minminzemi+81's blog

あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

啖呵売なら『男はつらいよ』で覚えた。なんの役にもたたないケドも。アイ♡ラブ寅さん【大好きな映画、その①】

 

我が家では、盆暮れ『男はつらいよ』が鉄板行事

 

小学生から、中学生にかけてのはなし。

🌴夏休みと☃️冬休みには「定番のお楽しみ」がありました。お盆と年末の毎年二回、兄と一緒に『男はつらいよシリーズ』を観にゆくのが兄弟でのキマリだったのです。コレ、いまにして思えばじつにシブいお子様だよね、同級生達は「東映まんがまつり」だったのにねぇ🤭

なぜ恒例となったのかは定かではないが、気づいたらこれが鉄板行事となっていました。それで毎回、当たり前のように母親から入場料だけもらって、チャリを漕ぎこぎ築映劇場まで行くのでした!

子供だけで校区外、まして繁華街の映画館まで行く。ワクワクとは違う、背徳的な感じもあった。

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泣き笑い映画がよかった

もちろん、寅さん映画は「大人向き」だったので、人情ストーリーをどれだけ理解出来ていたのか?少々あやしいね。でも、この映画の面白さは充分味わいましたよ、何度見ても飽きませんから。そして“結構クセになるモノ”だ、とも認識しました。

そしていまも、古い作品をちょくちょく見直したりします。そこには昭和の原風景が拡がり、とても懐かしい心持ちがします。やはり永久不滅の作品群なのですよ、男はつらいよは…「たいしたもんだよ蛙の小便、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」か。

 

姓は車、名は寅次郎、人呼んで 「フーテンの寅」と発します

~ご挨拶~

『わたくし、生まれも育ちも東京は葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んで 「フーテンの寅」と発します!』

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フーテンの寅こと車寅次郎

『西に行きましても東に行きましても、とかく土地々のおアニィさんおアネェさんに、ご厄介かけがちな若僧でございます。以後、見苦しき面体お見知りおかれまして、恐惶万端お引き立て宜しくお願い申しあげます』そして、極太の筆文字タイトル※が…

男はつらいよドォ~ン!!

…そこへ主題歌♪が被せ流れる。

俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ 妹よ
いつか お前の 喜ぶような
偉い兄貴に なりたくて
奮闘努力の 甲斐も無く
今日も涙の 今日も涙の 陽が落ちる
陽が落ちるぅ

 

youtu.be

(※なんと毎回タイトル文字が変化していた!気づかなかった)

▷映画『男はつらいよ』第一作、1969年8月に公開される。家出から二十年振りに、葛飾柴又の「とらや」に帰ってきた車寅次郎は、おいちゃん、おばちゃん、妹のさくらと涙の再会を果たす。「お兄ちゃん!生きてたの…」どうやらとらやでは、死んだことになっていた?ところが、事件勃発。妹さくら(倍賞千恵子)の見合い話を台無しにしてしまう。いたたまれなくなり旅に出る寅次郎だった。旅先にて。偶然にも奈良 東大寺で出逢ったヒトが、意外にも御前様と娘 冬子(光本幸子)だった。そこで一目惚れした寅さんは…話のテンポが早く、まるで舞台演劇を見ているかのストーリーの詰め方です。映画人の意気込みと役者陣の熱量で感動のヤマ場、さくらの結婚披露宴まで突っ走る。人情喜劇のお手本のような仕上がり方をしています。

男はつらいよ HDリマスター版(第1作)

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  • 発売日: 2014/12/17
  • メディア: Prime Video
 

 

寅さん映画につきもの「啖呵売」にひかれます

 

シリーズ第一作からシリーズ五十作目の『男はつらいよ お帰り寅さん』まで、世界最長の映画作品シリーズとして、ギネスブック入り。またJALの国際線 飛行機内でも上映され、広く海外にも知られた作品となりました!

もちろん寅さんの代名詞『啖呵売(たんかばい)』流れるような口上だけでひとを引き付け、商品をスルッと買わせてしまうスーパーテクニック。この縁日での露天商、路上販売は地口などを混じえ、淡々と流れる独自の口上は、いまでは大道芸として、高く評価されていますね。

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ご存じバナナの叩き売

代表的な『バナナの叩き売り※1』や『ガマの油売り※2』とか『南京玉すだれ』などは、いまでも有名ですよね!

こんな凄いひとがホントにいたのか。いや映画設定だからか?いやいや、確かに昭和時代に、きっとフツーに存在したのです!

(※1 🍌本職バナナの叩き売りに、佐賀の北園忠治氏が有名人ですね。正統バナちゃん節の師範)

(※2 🐸ガマの油売りで有名な大道芸人に、石原耕氏がいる。立て板に水、見事な口上芸を魅せる。参考/ガマの油売り 石原耕さん - YouTube)

 

~本の啖呵売~

つかみ『お客さん、いいかい。並んだ数字が、まず、ひとつ。物の始まりがいちならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりがこの小父さんっての』パパン、パン!

『続いた数字が、に。兄さん寄ってらっしゃい、見てらっしゃいは、吉原のカブ。仁吉が通る東海道、日光、結構、東照宮、憎まれ小僧が世にはばかる。仁木の弾正、お芝居での憎まれ役。憎まれ小僧が出来ちゃいけねぇってんで、教育資料の一端としてお売りいたします』パン!

『続いた数字が、さん。お産で死んだか三島のお仙、お仙ばかりが女ごじゃないよ。ね。昔、京都は極楽寺坂の門前で、かの有名な小野小町が、三日三晩飲まず食わずで野たれ死んだが、三十三。とかく三という数字は、アヤが悪い。三、三、六歩で引け目が無いとくらぁ』パン!

『続いた数字が、よっつめ。四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水。粋な姐ちゃん、立ちションベン。白く咲いたか百合の花、四角四面は、豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。ね、どぉ。一度変われば、二度変わる、三度変われば、ヨド変わる、淀の川瀬の水車、誰を待つやらぁくるくると』パン、パン!

『続いた数字が、ご。ゴホン、ゴホンと波さんが、磯の浜辺で ねぇ、あなた。あたしゃあなたの妻じゃもの、妻は妻でも阪妻よっと、きやがったぁ』パン!

『続いた数字が、むっつ。ろく!むかし、武士の位を禄という。後藤又兵衛が、一本槍で六万石。ロクでもないガキが出来ちゃぁいけないと言うんで、教育資料の一端として、おマケしやしょう、この本』パン!

『ななつ、長野の善光寺。やっつ、谷中の奥寺で、竹の柱に茅の屋根、手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。信州信濃の新ソバよりも、あたしゃあなたのソバが良いっ。あなた百まで、わしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまでぇ、ときやがったっ!!』パパン、パン!

耳に実に心地よい、啖呵売の口上です!

~畳みかけ①~

『これで買い手が無かったら、わたしゃ浅野匠頭じゃないけれど、腹切ったつもりだ、右に行って上野、左に行って御徒町、西と東の泣き別れ、というやつ、ねっ。角は一流デパート赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、紅白粉付けたお姉ちゃんに、下さい頂戴でお願いしますと、六百が七百くだらない品物だが、今日はそれだけ下さいとは、言わないっ!なぜかと言いますと、神田は六法堂という本屋が、わずか三十万円の税金で、泣きの涙で投げ出した品物です。四百、三百、二百、どうだ!百両だぁ、どう?』

~畳みかけ②~

『よしっ、こうなりゃ、やけのやんぱち、日焼けのなすび、色が白くて食いつきたいが、わたしゃ入れ歯で歯が立たないよ、ときたもんだぁ』パン、パン、パパン、パン!『結構毛だらけ、猫灰だらけ、お尻の周りは、クソだらけ。たいしたもんだよ、蛙のションベン、見上げたもんだよ、屋根屋のふんどしっ、てねぇ!』ほり投げる『ほら、もってけ、ドロボ~!!』

七五調で韻を踏む、独特の節回し。この口上に通行人は、一気に圧倒されてしまう。

▷参考/男はつらいよ 啖呵売(渥美清)昭和45年 - YouTube

 

フーテンの寅さんのモデルとなった人々がいた

 

渥美清さんが、語っています『小さいころは、物の考え方が人とちがうといわれたことはある。しいていえば、体が弱くて寝てたり、ゴロゴロしてた。だから、鉄ビンのシンシンという音だとか、物売りの声だとか、障子にかげる鳥の影だとかにひかれたね』意外にも小さい頃から、身体が弱かったらしい。

中学校を中退した渥美清さんは、工場で働きはじめるが、その後は職を転々としたらしい。不良化してからは、実家にほとんど戻らず、上野周辺を根城に悪い遊びの数々を繰り返していたという。

このころに車寅次郎のモデルとなった「テキ屋のお兄さん」たちと出逢い「啖呵売」を熱心に観察し、テキ屋稼業にドンドン魅了される。『御徒町の角のガァーッと車が通って、人がワイワイ言ってて、ガァーン、ガタン、ガタン、ガタンガタン、なんとなくわいわいガヤガヤしてるところで、入れ墨をしたまっ白なからだで、パッとあめ玉を出してね「四谷、赤坂、御茶ノ水…」くらいになってくると、客が静かになってくる。ガァーッという高架線の上を行く省線※の音も聞こえなくなってくる。そういう精神作用が、おもしろいのね』

引用『渥美清 浅草・話芸・寅さん』より

(※省線国鉄→JR)

 

寅さんキャラクター誕生時の逸話

 

新企画『男はつらいよ』の映画構想をねっていた山田洋次監督は、まず主人公を想定していた渥美清さんと、赤坂の旅館で対面しました。一度話し始めると、まるで名人落語のよう。不良少年だった頃の話、上野あたりでテキ屋に憧れ、その世界に入った話。そして何よりも、驚異的なコトバの記憶力と、流れるようなテキ屋口上に、さらに巧みな話術で笑いをとる渥美清という異端の役者に、山田監督はとても驚いてしまった。

後年、山田監督は渥美さんの頭脳の良さを「天才だった」と、語っている。特に記憶力に関しては驚異的で、台本を二度、三度読むだけで完璧にセリフが頭に入ったという。「この人は、本当に頭がいい人だな。こういう人が“愚かな男”を演じると、面白い話ができるのではないか」と想う。そして「落語に出てくる、熊さんのようなキャラクターが、この人ならできるんじゃないか」と、確信を深めました。

渥美さんが持つユニークな個性にプラスして、江戸落語の「八つぁん、熊さん」などもくわえて、主人公のコンセプトであった『下町の不良少年のなれの果て』といった、とてもユニークな「寅さんキャラクター」が造形されていったのです。だから寅さんは創作物なのに、リアリティがあふれ素晴らしいのですね。 

▽話はメロン騒動へ続きます。ひぇ~((🤣

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😘どこか遠くへ、旅したいなぁ…🚋🚋…ガタンゴトン

○寅さんこと、渥美 清(昭和三年三月十日~平成八年八月四日没)本名、田所 康雄。東京府東京市下谷区車坂町(現台東区上野七丁目、JR上野駅付近)にて、地方新聞の新聞記者をしていた父友次郎と、元小学校教諭の母タツとの間に、次男として生まれた。六歳上に兄がいたが、二十五歳で亡くなったという。

○工員、テキ屋などから地方演劇の一座に入り、やがて浅草六区でメキメキ頭角をあらわす。テレビ番組『夢で逢いましょう』で全国区の人気者に。その後、テレビドラマ『泣いてたまるか』テレビ版『男はつらいよ』などから、映画『男はつらいよ』が誕生した。

そして…病気をおして四十八作目を撮り終えた平成八年夏、六十八歳で遠くへ旅立った。

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参考、写真/松竹映画公式サイト、ウキペディア、ウェブ電通報、Google MAP

(4500文字、Please enjoy “Tora-san's” movie.) #男はつらいよ