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日航123便 ジャンボ機事故、落合証言の示すもの「Part2 恐怖で捻れた時間感覚」【航空機 事故2】

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「JAL123便 ジャンボ機事故」搭乗者の証言。【後編】

生存者わずか四名、そのうちのひとり当時客室乗務員だった落合由美さん。旅客機乗務員の経験と知識を持ち「当該事故を実体験した方の証言」ほど説得力あるものはない。その落合証言が物語るモノとは?

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巡航高度24.000feet

○前回の「Part1急減圧はなかった」です。

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<☆JAL 123便 操縦クルー>

○CAP 高濱雅巳氏(49歳)宮崎出身。海上自衛隊からJALへ、1963年入社。12,423飛行時間、操縦教官資格。千葉住。

○COP 佐々木祐氏(39歳)熊本出身、機長昇格テスト中だった。3,963飛行時間。千葉住

○F//E 福田博氏(46歳)京都出身、技術教官資格9,838飛行時間、千葉住。

三名共、ベテランパイロット達でした。

 

<☆落合由美さん(DH)>

○1959年大阪生まれ、当時26歳。伊丹空港近くに実家があり航空機になれ親しんだ。1983年アシスタントパーサー3400時間、6年経験。大阪への帰省途中、当該事故にあった。リハビリ後、客室乗務員に見事復帰した。

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JAL123便 飛行経路(出典朝日新聞社)

(FDR=フライト データ レコーダー、CVR=コックピット ボイス レコーダー)

(備考/1000ft=305m、30.000ft=9150m。200ノット=370km、300ノット=555km。CAP=機長 高濱、COP=副操縦士 佐々木、 F/E=航空機関士 福田、PRA=チーフパーサー 波多野、STW=スチュワーデス、PUR=機械音声、ACC=東京コントロール(所沢)、TAC=東京進入管制(羽田)、COM=JAL社内無線、YOK=横田米軍基地)

 

⑩機内では救命胴衣を付ける乗客乗員

 

○以下『青字』が落合証言です。事故後、落合由美さんが語っています。

 

『子供の声が聞こえました。「おかあさ~ん」という声。大きくはなかったのですが、短い叫びのような声でした。大人のお客様は叫んだり、悲鳴をあげたりすることはありませんでした。声も出なかったのかもしれません。不安と緊張の機内でした。

全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わった方は、となりの方を手伝ったりしていました。救命胴衣をつけているあいだに、スチュワーデスの声でアナウンスがあったのです。正確には覚えていませんが「急に着陸することが考えられますから」というような内容です』

 

▷FDR・CVR音声記録より/22,400ft(6,827m)、200kt、東京コントロールが、関東空域上にある全航空機に呼びかけ始める。交信周波数134の指定と、沈黙の要請があった。

 

18時41分~

55秒 (ACC) all station all atation except JAPAN AIR 123 and

contact TOKYO CONTROL contact TOKYO CONTROL 134.0

change frequency 134.0 and keep silent until further advised.

 

18時42分~

17秒 (CAP) あたま下げろ

18秒 (COP) はい 

 

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『それと「管制塔からの交信はキャッチできています」とも言っていました。私の想像では二階席のアシスタント・パーサーが操縦室に入って、様子を聞いてきたのではないかと思います。落着いた声でした。

揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。そのときには眼鏡をはずしたり、先のとがったものは座席ポケットにしまったりとか、上着があれば衝撃の際の保護になるように着用してくださいと指示するのですが、そんな時間的余裕はありませんでした』

 

○目撃情報/『疑惑/JAL123便墜落事故』の著者である角田四郎氏は、たまたま奥多摩にキャンプに訪れていた。そして123便と、追尾する自衛隊機を目撃したという。この本がいわゆる「疑惑本」と呼ばれる、最初と記憶しています。

引用『このとき私は、日航123便を目撃していた。(山梨県大月市と神奈川県相模湖の中間)東から南へ南から西へ旋回しようとする地点である。18時42分頃になる。そして44分か45分頃、ループ飛行を終えて東へ向かったであろう頃の日航機を追うように、東へ向かう“二機の自衛隊機”を私は見た。

その時また飛行機が見える。木の間に見え隠れしていたが、私は「エッ」と驚きの思いで立ち止まって見つめた。しかし今度はごく小さな機影で、北西に向かって夕焼けの中をどんどん小さくなってゆく。「あれはさっきの飛行機じゃないな」と思いふたたびバンガローへの坂道を登っていった。この間5~6分の出来事である。』

○角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故』推奨資料。

疑惑 JAL123便墜落事故―このままでは520柱は瞑れない

疑惑 JAL123便墜落事故―このままでは520柱は瞑れない

 

百里基地よりスクランブル発進した「ファントムF-4EJ」二機が123便の追尾体制にはいったのは、この辺りから。まず機体外部の様子を視認し、日航123便へ「垂直尾翼の破損」と「垂直尾翼及び機体下部に異物あり」と“致命的な機体ダメージ”について通告したと思える。地元民の自衛隊機目撃情報が増えてくる。

 

▷FDR・CVR音声記録より/18,600ft(5,669m)、240kt。18時43分に、ANA NH757便(羽田18時半発、小松行き)が右旋回中のJAL123便を、上方に視認する。この時NH757の高度は、18000ft以下に制限されている。角田氏が最後に見たという「北西に向かう航空機」は、このANA NH757便だったかもしれない。

 

18時43分~

19秒 (STW) どうぞそのままの状態で、お待ちくださいませ…

23秒 (CAP) あたま下げろ

47秒 (CAP) おもたい もっと もうすこし あたま下げろ

50秒 (COP) はい

56秒 (CAP) さがるぞ

 

緊急着陸に備え、安全姿勢をとる乗客乗員

 

『私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは、通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。安全姿勢は頭を下げ膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。

「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは衝撃にそなえるためです。こういうときは「…してください」とは言いません』

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夏の富士山、右側の席から見える風景

『お相撲さんや妊娠してお腹の大きい女性の場合、腰をかがめるのは苦痛ですから逆に背中を伸ばして脚でしっかり床を踏み、椅子の背に上体を押しつける安全姿勢のとり方があるのですが、このときにはそういう姿勢をしているお客様はいませんでした。

安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けてお客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのは、これが最後です。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/15,000ft(4,575m)、220kt。大月上空でギアダウン、右旋回して緊急降下が始まった。この場所でディセントしたのは、“最寄り空港”に着陸するプランだったのか?フラップの準備まで始めている。

 

18時44分~

05秒 (CAP) おもたい

22秒 (CAP) いっぱいやったか?

23秒 (COP) いっぱい、かじいっぱいです

43秒 (CAP) あーおもたい

47秒 (F//E) フラップどうしましょうか?下げましょうか?

49秒 (CAP) まだはやい

50秒 (F//E) まだはやいすか

51秒 (CAP) まだはやい

52秒 (COP) ギヤおりてますか?

53秒 (F//E) ギヤおりてます

54秒 (CAP) えっ?

55秒 (COP) コントロールのほうが ←

 

『そしてそのとき、窓の外のやや下方に富士山※が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときにもっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に白い雲がかかっていました。

左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき私は安全姿勢をとって頭を下げたのです』

(※左側窓から下方に富士山がまじかに見えるのは、大月上空 “右旋回ディセント”の時と思われる)

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『頭を下げながら機内をちらっと見ると、たくさん垂れている酸素マスクのチューブの多くがピーンと下にひっぱられているのが見えました。マスクをつけたまま安全姿勢をとったお客様が大半だったのかもしれません。

安全姿勢をとった座席のなかで体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし上下の振動はありませんでした。前の席のほうでいくつくらいかはっきりしませんが、女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのはそれだけです』

 

▷FDR・CVR音声記録より/11,900ft(3,627m)、250kt。横田米軍基地からの呼びかけが始まる。この時、機長が気にしている“コントロール”とは「JALのOCC、ディスパッチャー」のコトか?「JAL⇔Yokotaの調整」が、まだ出来ていなかったようです。

 

18時45分~

18秒 (CAP) ニッコウ…オオシバ…

37秒 (YOK) JAPAN AIR ONE TWENTY THREE JAPAN

39秒 AIR ONE TWENTY THREE YOKOTA APPROACH ON GUARD.

41秒 IF YOU HEAR ME YOKOTA 129.4

46秒 (CAP) ジャパナ123

47秒 アンコントローラブル

49秒 (ACC) JAPAN AIR 123 GO AHEAD.

50秒 (F//E) コンタクトしましょうか?

52秒 (CAP) ちょっとまって、コントロールだ ←

54秒 (F//E) どこへ?

 

⑫髪の毛が逆立つくらい、機体が急降下しだした

 

『そしてすぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。

頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。

怖いです。怖かったです。

思いださせないでください、もう。

思いだしたくない恐怖です。

お客様はもう声もでなかった。私もこれはもう死ぬ、と思った。

まっすぐ落ちていきました。振動はありません。窓なんかとても見る余裕はありません。いつぶつかるかわからない。安全姿勢をとり続けるしかない。汗をかいたかどうかも思いだせません。座席下の荷物が飛んだりしたかどうかわかりません。体全体がかたく緊張して、きっと目をつむっていたんだと思います』

 

▷FDR・CVR音声記録より/大月にて、高度22,000ftより6,000ftへと、一気に15,400 ftも緊急降下(神技!)し、横田米軍基地まで24kmの距離に詰めた。機長の目論みは「横田基地に強行着陸」と思われる。羽田よりも横田の方が“何かと規模”がよい。ただ軸線が南北なので回り込む必要がある。大月上空で右旋回したのは横田基地の北側から進入するための旋回能力を試したと思えます。この時、南西風。さぁ、神技をもうひとつ!

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横田基地、日本で二番目にデカい

18時46分~

03秒 (CAP) あたま下げろ

06秒 (COP) えー相模湖まできてます

08秒 (CAP) はい

09秒 (ACC) JAPAN AIR123 羽田に コンタクトしますか?

16秒 (CAP) このままでお願いします ←

20秒 (ACC) コンタクトしますか? 

21秒 (CAP) こ…このままでお願いします ←    

27秒 (ACC) はい 了解しました スタンバイ お待ちください

33秒 (CAP) これはだめかもわからんね… ←

 

○CVRの09~27秒のあたり、ACC管制官と機長の“会話が噛み合っていない”のがとても気になる。機長はどこと交信していたのか?

そして33秒の「これはだめかもわからんね」となるが、かなり変だ。これが当時、「弱気発言」としてずいぶんとマスコミから叩かれた。

しかし、全く違う。その直後に機長は、“木更津へのレーダー誘導”を47分07秒にリクエストしている。あくまでも空港に、ハードランディングするつもりだった。

 

⑬緊急降下の恐怖体験により、時間感覚が歪んだのか? 

 

○「32分間が何時間にも感じた」という落合さん。その一方で、右旋回し緊急降下から墜落までの記憶が、“一瞬のことのように”縮んでいます。その「恐怖の正体」とは?!

 

『「パーン」から墜落まで三十二分間だったといいます。でも長い時間でした。何時間にも感じる長さです。羽田にもどりますというアナウンスがないかな、とずっと待っていました。そういうアナウンスがあれば操縦できるのだし、空港との連絡もとれているのだからもう大丈夫だって。でも、なかった。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/11,000ft(3,352m)180kt。コースを阻止され?北へ、すぐに山並が迫る。二度目のストールにより、最低高度5000ftを記録する。さらに三度目のストールによりバランスを崩し、機体は右40度の傾斜となる。

フラップ-10度以上は、着陸レベルとなるが、この時-25度近くまで下がっていた。長野県南佐久郡川上村の住民の方が、黒煙あげながら山に落ちてゆく日航機を、目撃している。

 

18時55分~             

01秒 (CAP) フラップおりるね?

03秒 (COP) はいフラップ 10    

15秒 (CAP) あたま上げろ   

16秒 (F//E) はい了解しました

17秒 (CAP) あたま上げろ   

19秒 (CAP) あたま上げろ

24秒 (APC)…わっかんないんだ(背後のヒト)

27秒 (CAP) あたま上げろ

34秒 (COP) ずっとまえからささえてます

37秒 (STW)管制塔からの交信は

39秒 (STW)ちゃんとつながっております

42秒 (COP) パワー      

43秒 (CAP) フラップとめな   

45秒 (?) あーぁーっ     

47秒 (CAP) パワー (CAP) フラップ

48秒 みんなでくっついちゃだめだ  

49秒 (COP) フラップアップ  フラップアップ 

50秒 フラップアップ  フラップアップ 

51秒 (CAP) フラップアップ (COP) はい  

56秒 (CAP) パワー       

57秒 (CAP) パワー    

58秒 (CAP) フラップ!      

59秒 (F//E) あげてます     

 

18時56分~

02秒 (CAP) 口ごたえするな

04秒 (CAP) あたま上げろ!

07秒 (CAP) あたま上げろ!

10秒 (CAP) パワー!

12秒【火災警報音1秒間】【社用無線呼出音1秒間】

14秒【GPWS=地上接近警報】(GPWS) SINK RATE

16秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

17秒 (GPWS) PULL UP

18秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

19秒 (GPWS) PULL UP

20秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

21秒 (GPWS) PULL UP (CAP)もうだめだぁー!!

22秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

23秒 (GPWS) PULL UP【衝撃音①U字溝に右翼あてる】

24秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

25秒 (GPWS) PULL UP

26秒【衝撃音②機体が裏返し、高天原尾根に激突した】

 

18時56分28秒【録音終了】

 

▷FDR・CVR音声記録より/56分7秒、急激な降下速度、機首下げ36°右横70°にもなる。56分11秒、降下率は18,000ft(5,400m)/分。対気速度は、400kt(740km)を超える。高速墜落。墜落五秒前、機長は悲痛な絶叫『もうだめだぁー!!』と叫んだ。最後の最後までクルーは、コクピットで闘っていた。

 

『衝撃がありました。衝撃は一度感じただけです。

 

いっぺんにいろんなことが起きたという印象しか残っていません。回転したという感じはありません。投げだされたような感じです。衝撃のあとも安全姿勢をとっていなければいけないのですが私はもう怖くて顔をあげた。その途端、頭にいろんなものがぶつかってきました。固いもの、砂のようなもの、がいっぺんにです。

音はまったく記憶にありません。音も衝撃も何もかもが一度に起きたのです。衝撃が終わったあとは、わーっと埃が舞っているようでした。目の前は、もやーっとしているだけです。墜落だ、と思いました。大変な事故を起こしたんだな、と思ったのはこのときでした。』

 

群馬県 上野村 高天原山、墜落現場にて

 

○墜落時にも“冷静な観察”を続けようとした落合さん。あまりにも“有能過ぎる”気がするが、CAとはそんな人達なのかもしれない。

群馬県高天原山北尾根筋に“高速墜落”した123便、しかし落合さんの周りには沢山の息遣いが聴こえた。生存者がまだ沢山いたのです。 

 

『すごく臭かった。機械の匂いです。油っぽいというより、機械室に入ったときに感じるような機械の匂いです。体はちょうど座席に座っているような姿勢です。左手と両脚は何か固いものにはさまれていて動かせません。足裏は何かに触っていました。それほどの痛みはなくもうぐったりしているという感じです。

目には砂がいっぱい入っていて、とくに左の目が飛び出してしまったようにとても熱く感じました。失明するだろうなと思っていました。これはあとで知らされたのですが左右どちらかわかりませんが、コンタクト・レンズがどこかへ飛んでしまったのか、なくなっていました。

すぐに目の前に何かあるんですが、ぼやーっとしか見えません。灰色っぽい夕方の感じなのです。耳にも砂が入っていたので、周囲の物音もはっきりとは聞こえていなかったのではないかと思います。呼吸は苦しいというよりもただ、はあはあ、とするだけです。死んでいく直前なのだ、とぼんやり思っていました。

ぐったりしてそのとき考えたのは、早く楽になりたいな、ということです。死んだほうがましだな、思って私は舌を強く噛みました。苦しみたくない、という一心でした。しかし痛くて、強くは噛めないのです。墜落の直後に「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

 

「おかあさ~ん」と呼ぶ男の子の声もしました。

 

次に気がついたときはあたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのかわかりません。すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼんやり見えます。

私は座ったままいろんなものより一段低いところに、埋まっているような状態でした。左の顔と頬のあたりにたぶんとなりに座っていたKさんだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息はしていません。冷たくなっていました。

シート・ベルトはしたままだったので、それがだんだんくいこんできて苦しかった。右手を使ってベルトをはずしました。動かせたのは右手だけです。頭の上の隙間は右手が自由に出せる程度でしたから、そんなに小さくはなかったと思います。右手を顔の前に伸ばして何か固いものがあったので、どかそうと思って押してみたのですが、動く気配もありません。

それを避けて、さらに手を伸ばしたらやはり椅子にならぶようにして、三人くらいの方の頭に触れました。パーマをかけた長めの髪でしたから女性だったのでしょう。冷たくなっている感じでしたが、怖さは全然ありません。』

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⑮墜落後“たくさんの生存者”が周囲にはいた!

 

○JAL123便を追尾していた米軍輸送機C130が、「19:15墜落現場」を確認。次に沖縄米軍海兵隊のヘリが、墜落地点に「20:05に到達」した。が…救助降下寸前に横田基地より“中止命令”があり帰投した。あぁ、なんたることや!

▷C130ハーキュリーズパイロット「マイケル・アントヌッチ・Jr」元 米軍大尉の証言について書きました。

(※墜落現場を発見した米軍の「輸送機C130H」については「事故調査報告書の25ページ」に記載あり。)

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○さらに朝日新聞のヘリコプターが、「21:10に墜落現場」を発見し墜落現場写真を撮り帰投する。さて、123便をしばらく追尾していたという「百里基地所属、二機のファントムF-4EJ」はこの後、いったいどうしたのか?

○12日墜落後、位置情報が錯綜しすぐに墜落現場を特定できなかった等々、これらは完全な偽装である。“ミスリード”させたといってもいい。JAL123便が「0077発信」以来、追跡し「軍、軍、一部のマスコミ」には、航跡は周知の事実だったのだから。

○正確な墜落位置は「北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒」住所は「群馬県上野村 大字楢原 字本谷」となる。

(※ すべての航空機は、日常的にレーダーで監視されています。「E.M.G信号」発信すれば、軍民、すべてのレーダーサイトが注視し、行方をモニタリングします。ACCでは、123便がレーダーから消失したのが18時56分1秒、墜落の25秒前まで。自衛隊、米軍のレーダーサイトでは、この後も捉えていたはずです。)

 

『どこからか若い女の人の声で「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。

それからまたどれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。

突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。

しかしさっき「おかあさ~ん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか判断はつきません。私はただぐったりしたまま荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。

もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。』

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墜落現場、群馬県多野郡上野村高天原山尾根

『やがて真暗ななかにヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで助かる、と私は夢中で右手を伸ばし振りました。けれどヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と声も出したと思います。ああ、帰って行く…。

このときもまだ何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声はもう聞こえてはいませんでした。

体は熱くまた右手を伸ばして冷たい風にあたりながら、真暗ななかで私はぼんやり考えていました。私がこのまま死んだら主人はかわいそうだな、などと。父のことも考えました。母親が三年前に亡くなっているのですが、そのあとで私が死んだらとても不幸だと。母は私がスチュワーデスになったとき「もしものことがあったときは、スチュワーデスは一番最後に逃げることになっているんでしょ。そんなことあなたに勤まるの?」と、いくらかあきれた口調で言っていたものです。

それからまた、どうして墜落したんだろうということも考えました。時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗しないでもっとうまくできるのに。いろんなことが次々と頭に浮かびました。

涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じはもうだれにもさせたくないな。そんなことも考えていました。そしてまた意識が薄れていきました。』

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○『時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗しないでもっとうまくできるのに。』また『墜落のあのすごい感じはもうだれにもさせたくないな。そんなことも考えていました。』この発言に落合さんの職業倫理、ポジティブさが表れています。本格的救援活動が開始されたのは、翌日13日の午前七時でした。

 

⑯落合さんがスゲの沢で発見されたのは、翌日10時45分 

 

『気がつくとあたりはあかるかった。物音は何も聞こえません。まったく静かになっていました。生きているのは私だけかなと、思いました。でも声を出してみたんです。「がんばりましょう」という言葉が自然と出てきました。返事はありません。「はあはあ」いう荒い息遣いも、もう聞こえませんでした。

あとで吉崎さん母子や川上慶子ちゃんが助かったと聞きましたが、このときにはその気配を感じませんでした。たぶんそれから私は眠ったのだと思います。

風をすごく感じたのです。木の屑やワラのようなものがバーッと飛んできて、顔にあたるのを感じました。』

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○落合さんを最初に発見したのは、長野県警の柳澤隊員、手を振る落合さんに気付き「何か動いてるぞ!」と発言したという。そして、地元上野村消防団と猟友会のグループも加わり、彼女を救助しました。

 

『はっと気がついたらヘリコプターの音がすぐそばで聞こえる。何も見えません。でもあかるい光が目の前にあふれていました。朝の光ではなくてもっとあかるい光です。

すぐ近くで「手を振ってくれ」だったか「手をあげてくれ」という声が聞こえたのです。だれかを救出している声なのか、呼びかけている声なのか、わかりません。私は右手を伸ばして振りました。「もういい、もういい」「すぐ行くから」と言われました。

そのすぐあとで私は意識を失ったようです。朦朧としながら、ああ助かったな、助かったんだ、とぼんやり考えていました。どうやって埋まったなかから救出されたのか、どうやって運ばれたのか、まったく覚えていません。』

 

⑰搬送先の病院でも「不思議な感覚」が続いた

 

○落合由美さんは翌8月13日の午前十一時半に、事故現場から救出されました。 墜落してから十六時間も経っていた。ヘリコプターで藤岡市の病院に緊急搬送された。

 

『体の痛みも、空腹も感じませんでした。ただ喉が渇いたのを覚えています。カラカラでした。お水が飲みたい、お水が飲みたい、と言っていたというのですが、私は記憶していないのです。

応急処置をしてくれた前橋の日赤病院の婦長さんが、あとで「あのときは打ちどころがわるかったりするといけないから、あげられなかったのよ」といわれましたが、水を飲みたいと言ったことはまったく覚えていないのです。

目を開けたら病院でした。お医者さんから「ここはどこだか、わかりますか」と聞かれて奇妙な返事をしました。「はい、二、三回きたことがあります」って。そんな馬鹿なと自分では思っているのですが、わかっていながら、そんなふうに答えていました。頭がおかしいんです。

でも電話番号は正確に答えていました。「ここは群馬県だよ」とお医者さんは言いました。どうして群馬県にいるんだろう、と思いました。それで、あのとき飛行機が落ちて、そこからきっと群馬県が近いんだな、とだんだん考えるようになりました。』

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『家族がきていると教えられたとき、えーっと思いました。飛行機がおちたことはわかっているのですが、どうしてここまで家族がきているのだろうと、不思議で仕方ありませんでした。現実感がなかなかとりもどせないのです。

たぶんこのときだったと思いますが「何人助かったんですか」と聞きました。お医者さんが「四人だよ、全部女の人ばかり」と教えてくださいました。それしか助からなかったんですか、と思いながら「へえーっ」と言いました。

大変な事故を起こしてしまったんだと、また感じました。

天井しか見えませんでした。酸素マスクをして、じっと天井を見ながら一緒に千歳からもどってきて、同じ飛行機に乗った松本さんはどうなったのだろう、と考えました。

私もほんとうはもう助からなくて死んでいくところなんだ、などとも考えていました。百幾針も縫ったのに痛みは感じません。麻酔をしていたせいだと思いますが、でもあとで看護婦さんに聞くと「痛い、痛い」と言っていたようです。

救出された日の午後3時過ぎ、夫と父と叔父が病室に入ってきました。私は「四人しか…」と口にしたのですが、夫はすぐに「しゃべらなくていいから」といいました。』

 

日航123便ジャンボ機事故」関連、お勧め資料

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日航123便 747 SR-100

○落合由美さんは、墜落前後の状況に関して“重要な証言”を残しています。そして吉岡忍氏もわずか一年後に『墜落の夏』を書き上げた。その後続く「日航123便事故本」の魁となる名著となった。当時の“時代性や空気感”まで感じることが出来ます。

Amazonのカスタマーレビューより引用『そもそもあんなに巨大で重い物体が空を飛ぶということ自体が、本来あるはずのないことなのだ。あるはずのないことを、人類は科学技術によって実現させた。(中略)本書が事故発生後わずか一年で書かれたことには驚きすら覚える。その後新たに判明した事実は少なからずあるものの、いま読んでも全く古さを感じさせない。単なる技術論や感情論に走ることなく達観した見地から事故を冷静に分析している。それを物足りないと評する向きもあるかも知れないが、数ある類書の中で名著と呼ぶにふさわしい一冊だと思う。』

わたしも同意見です。興味を持たれた方は、まずは『墜落の夏』をお読みください。多くの関連情報が記されています。

墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)

墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)

 

○吉岡忍/長野県佐久市出身、ノンフィクション作家。上記、日本航空123便墜落事故を題材にした『墜落の夏 日航123便事故全記録』で第9回講談社ノンフィクション賞を受賞。日本ペンクラブ常務理事、放送倫理・番組向上機構放送倫理検証委員会委員なども務めた。 

 

○そして小説『沈まぬ太陽』。日航がなぜ“崩壊にいたった”のか、見事に描写されて
ます。TVドラマにもなりました。小説家の文体はとても読みやすいですね。またノン
ィクション(ほぼ実話)としても、一読の価値があります。
引用『「実は事故機の墜落原因について、聞き捨てならない重大な話を仕込みまし
ね、墜落の真相は、自衛隊がミサイル発射訓練に使う標的機が、たまたま飛行中の国
航空123便の尾翼に衝突したらしいのです、ご意見を聞かせて下さいませんか。」
ホームで、記者は強引にコメントを求めた。
「いきなりそんな突飛なことを言われても、答えようがないですな」
「おや、おとぼけですか、それとも政府・防衛庁は、事故調査官を棚上げして、真相を
隠蔽するつもりなのですかね」嫌味な言い方をした。
「確たる証拠でもあるのですか」
「事故機が最初に緊急事態を発信したあの時刻に、海上自衛隊護衛艦『たかつき※』
相模湾でちょうど演習中だったのですよ。現に事故の翌日、相模湾内に尾翼の重要
部である垂直安定版が浮いていて、回収されたではありませんか」』

山崎豊子著『沈まぬ太陽(三)御巣鷹山篇』より 

○映画『沈まぬ太陽渡辺謙主演⇒【映画】 沈まぬ太陽 - YouTube

(※作中の護衛艦「たかつき」は「DD-130 まつゆき」のこと。日航機事故時、相模湾にて公試中だった。事故発生時に、事故機より海上に落下した垂直尾翼を発見回収した)  

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DD-130まつゆき
沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)

 

 

○事故の第一報/八月十二日、戦争記録番組中に事故のテロップ流れ、番組が中断「NHKニュース」が始まる。木村太郎アナが原稿を読み上げる。

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<不思議な報道>

事故当日12日夜、NHK報道番組中、速報にて。

NHKアナ「ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。続報が入り次第お伝えします」 画面にテロップ流れ、NHKアナがニュースを読み上げた。

NHKアナ「先ほど、自衛隊員が何者かに襲撃され死者が数名出たとお伝えしましたが、誤報だった模様です」その後、繰り返し否定した。

これは、いったい何だったのか??

 

▷1*⋆✈ 外部リンク/JAL123便 日本航空墜落事故。この事故の原因・墜落は、“なにかと外的要因”が関係しています。まずは“音声テープ”を聴いてみて下さい。

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▷2*⋆✈ 外部リンク/JALの安全啓発センターHP、JALに申し込めば、誰でも見学ができます。搭乗者の遺品、回収された123便の機体パーツなどが展示されています。ぜひ一度訪れて下さい。最寄駅は、東京モノレール新整備場駅」下車。

www.jal.com

▷3*⋆✈ 外部リンク/ありし日の坂本九さん。1961年に発表した「上を向いて歩こう」は国内で爆発的なヒットを記録、海外でも「Sukiyaki」名で発売され、1962年アメリカで日本人初のビルボードチャート1位を獲得した。

曲は『見上げてごらん夜の星を✩.*˚』日曜ビッグスペシャルより


YouTube

『見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光が

ささやかな幸せを 歌ってる

見上げてごらん 夜の星を 僕らのように 名もない星が

ささやかな幸せを 祈ってる』 

 

日航123便墜落事故関連ブログです。

minminzemi81.hatenablog.com

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○最後に/

この記事を書くきっかけは、日航123便に「私の知人が搭乗していた」ことからでした。そしていまから20年近く前、地元図書館に通い日航123便に限らず“航空機事故本”を読み漁りました。司書のヒトに変な顔された、想い出があります。

~おかげで少しは、知識を得ることが出来たのですが~

時間は無残に過ぎてゆく。いまや“当該事故から34年もの歳月”がたち、ワタシが故人の没年を追い越しました。なのに、うまくまとめられずにいる。

また当ブログを作った動機、その目的のひとつが「JAL123便墜落事故」を記録して遺しておきたいと過去、意気込んだものでした。が…しかし、この案件は「余りにも難物」で、どこから手をつければいいのか?そして故人のこともいまとなれば書きずらい。あまた各種ある「陰謀説」も角度がなんか違う気もする…困った。

それで、原点へと立ち戻り、まずは「落合証言とFDR,CVR音声記録」を併せて記録することにしました。この事故を風化させないため、若い人達にも是非知ってもらいたい、と願っています。

日航ジャンボ機墜落事故は、乗員・乗客524名のうち520名が死亡した。さらに“二次被害”においても、亡くなられたすべての方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。

 

参考/墜落の夏、ウキペディア (14.000文字、thank you for reading.)  <今週のお題> 老いも若きも楽しく研究