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あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

終戦後、ジャングルにて二十九年間も戦い続けた男ONODA!【大好きな映画⑫】

🎥『ONODA一万夜を越えて』

二十九年間も孤軍奮闘、フィリピンのルバング島で、戦い続けた奇跡の男の物語。

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ほんと小野田さんはラストサムライ。もの凄かったからなぁ・・この映画等々踏まえ、小野田さんの人生のアウトラインを考察&補完してみる。いったい戦場で、何があったのだろうか?

 

小野田寛郎氏、数奇な運命

 

1922年。小野田さんは和歌山県海草郡亀川村にて、父 小野田種次郎、母 タマエ、名家小野田家の四男として産まれた。実家は、海南市小野田にある「宇賀部神社」の宮司家だった。

しかし父は政治家で、兄三人はいずれも陸軍将校の家柄だった。小野田さんは、そんな父の在り方に強く反発し、単身上海へと渡った。現地の貿易会社、田島洋行で働いていたという。

(※宇賀部神社は古代豪族「名草戸畔の頭」を祀っている。小野田さんは父や祖父から名草戸畔伝を聞いて育った、最後の伝承保持者でもあった)

 

召集令状をうけ、故郷にて入営す

 

1942年。徴兵検査を受け「和歌山第61歩兵連隊」に入営する。さらに「歩兵第212連隊」へ転属した。同連隊にて「幹部候補生」を志願し試験に合格する。やはり兄達の影響もあり、一兵卒ではプライドが許さなかったのだろう。

1944年に小野田さんは「久留米第一予備士官学校」へ入校する。この頃、日本側は「捷一号作戦」発動。戦局は悪化の一途を辿り、アメリカ軍がレイテ島へ上陸する。それを迎撃した連合艦隊は、レイテ沖海戦で壊滅状態に陥る。

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すでに戦地への補給路すら、ままならない状況だった。だが陸上戦の「フィリピンの闘い」は劣勢ながらも、8月15日以降も散発的に続いていくことになる。そんな戦況の中、彼は・・

(※守備側、山下奉文大将がマッカーサー元帥と、降伏文書に署名したのは1945年9月3日。これで「捷一号作戦」はようやく幕を閉じた)

 

不思議な面接試験があった

 

ある日のこと。小野田さんは上官に呼び出され、不思議な面接を受ける。面接目的は何なのか?この将校は一体誰なのか?事前説明などは一切なく、プレッシャーだけが存在する状況だった。

会議室に入ると部屋の真ん中に、背もたれのない丸椅子がぽつんとある。促され正面を向いて椅子に座る。長机越しには面識のない四、五人の将校が座っていたという。

無表情、こちらに視線だけを投げつけてくる。

「後ろを向けっ!」

命令に従い180度からだを回転させた。やがて合図があり、正面に向き直ると、将校の一人が尋ねた「この長机の上に、何が置いてあったか?」これは思いがけない質問だった。見ると机に置かれていた物が、きれいサッパリ片付けられていた。

「灰皿、万年筆、たばこ・・・」懸命に記憶をたどり、五つほど挙げた。「よし、帰ってよろしい」それで、奇妙な面接はそれで終わりだった。これが小野田さんの「運命の分かれ道」となった。

 

中野学校二俣分校とは・・何?

 

天竜川沿い、二俣城近くに中野学校分校があった。不思議な面接に合格した小野田さんは「(仮称)東部33部隊」へ転属する。特務曹長(見習士官)の階級章を付け、腰には軍刀を吊るしていた。この誰も知らぬ「中野学校二俣分校」で諜報活動、山岳ゲリラ戦を学んだ。

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静岡県浜松市

ある日の教練中。教官が川を渡り終えたところで突然足を止めた。矢継ぎ早に質問を浴びせてくる「この橋の長さは?」「川の水深は?」「どのくらいの爆薬があれば、橋を壊せるのか?」などと。

そして悪名高い陸軍戦陣訓の真逆である「どんな生き恥をさらしてでも生き延び、下命任務を完遂するのが中野魂であ~る!」と新たな精神棒を注入される。正に、コペルニクス的転回!

(※戦陣訓。昭和16年に、陸軍東条英機が配布した戦場心得。なかでも「生きて虜囚の辱めを受けず」という文言が陸軍兵卒から民間人まで、悲惨な玉砕攻撃や自決に追い込む結果となった)

 

謎の陸軍中野学校(東部第33部隊)

 

帝国陸軍諜報機関であり、「間諜や防諜(所謂スパイ)」などの情報戦の教育訓練を目標に始まった。その所在地は、帝都中野区中野四丁目(校名は地名由来)に存在していた。

参謀本部直轄の学校で、陸軍内でもその存在は秘匿された。戦争が激化した1944年。静岡県二俣町に「ゲリラ戦養成」を目的とした、陸軍中野学校二俣分校が設立された。

 

そして離島残置工作員となる

 

1944年。フィリピンで「ゲリラ戦指揮」の任務を与えられ、同地に派遣される。第14方面軍隷下、第八師団(八甲田雪中行軍遭難事件で有名な師団)参謀本部付となる。

師団長の横山静雄中将からは「玉砕は一切まかりならぬ。三年でも五年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が一人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張れ。いいか重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん!わかったな」と、またもクギをさされた。

これで逃げ場は一切閉ざされた。そして、ルバング島に潜伏し工作活動を開始する。

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日本陸軍階級(標準)~

元帥

○将校
大将◁中将◁少将
大佐◁中佐◁少佐
大尉◁中尉◁少尉

准尉(特務曹長)

下士官
曹長◁軍曹◁伍長

○兵卒
兵長上等兵一等兵二等兵

驚くのは約二年程で「二等兵⇒少尉」までスピード出世したこと。8階級特進なのである!それがいかに凄いことか。

旧陸軍で星一個上がるのに、軍歴数年はかかるという。しかも配属先は第八師団参謀部。さらに任地は最激戦地、これら考え合わせると、彼はとびきり「優秀なソルジャー」だったのです!

 

戦争の真実はいずこ

 

実は、小野田少尉は『戦争がとっくに終わっていたこと知っていた?!』らしい。中野学校出身の残置工作員として、日本軍の上層部だけが知る、機密情報までも共有していたという。

要するに日本敗戦は、既に折り込み済みだった。

また戦後にはラジオ、新聞などで逐一世界情勢の把握に努めていたそうです。ルバング島では、仲間達と島民を襲い食料などを強奪し、さらにたくさん射殺している。

これであっさり投降すれば、報復リンチにあうだろう。みずから白旗あげることだけは出来なかった。

しかし、最期まで作戦行動を共にしていた部下、小塚さんがフィリピン警察に射殺され、ジャングルに独りぼっちとなった。これで守るべきものもなくし、精神的にも耐えられなくなったのか・・?

1974年3月9日。当時の上官より任務解除命令を受け、小野田少尉はついにジャングルより投降し、永い闘いは幕を閉じた。

しかし、帰国にさいしては“惨めな敗残兵扱い”だけは是非とも避けたい。それで軍刀を捧げる最敬礼するなど「時代かかった大芝居」を打ったのかもしれない。その姿は世界に配信される。それにしても・・・

(※マラカニアン宮殿での投降式セレモニー。マルコス大統領は降伏印としての軍刀を、小野田さんより直に手渡される。すると大統領は「第二次世界大戦は終わった」と軍刀を返した。)

 

永遠の命題、なぜ人を殺してはいけないのか?

 

これについて賢者、ニーチェのお答えは・・

『なぜ人を殺してはいけないか。これまでその問いに対して出された答えはすべて嘘である。重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない。それにしても、なぜ、他の人々は誰もこうした明白な真理を、口にしようとしなかったのか。そしていまもしないのか。それは彼らが不道徳で恥知らずだからである』これが、ニーチェが導いた答えである。

近年で例えれば、不審者が列車内で刃物を振り回し、塩酸とオイルを撒いて火をつけ大量殺人やらかしても、ニーチェなら「まぁ、しようがねぇ奴」と、なるのだろう。

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戦後、引き続き小野田少尉が30年近くジャングルに籠り、約30人(フィリピン側の推定)殺害したとしても・・・

実際のところ、小野田さんがジャングルからようやく投降した時。マルコス大統領は、その罪一切不問とした。

ただ、それに対し現地の遺族達が騒ぎ始めたので、日本政府は大慌てし口封じ・・いや、違った「見舞金100万ドル(三億円)」支払ったそうです。勿論、金銭受取にも一悶着あったそうだが。

戦争はホント罪なもの、お金がやたらかかるのだ。そして、ひたすら虚無感ダケがのこる・・。

 

小野田さんその後の身の振り方

 

昭和四十九年。母国日本へようやく帰還を果たした。しかし、大変貌した日本社会にはなじめず、一年後にはサッとブラジル移住してしまう。現地ではジャンルを切り拓き「小野田牧場」をつくり、そこで経営者となった。

昭和五十九年。日本で野外活動などを通じて「子供達の生きる力を育てる」といった目的の「小野田自然塾」を始める。このように最後まで、何かとワイルドな話題を振りまくヒトでした。

Did you watch the movie "ONODA"?

▽映画『ONODA 一万夜を越えて』フランス人監督だから描けることもあるワケで。日本監督だとやはり色々と表現が難しいのかもしれないな?

youtu.be

『三年でも五年でも頑張れ。必ず迎えに行く』

 

(3700文字、Thank you for reading, Please enjoy movie!) お題「ゆっくり見たい映画」

年末年始なので「行軍将棋」という、レトロゲームで遊んでみた!【昭和の遊び】

クローゼットの右奥に、ホコリを被り少し傷んだ黄色い小箱をみつけた。それは「行軍将棋」だった。懐かしい心持ちになり、しばらく眺めて感慨に耽ける、晦日の夕暮れ・・ややもすれば、除夜の鐘が鳴る。

そうだよ、「大掃除&整理整頓」業務していたハズなのだが、発掘大発見!すぐ手が止まることになるンだよねぇ・・(年末行事あるある、笑)。

一般的に「軍人将棋」や「行軍将棋」と呼ばれるボードゲーム

いま、私が手にしているものは、行軍将棋。これ何十年か昔のこと、確か「東急ハンズ」でふと見かけ、懐かしさのあまり衝動買いした案件。たいして遊びもせず、しまっていたのかも。

そう、小さな子供の頃の記憶、実家には「軍人将棋」なるものがあった。それでよく遊んだ記憶があったから、購入したのだけれども・・昭和の遊びだ。当時、大流行したはずだったよなぁ。

昭和の駄菓子屋では、必ずお手軽ボードゲームとして、奥の棚などで鎮座していたよ。正月のお年玉で買えるお手軽ゲーム盤、定番商品だったよね。いまではテレビゲームおんりだかンな。

まぁ、古き良きレトロ、追憶だ。

外箱とゲームボード盤(8×8型)

昭和レトロゲーム、行軍将棋

軍人将棋やら行軍将棋とも呼ばれる。軍隊階級や各種兵種の駒を指し、競いあう。通常は3人(プレイヤー2人、判定1人)で始めます。

ジャンケンし、先攻から交互に駒をつき動かしていく。同マスで駒が重なれば、判定員が駒を見て勝ち負けをきめる。盤上から片方か、両方の駒が除かれます。普通の将棋との大きな違いは、駒が相手にはわからないよう「最初から裏返し状態でスタート」すること。これ大変なプレッシャーなのだ。

駒にはそれぞれ勝ち負けの特性がある。それで伏せられた情報が、朧気ながら推測は出来てくるが・・初動のしくじりが勝敗を大きく左右する。「う~む、○○かな?」この予測が外れた時の、ショックが結構大きかった。無駄に損害だしたことになる。やはりインテリジェンスは大事。

ゲームに使う駒、それぞれ役目が違う

~駒の種類の特異性~

少尉~大将まで将校階級駒。タンク、飛行機、騎兵、工兵、地雷などの兵種駒がある。これら種別の組合せにより、勝敗が決まっている。

基本的に将官クラスは上位軍人が強い。ところが(ムービング)駒中、最弱キャラのスパイは、何と最上位の大将を唯一撃破できるのだっ!

少尉<中尉<大尉<少佐<中佐<大佐<少将<中将<大将<スパイ(唯一勝てる駒は、大将のみ。他には全負け)

地雷(動けない)は、飛行機(上空スルー勝ち?)と工兵以外に全勝できる💥というチートさ。凸入口に置けば水際作戦の無類の強さだが、さすがに禁止されている。

やはり飛行機がスーパーウエポンで、ビュンと飛んで敵陣で無双できる。これに勝つのは将官駒のみ。その動きですぐ分かるだけに、ポコポコな叩き合いが辛い。

ゲームの最終目標は、敵司令部の占領(大将~少佐迄)で終わる。そこに何が居座っているのかを見破り、数少ない手駒で突撃を繰りだす、終盤の叩き合いは「ハードさ&ハラハラ感」があるね。

「我が帝国陸軍の伝統、吶喊!!」うぎゃ~。やがて訪れる呆気ない幕切れ、トホホな脱力感・・これが戦争の虚しさか。ナルホド。

そうだよ。奇しくもいま、ウクライナ侵略戦争仕掛けたロシア軍が、手詰まりとなり消耗戦を繰り返す様相に、みごとに重なるのでないかい。

▷参考①動画/タモリ倶楽部、怖いひと軍人将棋。😂そりゃ怖いィ💦

タモリ倶楽部 1994/04/15 第一回怖い人軍人将棋・鬼生戦 - YouTube

▷参考②/ネト上に、WEB版「軍人将棋」あり。ダウンローダーでオトしてくだされ。お手軽に一人でサクッと遊べますョ。

 

何かまとめ的な・・うにょうにょ

🙄何やら判定に理不尽さも感じるが、所詮ゲームだからネ!一見シンプルでいて、奥深さもある。相手の駒が一体、何なのか?心理ゲームの駆け引き要素も含まれ、その戦略が求められる。

「相手の手の内を読み切り、自分の駒の配置・対策を考える」

これがこのゲームの最大の面白さであり、奥深さに繋がるのだろうな。逆にこれらボードゲームの最大弱点は、ひとりでやってもてんで楽しくな~い!ということ。そらソーダ🙃、笑。

あぁ ことしもシミジミ 年の暮れ

・・と、YOU訳で。今年も「年末お片付け」は中途半端に見事挫折し、こげな文章を書いているのでありました!めでたし、めでたし。

 

(1800文字、thank you for reading.days of remembrance.) お題「捨てられないもの」

注目!正統派「京風雑煮の作り方、あれやこれ」やっぱりお正月には「雑煮」、絶対欠かせませんよ!【雑煮レシピ】

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旧年中は大変お世話になりました。新年もよろしくお引き立ての程、お願い申し上げます。

日本には、世界に誇るべき「和食文化」がある

なかでも「お節料理」と共に、欠かせない「雑煮」の食文化は、日本人のアイディンティテ・・(舌噛みそうだ)にかかわる大事なモノなのである。

大掃除、暫し一杯 年の暮れ

はいはいはい、ワタシを呼びましたかな?申し遅れました、ワタクシ別名「象2マイスター」とも呼ばれております「雑煮たける」で御座います。🍶´-あ、いやぁ・・酔ってませんよ~これくらいでは、まだ、まだ。

ハイ日本の各地方には、ユニークなお雑煮が、沢山あります。たかが、雑煮。いやさ、ソコは譲れぬ雑煮。その家に代々伝わる家系伝統食文化「その家の象徴」そのモノなのであります。

餅ひとつとっても、丸いのやら、赤いのとか、四角いのやら、カマボコみたいなやつ。そのなかでも凄いのは「四国は高松の餡子餅の雑煮✨」です。話には聞いていたが「何だこれ、見るからに…ゲ(いやいや、餡外ウマいのかも)」つらいのォ~と~るちゃん(あぁっ、この流れはイカんでぇ)と言う訳で、ブログにチャッチャと「雑煮ネタ」、まとめることにしたのであった。

山中塗 雑煮椀 5客 溜金雲 4631

実は「白味噌雑煮」には、長い歴史的背景がある

雑煮の歴史は平安時代辺りにまで遡るらしい。詳しいことはよく解らない(あんま調べていな~い)が、もとは貴族文化からではないだろうか。やんごとなき方々の元日、朝賀式あとの「節会料理の一部分(既に謎だな)」がそのうちに「中央から⇒地方へ」伝播しまくり、各土地々にて各種変化果たした食べ物と想えるぞなもし。

ですから平安京仕立てがそもそも、正統派なのでありま~す(あくまでもコレは仮説です、違うかもしんない)STAP細胞はありまふ!

「京雑煮♡愛」その永き歴史!ばばーん!

はい、受験生、ちゅ~も~く!「雑煮 794て 何が平安京」\_( ゚ロ゚)ここ重要。覚えたァ?平安京は7940年頃に出来ますた。「よい国作ろう鎌倉幕府」4192年に成立シマシタよね。飛ばす、都バスぅ!

ハイ、おめでとう合格!わ~いかんぱ~い🍻

「歴史は大切」でい、雑煮歴史のお勉強会っす。

 

お雑煮MAPに御注目、ですよ

え~この地図に拠れば「自分の住んでいる地域」にある雑煮形態が分る。それがモノの見事に判るのですよ。なかなかに興味深いMAP(コレは探偵ナイトスクープが作った「阿呆 馬鹿 分布図」みたく出色な出来)です。色々な食文化圏が垣間見えて、実に面白いのであ~りますよ。

この分類、ざっくり言えば東軍が角餅焼く、西軍が丸餅煮ると、ハッキリ、クッキリ、日本は二分割されています。

そして...激突するのは関ヶ原これはまさにィ~「天下分け目の餅大戦」ではないかっ!!パパン、パン ((🍞

狸内府如きにヘコヘコしてるヤツらは緑一色だ、コレは昔の衆院選「小池○合子に尻尾フリフリ振った挙句ヘタこいた奴ら」と一緒でござろう。それに対し「西日本勢のバラエティの豊かさ?」よ。まるでまとまり無く、てんでバラバラな有り様じぁごじぇ~ませんか。しかし、どうなんだろネ・・・

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農林水産省 お雑煮MAP

☝注目すべきは先ずはココ→四国は「高★松」いいですかぁ、皆さん。此処が孤軍奮闘「餡入り丸餅白味噌雑煮」地帯ナノです。なかなかの“謎深”ですね。ありゃりゃ、和歌山は新宮地域、なんだっ、ひとり西軍裏切って「角餅焼いて」いるでは無いかっ!ぐぬぬ~いつ寝返ったのか?!

あと、「出雲の小豆一族」がある。一部地域が白くなっているよね、何故か因幡の白兎状態だ。ここの正月の椀物見ての感想「善哉やんかいさぁ~コレ。えぇ…雑煮なん?ウソやぁ」地域なのであります。

しか~し。これは「孤高の存在」であり、素晴らしいことだ。尊い。ちなみに、出雲のぜんざいは「神在(じんざい)餅」に起因するらしく、出雲地方が“ぜんざい発祥の地”とされています。そうだったのか、知らなかった。

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あ、思い出した。ずいぶん以前のはなしで、昔話です。島根の山また山奥の例えば・・「海水浴に行くのにやで、バスで二時間以上もかかったンや(本人談)」と言うぐらいの、山間部出身の○丸さんと何故か「出雲の食文化」について熱く語り合ったことがある。まずは無難に攻めてみる。

出雲そば、アレ黒くて美味いねぇ~!!」ソールフード!

「割子やったろ、わりこ!」蕎麦が三分割されていた。

宍道湖シジミな、アサリみたいでデカかったなぁ!」

「うん、うん。そうやろデカいで」のってキタ~♪

「ボテボテ茶、あれな、既にお茶とチャウやろ?ゲロみ・・」

などと、次々と誘導技を繰り出したのだが。遂に福○氏は謎の『小豆雑煮』を語らなかった。てんで口を割らなかった。知らんぷりしたのだった。多分コレは、島根県でもごく限られた小地域しかない「ミニマム食文化」なのでせう。多分、キットそうだ。

 

ねっ、日本の食文化は、やっぱ凄かろが

いや、かえっていま“夫婦善哉”が喰いたいっ。塩昆布付いてるヤツ。

 

さらにお気ずきでしょうか「お雑煮MAPには、北海道と沖縄はな~い」完全な“ディスり状態”であると言える。どっかの半頭人が作った「おバカな日本地図」みたいになっている。この事は近世まで「平安京政府の民部省雑煮管理局」の管轄外にあったコトを、如実に示しているのではありますまいか。ドン!(机叩く)

そうそう、昔だけど一度だけ沖縄(さらに離島だな)で年越しをしたことがある。その時は初詣すらしなかったよお。確か沖縄には⛩️神社すらなかったのだから、そりゃそ~だよね。

嗚呼、愛しの楽園よ。ご無沙汰しちょります

もしかすると・・沖縄では「春節祭(旧正月、二月の中頃)」をメインとしているのかもしれないな。ならば、正月には道民は「シャケ汁(アイヌ料理?)」をすすり、琉球人は「ヒージャー汁(定番)」を喰っていたのかもシレヌわいな・・よー知らんけど。

 

オマンたせ痛っしました。ようやく京風雑煮のハナシ

 

まずは、そろえねばならない食材解説。

丸餅、西京味噌、人参、大根、八頭、焼き豆腐、あしらいは三つ葉&鰹節

間違っても「鶏肉」は入れない。「おいちぃ?」それは、ダ~メなのです。何故なら雑煮は「神饌料理」だからです!

有職 料理平安時代の貴族の社交儀礼の中で発達した大饗料理が、公家風の料理形式として残った物である。ただし、現在「有職料理」と言われている物は、本膳料理などの影響も受け、平安時代当時そのままの様式ではない。また、本膳料理有職料理に含める定義もある」

大饗 料理長屋王邸出土木簡などから、奈良時代には既に貴族社会で接待料理が成立していたことが伺えるが、その具体的な形式は不詳である。それが発達した物が「延喜式」神祇項目に出てくる「神饌」と思われ、春日大社の神饌や、談山神社の「百味御食(ひゃくみのおんじき)」などにその形式を残していると考えられている」(出典元Wikipedia)

子供なのでわかりまちぇん。ようするに雑煮は「神様を御接待」なのか。歳神様にお供する「接待料理」てな位置づけでいいよね。

 

いよいよ食材を揃えるの巻

 

[お餅]

京風での餅は丸餅に限る。“武家文化の地域は切餅”らしいが。また、焼くか?生なのか?でも好みが分かれる。「京雑煮は丸餅の生」で、頂きたいもの。ぬるっと溶けて伸びてびよょ~ん、まるで巨大なグミ化するのであるよ。そうだよね、京都人の餅をついた性格みたいに・・ 丸くて色白な美男美女を想起させる、その姿。素晴らしい!はいっ👏ブラボ~!

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毎年何故か「年寄りが餅を喉に詰まらせ」ニュースとなる。それほどの、命を賭してまで、食べたいっ食材なのですねぇ、よく判かります、解りますとも。子供の頃よく唄ったものだね。

♪お正月には モチ食ってぇ~喉に詰まって あら大変、早く来いこい 霊柩車~♪

餅の美味さは「米と水とつき方」にあるらしいのですが。買うのは近くの和菓子屋さんの「つきたて手ごね丸餅」が一番でしょう。家庭円満には、まるっと丸餅ですね。切り餅は角が立ち、やはり雑煮には相応しくな~い。因みに平安時代のマロはふらふら~と、宜しきおなごの御家に行き、丸餅三つ喰っただけで“結婚が成立”したらしいのですよ「あなゃ、丸餅の魔力、スゴっ💦」何とも“恐ろしい話”だね。餅には気を付けねばなるまいて、皆の衆よ。

 

[大根]

大根は聖護院大根が京風。京のべったら漬の原料として有名である。でも高いし関東では入手困難か。それで青首大根かな、まあこのあたりが現実的な線だな。個人的には和歌山産“布引青首大根”を推し!これ絶品ですぞぉ。しかし、例年大晦日になると必ず品薄、高騰する。切り方は銀杏切りで。そう胃腸のためには、銀杏切りで!OPメダリスト伊調馨は、先祖が銀杏の大木の近くに住んでいたから、その苗字になったそうだ。これホンマやでぇ! 

 

[金時人参]

京ニンジンとも呼ばれるが、主な産地は「香川県大阪府」などである。カーマインレッドが情熱的で何ともステキ!魅惑的な白い筋浮き上がり「関西オバチャン層」には、大層な御人気。デコピンリコピンが豊富に含まれる。甘いだけの西洋キャロットめ「ざけんなよっ」である。「我らこそ年末の紅組代表種」であると、自己主張する。皮付きママ薄く輪切りにして花弁に抜く。椀に咲く梅の花の風情だ。よ~し、今年の初詣は“天満宮”に行こうぞよ。

「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」By 菅原道真

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金時人参、別名を京人参
金時人参14cmX45cmX100枚

金時人参14cmX45cmX100枚

 

 

[八っ頭]

里芋の親玉ですね。産地は丹波篠山ものが絶品です。丹波篠山は松茸、筍など山の物が有名であるが、芋系の名産地でもある。その見た目の厳つさで「うっ・・コレは」となるが、なかなかコレが。美味いよ!高いよ!入手困難です。関西お節では大人気の芋なんですよ。で、まぁ一般人的には、スーパーで手頃な里芋子芋を買うこととなる。あと、エビ芋も使えますね。面取りして、塩揉みしてスタンバイはOK!これにて鍋待ちの風情となる。むふふぅ

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八頭イラスト(朝日新聞からお借りしました)
Oishiina Shop 八つ頭〈ヤツガシラ〉 1ケース 4Kgから10Kg前後 8個前後

Oishiina Shop 八つ頭〈ヤツガシラ〉 1ケース 4Kgから10Kg前後 8個前後

 

 

[焼き豆腐]

豆腐は木綿でも絹でも無く、雑煮には「焼き豆腐」である。オススメは京都嵯峨野にある、知る人ぞ知る森嘉(もりか)さんの焼き豆腐(1丁200円ほど)です。しか~し弱点は日持ちがしないこと。(賞味期限が当日限り)地元でなければ、ミッションインポッシブル!ならば東西新聞社の山岡に頼むしかないかな「よ~し旨い焼き豆腐、食わしてやる、今日中に」とか叫んで新幹線に飛び乗る訳だが。グルマンは高くつくよねぇ・・これはヤバい。

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森嘉の焼き豆腐、ドヤッ顔

 

[西京味噌]

本場京都のお味噌やさん「本田味噌」ですね。ヤッパリ一番大切なのは、味噌なんですよ。違いが分かる男の西京味噌推し。食通な先様へのお使い物にいかがですか。あ~誰か御歳暮でくれんかのう、自分で買うの何かやだっ!コチラは山岡に頼まずとも、関西系デパ地下行けば入手可能なハズ。お値段はそれなりなにぃ~シマシタ。「おかぁ~さ~ん、お味噌なら💮丸金」てか。それでも良し。しかし、白味噌ぞ。

~ワンポイント裏ワザの解珍~

イマイチ味が決まらな~い、あるある。そんな時は隠し味に「酒粕」が、オススメです。「白味噌酒粕を加え溶かし入れる」良きコクが出ます!ただ酒粕は好みが分かれますので、要注意デスパイヤー技。

~ンでまぁ、何やかんやウンチク話みたくダラダラ書き込みましたが、要するにですね、早い話が・・・

『食材をザッコンざっこんと切り、出汁はった鍋にぶち込み味噌を落とし込めば一丁あがりいィ~♪』

文字通り「雑な煮もの」なんだから。簡単カンタン♪これにて、おしまい。雑煮たけるはもう、寝る。一升瓶もカラになったし。

めでたきお正月はすぐそこ

▷おまけ①/江戸時代の再現雑煮動画。お江戸なので、すまし系ですね。

江戸時代から続くお雑煮 原典(レシピ)を参考に作ってみた。 - YouTube

▷おまけ②/参考動画です。一味変わったお雑煮って、あんさんオイオイ💧

今年は一味変わったお雑煮を作ってみよう!「 白みそ雑煮」の作り方 | お雑煮レシピ - YouTube

 

(5300文字、。⋆☃️*ᴴᴬᴾᴾᵞ ᴺᴱᵂ ᵞᴱᴬᴿ*☃⋆。.)

ありりィ~?気づいたらもはや大晦日だった【年末雑談】

12月30日の夕焼け空、しみじみと

気づいたら、大晦日だったの巻

反省点。今年もあまりブログが書けなかった!他のSNS活動が忙しくてさぁ、書きネタはあるのにずいぶんキャリーオーバーとなったね。まぁ、いつものことでしょ。

さて、ことし最後の締めくくりは何しよう?紅白かぁ~いや、ガチャガチャした番組※は観たくもないし。ならば、酒やら喰い物かな?毎年最後に喰うモノはやはり「年越し蕎麦」だね、全国共通の国民食らしい。

しか~し。よくよく考えてみると何故、慌しい年の瀬に蕎麦なんか食べてんのか?元より蕎麦って、ボンビーな喰いもんだしさ、何やら変な俗習だよなコレ。蕎麦屋のインボー説を、疑うね・・・もしや?

(※でも結局のところ「孤独のグルメ晦日スペシャル」を観るワタシなのであった、、笑)

信州信濃の蕎麦よりもわたしゃアンタの傍が良い

チョチョっと由来を調べてみMUST、一説によれば九州地方の何処かにて、大晦日に年も越せないボンビー人達に、お寺さんが蕎麦掻きを振舞ったことからという。これ、救世軍の炊き出しみたいな感じかな。

あ、この「蕎麦掻き」なるもの、そば粉をお湯で捏ねくっただけ。くっそ不味くて、喰えたものぢゃないよ。これぞ“十割蕎麦”てか。笑 蕎麦屋で通ぶって「蕎麦掻き」とか頼んだら、ガッカリするよ!酒だ、酒だぁ~おやぢぃ🍶´-

 

~蕎麦掻きの作りかた~

材料「そば粉50g&水50cc」用意。
①水を鍋に入れて蕎麦粉を溶かす。
②鍋を中火にかけま~す。
③ヘラで良く混ぜま~す。
はい、出来上がり👍

 

これが江戸前蕎麦の真実だ!

江戸時代、大規模な造成工事が始まり、地方から大工やら土工やら有象無象が集まった。この職人集団が、“お手軽なファーストフード”を求めた。それで信州あたりからやって来た、お手軽「路地蕎麦」がやたらとウケて、江戸町に定着したらしい。そんな事情があった。

江戸時代の夜鷹そば、粋だねい

当時より“蕎麦は二八”と決まっている。値段は十六文(現代価格で264円)、夜鷹のチョンの間と同じとか。あれ、意外と安いんだねぇ。

あぁーそうだな。確か落語に『時そば』という演目があったよね。

 

時そば

 

堀端で夜鷹そばの「二八そば屋」を呼び止める男がいた。「よっ!相変らず寒いねぇ~商売は商いと言う、飽きずにやらにゃ駄目だぜ!」そして手早さ、割りばし、綺麗な丼、鰹節ダシ汁、そばの細さ、コシの良さ、厚く切った竹輪など褒め倒しながら、そばをたぐって、さぁ勘定となった。

気を良くした蕎麦屋は「へぇ、十六文で!」と返す。「銭は細かいよっ、手ぇ出しな。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ・・・」と、びた銭を二八そば屋の手の平に一枚一枚乗せてゆく。

男は「いま何刻でぃ?」と聴く。「もう九つで」と蕎麦屋応える。「十、十一、十二・・・」と払い、その場をサッとたち去った。

その陰で、一部始終を見ていた別の男、「こりゃさしずめ褒め倒し、食い逃げするつもりか?」と思いきや、勘定までちゃんと払ったので拍子抜け。

しかし勘定の途中で、刻を聞いたコトにハタと気づき、指を折々やっと理解した。「・・あの野郎、一文かすめ取りやがったなっ」と薄笑いした。

それを自分もやってみたくて、居ても立ってもいられない。それで翌日、早速二八そば屋をつかまえた。

男はいう「今日は、寒いねぇ~」蕎麦屋「今夜はだいぶ暖かで」早くも出鼻をくじかれる。男は蕎麦食いもソコソコに勘定をいう。

蕎麦屋「へい、十六文で」男「小銭は間違えるといけねぇ、手ぇ出しねえ。それ、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ・・・いま、何刻でぇ?」蕎麦屋「四ツで」男「五つ、六つ、七つ、八つ・・・・」

おあとがよろしいようで。😂ハハッ

 

晦日、年越し蕎麦の相棒は『北秋田』だった!料理との相性良く、クイクイ逝けた。

くせのない淡麗辛口は、料理とよくあう

さてさて、あと数時間で2023年ですな。

皆様~良いお年を❣️

 

(1600文字、thank you for reading.)

お題「昨日食べたもの」

「クリパー終了した後、起ったら絶対ヤだっ!」な状況とは【文藝作品⑫】

🎅🏻サンタってさぁ、ただの不審者だと思ふ。

へんてこコスプレしてさ、妙な髭爺※が深夜に自分ちへ気付かれないよう、コッソリ侵入して来るんだぜ?しかも煙突から・・そんなヤツは変態に決まってるぅ!

 

🎉それはともかく。クリパーってヤツは、いつも以上に食べ過ぎ&飲みすぎるからね。クリスマスはクルシミマ~ス。しやろ?

もちろんトイレは必須。我慢は厳禁、サッサッとすましたいよね。なぜなら聖夜、何かデそうな感じするでしょ?とりま、この話よんでみて・・

(※実在の人物カモ?時代は3世紀頃、リキュア(現トルコ)の司教、聖ニコラウス。このニコラウスさんが、貧しい3人の娘が住む家の暖炉へ、こっそりと金貨を投げ込んだ。そして幸せな結婚をさせたという伝説が伝わる)

 

突然の尿意で俺が目を覚ましたのは、夜も更けた午前2時ごろだった。 「寝る前に飲みすぎたかな・・・」そんなことを考えながら、寝起きでしょぼしょぼする目を擦る。

すぐ隣の窓から、カーテン越しに外の月明かりが透けている。俺は何とかまた寝付こうとゴロンと寝返りをうった。だめだ、寝返りをうっただけで今にも漏れそうだ。俺は夜中にトイレに行くのが、とても嫌だった。

理由は単純かつ明快、怖いのだ。いくら明かりを点けても、今この時間が「真夜中」という事実だけで、昼間とは打って変わった恐怖が俺にのしかかるのだ。大袈裟だと言われるかもしれないが、マンションに一人暮らしの俺にとっては、真夜中のトイレというのはそういう存在だった。

しかし、今回は我慢して寝ることもできない。俺は布団からゆっくりと起き上がった。膀胱に力を入れていないと、今にも決壊しそうだ。すぐ目の前にある明かりのヒモを引くと、パッと部屋が蛍光灯の白い光に照らされた。

俺の住んでいるマンションは、玄関を上がって短い廊下、その先にテレビなどが置いてある8畳程の居間兼寝室、その他にトイレと浴室といった感じの作りになっていて、今から俺が向かうトイレは、この短い廊下の調度中間地点にある。

部屋の奥の布団から抜け出した俺は、部屋を横切って扉を開いた。扉の先には真っ暗な廊下、奥に暗いがぼんやりと玄関の扉も見える。俺はすぐに壁に点いている廊下の明かりのスイッチをいれた。居間の蛍光灯とは違う、電球の黄色い光が廊下を照らす。

「やっべ~漏れる・・」俺はひょこひょこと変な歩き方で足早にトイレへと向かった。ここまで俺は終始ドキドキしていた。やはり扉を開ける瞬間や、明かりを点けて暗闇が明るくなる瞬間は、俺にとっていちいち勇気を必要とする場面だった。

俺はトイレの扉を開けて中に入った。すぐに芳香剤の香りが鼻へ入ってくる。トイレはどこの家ともたぶんほとんど違いはないだろう。縦長の空間の奥に洋式の便器と、壁にタオルとトイレットペーパーが掛かっている、そんな感じだ。

トイレの明かりは自動なので、すぐに廊下と同じ黄色い光が灯った。俺はトイレの扉は閉めない。もしも閉めたら、用を足した後扉を開けるのがとてつもなく怖いからだ。外にもし何かが立ってたらなどと思うと、たまらなく怖かった。いつもどおり扉は閉めずに、俺はズボンを下ろし用を足し始めた。

しかし、深夜とはやはり昼間とは全く違い、なんともいえない緊張感がある気がする。普段は気にしない、視界の端にある扉の向こうの廊下が気になって仕方が無いのだ。「見ない、見ない・・・」そう思いながら、俺はひたすら用が済むまで便器のほうに意識を集中させ続けた。

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例えばの話だが、何か気配を感じたとき、思い切って振り返ったり、そこにバッ視線を送れば、結局何もいなかった、みたいな経験はしたことがないだろうか。要するに、何かがいる気がしても、それはあくまで何かがいる’’気’’がしているだけということだ。

この時の俺もそんなノリだった。気になるなら見てしまえと、視界の端の廊下へと意識を向けたのである。俺はそれを酷く後悔した。用はとっくに済ませたが、そこから動くことができなかった。視界の端っこギリギリに何かが立っているように見えるのである。

あともう少し顔をそちらへ向ければ、その存在の有無もはっきりするのだが、どうしても俺はそちらを向くことができなかった。だが、その視界の端の何かが俺に向かって手を振った瞬間、単なる思い込みではなかったということが分かった。

それは肘から先をブンブンと存在をアピールするかのように振り続ける。「あぁ・・・」あまりの恐怖に、俺の口から声にならない声が漏れた。ふいにそれが手を振るのをやめた。視界の端のそれはしばらく俺をじいっと見つめていたかと思うと、ふいに扉に手を伸ばし、力いっぱいその扉を閉めた。

バタンッ!!物凄い音と共に、ドアに遮られたそれが見えなくなった。俺はあまりの衝撃に目を見開いてその場に固まっていた。

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しばらくして、今自分がまだズボンを下げたままだということに気づき、呆然としたまま履きなおした。扉におそるおそる視線を送ると、やはり扉は閉じていた。「どうしよう・・・」扉を開けるなんて怖くてできるはずがなかった。きっとまだあいつは扉の外にいるのだ。そう思うと、恐怖で鳥肌が立った。

トイレのなかで途方に暮れていると、バツンッ!何かが切れたような音と共にトイレが闇に包まれた「なっ・・停電!?」あの音じゃトイレだけでなく、きっと廊下もその他の部屋も真っ暗なのだろう。トイレは居間と違って窓も無く、差し込んでくる月明かりもない。

本当の真っ暗闇だった。暗闇の中、ただ俺の荒い息遣いの音だけ聞こえる。 「只今、大規模な停電が発生いたしました。そのまましばらくお待ちください」そんなアナウンスが静寂を破った。俺は息を呑んだ。その無機質な声は、明らかに俺の部屋の中からのものだった。

もちろん停電を知らせるシステムなど俺の部屋には無い。吐き気にも似た寒気が足元からこみ上げる。 「只今、大規ボな停電ガ発生イタシましタ。そのまマしばらクお待チクダさい」

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「スグニソチラヘムカイマス」空気を震わすような低い声が聞こえた次の瞬間、ダァァン!!俺の居間の方から床を両足で踏み鳴らしたかのような大きな音が響き渡った。

ダダダダダダダダダダダダ・・・それと同時に足音が物凄い速さで居間の中を走り回る。「ひぃっ・・・」俺は思わず耳を塞いでその場にしゃがみこんだ。

ダダダダダダダダダダダダ・・・バァァァン!!物凄い音で居間の扉がぶち開けられる音と同時に足音が廊下を走って近付いてくる。

ダダダダダダダン!!その足音はトイレのすぐ目の前までくると、そこでまた足を踏み鳴らして、止まった。

ただならぬ気配が扉のすぐ向こうから伝わってくる。俺はとっさにトイレの鍵を閉めた。案の定、鍵をしめた瞬間にドアノブが凄い勢いでひねられた。

ガチャ!ガチャガチャガチャ!!鍵が壊れてしまうのではないかと思うほど強い力で、何度も何度も扉をこじ開けようとしている。

「や・・・やめてくれぇぇぇぇ!!」耐え切れなくなった俺は耳を塞いだまま大声で叫んだ。途端にピタリと音が止み、ドアノブの動きも止まった。

また真っ暗闇の中、静寂が戻り、聞こえるのは俺の息の音だけになった。「はぁ・・はぁ・・はぁ・・・」

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「こっち」「ぎゃああああああああああああああ!!」すぐ耳元で囁かれたその声に、俺は絶叫をあげてトイレから転がり出た。勢いよく飛び出しすぎたため、向かいの壁で思い切り頭をぶつけた。

「うぐっ・・・」首の骨にまで響くその衝撃に俺は頭を抱えた。おそるおそるトイレを振り向くと、扉は閉まっており、気配も感じなかった。廊下は真っ暗でほとんど見えなかった。「明かり・・・明かり」俺はそう呟きながら立ち上がると明かりのスイッチがあるべきところを手で探った。

「!!!」俺は凄い勢いで手を引っ込めると、壁に貼りついた。触れたのは、完全に誰かの手だった。スイッチを入れようと探った先に手があったのだ。「いやだ・・・もういやだぁ」俺は涙を流しながら玄関の方へと這うように向かった。すがるように玄関のドアノブに手をかけ、力いっぱいひねった。

ガチャ・・「あれ・・・あれ・・なんで」いくら捻っても扉が開かないのだ。鍵は開けた、チェーンもついていない。それだというのに、扉はまるで接着剤かなにかでピッタリと固定されているかのように、びくともしなかった。

俺はとうとうその場にへたりこんだ。その時「只今、大規模な停電が発生いたしております。そのまましばらくお待ちください」すぐ後ろであの声が響いた。「う、うああぁぁあ!!」俺は玄関の靴箱の上に置いてある小さなライトを手に取ると、すぐ後ろへと向けてスイッチを入れた。

廊下が円形状にぼんやりと淡い黄色に照らされる。そこにはなにもいなかった。 「どこだ!!馬鹿にしやがって!!おぉぉい!!」俺の感情は恐怖を通り越して何か怒りのようなものに変わっていた。

しかし体は正直なもので、涙と鼻水は止まらなかった。俺はぐしゃぐしゃの顔で廊下をライトで照らしながらズンズンと進む。しかし何もでてこない。壁に当たった円形の光の中で俺の影がハッキリと映っている。「・・・」俺はふいに違和感を覚えた。俺はライトを自分の体よりも前に構えている。そんな状態で果たして俺の影が壁に映ることがあるのだろうか・・・。

その瞬間、光の中の黒い影が凄い勢いで手を降り始めた。「ひっ!!」思わず手から離したライトが床に落ち、ガタンと大きな音を立てた。また廊下がふっと暗くなった。「ライトが・・・」俺はその場にしゃがむとライトを拾い、タンタンと叩いた。なかなかライトが点かない。ガンッ、力いっぱいライトを叩いたとき、やっと光が戻った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あ・・・」目の前に、首を傾け白目をむいた子供の顔があった。

~後日談~

A「ねぇBさん聞いた?ここのマンションで、昨夜人が亡くなったんですって」

B「えぇ、またなの!もうこれで何人目よ」

A「しかもまだ20代前半の若者ですって」

B「まぁ・・・」

A「なぜか靴箱の中に上半身だけつっこんで亡くなってたみたいで・・まるで何かから隠れようとしてたみたいね」

B「それ、前のと全く同じじゃない。このマンション、絶対何かおかしいわよ。最近良く電気も落ちるじゃない?変なアナウンスも流れるし、もう引っ越そうかしら・・気持ち悪いわ」

A「え、私の部屋は大丈夫よ?Bさん、大家さんに言ったほうがいいんじゃないの?」

B「知らないの?大家さん、最近小さな息子さんを亡くされて、それどころじゃないのよ」

この数日後、同じマンションでBさんの遺体が同じ姿で発見され、それ以来このマンションは封鎖されている。

以上。洒落怖より『停電が発生イタシマシタ』という怪談でした!

メリーメリークリスマス🍷´-

👋バ~イバ~イ!

▷朗読/「停電が発生イタシマシタ」名作は語り継がれてゆく。

【怪談】停電が発生イタシマシタ【朗読】 - YouTube

 

(4200文字、thank you for reading.to tonight's memories.)