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あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

「深山砲台跡と海軍由良水雷隊基地」もうひとつのラピュタ!ドタバタ探検記。和歌山市 加太【戦争遺跡】…Part1

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ヒトはとかく何かを求め「旅」に出たがるもの。つまんない日常を飛び出し、非日常に我が身を置いてみる。そして未知の土地を、ひたすら尋ね歩く。

あげくヘトヘトだ。そして求める何かは発見するのだが「謎」は読み解けないまま「トホホ気分」で旅を終えるのが常だ。でも、それでイイのだ。

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なのでまたも新たなる旅に出る訳なのだね。いやはや、何やってんだかね。世の中には「自分探しの旅」に出るヤツ迄いるらしいが。

オイオイ、旅なんかで自分を探して、ド~すんだい?それでもイイのだ!Let's go easy !!

 

[Mission One]

謎のダンジョンとは?和歌山、加太の男良谷(おらだに)にあったと云う“海軍由良水雷隊基地”にまつわる情報を調べる

 

何故この場所に興味を持ったのか

 

何処から語り始めるべきなのか、何だかいまだに迷っているのだ。では、この場所に興味を持ったきっかけ話から始めよう。

十年ほど前のある日、地元タブロイド紙ニュース和歌山」に掲載された記事にたまたま目が止まったのである。

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これがその記事 出典ニュース和歌山

この記事によると和歌山の城郭研究家 森崎順臣氏が、「加太(かだ)深山(みやま)で謎の洞窟を発見した」と云うのだ。

(※地名の加太は→「かだ」深山は→「みやま」で、男良谷は→「おらだに」と読みます。「読み方を間違えているヒト、多過ぎィ~(笑)」なので。地元の方は、そんなコトで怒ったりしませんが“不快感”はありますので、ご注意を…)

この洞窟、明治時代の海軍が「由良水雷隊」を編成し、加太の北側にある深山の地に“極秘理に軍事基地を構築していた”と云うハナシで「え、えっー、なんじゃ、こりゃ?!」と、ワタシは結構驚いた。

「秘密基地!…萌♡」←小学生かっ!

もちろん深山の砲台跡は前々から知っていたが、陸軍砲台と海軍基地が一つ場所※に混在しているなんて、なかなか考えられないことである。それに少し、気持ちわるいよね。

(※陸海軍は歴史的に何かと仲が悪かった。しかし日清、日露戦争の頃でもあるので、若干事情は違うのかも知れない。)

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深山砲台跡

しかし「自分は別にミリオタではない」し、当時個人的なことでゴタゴタしていた時期だったので、詳しく調べることもなくそのうち、このコトを忘れていた・・。

 

でも、急に思い出したりするしね

 

▽そして去年の春のことです。友ヶ島に遊びに出かけた。で、友ヶ島要塞群を面白おかしくブログにまとめた。その時のブログがこちらです。

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友ヶ島ラピュタの秘密地図

タイトルにある「もうひとつのラピュタ、深山砲台跡と海軍秘密基地」の意図は“前作に引き続く連続話である”という、意味合いがあります(ダラナガばなしの連作なのですよ、笑)。

それで、現地友ヶ島(ここにも、海軍施設があるね)で色々調べるうちに、深山にある「謎の海軍施設」の話をふと思い出したのでした。 

「海軍の水雷基地かぁ・・しかし、あれはいったい何だったんだろうか?」

ブログの流れ的には友ヶ島砲台跡に続いて「加太、深山の要塞群」をまとめる予定だったが、それにしても残されている情報が少ないのだ。いや、自分に情報収集能力ないだけかもしれないが。

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深山砲台掩蔽壕跡

謎の解明は魅力的だけれども、この案件どこからアプローチすべきなのか。「困った困った、こまどり姉妹←この昭和ギャグ、誰も知らない?ポコポコヘッド!なら「しまった、しまった、島倉千代子も?

 

その頃の時代背景など考えてみると

 

朝鮮半島をめぐり日清両国がシノギを削っていた時代。その先には帝国ロシアの影が常にあった。日本は、明治二十二年に大日本国憲法公布し、帝国議会を開設する。明治政府は「近代国家」なるものを大慌で拵えてゆく。 

「西洋に追いつき、追い越せっ!!」

その熱気ムンムンのなかで「明治二十二年より三十八年頃まで、足掛け十六年間」由良海堡は、少しづつ形造られていった。しかし由良砲台群が築かれた時代は、まだ日露戦争以前のことである。この時代の加太地区の歴史となると、なぁ・・結構つらいね。

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淡嶋神社(年代不明) 現在とおもむきが違う

 

のんびりと作戦会議を始める

 

我が家の大宮二等兵に声をかけてみる。

 

「大宮!深山の砲台跡に、海軍の秘密水雷基地があったらしい。ココへ行ってみるか?」

「へー、面白そう。行きたい!えっ・・大宮てぇ、、何?」

「いや~まぁ、それは気にするな。この図面をみてみ、山の上からワイヤーで水雷を吊して海面に放つんやで。ワイルドだろぉ~?!」

資料の『由良水雷隊兵舎假設位置圖』なるものを、指でトントン示した。 

「…(グタグタ説明中)…て~な訳。この場所は崩落してかなり危険なんや。なので翌朝未明、我が第参総軍が乾坤一擲の勝負にでるっ!」

「第参総軍て、二人しかおらへんやんか・・」と、大宮二等兵

「むむっ、細かい設定はよろし。先ずは行程。我々は一路加太駅前を目指す。ココから無料バスがある。そして前線基地を第二砲台跡にある紀州加太休暇村に定める。ココには我が軍の輜重隊が展開し、さらに噂ではまったりする温泉♨まであるらしいよ」

「よろしいなぁ。で、ご馳走食べて、温泉入って帰ってくると・・」

「そう、そう、そう。やっぱ天然♨温泉で、眺めかてエエしなぁ。ホッコリしてこりゃ、エエわぁ~♪て、コラコラッ!ちゃいますがなっ」ピシッ!

これは、ノリツッコミですな。

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深山第一砲台跡(連絡通路トンネル)

とりあえず大宮二等兵に説明を、いや明治の歴史がザックリとつかめる史料ないかな「あ、坂の上の雲なぁ・・」そうそうコレがあったな。

(※言わずと知れた戦争映画の傑作『兵隊やくざ勝新太郎が演じた、大宮二等兵である。観たことないなら激推し!!の作品です。是非ご覧あれ、昭和40年、大映映画社)

  

坂の上の雲について、すこし語ってみる

 

そうだよ、司馬遼太郎氏が描く『坂の上の雲』の頃なんですね。この作品、明治政府の黎明期、いや青春時代なのか、そのガムシャラな世相と空気感を見事に表現していますよ。

この小説はドラマにもなりました。放送時にはワクワク興奮しましたから。モックンがハマってましたねぇ、秋山真之だ。好古は阿部寛香川照之の子規も好演でした。キャスティングがいい。脇を固める役者も大物ぞろいだった。 (※2009年から2011年まで足掛け3年にわたり放送されました)

「ほんと珍しい事だよね、NHKがこのクオリティをつくれたのはホント、奇跡だね」シナリオだけが二転三転したことだけが、残念ポイントになるのかなぁ。いやいや、人物の描き方がステレオタィ・・ハイ、グダグダ云わない。そうそう、こんな感じでドラマは始まりました。

▽リンク/「坂の上の雲」OPシーン

YouTube 

このオープニング(渡辺謙NA)で毎回、ハートをガッチョリ掴まれてしまいましたからねぇ。そしてドラマ終わりに憎いことにエンディング曲「Stand alone」が流れだすのだった…

♪~迷い悩むほどに 人は強さを掴むから 夢をみる 凛として旅立つ 一朶(いちだ)の雲を目指し~♪

またこの楽曲で、ビンビン余韻を噛み締めることになるのだった。いま聴いても何故か泣きそうになるな(何故だっ、明治人か貴様はっ)なるほど成程そうか、久石譲作曲だったのか、名曲でしたね。

▽リンク/「坂の上の雲」ED曲『Stand alone

youtu.be

このドラマをまだ未視聴の方(特に若いヒトはね)は、いますぐ観た方がいい。DVDにもなっています。そして原作読んでいない方、是非とも読んでください。たしかKindle版にもなりましたよ。

この小説は『竜馬がゆく』と並び、司馬文学の最高傑作!まさに真骨頂だと想いますからね(ハイ、異議は自動却下されました)。

司馬さんはとあるインタビューに答え『(日本は)何故こういうつまらない国なのか。国を運営している人々が何故こんなにお粗末なのか』だから私は描いたのだ、敗戦時の二十二歳であった“自分への手紙”なのである。と執筆動機を語りました。

残念ながらいまだに日本政府はそうですね。(明治から昭和にかけては、何かとゴタゴタと、そうせざるを得ない「情けない事情」もあった訳ですが)で挙句、敗戦国日本よ。何とも情けない国のままだ。お粗末さんだ。

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おそ松さんだっ!!!

多分、戦中派の司馬さんは戦後生れの「戦争を知らない子供たち」に、作品を通じて問うてみたかったのでしょう。「むかし、こんな男達がいた。そして、こんなことをやり遂げた。さぁ、あなたはどうなんですか」と…あ、話がそれちゃいましたか、ねぇ?そうでしたぁ「坂の上の雲」のレビュじゃないのだから。

 

○一応参考までに/作家 司馬 遼太郎(しば りょうたろう1923年生 ~1996年没、命日は2月12日)本名 福田 定一(ふくだ ていいち)は、大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の漢(太郎)」から。ほんま、シャレてますな。

○大戦中は戦車第一連隊に属する。満州国にて、九五軽や九七式中戦車(チハたん※)の戦車長(小隊長)をつとめていた。大戦末期には大陸から茨城県佐野に移動、敵上陸地点を九十九里浜に想定し本土決戦準備を整えた。結果、戦火交えることなく敗戦を迎える・・その後九十九里浜にて慟哭したという。

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これが九七式中戦車

○余談だが、チハたんの「チハ」とは「チ=中戦車」で「ハ=三番目(イロハ順)」である事を表す秘匿名称。(甲型「チイ」乙型「チロ」などがある)ちなみにガルパン知波単学園、福田ちゃん(小柄でおさげ、丸メガネ可愛い)は、司馬遼太郎がモデル。あと西絹代はバロン西だし、いいのかこのパロぶりはっ。そして知らぬ間に「女体化JK」にされた司馬さん。さぞや泉下で・・「ガルパンでも観てるかな?」ガルパンはいいぞ~ぉ~♪

 

はいっ、これがガルパン「進め!乙女の戦車道」

 

いちばん通信士、武部沙織「♪装甲が薄くたって~ 主砲がしょぼくたって~ それはそれぇぇ」劇場版は、必見ですぞっ!

▽リンク/ガルパン『進め!乙女の戦車道』

YouTube

「進軍でありますぅ!」

「突貫!」

福田ちゃんであります、可愛ぇぇ~♪萌え。

劇場版 ガールズ&パンツァー フィルム 知波単学園 福田

はいっ、またも脱線しますたぁ☺時系列戻せ!

 

それでは、もう少しだけ明治期の流れをまとめてみます。いえいえ、残念ながらたいしたコトは知りません。サクッと「歴史の流れなぞる」のみにて。

 

日露戦争前、砲台構築は始まってる、その背景と意味

 

十九世紀末は日本にとって、とても“危うい時代”だった。帝国主義者が跋扈するヨーロッパ列強が、アフリカ・アジアを分割支配するのに躍起となっていた。もちろんそれを望まない日本国は「植民地を得るか?植民地になるか?」という二択を迫られます。

いわゆる「西洋列強(イギリス、ドイツ、ロシア、フランス、アメリカ、イタリアなど)」が、清での権益を虎視眈々と狙っていた。その清国争奪戦のなかでの「明治三十七年二月から三十八年九月迄」続いた、日本とロシアとの戦史を『日露戦争』と呼ぶ。

この闘いは、云わば「日本の安全保障問題」であったのです。自国の存亡をかけた大博打と、言い換えてもいい。

 

その以前、明治二十七年に『日清戦争』に勝利した日本は「下関条約」を結び、多額の賠償金(当時日本の国家予算の四倍強、三億六千万円前後)と、港湾土地を清より譲渡される。これにより日本国内の民間産業、軍事整備が大きく発展し、日清戦争以前と比べ急速な進捗が可能となった。

しかし中国の遼東半島は各々列強にとっては、戦略的に特に重要な地域。なのでロシアは、日本の遼東半島を我が物にしたいと考え、ロシアはドイツとフランスを誘って「三国干渉を画策」した。

これを拒否すれば、戦争も辞さない「高圧的な要求」だった。この外圧を受け、しぶしぶ遼東半島を清に返した日本。だが現実には、その意図(戦争回避)に反し、隣国清国は欧米列強に次々と侵略され続けることとなる。高まる国内不安、政府への批判。さらにマスコミが、煽りにあおったのです。

そして当時の日本では、「臥薪嘗胆※」が流行語となった。

(※がしんしょうたん。“リベンジのために苦労に耐えしのぶ”という意味)

 

ロシアは日本が返還した遼東半島を租借(期間占有)し、さらにドイツ、イギリス、フランスも各地域をそれぞれ租借する。ロシアは大部隊を増強し満州も事実上占領する。そして更に南下政策を推し進める動きまで見せる。

このままではアジア地域は、「アフリカ大陸の二の舞」になってしまうだろう。この状況を危険視した大英帝国。あくまでも“自国の権益”を護るため、急ぎ日本と明治三十五年「日英同盟」を結ぶ。これにより日本と英国は利害関係が一致した訳だが、ひと安心どころか「益々情勢は剣呑」となった。このカオスな帝国主義者の陰謀渦巻く清国領土争奪戦のさなかで、明治日本は「帝国ロシアとの開戦を決意」するのです。

 

これには、世界中が驚いたっ!!

何とフェザー級が、ヘビー級に挑む」のですから。はい、三笠出撃デスよ!

▽リンク/ Naval legends『日本海海戦』なかなかよくできた番組です。


YouTube

戦艦三笠について

日清戦争後、ロシア帝国に対抗するために日本帝国海軍は急ピッチで軍拡を押し進める。そのため国家財政が傾いたほどだった。そんな中で「六六艦隊計画」の一環として旗艦「三笠」は、イギリスのヴィッカース社に発注され建造されました。

 

ハセガワ 1/700 日本海軍 戦艦 三笠 プラモデル

◉1899年(明治三十二年)1月24日起工。1900年(明治三十三年)11月8日、進水。

◉1902年(明治三十五年)1月15日から20日まで「海洋公試」が行われた。

◉同年3月1日サウサンプトンで「日本帝国海軍への引渡し式」が行われた。

◉建造費用は艦本体が88万ポンド、艤装兵装が32万ポンドであった(約1500万円)。

排水量15.140㌧、全長131.7m、出力15.000馬力、速力18㌩

<ジェーン海軍年鑑より>

◉いま三笠公園岸壁には、戦艦三笠が「記念鑑として保存」されている。三笠の艦首は皇居へ向けられており、さらにそのまま直線状にロシアへ向けられている。これは保存時に三笠が「帝国海軍の象徴(聯合艦隊旗艦)」とされていたことから。そのため終戦直後にソビエトから“三笠解体の声”が上がったが、交渉等により解体は回避されたと云います。 

<ウキペディアより>

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日本海軍 戦艦三笠 呉沖合にて

付記/第二次世界大戦まで「五月二十七日を海軍記念日」としていた。日本海海戦(対馬沖海戦)でロシアのバルチック艦隊を破った日、それを記念して想定されたという。いまでも海上自衛隊などで記念式典(基地祭など)が行われています。ご存知でしたか?

 

江戸時代からお台場建設は、急務とされていた

 

島国日本の国土防衛を考えるならば、まずは沿岸部を固めねばならない。江戸時代からすでに、その歴史は動いていたのです。

それは幕末期のこと、安政元年九月十五日。ロシアのプチャーチン提督のディアナ号が日本に開国を迫り紀伊水道に現れた。もちろん“幕府や朝廷へ対する示威行動”だった。

紀伊水道を自由に往来し、大阪湾の天保山沖にディアナ号は停泊した。そして十月四日には加太浦に寄港する。

下田奉行宛ての親書を渡し翌日、下田へと向かったと云う。

紀州藩では急ぎ六千人藩士と、四千人の住民を動員して「友ヶ島」から「下津大崎」までのお台場の構築と、大砲、鉄砲、要員配備を実施しました。この時海、軍奉行並だった勝海舟や門下生の坂本龍馬も、砲台視察にきたと云う逸話もあります。それほど“重要視されていた場所”だったのですね。

さて、次は「由良要塞の地勢的」なお話です。

 

紀淡海峡の地形について理解する

 

では「敵の艦隊に本土が強襲されたなら」を考えてみる。

<神戸、大阪に大型船舶(敵艦隊)が向かう場合>

拓けた紀淡海峡が突然に狭まり、航路が淡路・沖ノ島間にある細い由良瀬戸を通るしかないことが解る。これ程護りやすい防衛地形は、他には見当たらない。

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友ヶ島 由良瀬戸風景

もちろん鳴門海峡もあるが遠廻りの上、明石海峡をまたくぐらなければならない。戦術的にはこちらのルートをとる可能性は極めて低い。なので由良瀬戸を狙って来ると考えるのが妥当。

 

▽衛星画像の左下から、沼島、淡路島、友ヶ島沖ノ島地ノ島。本州側に深山加太地区、右端に紀ノ川流れる和歌山市街がある。

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衛星画像 出典元/ウキペディアから

[想定防衛エリア]兵庫県 淡路島 由良地区〰(由良瀬戸4,700m)〰沖ノ島〰(中ノ瀬戸500m)〰地ノ島〰(加太瀬戸800m)〰和歌山市 深山 加太地区。

 

由良要塞群全体像とは…いまだ不明点が多い

 

由良砲台、堡塁跡(陸軍)は現認出来るだけでも二十五箇所以上ある。さらには海軍施設も、確実に存在する。“未発見で埋もれた建造物”もまだあると思われるが、けっこう謎が多い。

 

【由良地区】淡路島地区
1生石山第一砲台 2生石山第二砲台 3生石山第三砲台 4生石山第四砲台 5生石山第五砲台 6赤松山堡塁 7伊張山堡塁 8生石山堡塁 9成山第一砲台 成山第二砲台 10高崎砲台

 

友ヶ島地区】沖の島地区
友ヶ島第一砲台 2友ヶ島第二砲台 3友ヶ島第三砲台 4友ヶ島第四砲台 5友ヶ島第五砲台 6虎島堡塁

 

【加太地区】深山、加太地区
1深山第一砲台 2深山第二砲台 3男良谷砲台 4加太砲台 5田倉崎砲台 6大川山堡塁 7高森山堡塁 8佐瀬川堡塁 9西の庄堡塁

 

【鳴門地区】1篠山砲台跡、他不明 (観光地化され、駐車場などに転用されているらしい)

 

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二十四サンチ加農砲

深山砲台跡のあらまし

 

明治20年頃、清国との戦争がいよいよ現実味を帯びて来る。明治政府は国防策として日本艦隊より遥かに有力な清国艦隊に対処するため、沿岸要塞建設が急務となった。最初に着手したのは「対馬要塞」と「下関要塞」、そしてここ「由良要塞」です。

なかでも“紀淡海峡の重要性”にいち早く気付き、淡路島の鳴門・由良地区、和歌山市側の友ヶ島・加太地区に、強力な西洋式砲台群を大急ぎで設置する。

そのうちの深山地区は紀淡海峡を東から扼する重要な位置にありました。(※運用上は友ヶ島地区と連動すると考えられますが、後に由良地区の所轄となったようです)

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二十七サンチ加農砲射程範囲

深山加太地区の深山重砲兵連隊(後、重砲兵第五連隊となる)は、紀淡海峡を北上侵犯するであろう敵艦を、山上から迎撃する砲台要塞をここ深山に展開しました。当時としては「最新鋭の二十八サンチ砲」を据付け海峡を睨んでいました。

(※サンチについて。「サンチ」は「センチ」のフランス語発音。陸軍は「センチ」を「サンチ」と表記した。主に大砲の口径寸法に用いた。)

 

<深山地区 砲台内訳>

 

○深山第一砲台(海抜121m)  二十八サンチ榴弾砲×六門

○深山第二砲台(海抜100m)  二十八サンチ榴弾砲×六門

○深山第三砲台(海抜10m程)  十二 サンチ 加農砲×四門

 

<加太地区 砲台内訳>

 

○加太   砲台 二十七サンチ加農砲×四門

○田倉崎砲台 二十八サンチ榴弾砲×六門

 

二十八サンチ榴弾砲徹甲弾は217kgもあった。揚弾機で吊るしハンドルで位置調節しながら装填した。砲身の長さは2,863mm、最大射程は7,650mでした。由良要塞群の二十八サンチ榴弾砲のいくつかが日露戦争時に、遼東半島の203高地攻略※のため此処から運ばれていった。

この地を護っていた由良要塞砲兵連隊 第三大隊は、日露戦争において「旅順と奉天の戦い」に従軍。203高地奪取後の旅順港砲撃戦では、日頃の訓練の成果をいかんなく発揮して、ロシア太平洋艦隊を壊滅させる大戦果を挙げたということです。

(※海抜203mだったからフタマルサンと呼ばれたと云う。子供を亡くした乃木希典は「ニレイサン」と名ずけた。)

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深山 第二砲台 二十八サンチ榴弾砲

時代が昭和に移り、第二次大戦のころには航空機にて闘いを決するようになり、これらの要撃施設はもはや時代遅れとなってしまった。

そして太平洋戦争末期の本土空襲では、高高度で飛来するB29群に対しては、まったくなすすべのないまま敗戦を迎えたのです。これらの施設は終戦後、進駐軍の手によって爆破・撤去・解体され、その長い歴史の幕を下ろしたのでした。

 

しかし…この地にて「本土決戦準備」をしていたのではないか…?

 

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『もりもり盛り上がる 雲へあゆむ』By山頭火
そう、現在ある「休暇村紀州加太」の場所に「深山 第二砲台」があった。駐車場から延びるレンガ遊歩道を、道なり北に進むと「深山 第一砲台」へたどり着き、さらに西側に進み、海沿いに下れば「男良谷 第三砲台跡」と至る。

 

「この砲台の南にあったという謎の水雷基地を探検しに行くぞっ」フォー!!

 

我々は、坂の上の雲を目指し「どエラい坂(笑)」を、登って逝くのであ~る!

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休暇村紀州加太

さて次回予告⇒「深山砲台跡の秘密」探検話が、いよいよ始まります!

どどど~ん !!!  

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和歌山市駅から加太線に乗る

「出発進行」ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン・・

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TO BE CONTINUED…Part2第二話に続きます。↓↓↓

minminzemi81.hatenablog.com

イントロだけで8000文字超えちゃった!

ドンならんでなぁ…砲台跡だけに。

(※ヘビ足/大阪城天守閣入り口付近に青銅砲がある。元は大阪湾のお台場にあったものらしいが。徳川時代にはこの大砲で時を知らせていたと云う。正午には必ず「ドォ~ン!!」と大砲の空砲が放たれて、大阪の人々は昼前に「ドン鳴らん?」と呟いた、それが大阪弁の「ドンならんなぁ」の語源になった)

 

参考資料/和歌山市立博物館、ウキペディア、ニュース和歌山

(8800文字、thank you for reading.)