男はつらいよがシリーズ化、そのキッカケは?
🎥 『男はつらいよ フーテンの寅』が、寅さんファンになぜか人気がないんだよ~コレが。みんな、映画観る目ないよね。
この「第三作 フーテンの寅」は存外、面白いんだからさ。通好みなのかも?本作監督は、山田監督の友人、森崎東監督のメガホンとなります。
んで、交代劇の裏事情とは…
じつは、映画『男はつらいよ』シリーズは「続編で終わりにしたい」と考えていた山田洋次監督だった。😰うわぁ、ツラみ。
ところが、興行の好成績に気を良くした松竹首脳陣は、さらなるシリーズ製作続行を決定した!もちろん、監督は ゚∀゚)・∵. グハッ!!しかもその時、提示されたのは「あまりにも過酷な特急スケジュール」だったぁぁ鼻血がブ~!!
映画鉄則「売れる時に売りきってしまえ!これテキ屋の常識」てか?
「それを言っちゃあおしめぇよっ!」
この要求にへそを曲げたのか、山田監督はシナリオ描くだけ書いて、監督のイスを森崎東さんへあっさり譲ってしまう。そんな事情があった。
そして、公開されたのが1970年1月。前作からわずか一ヶ月ほど後という…信じられないスピード制作。そして半年ほどのスパンで、シリーズ四本が堂々完成!まさに狂気の撮影現場だ。
各作公開時期は~
一作目「男はつらいよ」が1969年の8月。
二作目「続 男はつらいよ」1969年11月。
三作目「続々 男はつらいよ」1970年1月。
四作目「新 男はつらいよ」は1970年2月。
🎥 『続々 男はつらいよ フーテンの寅』始まります!
さて、映画アバン(冒頭部)信濃路から始まる。なので、お馴染み「夢パート」はない。
♪木曽のなぁ~ なかのりさん 木曽のおんたけ なんちゃらほぉい 夏でも寒い ヨイヨイヨイ~♪結婚の宴 ง ˙ω˙)ว ⁾
木曽節の祝歌が聴こえている…信州奈良井宿の古風な宿屋『ゑちごや』で、風邪をこじらせて寝込む寅さんがいた。
○ちなみにアバンでのロケ場所はココ。いい宿屋です!木曽路旅するなら、是非宿泊したい!リンク/Googleマップ「ゑちごや旅館」https://maps.app.goo.gl/xqF68uEjUvSM4gsW6
その物置部屋へ、少し心配した仲居さん(何と樹木希林!)がバタバタッとやって来る。
中居「あんた!」
寅さん「んん?」
中居「家や親兄弟が、あんのかねぇ?」
寅さん「あにを言ってやがるんだいィ~!ひとのこと、野良犬と一緒にしやがってよぉ、コホッ、はばかりながら、このフーテンの寅さんなっ、チャキチャキの江戸っ子よっ!故郷に帰りぁ、ほれっ、この通り!れっきとした家族が待ってらぁ、ちゃんとぉ~コホッ、コホッ・・」風邪をこじらせるなんて、寅さん。やはり「鬼の撹乱」なのか?
仲居さんから身寄りを聞かれ、身内の写真をドヤ顔で見せつける。
さくらを「奥さん」満男を「自分の子供」オイちゃん、オバちゃんを「おふくろとおやじ」と、妙な見栄を張る寅さん。
あまつさえ写真にチュ!ここで、自分の持つ密かな「家族願望」を、図らずも語ってしまった。今回もテーマは、フーテンが世間並みの「世帯を持つ=家族を得る」なのでしょうか。
寅さん「いくら可愛くっても、妹じゃしょうがねえゃ・・」と嘆くことしきり。蒸気機関車が近くを通過し、さらに障子がアタマにドカン落ちてくる。元気なく呟やく「落ち目だなぁぁ…」このセリフが、寅さんの偽らざる心情でしょうね。
海を眺めるために、寅ンクを椅子がわり。そして浜辺でズッコケる寅さん。象徴的なシーン、暗示するものとは?ではでは…
タイトル『男はつらいよ フーテンの寅』ド~ン!
タイトルバックに「片瀬諏訪神社」の縁日。寅さんが「蝦蟇の油売り※」をやっている!口上は「さて、お立ちあい。とりいだしたる氷の刃、一枚が二枚、二枚が四枚になり、四枚が八枚、八枚が十六…やがて舞い散る、花吹雪きィ~♪」このバイは、とても珍しい姿です。いまコレやると、薬事法違反?!
(※ガマの油売りの詳細はこちら、大道芸人 石原耕さん⇒第37回大須大道町人祭 - YouTube)
とらやAパート始まる。帰ってきて早々「寅さんのお見合い話(相手は春川ますみ!場所は川千家)で大荒れ」から「江戸川堤でさくら達との別れ(寅さんのトレンチコート姿!)シーン」経て、舞台は突然、三重県は御在所岳の麓「湯の山温泉郷」へ飛ぶ!
オイちゃん、オバちゃんも「ウキウキ湯治旅」へ出発します。やっぱこの頃は、とらやも景気がイイようですね♪
…🚞💨…ゴトゴト…場面転換Bパート。
🚍 バスターミナルに、各旅館からのお出迎え。徳爺(左卜全)がいる。湯の山温泉「もみじ荘」に到着したオイちゃん、オバちゃん。何と!そこには「もみじ荘 美人女将(新珠三千代)」に惚れ込んだ、寅さんがいた。しかも番頭になってるぞ、爆笑必至😂キタ~!
口達者な中居 澄(野村昭子)さんから、寅さんがここに居座っている事情を、マルっと聞かされる羽目になるシーンが、笑えます。
🤭「あれがねっ、元テキ屋だったんですよっ、えぇ、半月ほど前でしたかねぇ、ヒョッとやって来て、あの電子の力でなんとかって…健康バンドって“インチキなもの”を売りに来ましてねぇ。そいでまぁ、自分が腹下しちゃって、何べんも何べんも、便所を借りに来るんですよぉ~ここの女将さんがすっかり同情しちゃって。宿に泊めたんですけどねぇ、その~まぁ、宿代も持ってないんですよっ、自分じゃ薪割りでも風呂たきでも、何でもするって、そのまま捨て猫みたいに居ついちゃったんですけどねっ。それでまぁ、人助けのために番頭してんだ、なんてへへっ…知らないお客さんにまで吹聴するんですけどね。いえねぇ、毎日ここの女将さんの顔見たさに番頭してるって町中の評判なんですよぉ、知らないのは自分だけなんですけどねぇ…可哀想にふふふふッ…余興の最中に夢中で、女将さんの名前を叫んじゃうくらいなんですからねぇ、お志津っ~!って…」
状況が目に浮かぶような説明だ。「おしずぅ~??」あまりなハナシに、驚愕するオイちゃん、オバちゃんの二人。
○ここが見もの/劇中に「旅笠道中」が、何度も効果的に使われています!ꉂꉂ🐯「お志津っ~!」と、渡世人が見得を切る。宴席で小芝居する寅さんが爆笑もの!昔の宴会は余興が付き物だ。
寅さんとお志津がベンチで「これからどこへ行くの」「怒らないでね。寅さんさえよかったら、半月でも一週間でも、うちで働いてほしいの」いい感じでやりとりするシーンがあります。
☝もちろん、いつもの寅さん「勘違い恋愛スイッチ」がパチン!とはいった瞬間だった。「プ、プロポーズ…」←何でやねん!
○地元に伝わる蒼瀧橋逸話(寅さんとイマージュ被ります)。
大正の終わり頃。粗末な身なりの定五郎がこの地に流れてきた。風呂焚きや掃除をはじめ、ふろ場でお客の背中を流して喜ばれ、忙しいときは膳を運ぶ手伝い、ときには座敷へ出てお客の相手を務めることもあった。
近所の人からの頼まれ仕事まで律儀にこなしたそうだ。最初はバカにしていた人々も、その姿に親しみを持つ。ある時、定五郎が亡くなった。稼いだ金は貯蓄で残っており、その金を使って作られたのが「蒼瀧橋」という。
今回の寅さんは、身体を張った笑いを取りにきます!まだまだ若いのですよ。こんな風に、「謎に頑張る寅さん」だった。
しか~し、コトはそんなに甘くなかった。じつは女将のお志津には、再婚を決めている某大学教授が、すでに存在していた。「彼と結婚して旅館『もみじ荘』も、閉鎖しましょう」そんな心づもりだった。そのことをようやく理解した寅さんは、旅館を去ることを決心する!
これにて呆気なく「寅さんの(結果的に)横恋慕がチョン!」と終了。渡世人は“去り際が肝心”とばかり、障子越しに粋な別れ(でも、お志津さんは不在だった)を告げる。
散り際は潔く、颯爽と去る!これが旅烏の流儀
湯の山街道(国道477号)を合羽ならぬ、ベージュのトレンチコート翻し「旅笠道中」を口遊ながら、独り歩いてゆく寅さんがいた。このシーンは晴々として、とても良い感じ。まさに旅烏だ。
しかし、すれ違った高級車(矢印)には、女将お志津が乗っていたのだが…こちらは、哀し、寅さんに声すらかけないとは。あぁ、無情…。
堂々のやらかしエピローグです!
大晦日の深夜、とらやの茶の間。みんなが集まり、年越し蕎麦※1など啜っている。TVからは「1969年よ、さようなら。1970年がやって参りました!」と、アナウンサーの声が流れてきた。続いて「こちらは、霧島神宮※2でございます!」すると、露天商の姿がチラリ映る。
さくら「あらっ!お兄ちゃんじゃないかしらっ?!」
画面にさっきから、寅さんが何度も見切れている。テレビに映りたい小学生みたいに。それをとらや一同が、画面を固唾をのみ見つめている。
アナウンサー「さぁ、奥さんやお子さんに、この画面から新年の挨拶をしてください!」寅さんをカメラ前へ促した。
寅さん「お志津よ!元気でやってるかいっ…新年おめでとう!」
これは痛い。ダメ押しに、お志津さんの暖かい家庭のインサート。しかも、その後も寅さんしつこかった。有り得ない「妄想家族」に対してまだ語ろうとする。アナウンサーは堪らず逃げる。もう番組がぶち壊しだ。生放送でもやらかしましたよぉ~寅さん。👉はい、退場!
(※1 裏話「ひろしポクポク事件」。この蕎麦を食べるシーンがNGが連発で、もう食べられないくらい食べたそうです。倍賞千恵子さん談)
(※2 この撮影現場は「鹿児島 霧島神宮」ではなく、「菰野町 廣幡神社」がロケ場所だそうです。https://maps.app.goo.gl/WM38wsAzey8rXPMg9)
その翌日、鹿児島から出る種子島行きフェリー。
船上では寅さんが、乗船客相手に怪気炎あげている「今度、鹿児島に帰ってくるのは、三月頭かな。桜の花もぼちぼち咲こうかって頃よ。それから、熊本、小倉、尾道。ずっと下がって四月は、関東。五月は東北、六月は北海道。オレ達の旅は桜の花と一緒よっ!花見の旅だいっ!まぁ、俺っちのような粋な売人になるには、タクがマブくなくっちゃ駄目だ。うん、よ~し、ひとつさわりだけやってやろうか?」
「…四角四面は、豆腐屋の娘、色が白いが水臭い。四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベンてな、どうだぁ!!」
あくまでも寅さんの声は、陽気で明るい。船の背後には桜島。巨大噴煙をモクモクと吹きあげ続けていた。 ~終~
どぶに落ちても根のある奴は
いつかは蓮の花と咲く
意地は張っても心の中じゃ
泣いているんだ兄ちゃんは
目方で男が売れるなら
こんな苦労も
こんな苦労もかけまいに
かけまいに
山田洋次監督、当時振り返り語る
〇当時の松竹喜劇の香りが、プンプンしますねぇ。森崎監督の狙いは「渡世人 寅さん」を深堀りしたかったのだと、思えますね。
〇監督を降りた背景とは…何故にゆえに?
『あの時代は、テレビより映画が上だと、みんな映画界の人は思ってたからね。テレビでやったものをまた映画でやったってしょうがないよということで、随分反対された企画を必死になって僕が実現したわけで。それが意外に成功したので、だんだん続くようになったんだけど…(中略)…それで続編をつくったらこれも成績がよかったので、もう一回つくってくれというから「僕はもう降ります」と。そんなにたくさん映画はつくれるもんじゃないと。』
『じゃあ、僕は脚本を書きますから、他の監督、森崎くんという友人の監督に撮ってもらったんです。ボクが脚本書いてキャスティングしてるんだから、ほとんど同じテイストのものができていいはずだったんだけど、実は見ると全然違うものができちゃってるのね。ボクは日本料理をつくっているつもりが、できたものは中華料理くらいに違うわけ…』
〇日本料理が中華料理に化けるとは、これは相当な違和感。それで続く第五作『望郷編』は、再びみずからメガホンを執ることに。そして「男はつらいよ」は、次作望郷編が男はつらいよシリーズ締めくくり、「最終話としたい!」と意気込んだ…これが延々と50作品も続くキッカケなのだから😂あな、おとろしや『そんなにたくさん映画はつくれるもんじゃない』などといっていた山田監督が、ですよお。
▷リンク1
第三作「フーテンの寅」予告編。タイトル文字もなんだかいかめしい。昭和45年1月15日封切り。入場料(大人)550円だった。
▷リンク2
藤圭子の『旅笠道中』を。なんて素晴らしい歌唱力!!♪亭主 もつならぁ~堅気をおもちぃ~とかくやくざはぁ~苦労の種よぉ~恋も人情も 旅の空ぁ~♪
▷リンク3
湯の山温泉協会「寅さん記念館」。
/https://maps.app.goo.gl/VxyvMzi6gNGwYdhJA
○特記事項
マドンナ「新珠三千代」といえば、渥美清さんが憧れ、大ファンだったヒトです。夢が叶ったはイイが、演技が大変だったのではないだろうか?キャスティングが凄いよねぇ「東宝の看板女優」を引っ張ってきたのだから。悪名高い「五社協定」が終焉した頃か?
銭の花の色は清らかに白い。だが蕾は血がにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがする…『細うで繁盛記』は、’70年に大ヒットしたTVドラマ。なので本作でも、新珠三千代が「温泉宿の女将」になったのか。これ、後か先か?!
○マドンナ
新珠 三千代(お志津)、春川ますみ(駒子)
○ロケ地
三重県 湯の山温泉、四日市市、鹿児島県、種子島、桜島、霧島神宮、岐阜県 中津川。神奈川県、片瀬諏訪神社。
○森崎東監督作品
森崎監督といえば『喜劇 女は度胸』『時代屋の女房』『ペコロスの母に会いに行く』などがある。
○'70年の音楽界
皆川おさむ『黒ネコのタンゴ』、ドリフターズ『ドリフのズンドコ節』輝く第一回日本歌謡大賞は、藤圭子『圭子の夢は夜ひらく』。
▽次は、少しとんで第27作「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」を描きます。
参考、写真/松竹映画公式サイト、ウキペディア、ウェブ電通報、Google MAP
(6000文字、Please enjoy “Tora-san's” movie!) お題「ゆっくり見たい映画」