第二次世界大戦💥原爆運搬ミッション 重巡インディアナポリスの爆沈💥
重巡インディアナポリスは、世界初の原子爆弾「リトルボーイ」部品パーツを運搬した艦船として知られる。そして人類史上最大の汚点であり、犯罪である原子爆弾は広島市街に投下されたのだ…
太平洋戦争も大詰めの昭和20年7月29日。すでに挽回不可能となった戦局の中、敵通商破壊の任を受け、平生基地を出撃しフィリピン東方海域に進出していた一隻の日本海軍潜水艦があった。
日本海軍の中でも最新レーダーを装備した「伊58号(艦長 橋本以行少佐)神潮特別攻撃多聞隊」。伊58は艦首に6本の発射管を持ち、水上飛行機まで搭載した大型潜水艦なのである。
しかし、戦局悪化にともない飛行機艤装は外されその代わりとして、6基の人間魚雷「回天」を搭載する潜水母艦となっていた。
伊58号は雲と波間以外に何も見えない大海原を、好敵の姿をひたすら追い求め進路を西へとっていた。海面はまるで重油を流したような静けさだった。
そんな中、遥か前方をまっすぐに向かって来る正体不明の巨大艦影を発見した。伊58号はただちに急速潜航開始。時に午後11時8分。
海上に波なく、東の空に昇る月の明るさは水平線をくっきりと浮かび上がらせ、即時攻撃を可能としていた。潜望鏡深度を保ったまま標的に近ずいて行く。

(※酸素魚雷/日本海軍では世界に先駆けて酸素魚雷の開発に成功した。この魚雷は純酸素のみを使用し、排気ガスは炭酸ガスと水蒸気のみとなる。どちらのガスも海水によく溶け、雷跡を引かない特性があった。さらに燃焼効率が大きく向上し、雷速と航続距離も大幅にアップした。この高性能魚雷によりアメリカ軍は恐慌をきたした)
▷九五式魚雷:径533mm、長7.15m、重量1,665kg、炸薬405kg~550kg、高速49~51ノット約91~94km/h、射程9,000m、低速45ノット約83km/h、射程12,000m
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グングン接近してくる黒い艦影は、伊58号の二千メートル前方で大きく転舵、その巨大船腹を真近に見せつけた。前方に砲塔が連なる、その後方には巨大艦橋が聳えたつシュルエット。それは紛れもなく大型艦であることを物語っていた。
やがて標的を“アイダホ型戦艦”と識別した橋本艦長は、冷静に考えながら肉薄する。そして至近距離までつめ切ると「九五式魚雷」を初発射を3本、数秒おき次発射3本、合計6本の魚雷を扇状に散布射出した。
ズズンと鈍い衝激が艦内にも伝わってくる。次々魚雷が射出されていく。魚雷は時差扇状にひろがり水中をまっしぐらに突進する。船員達は息を殺し、潜望鏡の艦長を見守っている。
緊張した空気の中1分間が経過。やがて静寂を破り、けたたましい爆発音が次々と鳴り響いた!
それは伊58の放った6本の魚雷うち、3本もが敵艦に的中した炸裂音だった。至近距離で放った魚雷1本目が1番砲塔直下に命中。2本目が1本目の爆発で空いた大穴に飛び込みW命中、3本目は艦橋付近2番砲塔後部に命中したのだった。
潜水艦内に「雷撃的中」が伝えられ、乗員は小躍り歓喜した。そして直ちに水深30mまで急速潜航する…海中待機一時間後…戦果確認のため浮上する。だが海上は真っ暗闇、しかも波が高くなり荒れ模様となっていた。
果たして撃沈したのは…
本当に戦艦だったのか?
本当に敵艦は沈んだか?
それとも逃げたのか─?
一片の漂流物すら発見出来なかった。確認しようなく伊58号は、要領得ずに帰投せねばならなかった。しかし、これが日本海軍最後の大戦果となる。
橋本艦長は「アイダホ型戦艦撃沈確実」と打電したが、自らが沈めたこの艦がインディアナポリスであったことを知ったのは戦後になってからだった。
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惨憺たる地獄絵図だったインディアナポリス
さて、伊58から「酸素魚雷三本」も喰らった海域では、凄惨な地獄絵図が繰り広げられていた。この悲運の主は「重巡インディアナポリス(艦長 チャールズ マクベイ大佐)」太平洋戦争で沈んだ最後の大型艦と記録されることになる。
インディアナポリスは“極秘任務”を帯び、1945年7月16日にサンフランシスコ湾を出港した。船倉の積荷は「トップシークレット」であり、乗組員のほとんどは何も知らされていなかった。
その極秘任務は「原爆リトルボーイ核心ウランコアと起爆部品」だった。テニアンで無事積荷を降ろし本任務を完了する。その後、グアムを経由し“何故か単艦で出港” 直線コースを採り、フィリピンのレイテ島へ急ぎ向かう途上にあった。
そこで日本潜水艦からの魚雷攻撃を受けたのだ。
この攻撃で右舷側に直径12メートルもの大穴が2つも空けられた。インディアナポリスは、艦首部分が跡形もなく消し去った。さらに燃料タンクにも誘爆し、隔壁や鋼鉄製のドアが木っ端みじんにフッ飛び、船内は次々と焼き尽くされてゆく。
艦首部分にいた三百人ほどの乗員は、直撃の爆風で何十メートルも彼方に吹き飛ばされ、すべて即死した。光景はさながら噴火山のよう。紅蓮に燃え盛り、火の粉や破片をバラバラと空中へ噴き上げ続ける。

そして一分後には、この1万トンの巨体は真っ二つに裂けた。何百トンという海水が艦内へドッと流入、インディアナポリス号は断末魔の苦しみにのたうち回る。水蒸気と紅蓮炎を吹き上げ続け、不気味な鈍いきしみ音たて海面に横倒しとなる。
船体が急傾斜したため、多くの者が絶叫をあげながら海中に滑り落ちてゆく。900人ほどの乗員が真っ暗な海に投げ出された。半数程は救命胴衣をつけていたが残り半数は丸腰のままだった。
立ち泳ぎをしながら何らかの浮遊物にしがみつく。全員が漏れ出た重油で真っ黒となり、人だか浮遊物だか全く区別すらつかない状態となる。その間を縫うように無数の救命筏が漂っていた。
インディアナポリス号には35隻もの救命筏が積まれていたが、そのうち半数ほどが脱出に成功した。救命筏は3メートルほどのバルサ浮材にキャンパス布を張ったものだが、中に水や食料、釣り道具などが備え付けられていた。
1隻あたり25人ほどが乗ることができた。しかし、筏に乗ることが出来なかった者は、船縁に取り付けられているロープに手をかけ、完全に海中に漬かっているしかない。
筏同士は離れないように相互にロープで結ばれていた。ウネりに翻弄されてはぶつかり合い、嫌な軋み音をたてる。グィと持ち上げられ、次に沈み込んだりを続けている。
筏上の者は投げ出されたり、転げ回ったりを繰り返す。たちまち吐き気が込み上げ、胃の中のものをすべて吐いてしまうほどだった。
そして12分後、重低音のきしみを響き渡らせ、艦艇は海中に没し去った。あたり一面に泡立っている音が聞こえて来た。それはまるでハチの大軍が襲って来る時の羽音のように聞こえた。
それもまもなく終わると、もう何もなかった。星も見えず風もなく、水平線すら判からない真っ暗闇。大きなウネりと共に激しく上下動を繰り返す筏。
その中で大声で祈る声
時折上がる悲鳴などが
海に空しく響いていた。
暗闇だけが拡がる夜間の海面を漂っていれば、沈着冷静な人間ですらすぐ思考力を無くした…生存者の多くは最初の数時間で、意図せずいくつかのグループに分散して行った。
自分が果たして生き残れるのか─?
それともこのまま死んでしまうのか─?
漂流者の多くは虚しく自問自答を繰り返した。
そして漂流4日目となった。投げ出された人間の命の灯火が尽きかけたと思われた頃。ようやく救助隊がやって来た。しかし、それはあまりにも遅すぎる救助だった。結果、316人だけが救出された。
1200人もいた船員数から考えると、あまりにも大きい犠牲だった。突如、海へ投げ出された900人の内、実に3人に2人が鮫に食い殺されていたのだ。救助隊はあまりの変わり果てた生存者の姿に、ショックで声も出ない有り様だった。

そして、回収された遺体は全裸状態で腐敗しており、すべてがゾッとするほど膨れ上がっていた。遺体各部にサメに噛まれた痕跡が残り、骨だけになっていたものもある。もちろん判別不可能のため、あらゆる所持品が個人特定のため剥ぎ取られた。
これで悪夢の5日間が終わりを告げる。多くの人間が突然、過酷な大海に放り込まれ、絶え間ざるサメの襲撃、海水腫瘍、肉体的疲労、精神錯乱と闘った。そして316名がなんとか生き延びた…
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アメリカ軍が抱えていた自己矛盾と闘争
既に戦争末期であり、日本列島を南から攻め上げていたアメリカ海軍の内部には、大矛盾があった。そこには相容れぬ巨大軍閥が存在していた。
グアム基地のニミッツ提督の太平洋艦隊司令部。フィリピンのレイテ島のマッカーサー大将隷下の第7艦隊司令部、このふたつは犬猿の仲。グアムとレイテ島間の通信は、ほとんどない状態という有様。
インディアナポリスは、丁度この狭間で姿を消してしまった。沈没時、救難信号は2度にも渡りレイテの海軍基地に届いていた。これを日本側の「救助隊をおびき出すための欺瞞工作」とし、レイテ基地はあろうことか、救難信号を完全無視した。
更にレイテからグアムへ確認連絡もしなかった。なので沈没地点に急行していた2隻のタグボートは、十数時間で現場到着できたというのに、空しく呼び戻されてしまったのである。
こうして海に投げ出された約千人の乗組員達は大海原に見捨てられる運命となった。

インディアナポリスの艦長、チャールズ マクベイは爆沈漂流という地獄体験を乗り越えたにもかかわらず、ほどなくして自分が新たな戦争に巻き込まれていることに気づく。その相手は米海軍だった。
インディアナポリス沈没に関して、米海軍上層部は数多くのミスを犯したことは、既に自覚していた。敵対水域を航行するマクベイからの援助要請すら却下し、沈みゆくインディアナポリスから送られた遭難信号にも一切応答しなかった。
インディアナポリスがレイテ島到着の時刻になっても、現地に現れなかったことにも気付きもせず、また報告もしなかった。海軍側がマクベイに与えていた海域情報も不完全、インディアナポリスの航路に敵の潜水艦がいることを検知していたにもかかわらず、その事実をマクベイには隠蔽していたのだ。
これらは明らかな“海軍上層部大失態”である。
もしくは“何らかの陰謀”が渦巻いていたのだ。
そして、生存者たちを付近の島へ収容し治療を開始した海軍は、報道規制を敷いて事実隠滅を図ろうとまでした。ところが、マクベイ艦長だけが沈没責任を負わされ、不思議な軍法会議にかけられた。
軍法会議ではインディアナポリス艦長マックベイ大佐は、対潜対策の“ジグザグ航法”を怠ったとの理由で有罪判決とされたのだ。
マックベイ艦長はその後にも自責と汚名に苦しみながら、23年後の1968年にピストル自殺を遂げ、苦悶の70年の生涯に自ら終止符を打った。
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インディアナポリス事件を推理する
第七艦隊成立した経緯と遺恨/マッカーサーは国民人気を背景に、大統領候補にも名が挙がるほどだった。バックれたオーストラリアで「自分の指揮下に海軍がいないのは容認できない」と、駄々をこねた。
もちろん海軍はそれを拒否する。しかし大統領命令により、海軍キング提督は渋々「マッカーサーの顔立て専用艦隊」を抽出した。煮え湯を飲まされた海軍には遺恨が残ったのはいうまでもない。
🚢 第7艦隊はマッカーサー用に払下げ
古い戦艦、巡洋艦、揚陸艦、護衛空母など。
🚢 太平洋艦隊主力ニミッツが温存した
最新鋭大型空母、高速戦艦群などを確保。
私怨晴らすための犠牲/原爆運搬という特大手柄を届け終えた、老朽艦インディアナポリスは、最高機密艦から“マッカーサー面汚し”のための、捨て駒に格下げされた。船倉が放射能汚染されたか?
マッカーサー嵌め殺し作戦発動/マッカーサーの第7艦隊作戦海域ど真ん中。重巡という大物が無様に沈んだ。「マッカーサーの無能ぶり」を世間に晒すには、絶好の作戦と思われた。
インディアナポリスにはあえて護衛を一切付けず、潜水艦情報まで知らさず、飢えた狼伊58がいる航路に羊を差し出したのだ。さらにインディアナポリス沈没後の5日間放置は、生存者がその意図を悟らず、海底に消え去るのをジッと待っていた。
だが悪事が露呈しそうになる。それで仕方なく、その全責任をマクベイ艦長一人に擦り付けるため軍法会議に無理くりかける。
「第7艦隊という屈辱のガジェット」を作らざるを得なかった海軍の怨念、それが一隻の重巡と数百人の命を奪ったのだ。
これがこの事件のドス黒い真相である。ドン!!!!

🇺🇸 チャールズ マクベイ三世大佐(インディアナポリス艦長)海軍一家に生まれる。合衆国海軍兵学校1920年度卒業生。第二次世界大戦における功績で銀星章を受章。'44年11月にインディアナポリス艦長に着任。その後、硫黄島の戦い、沖縄島へ艦砲射撃に参加、そして運命の'45年7月。インディアナポリスがフィリピン東方海域で雷撃うけ沈没する。マクベイ三世は軍法会議にかけられ有罪とされた。アメリカ海軍は約700隻余り艦艇を喪失したが、戦闘で撃沈された艦長が軍法会議にかけられたのは、“マクベイただ一人”である。
🇯🇵 橋本以行中佐 (はしもと もちつら、潜水艦 伊58艦長)京都市に生まれる。海軍兵学校を1931年に卒業。その後中尉として初めて潜水艦勤務についてからは多数の潜水艦長を歴任した。最終階級は海軍中佐。戦後、インディアナポリスを撃沈した潜水艦伊58艦長として米海軍から呼ばれ、尋問を受ける。「適切なジグザグ運動ならインディアナポリス撃沈は防げたはず」と誘導尋問されたが、橋本は「あの位置関係ならばジグザグ運動をしていても撃沈できた」と証言する。そして、マクベイ三世を擁護し、名誉回復のために尽力していたことでも知られる。平成12年に死去、享年91歳。
▷巡洋艦インディアナポリス動画https://youtu.be/ZDPE-NronKk?si=j3p3OGxyCNZCYVb-
(There are no winners or losers in war.)
(参考文献:巡洋艦インディアナポリス号の惨劇、ウキペディア)#太平洋戦争#インディアナポリス