奈良県にある霊峰 大峯山は『女人禁制の修験道の聖地』として世界遺産登録され、世界的に有名な山となった。沢山の登山客で賑わいます。わたしも大好き(天気さえ良ければ)ヤマです!
1975年(昭和五十年)夏。神戸の高校生四人パーティが、奈良大峯水系で「二泊三日(テン泊装備)の澤登り※1」を計画していた。リーダーは山登りが大好きで、六甲山などでの澤登り経験もあった。とかく若さとヤル気に溢れていた!
ルート(推定)「奈良県吉野郡天川村、神童子谷(じんどうじたに、大川口入渓)渓流を遡上し、接続する犬取谷(いぬとりたに、分岐点)へ進み、源流域ドンつきまで詰め上がる!途中サワ適地テント二泊、交友を深め、宴会してぇ・・(以下略)」笑。
▽神童子谷名物「釜滝※2」。大峰ブルーと呼ばれる水質がとても素晴らす~い♪高校生グループも、この場所を越えていきました。
しかし他の三人は、まったくの山初心者、これは何だか・・実にマズいね。だが「途中避難小屋もあるから、何とかなるやん」と、青春満タンで大峯山へとむかいました・・We can work it out!
▽動画リンク/大峯水系、神童子谷とはこんなところ。天気よければ、実に愉しく遊べる場所。「澤遊びの王道」と言っても過言ではない?!
○神童子谷見所あり、へっついさん、赤鍋滝、釜滝、ゴルジェ澤風景、山鹿に三本脚ガマ🐸?
(※1 澤歩きは日本古来の登山スタイル。そのルーツは多分、大峯修験道にある。道なき路を突き進み、清水と戯れ滝に打たれ釜を泳ぐ。澤泊で焚き火すれば、もう気分最高!)
(※2 左に安全?な巻道があり釜越えすぐ右岸に泊地がある。左にイヌトリ谷、右へノウナシ谷の分岐点となる。釜滝で折り返しが一般的。これより上流は大峰ラビリ~ンス?!)
遭難の始まりは、地図の読み違い
「大峯山で遭難したとみられる高校生四人の捜索は、本日で打ち切られます」と、非情にもラジオから流れる。行方不明からはや10日が過ぎ、彼らの生存がほぼ絶望視されていた…。
さて、彼らが道迷い遭難した場所は、大峯奥駆道の「小笹ノ宿」の西南側オザサ谷付近だった。この時、リーダーが頼りにしていた登山地図があり、その登道の表記『赤い破線道※』を一般登道と錯覚していたらしいのです。何でもないようなコトだけど、このあと重大な失敗を重ねた。
(※赤破線は“難路や廃道”を示し、危険度、踏破難易度も格段に高くなる。また所要時間も大幅にマシマシとなり、その結果ろくな目にあわないものデス)
その地図だけを頼りに、本流筋からトラバース(難路)道へ外れていきます。やらしい支流は、お山のベテラン以外逝ってはいけない掟、んん?
まぁ、大峯の行者でも、やらない場所でしょうね。このあと、遭難要素のフルハウスを喰らうことになります。それほど「ヤバいエリア」・・Let’s face it !
高校生パーティはとにかく自信過剰気味※だった。自分たちがよもや道迷いをしているとは、決して思わなかった。やがて、登山地図や山岳ガイド本でも見た覚えのない大滝が、ドド~ン!とあらわれ彼らの進路を塞いだ。もう戻れない、でも進めない、彼らを惑わす大峯ラビリンス。
ようやく「これは・・・道迷いだ!」と自覚する。しかし「ここは、いったい、何処だ?!」愕然…。
(※これは「正常性バイアス」と思われ。自分に都合悪い情報をあえて無視したり、また過小評価してしまう心理特性のこと。「自分だけは大丈夫!」とか、「今日は何かイケる!」など根拠ない自己評価が、状況をさらに悪化させてしまう。山屋なら誰しも経験あるハズ)
大滝の中洲でビバークするが…
30m以上高低差がある「ナナシ大滝(不詳)orクソ滝(35m二段)」を真近に眺めていた。これを高巻き※1し脱出を試みるが、山あいの落日はとても早い。陽は陰り、うす暗くなりかけていた。こりゃマジで、ヤバい。それで急遽、崖の上の中洲で四人がお互いをロープで繋ぎ、ビバーク※2したのだが、悪いことに澤泊一日目で大宴会をやらかし、食料の大半を消費、早くも底をつきかけていたのです。川の水を飯盒に大量に入れて、米の味がしないおかゆと極薄スープを胃袋へ流しこむことになる。昨日のバカ騒ぎがホント悔やまれる。
入渓二日目からは一気に天候が崩れ、やがて激しい雷雨となった。これでさらに活動困難となる。それでもリーダーは中洲ビバーク地点はそのままに、巌壁登攀を繰り返しながらルート探しに無我夢中。気づけば彼の腕や足は、傷だらけになっていたのです。
(※1 高巻きは障害物などを迂回してクリアーすること。大滝や絶壁などが進行方向にあり直登困難なら、上下左右にアプローチ路を探ります。それでも無理筋ならば即撤退デス!無理は禁物)
(※2 ビバーク判断は早めに。その時は「ツエルト、簡易テント」を使います。ナイロンやポリ防水素材で、雨露バッチリしのげますが反面寒さには弱く、中でコンロ炊けば結露でベチョる、居住性はもう最悪。山屋装備の中で「使いたくないナンバーワンギア」)
入渓四日目。パーティは、またもや危機的状況に陥った!唯一山の経験者で、皆が頼りにしていたリーダーの意識が朦朧となり、高熱を出してしまった。これにて万事休すとなるのか?
状況『雷雨がずっと続いていました。テントのポールは金属なので、とても怖い。ド~ォ~ン!と雷が落ちると地面がグラグラ揺れる。私たちはテントから這い出し、雷雨の中で身を寄せ合って、声を掛け合いました』
恐怖感がジワります。閃光に続き山地へ落雷し爆音が轟く!恐怖に耐えられずツェルトを這い出し、小さな岩穴で四人が肩寄せ合って、ブルブル震えながらピンチをしのいだそうです。
最後の晩餐が、汁だけの粥?!
入渓五日目。食料が完全に底をついた。これで最後の食事となる。昨日より高熱出しガタガタ震えていたリーダー。その彼に渡されたおかゆが、他のメンバーのよりも量が多かった。普段は口数少ないメンバーが言った。『お前は、リーダーや。大変な苦労をかけて道を作ってくれた。手足見てみろや、傷だらけや。食べろ!元気出してもらわんと・・』いい仲間だ、泣かせる台詞だね。
『素直に流し込みました。いまでもその言葉、その光景は、鮮明に覚えています。しかも翌日には不思議と熱も引いていました。もしあの時、みんなの気遣いがなかったら、もしかしたら死んでいたかもしれない・・』
涙、涙の物語が続く。ビバーク場所目印に「黄色のポンチョ」を滝口からロープでつるす。この行為こそがその後の命運を決めることになった。
連日聴き続けたラジオからは…
「これ俺たちのことやね?」ラジオから聞こえてきたのは、まさに自分たちのことだった。「生存は難しいだろう」そんな内容が流れてきた。ときおりヘリの音も聞こえた。ヘリ音聞こえると、空にむかって必死でタオルを振りまわすのだが、気付かずどこかへ消えてゆく・・あぁ無情。
▽ガンバ!冒険四人組に捧ぐ曲(年代的にさ)『STAND BY ME.』
入渓十日目。ラジオからは「捜索打ち切り」の知らせが流れる。極度の空腹にくわえて、寒さにも悩まされる。やがて幻覚や幻聴も聴こえだし、もう全員が平常心を保てなくなっていた。
パーティ全員が限界(※低体温症の疑い)だった。
「子供の声が聞こえる」
「橋を見つけたよっ!」
「水道の蛇口があるよ」
「お経が聞こえてくる」
別に示し合わせた訳でもなく、それぞれが生徒手帳に「遺書」を書き始めた。そんな時、またもおかしな幻聴が聴こえてきた。黙々と遺書を書いていた手が止まり、四人は顔を見合わせる!
「あの滝にひっかかっているモノ、何ですかねぇー?」との声…
滝からロープで垂らしていた“黄色のポンチョ”を、戻りかけていた救助隊員が発見した、その声だった。やはり幻聴ではなかった。ゆっくり巻きながら近ずいてくる足音。「幸運の黄色いポンチョ」が、高校生パーティを助けたのでした。諦めずによかったね、ホントよく頑張ったっ!ところが、大団円ならず。
更なる急展開が待ち受けていた。
救助後、後日談。本当に怖いのは…ここからだ
救助後には、即日記者会見(すぐ入院させろよ!まず静脈点滴を!)が始まる。会場ではマスゴミから、容赦のないバッシングを受けた。続いて警察の取り調べ、学校関係者の事情聴取が延々と続いた。これ順番すらおかしいだろ!
さらには捜索費用として約400万円(当時の四百万は、高級外車が買えるほどの額)が請求され、また通っていた高校からは、無期限停学処分が下された。
この遭難事故をきっかけに、通っていた高校での全クラ活が自粛処分ともなった(これ、まったくカンケーない💢飛んだとばっちり)。
実質放校なのか?扱いがホント酷い!腹がたってくる。奇跡の生還果たした高校生(17歳の未成年者)に「悪意むき出しの仕打ち」をするとは、この大人達は常軌を逸してないかぁー💢
知られざるアナザーストーリー
大切なのは…高校生リーダーが、当時を振り返りながら『本当に申し訳なくて、つらかった。澤登り経験もあり、自分に慢心がありました』と話す。『澤靴じゃなく、スニーカーと綿の半袖Tシャツ。ザックもいまみたいにスリムなモノでなく、腰サポートも付いていない綿のキスリング※1という横長のモノ。ノーヘルにハーネスもカラビナもスリングもなく(30mの)ロープ一本※2だけで』なんかモノ凄い!そんな軽装備でよくぞ。この淳○郎先生はいまも現役、山屋を続けています!よかったぁ、諦めなかったんだな。
▽リンク/ヤマレコ『幻の青春遭難大滝を見つけました』ついにあの大滝に感動の再会?淳○郎先生。
幻の青春遭難大滝を見つけました。in 小笹谷左俣〜本流 - 2017年08月17日 [登山・山行記録] - ヤマレコ
事故当日には『旅館に設けられた会見場。リーダーの私だけが各社のマスコミ取材が個別に始まります。ほぼ10日間水しか口にしていないのに、コレは拷問でした』この取材後には、ついに気を喪い倒れてしまう・・・哀れ。
▽リンク/YAMA HACK『大峰山遭難事故』遭難後のアナザーストーリーです。淳○郎先生、乙。
【大峰山遭難事故】 死にたい。救出されたのに・・2016年9月救助隊長と再会へ|YAMA HACK
(※1 昭和時代。カニ族達に愛用されたキスリング型ディパックがあった。防水加工された綿帆布や皮革ベルトに、ピッケルやらカラビナぶらさげて、山屋のオラオラ感を醸していた。いまみてもカッコ良き。実用性・・うへ😆)
(※2 装備がロープのみということは、登攀昇り降りを「肩掛け法」でこなしたと思われる。初心者にとうていムリ筋(危険)なスキルですが、それをやったのだろうか?スゴすぎる)
大峯登山後、遭難時の救助隊長さんに偶然出逢い、車で送ってもらった逸話です。
命の恩人は別れ際にポツリと言った。「ひとつだけ言っておきますね。澤に行くなら、時間を考えて登りなさい」 「はいっ!」 私は、直立不動の姿勢で返事をしました。神橋さんの目が許してくれていました。そしてUターンして洞川の村まで帰る車のテールランプが消えるまで見送りました。 〜おわり〜
教訓『澤に行くなら時間を考えて登りなさい』
(4800文字、Thank you for reading.Go to mountain climbing!) (参考出典/YAMA HACK、jyunntarouさん)