気づいたら、大晦日だったの巻
反省点。今年もあまりブログが書けなかった!他のSNS活動が忙しくてさぁ、書きネタはあるのにずいぶんキャリーオーバーとなったよね。まぁ、いつものことざんしょ。
さて、ことし最後の締めくくりは何しよう?紅白か?いやガチャガチャした番組※は観たくもないし。ならば酒と喰い物かな?毎年最後に喰うモノはやはり「年越し蕎麦」だね、全国共通の国民食らしい。しかぁし。よくよく考えてみると何故、慌しい年の瀬に蕎麦なんか食べてんのか?もとより蕎麦ってボンビーな喰いもんだしさ、何やら変な俗習だよなコレ。蕎麦屋のインボー説を疑うね・・もしや?
(※でも結局のところ「孤独のグルメ大晦日スペシャル」を観るワタシなのであった、、それか 笑)
チョチョっと由来を調べてMUST、一説によれば九州地方の何処かにて、大晦日に年も越せないボンビー人達にお寺さんが蕎麦掻きを振舞ったことからという。これ、救世軍の炊き出しみたいな感じなのかな。
あ、この「蕎麦掻き」なるもの、そば粉をお湯で捏ねくっただけ。くっそ不味くて喰えたものぢゃないよ。これぞ十割蕎麦てか。笑 蕎麦屋で通ぶって「蕎麦掻き」頼んだらガッカリするよ!
酒だ、酒だぁ~おやぢぃ🍶´-
~蕎麦掻きの作りかた~
材料「そば粉50g&水50cc」を用意。
①水を鍋に入れ蕎麦粉を溶かす。
②鍋を中火にかけま~す。
③ヘラで良く混ぜま~す。
ペタコラ、出来上がり👍
これが江戸前蕎麦の真実だ!
江戸時代、大規模な造成工事が始まり地方から大工やら土工やら、有象無象が集まった。この職人集団が“お手軽なファーストフード”を求めた。それで信州あたりからやって来たお手軽「路地蕎麦」がやたらとウケて江戸町に定着したらしい。そんな特殊事情があった。
当時より蕎麦は二八と決まっている。値段は十六文(現代価格で264円程)夜鷹のチョンの間と同じだったとか。あれれ、意外と安いんだね。あぁそうだな、確か落語に「時そば」という演目があったよね。
~時そば~
堀端で夜鷹そばの「二八そば屋」を呼び止める男がいた。「よっ!相変らず寒いねい商売は商いと言う、飽きずにやらにゃ駄目だぜ!」そして手早さ、割りばし、綺麗な丼、鰹節ダシ汁、そばの細さ、コシの良さ、厚く切った竹輪など褒め倒しながらそばをたぐって、さぁ勘定となった。
気を良くした蕎麦屋は「へぇ、十六文で!」と返す。「銭は細かいよっ手ぇ出しな。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ・・・」と、びた銭を二八そば屋の手の平に一枚一枚乗せてゆく。男は「いま何刻でぃ?」と聴く。「もう九つで」と蕎麦屋応える。「十、十一、十二・・・」と払いその場をサッと立ち去った。
その陰で一部始終を見ていた別の男。「こりゃさしずめ褒め倒し食い逃げするつもりか?」と思いきや勘定までちゃんと払ったので拍子抜け。しかし勘定の途中で刻を聞いたコトにハタと気づき指を折々やっと理解した。「・・あの野郎め一文かすめ取りやがったなっ」と薄笑いした。それを自分もやってみたくて、居ても立ってもいられない。
それで翌日さっそく二八そば屋をつかまえた。
男はいう「今日は、寒いねい」蕎麦屋「今夜はだいぶ暖かで」早くも出鼻をくじかれる。男は蕎麦食いもソコソコに勘定をいう。蕎麦屋「へい、十六文で」男「小銭は間違えるといけねぇ、これに手ぇ出しねえ。それ、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ・・いま、何刻でぇ?」蕎麦屋「四ツで」男「五つ、六つ、七つ、八つ・・・・」
おあとがよろしいようで。
😂ハハッ・・
料理との相性も良くクイクイ逝けた!すぐ空に
さてさてあと数時間で
2023年ですなあ・・
皆様~良いお年を❣️🍶´-
(1600文字、thank you for reading.)
お題「昨日食べたもの」