俳句チャレンジ
前回のひとり句会はこんなんでしたよ。
俳句のリベンジ、すっかり忘れていた。…訳ではないよ。秋も深まって参りました。俳句の季節到来です!! やる気はミッちゃんミチミチ、バ…さぁ、詠むぞっ!! 行くぞっ!! 道だ、「秋の路」だ。
台風二十二号が去った、次の日の風景をよむのです。 破調子のしらべで。
兼題 秋の路
「パチパチン 銀輪下 団栗パチン」
🐍ヘビ足/公園へ向かう道に、団栗が墜ちておりました。MTBで走っていると下から小気味良い音がする。ドングリがはぜる音聴きながら、音の風景描写に挑戦。
兼題 秋の路
「颱風過 エッセル 路の水測り」
🐍ヘビ足/坂道に季節外れの氷菓が。台風一過、何故にこんな所に? 木のスプーンは誰がやった? しゃがんで暫く眺めていました。なんか笑へますね。
(※商品名のエッセルは造語。響がイイよね)
[疑問]俳句がナゼ“芸術たり得ない”のか?
一般的な俳句のイメージは、じじばばが鉛筆舐め舐め句帳面に、なんか文字を書き込んでいる「う~ん」とか唸ったりしながら。地味だ、なんか暗い。ヤダヤダ。
みんなガッコで折角、習ったのにねェ。芭蕉とか、蕪村、一茶なんか、忘却の彼方だよ。「あの句、なんだっけェ~?」てな、感じかな。活かされて無いよなぁ。
実は自分も和歌や俳句「だ~ぁ~い嫌い」だった。 カタにはまったプリンをプッチンしたい!
私が願う芸術概念は、簡単に云えば「枠をぶっ潰せっ!!」「ソコからハミでろっ!!」てコトになるのかな。ハイクに向いてないでしょ!アナタ…まぁね。
スクエアな金縁にハマった時点で、その絵画は既に死んでるし。楽曲だって音楽番組は、ワンコーラスがリミットでしょ。年末お約束第九、四楽章だけ流される…何故だ?!
そんなの実につまんな~いゲロゲロP~やね。
俳句の話だ。そうだった。
十七音で上五、中七、下五。やれ季語いれろ、切れ字を使え、詠嘆して観ろ! バッシバシの緊縛M状態。このルールいったい誰が決めたのだ?芭蕉はんかな? まぁ、なんかヤダ、嫌だ。かなり変態じみているよ。
ただ、ゲーム性(俳句はゲームだよ)を高めるには、シバリがある方が安心出来るよな。ガイドラインがあると、クリッピングしやすいから、かえって“楽ちん”は出来るのかな。
んで、この世界(定型句)からハミたヒトもいる。尾崎放哉、種田山頭火とか「自由律」の人々。 “難儀なおやぢ俳人”のツートップだねぇ。
ハイ、次回は“自由律”に挑戦だ!!(←もうバカじゃね?!)
ははぁ~、まあね。