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海賊「つむじ風 剛右衛門」お宝伝説✨について想うこと 和歌山市 友ヶ島【友ヶ島裏話-弐】

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紀淡海峡 淡路島、友ヶ島和歌山市

 

黄金伝説『豪右衛門の“隠し財宝の場所”は、紀淡海峡の「友ヶ島」である!!』それって、マジですか?!

 

海賊「つむじ風豪右衛門」とは?

 

埋蔵金やお宝伝説はロマンにあふれ、多くの人々を惹きつけるものですね。和歌山市友ヶ島には、江戸時代に瀬戸内海で大暴れした海賊「つむじ風剛右衛門」が隠したという「お宝伝説」がいまに伝わります。

 

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海にはロマンがある

この通称「つむじ風」は「海が荒れた日に限り海賊稼業」に出たところからついた通り名で、豪右衛門はあくまでも表向き「廻船問屋の顔役」であり、裏社会での顔「海賊の大親分」とを使い分けていました。

(※沖ノ島、神島、虎島地ノ島、四島併せ「友ヶ島」と呼ぶ)

 

海賊行為のやり方は、頭が良かった

 

紀伊水道は諸藩の商船が多く往き来する大動脈。その積荷を“荒れた海で略奪”する。そして奪ったお宝はしっかりと選別し、足がつきそうにない品物だけを売り捌く。そして売ることの出来ないお宝は「どこかへ隠匿し続けた」と云います。

 

むむむっ…どこかに、とな??

 

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友ヶ島遠景

ある日のこと。剛右衛門は嵐の日に略奪に向かったが、難破し多くの子分と一緒に溺死したといわれています。それで、お宝の「隠し場所を誰にも伝えず」この世を去った。

 

残されたお宝を金額に換算すれば、その総額「数百億から、数千億…?!」にものぼるというのですから、これには血が騒ぎますね。それでは、いったいどうなったのか?

 

では「友ヶ島を探索」すればいいの?

 

豪右衛門の「隠し島は友ヶ島」といまに伝わっています。そしてその友ヶ島は「幕末から明治、第二次世界大戦が終わるまで軍事拠点」となり、一般人の立ち入りは厳禁だった。

 

また大がかりな探索はいまもなされてはいない…と云うことは「!」このことは、お宝が「手付かずで眠っている可能性」を示唆しています。

 

しかし剛右衛門が暴れていた海域は、四国蒲生田岬付近※ の「伊島」から淡路島南部地域「沼島」そして、和歌山市友ヶ島」までの紀伊水道一帯に及びます。果たしてホントに友ヶ島だったのか。はて…?さて…?

(※昭和二十年に発見された「蒲生田岬の金塊」も、財宝伝説と何か関係あるのかも知れない)

 

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加太の夕暮れ時

とにかく豪右衛門の「お宝総額」も凄い!ですが「対象海域」も広域なのですね。そして、何よりも困ったことに「具体的な手掛かり」は全く残されていないのです…こりゃ~トホホだにゃ。

 

考察、ひとつの考え方として…

 

「もしも自分が海賊の棟梁だったなら、いったい何処にお宝を隠すだろうか?」友ヶ島にいくつもある洞窟なんか、絶対使わないだろう。そんなのお間抜けすぎだろう。では、まったく人目につかない場所とは…?

 

それは海!まずは、海底に隠すね!

 

素潜りでギリ届く水深に、お宝載せたまま船ごと沈める。必要になったら、サルベージすればよいだけだからね。

このことは、友ヶ島の北の海域に「沖ノ島 北方遺跡」なるものが海底に存在していることで、ひとつの可能性を示している。

 

話に拠れば、たしか古い中国船?の残骸が沈んでいるという。漁船の地引き網に、中国産の青磁器(碗や香炉など)が沢山上がったらしい。さらにその沖合にも謎の沈船が確認されていて…「ビンゴ?!」

 

▽冒険島 友ヶ島の歩き方をまとめました。旅のご参考にどうぞ!

minminzemi81.hatenablog.com

 

(1400文字、Thank you for reading.bon voyage.) #なんて素敵な和歌山なんでしょう

「鬼」は、本当に悪者だったのか…?征夷大将軍「坂上田村麻呂」 鬼ヶ城 奇譚【歴史伝承】

 

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坂上田村麻呂
征夷大将軍として活躍した「坂上田村麻呂」は蝦夷の反乱、あるいは各地方の海賊や鬼討伐に活躍する“軍事的英雄”として、歴史にしばしば登場します。

 

征夷大将軍 坂上 田村麻呂。姓は大忌寸から大宿禰へ。天平宝字二年758年生まれ。父は坂上 苅田麻呂、母はまったく不明。坂上氏は、渡来系氏族の東漢氏(やまとのあやうじ)の流れ。武術をもって朝廷に仕えた。798年、京都東山 清水寺を建立する。

 

802年。東北に胆沢城、続いて志波城を築き、蝦夷の族長 阿弖利為(アテルイ)、母礼(モレ)など500人余りを降伏させた。田村麻呂は反対したのだが、大和朝廷は彼等を河内国杜山で打ち首にしてしまう。大阪枚方市宇山にある公園には、二人の供養塚が遺っています。

 

昔話にも、たびたび登場する「鬼」 の正体とは?

 

奇譚話に登場する鬼や賊の名前は、地域や伝承によって変わります。岩手県では「悪路王」や「赤頭」福島県では「大高丸」や「大多鬼根」といった奇妙な悪名をつけられています。また秋田県には有名な「なまはげ」伝説もあり、まるで「東北地方が鬼の本場?」のような感じですね。

(※鬼の外形的モチーフとなっているが、ほんとうは子供を護る神様らしいです。地元では、鬼子母神のようなイメージ)

 

近畿地方にもいくつかそんな伝承話が残されていて、天皇の命を受けた坂上田村麻呂が、紀伊半島一帯を荒らし廻っていた「鬼ヶ城の海賊」を退治した話が、いまに伝わっています。

 

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鬼ヶ城三重県 熊野市

 

坂上田村麻呂鬼ヶ城」の鬼退治伝説 

 

平城天皇※1の頃。「鬼ヶ城」に鬼神が住みつき、村人をたいそう悩ませたそうな。その話を聴いた坂上田村麻呂将軍が「大君の神の国で暴れるとはけしからん!」と、二木島※2を経由して軍船で鬼の岩屋へと近付いていった。

 

一方、その動きを知った鬼の大将「金平鹿」また名を「多娥丸」は、手下の鬼達八百匹を集めて知恵を絞った。ようよう話が決まった。

 

金平鹿「田村丸にはどうやら観音の加護があり、我々の神通力が効かないかもしれない」と食料を運び込み磐屋に閉じこもって、窟の戸をピッタリと閉めた。

 

鬼たちは不要な戦闘を避けて、籠城策を選択したのだった。さすがの田村麻呂将軍も、これには攻めあぐんでしまった。

 

するとその時、沖合にある「魔見ヶ島」の空に、菩薩のような光る童子が現れた。そして弓矢を携えて将軍を手招きしているのが見えたのです。

 

その童子は「私が舞うから軍勢の皆も一緒に舞おう」と誘う。しばし船を舞台に、舞い遊んだ。その妙なる調べに鬼の金平鹿は、何事かとソワソワと気になり窟の戸を少し開け顔を出してしまう。

 

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鬼ヶ城三重県 熊野市

そこをすかさず田村麻呂将軍は、童子から授かった金弓矢で金平鹿の左眼を撃ちぬいた。続いて磐屋から八百もの手下の鬼達が飛び出したが、田村軍の千の弓矢にことごとく倒れてしもうた。

 

そうしたら千手観音の化身である童子は、たちまち光を放っていずこかへ飛び去ったという話じゃ。

(※1 第五十一代、平城天皇 桓武天皇の第一皇子。上皇となり政令を乱発するが、薬子の変により失脚した。在位期間 延暦二十五年より大同四年まで)

(※2 二木島は、三重県熊野市にある。過去には「二鬼島」と表記されたこともある。中上健次原作、映画「火まつり」の舞台にもなった)

 

坂上田村麻呂の「尾呂志」の鬼退治

 

さらに話は続く。

 

また「四鬼の窟」に住む鬼が村の子供をさらっていくので、人々は不安であったそうな。田村麻呂将軍は「鬼ヶ城」で鬼の首魁や手下を滅ぼしてから「尾呂志」の鬼たちも退治しようと、意気盛ん。再び甲冑に身を固めた。

 

そして通りかかった村人に鬼の住む窟と、四頭の鬼が住むことを聞き出した。田村麻呂側は弓に弦を張り、矢尻と刀を研ぎ戦の用意を整えます。

 

金掘の南の谷あいを辿ってゆくと、鬼どもは大きな磐の上であぐらをかいて、こちらを睨みつけ「俺達を退治しようとは片腹痛いわぁ!射れるものなら射てみよっ!」と大音量を張り上げた。

 

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鬼ヶ城三重県 熊野市

田村麻呂将軍の号令で大合戦が始まった。やがて鬼どもはしだいに弱りはじめた。これはかなわないと棍棒を引きずり、ほとほと逃げはじめた。

 

そして田村麻呂将軍にスパッと切られた鬼の大将の首は宙高く飛び、将軍めがけて噛みつこうとした。が一瞬身をかわされ、そばの木の根へかみついた。ほかの三鬼も皆みな殺されていった。

 

そして鬼を退治した将軍が彼らのこもっていた窟に行くと、奥の暗いところで“しくしく泣く声”がする。そこには藤蔓で縛られた子供がおり「それは一昨日さらわれた、娘の松でございます」と村人の中から男が進み出た。

 

このように田村麻呂将軍は各地で鬼を退治したので、村人たちは大層喜んだということなのじゃ。

 

これにて…めでたし、めでたし…なのか?

 

この鬼の正体とは、いったい何だったのか?

 

しかし何故、鬼は一方的に虐殺されねばならなかったのか?「鬼なんだからあたり前」と思ってはいけない。この伝説は、そのことを何も語らない。

鬼は「牛と虎」牛の角をはやして、トラのパンツ穿いてる、ウシトラ。鬼は丑寅の方角からやってくる。鬼門とは東北東「蝦夷が住むところ」である。

 

奈良県 大峰山には有名な「前鬼、後鬼」がいた!

 

修験道の開祖 役小角に従っていたとされる鬼は、もともと生駒山暗峠で人の子をさらって食べる鬼でした。役行者がこの夫婦の子供を隠して、二人をおびき出し「悔い改めるならば人間にしてやる」と言われ、役行者の従者となりました。

 

前鬼は「赤鬼(奈良県吉野郡 下北山村出身)」鉄斧を手に、笈を背負っていた。その妻の後鬼は「青鬼(奈良県吉野郡 天川村出身)」水瓶を手に、種子を入れた笈を背負っている。

 

そしてこの二人の鬼には、五人の子供がいました。

 

五鬼継、五鬼熊、五鬼上、五鬼助、五鬼童の五家それぞれが、その後も修験者のための宿坊を営んだ。しかし明治時代初めの修験道禁止令により、これら行者宿が大打撃をうけ衰退する。いまは、六十一代目 五鬼助義之氏(小仲坊 五鬼助家)が宿坊を受け継ぎ、いまも営業されています。

 

▽小仲坊は、大峯山釈迦ヶ岳の東面、山の中腹にある。

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○住所 奈良県吉野郡 下北山村前鬼三十

○連絡先/07468‐5‐2210

○一泊二食付8 ,000円、素泊まり4,000円

  

世界遺産登録「鬼ケ城」あんない

 

○訪れる価値アリの場所です!R311号、25kmほど続く七里御浜沿いの道。その海岸線の終わりあたりにポンと突き出た岬に「鬼ケ城」があります。人々を圧倒する迫力ある海岸に、自然奇勝が続きます。

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○住所 三重県熊野市木本町1835

○リンク/世界遺産 鬼ケ城(おにがじょう・三重県熊野市)

 

出典参考/三重県観光連盟、ウキペディア

(2800文字、Thank you for reading.bon voyage.)

雪だ、見渡す限りの雪景色。軍歌「雪の進軍」始めっ!【明治時代】

 

徳島大尉「雪の進軍、始めっ!」 …🚶ザ…🚶ザ…🚶ザ

 

壱番

ゆき進軍シングン こほりんで
何處どこかはやらみちさへれず
うまたふれるてゝもおけず
此處こゝ何處いづこみなテキくに
まゝ大膽ダイタン 一服イップクやれば
たのすくなや煙草たばこ二本ニホン

 

 

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弐番

かぬ乾魚ひものハンめし
なまじ生命いのちのあるうち
こられないさむさの焚火たきび
けぶはずだよ 生木なまきいぶ
しぶかほして功名コウミョウばなし
粋とふのは梅干うめぼひと

 

 

▽リンク/『雪の進軍 始め!』八甲田山死の彷徨より。明治三十五年一月。日本陸軍第八師団 歩兵第五連隊が青森市から八甲田山で遭難した、実際にあった遭難事件を映画化した。

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参番

のみのまゝ氣樂ラク臥所ふしど
背嚢ハイノウまくら外套ガイトウかぶりや
せなぬくみでゆきけかゝる
夜具ヤグ黍殻きびがらシッポリれて
むすびかねたる露營ロエイゆめ
つきつめたくかほのぞきこむ

 

 

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肆番

いのちさゝげててきたゆゑ
ぬる覺悟カクゴ突喊トッカンすれど
武運ブウンつたなにせねば
義理ギリからめた恤兵ジュッペイ眞緜まわた
そろりそろりとくびめかゝる
どうせかしてかへさぬもり

 

 

<用語解説>

『突喊(とっかん)=突撃号令に、兵士は大声を上げ応える』

『恤兵真綿(じゅっぺいまわた)=綿入れの防寒具、慰問品』

 

▷歌の作者は、永井 建子(ながい けんし)慶応元年九月八日~昭和十五年、広島市佐伯区五日市町生まれ。陸軍一等軍楽長。日清戦争時、永井建子は大山巌大将率いる第二軍司令部附軍楽隊の軍楽次長だった。山東半島の駐屯地での苛酷経験を唄にしました。

 

日清戦争がようやく終結。日本帝国陸軍が、新たなる北の「露帝国」を仮想敵とした時代。唄の歌詞をよく聴けば、巧みな厭戦歌となっていることが判ります。描いている情景は最前線の極寒の地で、疲弊した兵士達のやるせない心情が漂っています。

 

▷曲は明治二十八年の二月頃に作曲されたらしい。その曲調は、軽快な「ヨナ抜き音階(五音音階)」で、日本人に馴染みやすく配慮されています。第二軍 司令官であった陸軍大将 大山巌はこの歌をいたく気に入り、死ぬ間際まで繰り返し何度も、愛聴していたと伝えられています。

ガルパンもいいぞ⇒https://youtu.be/cMcJPa7tkI0

 

(歌詞/明治四十四年『軍歌傑作集』より転載、1100文字、thank you for reading.)

聖徳太子没後1400年。法隆寺ほど謎を秘めた寺院はないからね『隠された十字架』をご紹介【文藝作品⑩】

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皆さんにお勧めしたい本「隠された十字架」梅原猛

 

かなり古い本(初版 昭和五十六年)なのですが。ワタシは若い頃、広告代理店にいた。昼休みに先輩とふと古代歴史の話になり、そんな流れから「この本を読む事を薦められた」のです…これ、どういう意味なんだろ?

 

そんな単純な経緯で、新潮文庫版を買ってはみたものの、その「驚愕する内容と学者文体」になんだか恐れをなし、狼狽え、中途でパタンと本を閉じて書架封印してしまった。そんな過去がありました。

 

「あぁ、若かったねェ、あの頃は…」

 

その後、随分たってからふと思い出して、ゆっくりと読みすすめていった。

 

「恐れる必要など、何も無かったのだ」

 

これは怨霊信仰の「法隆寺論」でしかない。そして「よく出来た小説」なのでした。作者は高名な哲学者ですが、日本史からのアプローチにより日本人の精神の在り方を探ろうとした、初期の頃の野心作なのです。

 

▷参考動画/『斑鳩の空』映像作家の保山耕一さんが、法起寺を素晴らしい切り取り方をしています。そして、まさにこれは斑鳩の空。

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(※法起寺由来『聖徳太子伝私記』推古三十年622年2月22日、聖徳太子は臨終前に山背大兄王を呼び寄せ、岡本宮を改め寺院とすることを遺命する。現存する日本最古の三重塔は、慶雲三年(706年)に完成しました。茜に染まる塔頭は、とても絵になります)

 

春宵一刻値千金「知的冒険の書」なのですよ! 

 

内容はネタバレになるのであまり詳しく書けませんが、著者梅原さんが伝えたかった核心とは、いったい何か?

 

古代日本人は、罪無く殺害された前権力者達が怨霊化し、病気や天災飢饉を起こす。それを『祟り神』の仕業と考えていた。時の権力者(特に身に覚えのある藤原一族)たちはそのことをひどく恐れ、何とかその祟りから逃れようとする。

 

飛鳥時代の「最新の哲学であり科学」でもあった「仏教」の力を使って太子の怨霊封じを執り行ったに違いない。そしてこの法隆寺は『聖徳太子一族の怨霊』を封じるための装置なのである!といったところが、本書のキモとなります。

 

さらに当時、執り行った「恐怖呪術」とはいったいなんであったか…。

 

その一連の考察過程において、作者は「私はこの原稿を書きながら、恐ろしい気がする。人間というものが、恐ろしいのである。(文庫版 本文464P)」と述べています。何と人間が、おとろしいとは…うん、確かに。

 

作者は法隆寺聖徳太子にまつわる「歴史謎解きのテイ」をとりながら、その反射作用で我々日本人の奥底に睡る「闇の精神」を炙りだそうとしたのではないか?そう想われますね。読み手にグイグイ迫ってくるものがあります。


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さすが切り口が哲学者です。考古学者でない論考は、新鮮でとても面白かった。この文庫本を何度も読み返し手垢もつき、かなり薄汚れてしまいました。いまでも、ずっと書架のセンポジ位置に存在しています。

 

そして、過去の一時期、何度も明日香や斑鳩法隆寺へ旅していたことがあり、その時に何時も鞄の中にあった相棒なんです。

 

それで本がボロボロとなってしまった経緯があります。本には、旅の色々な想い出まで染み付いていますからね。

 

~著書紹介~

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

 

 

<アマゾン読者レビューより> 

『とんでもない本とされていますが、読んでみるととても良い本でした。この本に書かれていることは真実なのではないかと感じました。法隆寺の謎から推理していき、順を追って考えを進めていく本書の進め方は、読み手を納得させます。(中略) 日本書紀は梅原氏が主張しているように、藤原不比等のでっち上げであり、天照大神天皇の権威付けのために作られたお話であり、菅原道真に代表されるような日本の神社の全てではないにしろ、その根源には怨霊に対する恐怖とそれを鎮め、封じ込める呪詛的要素をもった、お墓であると結論付けされます。

この本をとんでも本と馬鹿にする前に、よく読んでご自身で結論付けされるとよいと思いました。日本人は二千年間、現在に至るまで騙されていると思いました』

 

<梅原猛 略歴> (1925年3月20日~2019年1月12日没)

青年期には「西田幾多郎田辺元ら京都学派の哲学」に強く惹かれ、1945年京都帝国大学 文学部哲学科に入学。進学直後徴兵され、敗戦後九月に復学を果す。

最初の論文「闇のパトス」は哲学論文の体裁をとらず不評。二十歳代後半、強い虚無感に襲われ破滅的な日々を送る。ハイデッガーの虚無思想を乗り越えるべく「笑い」の研究を目指す。自己の暗さを分析して「闇のパトス」を書き、その一方で人生を肯定するために「笑い」の哲学を目指す。寄席に通い渋谷天外藤山寛美大村崑などを研究対象として論文を書いた。

三十代後半から日本の古典美学への関心を強め「壬生忠岑『和歌体十種』について」という論文を書く。その後は神道・仏教を研究の中心に置き、多くの著作物を記した。『隠された十字架』での論証、考察は多くの学者を驚かせた。

1972年に「第26回毎日出版文化賞」を受賞。西洋哲学の研究から出発したが、“西田幾多郎を越えるという目標”を掲げ「人間中心主義への批判」を唱える。西洋哲学者信奉者が多い日本の哲学界で、異色の存在である。

 

聖徳太子没後1400年~ 

 

例えば「隠された十字架」をたずさえ、奈良法隆寺を訪れてみてはどうでしょうか?そう、春秋の夢殿ご開帳の日が良い!

そして観光客が引けた夕刻。ベンチにでも座って茜に染った五重塔を眺めれば…きっと「アナタの心に響くもの」がきっとあると思いますよ!

 

『見上ぐれば 鐘が鳴るなり 法隆寺

 

▷おまけ/美しい法隆寺の観光案内です。日本人の琴線にふれる色んな意味で、素晴らしいお寺なのです。それにしても拝観料、高すぎるダロ!

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聖徳宗総本山 法隆寺 / 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内。

○電話0745-75-2555

○拝観料/一般1,500円、小学生750円

○交通/JR法隆寺駅から徒歩15分。奈良交通バス「法隆寺前」8分。

○2021年の3~4月に予定されていた「聖徳太子1400年御遠忌」は、新型コロナウイルス感染状況から延期されました。

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(2700文字、Thank you for reading.Journey to ancient times!)

古くて新しい謎に充ちた物語、芥川龍之介の小説『妙な話』について考えてみる【文藝作品⑨】

芥川龍之介は沢山の短篇小説を遺しています。文章の洒脱さはもとより、サクッと読めてなお読み手の心に響く話なんですね。そのひとつ『妙な話』の秘密を少し探ってみました。

芥川龍之介『妙な話』のツボは、“謎の赤帽”の正体にある

 

まずは『妙な話』あらすじ 

 

主人公の「私」は、旧友である村上から“妙な話”を打ち明けられた。彼の妹で海軍将校の妻である千枝子が、夫の欧州出征中に神経衰弱(ノイローゼ)になっていたと云う。

中央停車場※1でのこと、赤帽※2に突然声を掛けられた千枝子。その“謎の赤帽”が、戦地へ赴いている彼女の夫のことを、いきなり尋ねるのです「旦那様はお変りもございませんか」と。

 

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中央停車場の様子 大正三年頃

赤帽が夫の消息を訊ねているのに、千枝子は「最近手紙が来ないの」と答えた。するとその赤帽は「旦那のようすを見てきましょう」というのです。

さらにその後、再び彼女の前に現れた“謎の赤帽”は、夫が戦地で手を負傷したこと、そして間もなく帰国することまで告げるのだった。

後日談として帰国した夫自身もまた、欧州マルセイユで「日本人の赤帽に出逢った」というのですが。果たしてこれは、何を意味するのか?

(※1 現東京駅。各鉄道別だったターミナル駅の中間位置を選び「中央停車場」を構想、大正3年12月20日に駅開業を果した)

(※2 鉄道駅構内などで、旅客の荷物等を構内から車等に運ぶ職業。ポーター)

 

作品発表された頃の時代性を考える

 

大正時代には「第一次世界大戦」が勃発。「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた「バルカン半島サラエボ」で、1914年6月28日にオーストリアハンガリー帝国の皇太子と妻がセルビア青年に暗殺された。

そこから同盟国側ドイツ・オーストリア・イタリアと、連合国側イギリス・フランス・ロシアと、欧州を二分して繰り広げられた大戦争だった。

日本はイギリスと「日英同盟」を結んでいた関係で、連合国側の一員として参戦(大正三年)、地中海にも「第二特務艦隊」を派遣した。

作中に「A_」とあるのは、日本の地中海派遣の駆逐艦の何れかである。

芥川は海軍機関学校の教官(英語担当)として教鞭を執った経験もあるが、「反戦的な作品傾向」にある。当時の陸軍の横暴な様子を「小児のようだ」と自著で酷評したと云う。

(※この当時は軍が著作物検閲をするのが常態だった。検閲によって訂正・加筆・削除された作品が多数存在する。作中の「A_」は、旗艦 明石のことか?)

 

ミステリーや怪奇譚とも少し違う、アダルトなお話ですね

 

芥川作品には妖(あやかし)、物の怪(もののけ)などの「怪奇譚」が沢山あります。不条理な出来事はすべて“奴等のせい”にすれば、話は簡単なのですが…これは明らかに、違いますね。

時代を踏まえた「現実世界を見事に投写した物語」だと思いました。

▽ではでは、まずは『妙な話』を読んでみて下さい。

 

軽く感想文ですよ、以下ネタバレ含みます

 

この『妙な話』は少しずつ少しずつ話にバイアスをかけていき、「同化から異化」させるベーシックな物語手法を採っています。

不倫を犯す※1彼女の罪悪感がそういう幻想を見せたのか。しかし帰国した夫自身もまた、パリで日本人の“赤帽”に出逢ったというのですが、いったいこれは何故なのか。

(※1 この時代は、まだ姦通罪があったのです。1947年に廃止された)

夫も云う「おれはどうしてもその赤帽の顔が、はっきり思い出せないんだ。ただ窓越しに顔を見た瞬間、あいつだなと」…はてさて“あいつ”とは一体、誰なんだ?

芥川は、書き進めながら「ほら貴方にも、こんな経験するやも知れませんよ」と、嗤っている。

 

ワタシはこう思ったのだが、解釈はひとそれぞれに

 

ワタシの解釈としては「赤帽」は、それぞれ潜在意識下の「私」なのです。嘘偽りのない「赤心」のココロ、それが見えなくなっているのです。

さらに穿った見方をすれば「憲兵※2」の赤い帽子(特色ライン)を暗喩するのかもしれない。「あの怪しい赤帽(憲兵)が、絶えずこちらの身のまわりを監視していそうな心もちがする」これならば千枝子が軽いノイローゼになってしまう意味も理解出来る。

淡々と語られる、どこかぼんやりとした「夫想いの妻君の夢想エピソード」と思わせておいて、展開ラスト四行でアイロニーな結末を用意した芥川は、やはり見事なストーリーテラーですね。

(大正九年十二月 作品発表)

(※2 憲兵陸軍大臣の指揮下にある軍事警察。しかし海軍には独自の憲兵はなく、海軍大臣は海軍の警察案件には憲兵隊を直接指揮できるとしたが、海軍将兵憲兵嫌いは有名だった)

 

▽活字が苦手な方には、朗読版でどうぞ。

YouTube

妙な話

妙な話

 

 

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若き日の龍之介
芥川 龍之介

(あくたがわ りゅうのすけ、明治二十五年~昭和二年七月二十四日没)

本名も同じ、大正を代表する大作家。精神疾患から睡眠薬自殺した。その動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」の言葉はあまりにも有名。辞世の句が「水洟や 鼻の先だけ 暮れ残る」でした。 代表作品『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』『河童』など。文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した「芥川賞」を設けた。これが新人小説家の登竜門となる。

○参考/生前の芥川龍之介の姿

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 (2200文字、thank you for reading.) #芥川龍之介