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明智光秀が愛宕山にて決意表明しました。ホントですかぁ?!『愛宕百韻』について【歴史考察】

2020年の大河ドラマ麒麟がくる」の主人公 明智光秀本能寺の変は「永遠のミステリー」と呼ばれ、歴史ファンを引き付けます。光秀が愛宕山で初めて「謀叛の意思表示した」と云われています。

 

<愛宕百韻 あたごひゃくいん> ときは今 あめが下知る 五月哉

 

天正十年五月二十八日※1は「愛宕山※2連歌会」が開かれた日。連歌は「発句、五七五に続き七七を付け、七七を受けて五七五…」と続けて詠みます。

そして「百句をもって、ひとつの作品」となし、これを「百韻」と呼ぶ。この「愛宕百韻」の連歌、殆どが暗号文のような“隠喩※3の連続”なのです。

後に、この時の発句が「光秀が反乱を表明している」として一躍有名になりました。通説どうりに“謀叛意図があった”として、少し考察してみます。

(※1 ユリウス暦になおすと六月十八日頃となる、梅雨のさなかでした) (※2 愛宕山右京区嵯峨愛宕町にある山、標高924メートル、丹波山地で突出した硬岩。山頂には、朝廷の火難除けの信仰「愛宕神社」があり、山腹には「月輪寺空也の滝」などがある) (※3 メタファー、暗にそれとなく伝えること。比喩表現の一種)

 

里村紹巴以下九人が、「愛宕山威徳院」にて巻いた百韻

 
また謀叛とは別に、光秀の中国方面への出陣前なので“暗黙の了解”として戦勝祈願を“言挙げ”したはずです。こちらは、まず間違いないと思います。そんな微妙な空気を踏まえて、愛宕威徳院において歌詠みが始まったのでした。

 

百韻は、最初の三句、発句、脇句、第三、あと最後の挙句、この四句が大事らしいのです。これらにより、云いたいこと(裏意味)を言い切ってしまうとか。

これよくわかりませんが、素直に(うわツラだけで)考えれば中国戦線「備中高松城攻め」を描写、その戦勝を言挙げしていると想えますね。

そのこと一応踏まえつつ… 

 

①先ず明智光秀が、発句「ときは今 あめが下知る 五月哉」と詠みました。

これのワタシの解釈は…

「とき」→「土岐氏、光秀の出自」

「あめ」→「天、天皇

「下知る※1」→「下命」

意訳すると「土岐氏※2(光秀)に天皇が、御下命された五月」

(※1 実は「あめが下知る」→「天が下なる」で、改ざんされたというもの。とりあえずここでは、従来解釈の下知るとしておきます) (※2 土岐氏鎌倉時代から江戸時代にかけて、美濃で栄えた名門武家清和源氏系)

 

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②次に威徳院行祐が受けて、脇句「水上まさる 庭の夏山」と詠みました。

ワタシの解釈は…

「水上」→「物事の始まり、神」

「まさる」→「勝る、勝利」

「庭」→「朝廷」

「夏山」→「愛宕山

意訳すると「神の愛宕山より、朝廷(京)へ流れ始めた」

 

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③里村紹巴が受けて、第三「花落つる池の流れをせきとめて」と詠みました。

ワタシの解釈は…

「花おつる」→「桔梗の花弁」

「池の流れ」→「時代の流れ、巨椋池か」

「せきとめて」→「関とめ」

意訳すると「時流を関止め、桔梗紋(光秀)は“花”を落とす」

(※京都南部に巨椋池(おぐらいけ)という巨大湖があった)

 

明智光慶が百句目、挙句「国々はなおのどかなるとき」と詠みました。

ここでまた発句の頭と同様に「とき=土岐」が登場します。百韻が一周した訳です。「国々はなお のどかなるときは 今 あめが下知る 五月哉」と愛宕百韻が、完結した。

しかし…この句もやはり何やらおかしい。戦乱のさなかに国々は「のどかなるとき」とは、いったいどういうことなのか?時制はいま、それで天下泰平とは??

(※明智光秀の嫡男、光慶(みつよし)ですが、生年不詳で元服や初陣の記録もない。唯一、光秀主催の“愛宕百韻で光慶が結句を詠んだ記録”があるだけです。この時十三歳位だったらしい。山崎の合戦のあと坂本城にいた光慶は、比叡山に逃れ出家したのではないか?光慶にはいくつか生存説があり、「妙心寺」住職となった僧の「玄琳が光慶」であるという説。光秀唯一の肖像画がある和泉国の「本徳寺」を開山した僧「南国梵桂が光慶」といった説もある)

 

さらに穿った見方をしてみればこうなるのです

 

また、③+②で「花落つる 池の流れを せきとめて 水上まさる 庭の夏山」とイイ感じの成句となる。

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~水上まさる 庭の夏山

まとめて超訳「惟任光秀に天皇が、御下命なされた五月。いままさに愛宕山より、朝廷の時代へと流れが代わり始めた。織田の流れをせきとめ、桔梗紋は“花”を落とします」

ひらたく言えば「ミッツーがこれから首とって、織田軍団を止めようとするんやろ。ほならな、上流の関所(山崎関)あたりに陣取れば、勝てるんちゃいますかぁ?」言うことですかな。

しかし、いくら何でもそこまで言うのか??やはり、おかしいのである。

(※この場所は古くから、交通の要衝で「山崎関」が設置されていた。京より警固の兵が派遣された) 

 

結論を出すその前に、この妙な歌を再考する

 

もしこれが本当なら光秀さん以下、そーとーな“アホタレ”としか言いようないではないか。そ~だよ、叛意がバレバレだから、ねぇ~?!

だいたいやね、ワザワザ犯行予告までヤラかして、誰得なんだよっ!

第三「花落つる池の流れをせきとめて」例えばこの歌「備中高松城水攻め」の落城描写に思われますが、それが妙なのですね。

五月二十八日の時点で、いまだ城主清水宗治高松城は水没ながらどちらも健在、もちろんその後、六月四日にようやく城主切腹決着となり羽柴秀吉、自慢の手柄話がまたもや増えた。

歌詠み時、横に居並ぶ明智光秀を差し置いて、秀吉褒めするのかぁ、紹巴はん?それは、ナイナイ。ありえな~い。

もちろん真実は藪の中、推測する以外にないのですが…例えば、政権奪取に動き出した羽柴秀吉が「愛宕百韻」のことを知り、里村紹巴あたりを呼び付け“歌の改竄”を命じたのではないか?そして黄金十枚ほど、目の前に積み上げ「ほれ、推敲を加えよ」と…充分あると思います!

よって結論、愛宕百韻は…

「時の権力者秀吉により改竄されたもの」である。これは、まぁ間違いないっ!

 

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では、明智光秀のオリジンは…消されてしもうたか。悲しい話だなぁ。

その代わりに萬葉集より朝顔の一句を。

万葉集のなかで「秋の七草」と歌われている「朝顔の花」は、実は桔梗なのです。明智光秀は桔梗を家紋とし、こよなく愛したらしいです。

朝顔は  朝露負ひて  咲くといへど  夕影にこそ  咲きまさりけれ

※桔梗は朝露にて咲くというが、夕陽でこそ一層その美しさが際立つのです。(萬葉集 10-2104 詠人知らず)

 

[愛宕神社]は、こんな場所

愛宕神社の場所は、朝日峯の頂点に位置する。古来より平安京における「王城鎮護、火伏せの神」とされてきました。

○祭神は本宮に稚産日命、植山姫命、伊弉冉尊天熊人命豊受姫命の五柱。若宮には雷神、迦遇槌命、破元神の三柱が祀られています。

○住所 京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1 京都バス「清滝」終点、下車、参道を徒歩にて約4km 専用駐車場があり、拝観は無料。

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愛宕山 赤ピンが愛宕神社

何かと“謎”が多い明智光秀さん。しばらく考察続けたいと想います。 

 

(2900文字、You read it, thank you.)