずれも和歌山だね。象頭の二体で相撲取ってンだか、マグわってるンだかのポーズだ。だけどさこれで何故、仏教の守護ができるのか。とても不思議だぁ?

続きまして、大阪ロケについて。

大阪での野外ロケ変ぢゃね?問題

まずは「天王寺新世界通天閣、ババァーン!」これは、まあ納得かな。「ミナミ、宗右衛門町をチョロだし」まぁ、そーだろ。「東大阪石切劔箭神社」なかなか、風情あります。「生駒聖天」ありゃりゃ、もうこれ越境奈良県やで。そか古き良き「生駒新地」の方かな。 そして、続く「安治川沿いの運送会社」に至っては「えっ?そんなとこ、ロケに使うのか」となる。まぁ、地元感覚ではそうだ。空気感が淀み絵面も良くないし。でも、ワザと選んだハズだよ。

いまも名残りある運送会社のロケ地

上映当時「この場所に“拘る意味”は、一体何だろうか・・?」と思い彷徨い探ってみたが、やはりなにも無い。いやいや、そんな訳なかろうよ。理由はきっと何かある!例えば「そんなに大阪の街が嫌いだったか、山田監督(てな、噂がありました)」。いや、これ実話。大阪繁華街などで、下手にロケするとですねぇ・・すぐ黒山の人だかりになり「アホ丸出し野郎」が押し掛ける、見切れたり、さらには叫ぶ!むちゃくちゃでござりまするがな、ホント!繊細な映画監督が忌み嫌うのも、無理はないかなぁと、想ふ。

 

ふみさん生き別れ弟探しの巻

 

さて、ふみさんに生き別れた弟がいることを、突然知った寅さん。急転直下、「弟探しの旅」へと早変わりする、不思議な展開へ。

寅さん「両親が早く亡くなって、おばあちゃんがこの間死んで一人っきりになったって、そう言ってたじゃねえかぁ?」

おふみ「母さんが家を出る時、ちっちゃい弟を連れてっいったんよ・・」

寅さん「弟がいたのか・・」

唐突な姉弟話に面食らうね。寅さんの脳裏に思い浮かぶのは、自分の生き別れの母親お菊さんか?それとも妹のさくらか?しかし、おふみさんの“家庭は複雑過ぎ”て、ボンヤリ観ていると理解不能になります。まず、ふみさんには両親がいて、姉弟兄弟だった。同じ家に婆さん、おそらく昔、爺ちゃんも健在だったか?ところが亭主の浮気かなんかで、離婚となり母親は子を連れ、婚家を出てゆく。でも、「五つ六つの小さい弟だけ連れて行く」というのは、コレは不可解なはなしとなる。では、ふみさんは“不都合な子供”なのかな・・?

寅さん「あたりめぇだよっ、思い立ったら吉日、すぐ行こう。早くっ!ほらっ!」はい“ウル寅スイッチ”がパチンと入る。これぞ歓喜天のなせる技(知らんけど)生駒ヤマを登ったら、何と映画の「ヤマ場」へ突入?!押っ取り刀で駆けつける二人!目指す住所は「大阪市港区波除6丁目2、山下運輸株式会社」である。タクシーに飛び乗り、安治川沿いをひた走ります。急展開話は、ココで折り返しとなる。

▽寅さんたちは“隠世”に踏み込みます。

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寅さん「理想の恋愛像」とは?あたぼうよ🐯💕

 

🎬 第3作「男はつらいよ フーテンの寅」のお見合い時には、言いたい放題。この時の相手は「お駒さん(春川ますみ)」だった。

亭主に逃げられ見合いの席でヤケ酒

ꉂꉂ🐯「女ってのは少し苦労したほうが、いい嫁になるっていうからな・・」とか、「亭主が帰ってくる。風呂が先か酒が先か。スッとツラ見て判かるようじゃなきゃ、駄目だよ。ねぇー」ひどいね。現実味がまるでないことを言い放つ。

 

🎬 更には、第32作「口笛を吹く寅次郎」では、柴又堤防で、恋愛について語り合う寅と源ちゃん。恋のお相手は、お寺の娘 朋子(竹下景子)さんだった。

朋子「寅さん!ちょっと・・」いい感じ

源ちゃん「・・でも兄貴、愛があれば何とかなるんやないかぁ?」
ꉂꉂ🐯「それは若者の考えることだ!俺ぐらいに“分別が出てくる”と、そうは簡単にいかない」・・いまだ学習が出来ていないぞぉ。

 

🎬 そして本作、第27作「浪花の恋の寅次郎」では、ようやく“その理想に近い”相手「おふみさん」が見つかり・・だが、上手く逝きそうになると、突然テンパり逃げ腰、スタコラ敵前逃亡までやらかす!?

寅さん「汚ぇトコだけどアガってくか?」

ꉂꉂ🐯「男ってものはな、引き際が肝心よっ!」

喜介「わかりまへんなぁ。そないカッコばっかりつけてたら、オナゴはんはモノにならんでぇ」と別れ際、喜介にチクリと釘刺されるが、てんで真面目に聴いてはいない。

そして48作になっても、またぞろ同じこと言って、リリーに罵倒されている。

リリー「悪いよっ!馬鹿にしかみえないよっ!そんなのは。自分じゃカッコイイつもりだろうけど、要するに卑怯なの。意気地が無いの、気が小さいの、体裁ばっかり考えてるエゴイストで、口ほどにもない臆病もんで、ツッ転ばしのグニャチンで、トンチキチンのオタンコナスって、言うんだよっ!」ダメだこりゃ。一般的な恋愛や結婚はダメダメ、特殊形態(同棲やら事実婚など)も、相当無理がある。口先では「世帯を持つ」などと言うが、本心では全くそれを望んではいない「謎の🐯寅イズム」。

○山田監督は、寅さんの恋愛の有り様を「永遠の思春期」と表現したが。ワタシは思った。寅さんは「永遠の成長障害者(ADHD)」なんだと!確かにそんなヒトは沢山いるからなぁ・・それな。

 

(8000文字、Please enjoy “Tora-san's” movie!)  お題「ゆっくり見たい映画」

サマレン「潮」、今春に「和歌山観光大使」に就任したんやでぇ記念!【推しアニメ作品】

わぁ~オメデトさん👏パチ!👏パチ!

サマータイムレンダ」観光大使就任ポスター

アニオタ共よ「いまごろか~い!」というなかれ。日頃、ゆるヌルな和歌山市行政にしては「良うやったやん!」評価すべきだろう案件。

慎平&澪が雨宿り「キシモトのパン屋さん」“揚げパン”名物。

観光大使に「サマレンの潮」が就任したのだからさ。さぞや地元では大騒ぎィ~♪例えば聖地巡礼。アニオタがワサワサ押し寄せ・・いやぁ「どーなん?そーなん?どやさ?」そーでもないのだ。

噂を聴いた慎平が尋ねた「小嶋一商店」“よむぎ餅”名物。

そうか~ポン!きっとアレだ、コロナで「自粛規制が全国規模」でかかってるのだろうさ。チゲねぇぇ・・てな訳で。

謎の“アイパッチおいやん”が去っていった道。この先は・・

あえてサクッと(あまりコマいと差し障り)紹介しちゃらぁ!

加太小学校プール裏、合言葉はメソポタミア文明

サマレン舞台背景は、加太にほとんどある。

日都神社のモデルは言わずと知れた淡島さん

サクッと、サクッと・・にゃー🐱

友ヶ島汽船、島に渡るにはこの船

故郷へ帰ってきたのは二年ぶり



🌞✨ サマータイムレンダ 🌻🐚

 

~あらすじ~

(和歌山県HPよりリライト)

 

▷リンク/🎶「星が泳ぐ」

https://youtu.be/icLOdUKFW8Q

紀淡海峡沖合にある日都ヶ島(友ヶ島)

「潮が死んだ・・」😱

幼馴染小舟潮の訃報を聞いた網代慎平が2年ぶりに、故郷である和歌山市の日都ヶ島(ひとがしま)に帰ってきた。

故郷に帰ってきた慎平が、桟橋に佇んでいると・・

家族や友人達との再会。滞りなく行われていく葬儀。しかし、親友の菱形窓(医者の息子)が「潮の死には不審点(吉川線)があり、絞殺の可能性がある」と慎平に告げた!

潮の葬儀は神式。島の人々が集う

翌日、近隣の一家(コバマート)が突如として全員消えてしまう事件が発生する。慎平はそこで「ある不吉な噂」を耳にする。どうやら背後に見え隠れするのは、日都ヶ島に昔から伝わる、風土病「影の病」と「影」の存在。

日に焼けた澪ちゃんがカワイイ~♪

「自分そっくりな“影”を見た者は死ぬ。そして影に殺されるっ!」さらに潮の妹、澪が「お姉ちゃんが亡くなった3日前、影を見た!」と言いだした。

友ヶ島と加太が渾然一体化する不思議まち

謎の解明のため、日都神社を訪れた慎平と澪は、そこでミオの影にばったり出会い、慎平と澪は頭を撃ち抜かれてしまう・・

次の瞬間、突然タイムリープする!

何度もこの道を登ることになる・・

🕐時をかけるSFサスペンスがいま、幕を開ける!デデン、デン♪

 

🌴👙 登場人物 🍧🍉

 

網代 慎平(しんぺい)主人公

幼馴染である小舟潮の葬儀に参列するため、2年ぶりに故郷の日都ヶ島へ戻ってきた17歳の青年。幼い頃に両親を喪い小舟家で育った。なので潮や澪とは家族同然。状況を「俯瞰」しようとする癖がある。

▽小舟 潮(うしお)ヒロイン

フランス人である父(アラン)譲りの金髪が印象的な日都ヶ島に住む17歳の少女。海で溺れたしおりを助けようとして、海難事故で命を落とす。幼馴染、慎平のことが好きだが、想いは伝えられていない・・

▽小舟 澪(みお)

潮の実妹で高校1年生。運動が得意で水泳部に所属しており、肌は浅黒く日焼けしている。姉が亡くなったにも関わらず、帰ってきた慎平に対して明るく振る舞うなど、健気な一面を持つ。

○小舟 アラン

レストラン「洋食コフネ」を経営する、フランス人。日本人琴子との間に、潮と澪をもうけた。両親を亡くした慎平を里親として面倒をみる。

 

○菱形 窓(そう)

慎平の幼馴染で親友の17歳の青年。日都ヶ島唯一の病院「菱形医院」の長男。正義感強く、潮の海難事故の現場に居合わせたが、防げなかった。澪に2回告白、フラれている。3度目の正直・・?

 

○菱形 朱鷺子(ときこ)

窓の実妹で高校1年生。頭脳明晰で成績は学年トップだが、体が弱く運動は苦手。澪とは幼馴染で仲が良く、同じ高校へ通うクラスメイト。

サマレン、キービジュアル

○南方 ひづる

スーツと眼鏡と長い黒髪が印象的な巨乳女性。主人公の慎平とフェリーで劇的な出逢方をする。とある目的で14年ぶりに島を訪れた。

 

○南方 竜之介

ひづるの実弟。14年前に日都ヶ島で起きた、とある事件の被害者。姉のひづると顔がそっくりで、準一卵性双生児の関係となる。

 

○小早川 しおり

日都ヶ島小学校3年生。両親は「コバマート」という店を経営。夏休みの海水浴中、溺れたが助けられる。なぜかそれ以降、口がきけなくなる。

 

🙄「澪」と「汐見のおばやん」和歌山弁パーペキ!

 

▷『サマータイムレンダ』少年ジャンプ+(全13巻完結)2021年2月まで連載された。累計で1億3,000万。作者は田中 靖規(たなか やすのり)もと「荒木飛呂彦ジョジョ」のアシストしていたらしい。

タイトルは『コンピューターがCG描写するレンダリングのように、夏の時間を慎平が見ているという意味で名付けました』とのこと。和歌山市の出身なので、漫画での和歌山(紀北)弁は、“正しくネイティブ表現”されている。エラい!

アニメの方は、声優がアレな・・まぁ、致し方なし。今後、実写映画化される(Maybe)とやねぇ・・色々な“コトが差し障る”ような気がスルメ🦑

びっくりしたぞっ、鉛筆描写な!

▽リンク/「サマータイムレンダ」PV、2クール入りしました。観ちゃってなぁー!

youtu.be

〈おまけ案内①〉

地元フリーペーパーで特集組まれる。

f:id:minminzemi81:20220807233010j:image

〈おまけ案内②〉

グリーンソフト(コラボパッケージ)販売。

「玉林園」がアニメ「サマレンコラボ」を始めた!

〈おまけ案内③〉

桟橋をズンズン真っ直ぐ進むと⁡、⁡⁡サマレンのウシオがお出迎え。⁡⁡

「ちゃんと私のこと、見つけてよ!」

〈おまけ案内④〉⁡⁡

どやさ~実は、案内所は・・

凸村 哲巡査の派出所は、友ヶ島にあるよ!

〈おまけ案内⑤〉

推し案件、第二砲台跡では・・

「しおりち~ゃ~ん!!」

▽そうそう、宜しければ友ヶ島記事もどうぞ。

minminzemi81.hatenablog.com

和歌山県公式サイト「サマータイムレンダ」

www.wakayama-kanko.or.jp

(2400文字、thank you for reading.be happy!) 今週のお題「SFといえば」