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あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ のし

驚愕!未知との遭遇『日航ジャンボ機 UFO 遭遇事件』1986年11月17日 アラスカ上空において【UFO目撃案件】

満点の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、
煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂のなんと饒舌なことでせうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も、瞼に浮かんでまいります。
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だが「ジェットストリ~ム」は関係なくて、 UFOの話なのです。しかもなんだか“キナ臭い展開”となる…?

1986年11月17日「JAL ジャンボ機 UFO 遭遇事件」

日航1628便 ボーイング 747は「フランス産のボジョレーヌーボーの大量輸送」のためパリを飛び立った。一路東京へと「アラスカ、フェアバンクス上空」を高度10,600mで、時速900~910kmあたりで巡航していた。

(注/この年の前年、1985年の夏には日航123便御巣鷹山の大惨事があった)

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接近遭遇、フェアバンクスと空軍基地との中間点

▷使用機材は「JAL1628 特別便 日本航空ボーイング 747-246F カーゴ機」

▷飛行経路は「🇫🇷フランス(パリ)発→🇮🇸アイスランド(ケプラヴィーク)→🇺🇸アメリカ(アンカレッジ)→🇯🇵日本(成田)着」

日航1628便、コックピットクルー三名 (遭遇当時)  機長 寺内謙寿(47歳)副操縦士 為藤隆憲(39歳)航空機関士 佃善雄(33歳)

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B747 JAL CARGO

○当該案件、FAA(連邦航空局)が作成した秘匿文書(1,569ページ)は、しばらく行方不明のままだった。2018年になって「米国立公文書記録管理局」で、その関係文書のコピーが発見された。

そのうちのファイル、日航便機長がアンカレッジにて記述した『Written Statement by Capt. Terauchi [In Japanese]』を採録します。

寺内氏は絵心と軽妙な文書を書く方で、レポートの書き出しはこんな一文で始まる。

(※以下、寺内機長が搭乗後に日航社用便箋に記した、証言と図表である)

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奇妙な出来事の始まり、アラスカフェアバンクス上空 

○現地時間の午後17時05分。その日は雲もあまりなく、気流も安定していた。アンカレッジの管制塔とコンタクトし、タルキートナへ進路(南方)を取った直後、日航機はとてつもない「奇妙な光」と遭遇することになるのだ。

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○コックピットクルーの三人は日航機の左30度前方、下方600mほどの場所を先行する二つの光の帯を見つめていた。この謎の灯火は、航空標識みたいに想えるが、もちろん違う。空中に浮かんでいるのだから。

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最初、光の帯のような長方形だった

○当初は、特別任務の軍用機か何かだと思って、機長もあまり気にとめていなかった。ところが、いつになっても飛行位置を変えないことが、気掛かりになってきた。

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日航機とアンカレッジ管制との交信記録

○やがてその動きが、「二匹の小熊がじゃれあいする」ように動き出したという。さかんにアピールしだしたのだ。

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トゥーリバースを通過したあたり

○やがて機長も「UFOかもしれない」と思い始め、所持していたカメラで写真を撮ろうとした。しかしカメラはレンズの伸縮を繰り返し、AFシャッターが切れないなどの異常を示し、結局撮影をあきらめたという。

○それからしばらくして航空機の前方に、突如として「二機のUFO」が正面に現れた。しかも一点に静止して動かなかった。その様子を機長は、次のように記述している。

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○認識して七分たった頃『突然、全く突然に我々の顔面に、二隻の宇宙船が静止してさかんに光をはなっている。コックピットの中も明るくなるし、顔も少々ほてる感じがする。高速移動したためその慣性を殺すための噴射なのか、眼前の一点に静止したまま見事に動かない。3~7秒ぐらい経過し、我々と同速で定速運動に入ると焔のような噴射はやみ、小さな円形の光になった。なんと排気孔が大量に見えるではないか』機長は冷静にUFOの観察を続けている。

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ジャンボ機の正面位置に見えた

○やがて機長は、目の前でまばゆく光る物体に大量の排気孔があるのに気付いた。しかしエンジン部分は、見えなかったという。機体バランスを保つためか排気孔からの噴射は、強くなったり弱くなったりしていたらしい。

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○航空機の胴体みたいな円筒形で、回転しながら排気?して推力を得るシステム、そして大量に並ぶ噴射孔だけで、姿勢制御出来るらしい。この時代、いやいまの時代でも、存在したとは考えられない航空システムだった。

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○そしてアンカレッジ航空管制に、副操縦士が問い合わせた。しかし管制からの応答は「周辺空域にはJAL1628便以外に機影はない」というものであった。

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日航機とアンカレッジ管制との交信記録

○「自分が見えているものが地上レーダーに捕捉出来ない?」クルーの疑心暗鬼が、この後も続くことになる。

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○ジャンボ機WXレーダー(機上気象レーダー Onboard/Airborn WX Radar)で“謎の航空機体の捕捉”を試みる。レンジミニマム、チルト水平位置。すると画面上に現れたものとは“驚愕すべきモノ”だった。(曲線ライン、5マイル刻み)

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7~8マイルに緑の円形で表示された

○自機WXレーダーに捉えた「緑色の物体」の意味は、雲や霧であり、金属製ではないことを示している。航空機は、エコー画面に通常赤色で表示される。

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○二機編隊で優位な位置取りをするUFO、一定のスペースをとり追従する。それだけだと要撃機のスクランブルみたいだが、やがてその正体を顕すこととなる。

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日航機は、フェアバンクス市街地上空にさしかかった。 

(※良くある勘違い/ UFOは「unidentified flying object、未確認飛行物体」の略称。なので「変な宇宙人が円盤に乗って地球にやってくる」ことを指す訳ではありません)

 

突然、姿を現した母船型UFO、そのサイズに驚愕す!

○機長手記によれば、直径がジャンボ機の3~4倍にもなる「巨大な球形型UFO」で、航空母艦のサイズだったという。危機感を覚えた機長は、360°右旋回して逃れようとしたが、ずっと日航機と併航してくる。

(※米航空母艦エンタープライズ(CVN-65)で、長341m、鋼材量は約60,000t、ジャンボ機は長70mほど)

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機長の説明ではUFOは、とてつもないサイズ

○その後、アンカレッジに向かう日航便が、ユナイテッド航空機とすれちがった。するとUFOは突然反転し、今度はUAL機の追尾を始めた。同機がフェアバンクスに着陸すると、どこかにUFOは消失したという。またこのUFO騒ぎを聞きつけた「空軍のC-130H輸送機」が、現場に近接したが当該物体は確認出来なかった。

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○アンカレッジ着陸後には、アメリカ連邦航空局(FAA)により、機長の事情聴取が行われチェックされた。寺内機長については「酩酊、薬物などの可能性がない」ことが証明された。しかし、この話はまだ終わらない。

日航機UFO遭遇/再現シュミレーター動画。当該UFO機がまるで「ステルス爆撃機のB2」みたいになってますね。これ、ワザとかな?!

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(※B2スピリットの初飛行は、1989年7月17日となる。運用配備が1997年。全長21.03m、全幅52.43m、全高5.18m、最高速度は約1,000km/h、生産コストが高額だったので量産されなかった)

 

後日談は、すったもんだの末、残念な結果に

○ところが、日航便の副操縦士は「光は見たが飛行物体の形は、確認できなかった」と証言。航空機関士に至っては「何も見ていない」と、ハッキリ証言している。寺内機長は「機内が照らされて熱も感じた」と述べている。しかし副操縦士も機関士も「そんなことはなかった」とキッパリ否定。ん、そうだよなぁ…

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日本をはじめ世界各国の新聞やテレビ、週刊誌で採りあげられ大きく報道された。ところが突然「これはUFOではなく、惑星を機長が見間違えたもの」とする論調が、マスコミを介してリリースされた。

なおこの機長は、この事件の前後にも「UFO目撃談」を語っており、この事件の後でも再びアラスカ上空で「UFO」を目撃している。どんだけぇ~!

寺内機長はその後、地上勤務に異動となった…あぁ。

 

それから時が流れ、忘れた頃にある発表があった 

○2001年のこと、FAA職員であり当時、事故調査部長だったジョン・キャラハンが「JAL1628便UFO案件」を裏付ける証言をした。

実際には、日航機がアラスカ上空で遭遇したUFOは、地上レーダー上でも捕捉され、機長の要請に呼応する形でFAAがレーダー追跡して、管制が記録をとっていたという。

当時、キャラハンは資料と記録をFAAの技術センターに移送させ、模擬管制室を用意し録音やデータを元に、管制経過をリアルタイムに再現した。

そしてFAA所長である、元海軍中将ドナルド・D・エンゲンに、再現された「レーダースクリーン状況」のビデオを見せたらしい。すると所長は大慌て、その夜の予定を全てキャンセルし「大統領に面会する」と言い残し出て行った。

○再現ドキュメント「JAL Flight 1628」ジョン・キャラハンも証言しています。

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○当時の大統領「ロナルド・レーガン」に、キャラハン他、FAA関係者22名、FBIから3名、CIAからも3名、が召集され会議が開かれた。

会議後、参加者全員に対して「CIAから緘口令が宣告」された。「本事件は存在せず、この会議も開催されなかった」と。さらに、FAAが会議に提出した資料や、レーダー記録等はCIAらにより全て持ち去られた。

しかし、FAA側は「報告書や録音テープ、再現状況録画ビデオ」などの、原本を保有していた。これらには提出を命じられなかったので、キャラハンらは保管し続け、後に資料を公表したことから明るみにでたのでした。

するとレーガン大統領は、「UFO遭遇事件の一連の報道」に対して、アメリカ国内のマスコミに圧力をかけた。ひぇ~、マジモンの「MIB案件※1」だったか。道理で寺内機長が急にトーンダウンしたワケだ。でも、逆に信憑性が増したよね。

それで、謎の光の正体は「HAARP兵器」による「何らかの秘密実験※2」とする説が、かなり濃厚なのです。なぜなら目撃場所が、アラスカ…。

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空の旅は、ご安全に

(※1 メン・イン・ブラック、Men in Black、MIB、とは「UFOや宇宙人などの目撃者・研究者」の前に突然現れ、警告や脅迫を与えたり、さまざまな圧力や妨害を行う“謎の組織”である。最近では「BOSS」のCMに、MIBのジョーンズ氏が出演していた)

(※2 HAARPは「高周波活性オーロラ調査プログラム」の頭文字であり、アメリカ合衆国 アラスカ州 ガコナにある。HAARPは、陰謀論を信じる者にとって“疑惑の総合商社”となっていた。この研究には米海空軍も参画していた。つまり表の顔と裏の顔がある。アラスカ州にあるHAARP研究施設(建設は80年代から)には、2億9000万ドル(約313億円)もの投資がなされたという。閉鎖されたという話もある)

 

日航123便墜落事故関連ブログです。

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おまけコーナー/ <与太話>ですよぉ~♪

▷『新説発表!』

この事件のポイントは、日航カーゴ機の積荷が「フランス産のワイン」だったことにある。エイリアンは「’86産 フランスの新酒」を、いちはやく「飲んでみたかったぁ~!」のです。そうなのです、11月の第三木曜日には「ヴォンジョ~レ♪」だ<笑

(※ちなみに’86年度産のボルドーは“当り年”らしいですよ。五つ星☆Merveilleux✩.*˚)

▷『事件補足』

民間機や航空自衛隊などでは、パイロットが飛行中「未確認飛行物体」を目撃すると「正式に記録や報告をしない」ことが慣習となっているらしい。その理由は…「良くて地上勤務、ヘタすると基地外扱い」なのである。ひどいわぁ、基地外に出禁なの?! (白目)

▷『ジェットストリーム

当時、大好きな番組でした⇒ジェットストリーム(夜間飛行)城達也 - YouTube

♪ミスターロンリー

『遠い地平線が消えて 深々とした夜の闇に心を休める時
遥か雲海の上を 音もなく流れ去る気流は
限りない宇宙の営みを 告げています

満点の星をいただく果てしない光の海を
豊かに流れゆく風に心を開けば
煌く星座の物語も聞こえてくる 夜の静寂の
なんと饒舌なことでしょうか

光と影の境に消えていった はるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります

日本航空があなたにお送りする
音楽の定期便「ジェットストリーム

皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは
わたくし城達也です』

…では、皆さまさようなら。

 

参考/ The Black Vault、ウキペディア (5100文字)

新たな情報はいったい、いつどこで?!『日航123便 墜落事件』Tips集【航空機 事件6】

ネト上に散らばる情報や、また書籍など眺めていると「あるひとつのこと」を指し示していることに、気付くこととなる。しかし結論を急ぐ前に、まだ「検証すべきことあるのではないか?!」そんな気にもなる。

日航123便墜落事件について言及している「YouTube&Tips」

 

○数年前より、ワタシはYouTubeの「アシタノワダイ」ヘビーリスナーだった。<笑 アンタッチャブルな「時事ネタを取り上げる良き番組」ですね。たまに「ハズしているよなぁネタ」あるが、ご愛嬌てやつか? オススメできますよ。

▷Tips1日航123便 墜落事件「アシタノワダイ」リターンズ(2019/07/07)

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○動画内容に、少しだけ解説を加え補完して行きます。

救援に携わった「元米軍中尉の証言」はこちら。

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○続きまして、外国のとても「怪しい航空機事故」の話です。

 

どちらも軍の関与、撃墜疑惑が濃厚ですね。

 

<トランス・ワールド航空800便墜落事故について>

○1996年7月17日午後8時19分。ボーイング747、TWA800便は、アメリカのジョン・F・ケネディ国際空港を、大幅に“定刻遅れ”にて離陸した。

その12分後にイースト・ハンプトン沖合で15,000ft(4,600 m)上昇中に突然、爆発・墜落した。事故の一報は、近くを飛行中していた「イースト・ウインド航空507便」より、すぐに管制に連絡が入った。

○爆発時に突然「機体底部に巨大な穴」が空き、そこから亀裂がジャンボ機を一周して、二階を含む機体前方が切り落とされ乗客を乗せたまま落下、機体後部は操縦席を失いながら10数秒そのまま急上昇し続け、エンジンが停止してから降下を始めた。さらに墜落中に、左翼が破断して海に急落した。

この壮絶な墜落事故により、乗員18名乗客212名、計230名全員が死亡した。

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イーストハンプトン沖で、大西洋に墜落した。

○機体が爆発する前に「ミサイルのようなものが、機体に向かうのを見た」とする多数の目撃証言まであった。テロ攻撃の疑い、それをうけFBIやCIAまで捜査を開始する。

また墜落時には、ロングアイランドの沖合では米海軍が演習を行っていた。それは「電磁波ビーム(詳細不明)」で“ミサイルを撃墜する”という極秘実験だったらしい。

NTSBの事故調査によって、事故原因が発表された。それは「電気配線がショートして発生した火花が、“燃料タンクに残留した気化ガス”に引火して爆発した」との結論だった。もちろん、この妙な結末に対し異論が続出した。

○閲覧注意/「TWA Flight 800」想像を絶するような、酷い航空機事故です。

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○その後、2013年のこと。「TWA 800」墜落事件に関して、当時、事故調査にあたった元NTSB職員など6名の元事故調査官が記者会見を開催し、事故報告書にまとめられた墜落原因は嘘である」と証言した。まさかのNTSB、捏造までやるとは…。

(※ハープ搭載型艦船より電離層にビーム照射して、飛行体の通信システムを破壊、あるいは電子回路を焼き切る実験だったらしい。それが何故か、旅客機にストライクした?)

 

<エールフランス1611便火災墜落事故について>

○1968年9月11日。1611便は、コルシカ島からニース行きの国内線として運行されていた。しかし現地時間の午前10時半頃に、着陸しようとしていたニースの沖合い40kmの地中海で、消息を絶った。乗員乗客に生存者はいなかった。

事故の直前三分前に、パイロットから「トラブルが発生した」と送信があり、また「機内で火災が発生した」と告げていた。1611便最期の通信は「このままだと墜落する」であった。事故機の残骸は、深さ2300mの深海で発見され、二年をかけて回収された。

 

○事故から43年後の2011年。元フランス軍秘書官ミシェル・ラティが、フランスのTV番組に出演し「あの事故はフランス軍が誤って、エールフランス機を撃墜したのが真相だ」と驚きの証言をした。

彼は続けて「当時、フランス軍はルヴァン島のミサイルテストセンターで、“地対空ミサイルの発射実験”を行っていた。“古い軍用機をテスト用標的”として発射されるようにプログラムしていたが、レーダー探知範囲に入ったエールフランス機に誤って発射された」と語った。

墜落原因は、「軍のミサイル誤射だった」というのだ。もちろんフランス軍は認めない。

 

<森永卓郎氏がオニ推している「青山透子さんの本」について> 

○生存者の一人である日航客室乗務員落合由美さんの同僚でもあった、青山透子氏はこの「事故」に今なお疑問を抱き、数々の目撃者の証言をもとに考察する。

○全国学図書館協議会選定図書/単行本/208ページ/ISBN:978-4-309-02594-0/Cコード:0036/発売日:2017.07.24

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日航123便墜落の新事実
<本書が追求する問題点>

●公式記録にはない「ファントム二機の追尾」が、目撃されている。
日航機に付着した「赤い形状のもの」が目撃されたが、それは何か。
●地元群馬県上野村の小中学校の文集に寄せられた「子どもたちの目撃証言」。
●米軍機が墜落地点を連絡したにもかかわらず、なぜ「現場の特定が遅れ」たのか。
●ジェット燃料の火災ではありえない「遺体の完全炭化」から考えられる“ある種の武器”使用の疑い。
●事故原因はなぜ「意図的に漏洩」されたのか。
●「圧力隔壁修理ミス原因説」への疑問。

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ファントムF-4EJ

○実はこの本、まだ読んでいません。上記、問題点については既に知っていましたので、まぁコレはいいかなと。しかし青山氏はこの目撃証言それぞれについて、綿密に裏をとって廻ったと言いますから、その姿勢には頭が下がります。 

 

▷リンク/青山透子氏のブログ「天空の星たちへ」

⇒「日航123便墜落の波紋ー天空の星たちへ」公式ブログ

 

▷Tips2日航123便 墜落事件「この真相はどうなった? 」(2019/08/13)

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○つい先日、日航機墜落事故の記事をブログにアップすると、この記事がすぐ「あなたにおすすめ」にあがってきました。

最近のAIさんの仕事の早さに、ビックリですね。過去データ・フィルムも交えながら、現在の国会追究の動きへと繋がる内容となっています。

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自衛隊員が御巣鷹の尾根で収集中

○内容的には“間違ってはいない”とは思えるが、森永卓郎氏の喋り方が…(実に、胡散臭い💧)…その点が、残念ですっ!

 

▷リンク/森永卓郎氏のブログ「森永卓郎戦争と平和講座」

⇒第76回:日航123便はなぜ墜落したのか(森永卓郎) | マガジン9

 

<1952年「もく星号墜落事故」について>

○1952年4月9日、伊豆大島に墜落した航空機事故で、乗客・乗員37名全員が死亡した。運営していたのは「日本航空」だが、当時GHQの占領中で自主的運行が認められていなかった。なので、航空機の整備と運用は「ノースウエスト・オリエント」、機長(36歳)副操縦士(31歳)は、米国人。また航空管制官も、オール米国人だった。

○参考/もく星号事故のドラマ『風の息』(1982年)

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マーチン2-0-2型機(N93043)の愛称が「もく星号」と呼ばれていた。この事故は、123便事故と「多くの類似点」があると云われています。大島から伊豆半島にかけては「魔の空域」である、と言えます。

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ありし日のもく星号と乗務員(出典ウキペディア)

○航空管制ミス説。(航空通信を、モニターしていた「東京モニター」による通信記録による)まず、もく星号は「館山上空を2000ft計器飛行、館山南方10分間飛行高度2000ftを保持し、その後6000ftに上昇する」飛行ルートを採っていた。

事故調査会の報告書の記述では「操縦者が航法上に“何らかの錯誤”を起こし」指示された「高度2000フィートで飛行」した。さらに「なんらかの理由」で、幅16kmの航空路の中心線を北側に逸脱、時速200マイルで水平飛行中の機体が、三原山(標高2474ft、754m)に接触し墜落した。なんらか…なんらか??

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大島 三原山 墜落現場

結局、交信テープのオリジナルを、航空管制センターが事故調査会に提供しなかったため、事故の“真相は藪の中”である。この「なんらかの理由」とは、いったい何なのか?!

○墜落原因には「米軍機の関与」が疑われ、それを松本清張が『一九五二年日航機「撃墜」事件』といった小説に書いた。実に興味深い考察を重ねています。

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一九五二年日航機「撃墜」事件 (角川文庫)

○米人パイロットと米軍管制官の間に、どんな交信がなされていたのか? 全員救助の一報(誤報)が一転、絶望となる。その情報錯綜する夜間に、米軍は何を画策したのか? 犠牲者のひとり“ダイヤ密売の美女”とは、いったい何者なのか…?! 清張最後の作品。

○文庫:272ページ/出版社:角川書店 (1994/12/02)/ISBN-10:4041227550/ISBN-13:978-4041227558/発売日:1994/12/02

 

▷Tips3日航機墜落事件、目撃証言 (2019/08/12)

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高濱洋子さんは123便事故で亡くなった高濱機長の娘さんです。日航のパーサーとなり、一時期話題になりました。目撃者の貴重な証言「低空飛行する123便」とは?そして垂直尾翼を失くした、123便の写真(一部を拡大)これは、かなりショッキングです。

▷FDR記録より。奥多摩より北へ、すぐに山並が迫る。49分46秒、二度目のストールにより、最低高度5000ft(1524m)を記録することになる。この頃か?

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奥多摩町の山崎氏が撮った写真ですが、123便の下部に突き刺さっている「オレンジの異物」はいったい…何なのだ??

写真発表時から「これが標的機“ファイアービー”なのではないか?」と云われてきました。123便が“横田に着陸出来なかった”理由、自衛隊が墜落現場で“何かを回収作業していた”ことにもつながります。

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本仁田山上空で123便を捉えた

○それで気になって「事故調査報告書」を再びくってみますと、写真は修正なく(下図、白黒コピー)そのまんま採録されています。異物は相当“大きなモノ”であるのは確かですね。ジャンボ機の翼長が約60m、すると5~6m以上はあると思えます。

<オレンジ・エア>

▷標的機「ファイアービー」全長7m、全幅3.9m、上昇限度7000m、自重686kg、速度960キロ、航続約60分。▷誘導ミサイル「チャカII改良型」全長3.87m、全幅1.76m、高さ0.71m、速度900キロ、上昇限度9.000m、自重182キロ、航続約80分

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241P 写真-124

 

▷Tips4日航機墜落事件、残骸(APUの一部)発見のANNニュース(2015/08/12)

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○このパーツは、2015年に東伊豆沖合水深160mで、発見されたものです。なのに、運輸安全委員会は、いまだサルベージすらしないのです。いったい何故なのか?

「余程都合が悪いモノ」なのかと、勘繰りたくなりますね。一刻も早く引き上げ、検証して頂きたいものです。

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日航123便 747 APU部品が沈んでいる場所

○今頃になって、JAL123便の破片が伊豆で発見された珍事件&顛末『見つけたもんはさっさと忘れろ、もうこれ以上誰にも言うな』脅迫された?!⇒日航機墜落事故「陰謀説」は終わらない ― 伊豆で破片が発見→隠蔽?目撃者語った真実 - エキサイトニュース(2015/07/02)

 

▷Tips5エリア116「チャーリー空域」が変更された件(2019/07/18)

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国土交通省HPより

○2019年5月17日。来年のオリンピック開催を控え、航空機の急増が予想されています。それを受け、急ぎ変更したらしいが、成田空港への進入経路の高度が上がり、R116海域面積も増えている! 何だ、コレ?!

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防衛省HPより

 

▷Tips6いまの気分は、よし、コレだ『上を向いて歩こう♪』

忌野清志郎甲本ヒロト、最強コンビだな。元気が出るよ、ホント素晴らしい。

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(参考ウキペディア、5000文字、thank you for reading.) <今週のお題> 老いも若きも楽しく研究

日航123便 ジャンボ機事故。東京航空交通管制部の管制官の証言 息詰まる会話記録【航空機 事故5】

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(注☆いまから九年前の朝日デジタルの記事です。一部追加、リライト加えています)

 

西日本のとある空港で、管制官の男性が語り始めた

 

「夏になると当時に引き戻されるんですよ(日本航空のジャンボ機の)墜落直前にヘッドホンを通じて耳に届いた、パイロットの『ああ~っ』という悲鳴のような声が忘れられない」西日本のある空港で、男性(54)は言葉を選び語り出した。

(※低音で安心感ある美声をしている方です。なので、とても聴きとりやすい)

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羽田空港を飛び立つ123便

25年(34年)前の夏。

東京航空交通管制部(埼玉県所沢市、東京コントロール)の管制官として、上空の航空機と交信していた。8月12日も普段と変わらない一日だった。

当時29歳。管制官になって8年目だった。

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123便飛行ルート

先輩管制官らと「関東南セクター」という空域を担当する勤務に夕方からつき、管制卓に着席した。羽田への到着便が増える時間帯。

「そろそろ忙しくなるぞ」と、思った矢先だった。

 

▷午後6時24分47秒、地図赤丸

 

「ブーーッ!」

管制室内にブザー音が鳴り響く。レーダー画面の「日航123便」の機影に、緊急事態(エマージェンシー)を示す「E.M.G」の文字が点滅し始めた。

乗客と乗員計524人。午後6時12分に東京羽田空港を離陸し、大阪伊丹空港に向かっている「ボーイング747型機」だった。部屋の隅から上司が近づいてきた。

 

▷午後6時25分21秒

 

日航123便、トラブル発生。羽田への帰還を求める。2万2千フィート(高度約6,700メートル)に降下したい」機長の声が、英語でヘッドホンから流れてきた。

「了解」そう答えながら「おかしいな」と感じた。

エンジン出力が低下した客室内の気圧が下がったなどと、普段ならトラブルの中身を伝えてくるはずだが、機長は何も言わない。心が騒いだ。

東京航空交通管制部に「羽田へ戻りたい」と告げた日本航空123便は、旋回することなくふらふらと伊豆半島上空を西に向かっていた。

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伊豆大島
▷午後6時27分2秒

 

123便、確認しますが緊急事態を宣言しますね」

「その通り」

「どういった緊急事態ですか」

やはり応答はない。

「とんでもないことが起きているのでは…!?」

 

▷午後6時28分31秒、地図①

 

「レーダー誘導のため90度(東)へ飛んでください」

「しかし、現在アンコントロール(操縦不能)」

衝撃的な言葉だった。

普段はオフのスピーカーがオンになり、123便とのやり取りが管制室中に響いた。

 

▷午後6時31分2秒、地図②

 

「降下できますか」

「今、降下しています」

「名古屋に降りますか」

「いや、羽田に戻りたい」

「何とかしたい」

そう思うと、とっさの呼びかけが口をついた。

「これから日本語で話していただいて結構ですから」

パイロットと管制官とのやり取りは、近くを飛ぶ航空機でも聞き取れるよう通常は英語を使う。

でも今はパイロットの負担を少しでも減らし、事細かにやりとりしたかった。

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123便は北に向かう。

すでに隣の空域に移っており、無線の周波数を切り替え別の管制官に移管するところだが、そういう指示はしなかった。

「切り替えたはずみで無線がつながらなくなるかもしれない。そうしたら日航機は命綱がなくなってしまう」

じりじりとしながら画面をにらんだ。

他機が近づかないよう、航路から退ける指示を続けた。

富士山をかすめた123便は、羽田のある北東に向かい始めた。

「戻れるかもしれない」

かすかに期待も芽生えたが、周囲は山。

機体の高度は5分間で一気に3500メートルも下がっていた。

 

▷午後6時47分17秒、地図③

 

「現在コントロールできますか」

「アンコントローラブルです」

もはや管制官はまったく役に立っていなかった。

ヘッドホンから「ああっ」という声も聞こえてきたが、機内で何が起きているのかはわからなかった。

「おれは、どうしたらいいんだ…」

絶望が襲う。その頃、機長らが必死に山を避けて操縦を試みていたことは、後で知った。

 

▷午後6時53分28秒、地図④

 

「えーアンコントロール。ジャパンエア123、アンコントロール

「了解しました」

これが最後の交信になった。

 

絶望感が、東京コントロール管制室を支配した 

 

三分後、糸の切れたタコのように画面上を点滅しながら漂っていた機影が止まった。

その場で十数秒間点滅した機影は突然、消えた。

体に電気のようなしびれが走った。

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JAL123 消失点 北緯35度59分、東経138度41分

薄暗い管制室は、静まりかえった。

中越しに指示を送っていた上司も、先輩も黙っていた。

30秒ほどして上司に促されて呼びかけてみた。

「ジャパンエア123、ジャパンエア123」

応答はなかった。

 

ヘッドホンを外し席を立った。別室で報告書を書いた。

妻には「いつ帰れるか分からない」と、電話で告げた。

頭の中で何度も交信した「最後の30分」を繰り返していた。

 

守秘義務から、誰にも言えない秘密を抱える 

 

朝方に帰宅して、墜落した機体をテレビで見た。

ショックを気遣った上司に、数日休みを与えられた。

事故原因を調べる国の航空事故調査委員会や警察から、事情を聴かれることはなかった。

 

管制官の仕事を続け最近までいた部署では、事故防止の対策づくりに取り組んできた。

いまは管理職として空港事務所で管制関連業務に携わっている。

だが123便と交信していたことは、家族や一部の同僚しか知らない。

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事故から数年後に御巣鷹の尾根に立った。

その後も遺族や報道陣が多い8月を避けて仲間や家族とたびたび登ってきた。

だが尾根へと向かう険しい道のりや事故で傷ついた山肌を見るたび、あの時のつらい思いが呼び起こされた。

無理だったと分かっていても「自分が何とかできなかったか」という思いはぬぐえず、表に出て話す気持ちになれずにいた。

 

事故を風化させないため、いまなら出来ることもあるのでは

 

最近になって「事故を風化させないため、今ならできることもあるのでは」との考えが頭をよぎるようにもなった。世界各地で飛行機事故が起きるたび、原因は分かっているのか、管制官はどう対応したのかと気になる。管制の現場には御巣鷹の後に生まれた管制官も出てきた。

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航空会社の経営はどこも厳しく「安全よりもコスト削減」ばかりが取りざたされるのが気がかりだ。25年前の「あの夏」のことを伝える時期なのかもしれない、と思いはじめている。

 

日航ジャンボ機墜落事故/東京コントロール交信記録、緊迫感ある音声。

youtu.be

<日航123便墜落事故>

1985年8月12日午後6時12分に、羽田空港を離陸した大阪伊丹行きの日本航空ボーイング747型ジャンボ機が、12分後に相模湾上空で操縦不能になり、同56分に群馬県上野村の山中(御巣鷹の尾根)に墜落した。乗客509人と乗員15人のうち乗客4人を除く520人が死亡した。スペイン・カナリア諸島の空港で77年にジャンボ機同士が衝突し、583人が死亡した事故に次ぐ惨事で、単独機の事故としては現在も世界最悪となる。

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日航123便ジャンボ機747SR-100
<航空事故調査委員会>

1987年、機体後部の圧力隔壁の亀裂が広がって破壊され、一気に噴き出した客室内の空気が尾翼などを吹き飛ばしたとする調査報告書を公表。この機体は事故の7年前に伊丹でしりもち事故を起こして隔壁を損傷しており、この際にボーイング社が行った修理が不適切だったことが破壊につながったと結論づけた。御巣鷹以降、日本の航空会社は乗客を死亡させる事故を起こしていない。

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ご安全に「GOOD LUCK!」

○引用元/朝日新聞社デジタル記事 2010年8月10日付

www.asahi.com

 ○日航ジャンボ機墜落事故、「落合証言」についての記事。前後編あります。

minminzemi81.hatenablog.com

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(3200文字、thank you for reading.) <今週のお題> 老いも若きも楽しく研究

日航123便 ジャンボ機事故。「マイケル・アントヌッチ・Jr 元米軍大尉」が証言で示すもの【航空機 事故3】

米軍輸送機C130 ハーキュリーズパイロット「マイケル・アントヌッチ・Jr」元 米軍大尉の証言

日航ジャンボ機123便、墜落の二時間後にはアメリカ海軍の救助ヘリが現場に着いた。あの時、救助にストップがかからなければ、もっとたくさんの人が助かっていたに違いない。

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C130 ハーキュリーズ

「あの飛行機事故のことは、10年経ったいまも脳裏に焼き付いて離れない」と、アントヌッチ氏が語る。

 

日航123便機を追尾中だった「米軍機C130」が、19:15に墜落現場を現認した。さらにC130より誘導された沖縄海兵隊ヘリが、20:05に現場到着した。アントヌッチ証言によれば、午後七時の時点で「墜落現場の正確な位置」は確定し、午後八時には「人命救助を開始」した“事実があった”ことを伝えている。

 

『JAL123便が管制塔に『緊急』を告げた時、たまたま沖縄・嘉手納基地から横田基地へ、米軍輸送機C130Hで飛んでいた。現場はすぐに発見出来た。現場を確認後、グリフィン隊長は残骸の上空600メートルで、そのまま旋回飛行を続けた。

私は横田基地からの位置を測り、20分後には“正確な位置を割り出し”て横田基地に知らせた。やがて横田基地から連絡が入り、60キロ離れた厚木基地から海軍の救助隊が来ると知らされた。あと一時間で着くという。

彼らは少し離れたところで、ラペル(ロープを使って懸垂降下すること)で二人の乗員を地上に降ろし、検索しようとしている。ゲイリーがヘリと話している間に、私は司令部へ連絡を入れた。『Air craft down I have position YOD 305° 34 NW…』 

 

その時、司令部の命令はこうだった。

『日本の救助隊が向かっている。すぐ基地に戻るように』 

しかし、私は次のように伝えた。

『海軍は救助に入りたいと言っています』 

すると、司令部は次のように言った。

『繰り返す、すぐ基地に戻るように。海軍も同じだ』

もはや、私は『わかりました、帰還します』と答えるしかなかった。

 

降りかけていたヘリの乗員たちは、再びロープを登っていった。その時、我々の900メートル上空に“日本の飛行機”が旋回しているのを認めた。午後9時20分だった。これが現場に来た“最初の日本の飛行機”である。

横田基地で待っていたのは、第316戦術航空団の副司令官ジョエル・シルズ(現、在日米軍司令官/第5空軍司令官/中将)である。グリフィン隊長が報告を終えると、シルズは『よくやった。でもこのことは一切マスコミに話してはいけない』と言った。理由はまったく説明されなかった。』

(※戦術輸送機のベストセラー。米軍・空自など69ヶ国で、半世紀以上たったいまも、現役で活躍している。最新型は『C-130J スーパー・ハーキュリーズ(Super Hercules)』となる。)

 

日本の救援隊は、いったい朝まで何をしていたのか?!

 

『しかし翌日のニュースはもっと衝撃的だった。日本の救助隊は現場を発見できず、やっと着いたのは“墜落の14時間後”だと言っているではないか。

私は焦って自分の地図を取り出し、墜落現場を正確に伝えたかどうか調べた。私には自信があった。伝えた位置は、正確だった。海軍のヘリは私の情報に従って現場に来たのだから、間違いない。

我々はあの時、現場の“上空を飛んでいた日本の救援隊”に後を任せた。それにしても、どうして墜落現場がわからなかったのか? 一体朝まで何をしていたのか? 不思議でならなかった。

 

○マイケル・アントヌッチ・Jr  元 米軍大尉の証言

youtu.be

 

事故から2週間たって『タイム』と『ニューズウィーク』で、生存者が4人いたことを初めて知った。しかし残りの記事は、間違いだらけだった。

“生存者の一人の証言(落合由美さん)”が、私をぞっとさせた。彼女は墜落後、数人の子供達の声を聞いた、と言っていた。ヘリを見て手を振ったが気づいてくれなかった、と語っていたのだ…』と語る。

 

気になるのは“アントヌッチ氏証言”の信憑性。

○その後のアントヌッチ氏は…『1987年3月。私は横田基地を離れサクラメントのマザー空軍基地で、航法教育に携わる大尉として着任したが、そのとき空軍表彰メダルを授与された。そこにはこう書いてある「アントヌッチ大尉とその乗務員は日航機の捜索を決定し、直ちに捜索計画をたて墜落現場を発見し、救助隊を現地に誘導した」

私は空軍が私たちの行動を認めてくれたことは嬉しかったが、表彰を喜ぶ気になれない。私は「まだ生存していた人たちを救出できなかった」と、付け加えたかった』という。この名誉勲章の意味するところは「口止め」の類と思われる。

○事故調査報告書の25P。(捜索・救難活動の状況)米軍機C130Hから発信された墜落位置情報を、救難本部が横田より受け取った旨の記載あり。(12日/19時15分)

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事故調査報告書 25P

○ 1994年9月25日に報道番組「ニュース・ステーション」が、アントヌッチ氏の証言を取り上げ「日本政府側の要請により、米軍機は救援活動を中止した」と報道しています。やはり事実であった、と思いました。

日航ジャンボ機墜落事故/「落合証言」の記事です。前後編あります。 

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○参考/1980年代のJALのイメージは『スチュワーデス物語』だった。このドラマは、社会現象にもなった。麻倉未稀のテーマ曲『what a feejing』この時代を表している曲。

スチュワーデス物語「What a feeling」1983 麻倉未稀 - YouTube

 

記事引用/『週間文春 1995年9月28日号』『事故調査報告書』

(2300文字、thank you for reading.) <今週のお題> 老いも若きも楽しく研究

日航123便 ジャンボ機事故、落合証言の示すもの「Part2 恐怖で捻れた時間感覚」【航空機 事故2】

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「JAL123便 ジャンボ機事故」搭乗者の証言。【後編】

生存者わずか四名、そのうちのひとり当時客室乗務員だった落合由美さん。旅客機乗務員の経験と知識を持ち「当該事故を実体験した方の証言」ほど説得力あるものはない。その落合証言が物語るモノとは?

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巡航高度24.000feet

○前回の「Part1急減圧はなかった」です。

minminzemi81.hatenablog.com

  

<☆JAL 123便 操縦クルー>

○CAP 高濱雅巳氏(49歳)宮崎出身。海上自衛隊からJALへ、1963年入社。12,423飛行時間、操縦教官資格。千葉住。

○COP 佐々木祐氏(39歳)熊本出身、機長昇格テスト中だった。3,963飛行時間。千葉住

○F//E 福田博氏(46歳)京都出身、技術教官資格9,838飛行時間、千葉住。

三名共、ベテランパイロット達でした。

 

<☆落合由美さん(DH)>

○1959年大阪生まれ、当時26歳。伊丹空港近くに実家があり航空機になれ親しんだ。1983年アシスタントパーサー3400時間、6年経験。大阪への帰省途中、当該事故にあった。リハビリ後、客室乗務員に見事復帰した。

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JAL123便 飛行経路(出典朝日新聞社)

(FDR=フライト データ レコーダー、CVR=コックピット ボイス レコーダー)

(備考/1000ft=305m、30.000ft=9150m。200ノット=370km、300ノット=555km。CAP=機長 高濱、COP=副操縦士 佐々木、 F/E=航空機関士 福田、PRA=チーフパーサー 波多野、STW=スチュワーデス、PUR=機械音声、ACC=東京コントロール(所沢)、TAC=東京進入管制(羽田)、COM=JAL社内無線、YOK=横田米軍基地)

 

⑩機内では救命胴衣を付ける乗客乗員

 

○以下『青字』が落合証言です。事故後、落合由美さんが語っています。

 

『子供の声が聞こえました。「おかあさ~ん」という声。大きくはなかったのですが、短い叫びのような声でした。大人のお客様は叫んだり、悲鳴をあげたりすることはありませんでした。声も出なかったのかもしれません。不安と緊張の機内でした。

全員が救命胴衣をつけ終わるまでに五、六分かかりました。つけ終わった方は、となりの方を手伝ったりしていました。救命胴衣をつけているあいだに、スチュワーデスの声でアナウンスがあったのです。正確には覚えていませんが「急に着陸することが考えられますから」というような内容です』

 

▷FDR・CVR音声記録より/22,400ft(6,827m)、200kt、東京コントロールが、関東空域上にある全航空機に呼びかけ始める。交信周波数134の指定と、沈黙の要請があった。

 

18時41分~

55秒 (ACC) all station all atation except JAPAN AIR 123 and

contact TOKYO CONTROL contact TOKYO CONTROL 134.0

change frequency 134.0 and keep silent until further advised.

 

18時42分~

17秒 (CAP) あたま下げろ

18秒 (COP) はい 

 

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『それと「管制塔からの交信はキャッチできています」とも言っていました。私の想像では二階席のアシスタント・パーサーが操縦室に入って、様子を聞いてきたのではないかと思います。落着いた声でした。

揺れはいっそう大きくなりました。もう立っていることはできないほどです。救命胴衣をつけ終わってすぐに、ほとんどいっせいに安全姿勢をとりました。そのときには眼鏡をはずしたり、先のとがったものは座席ポケットにしまったりとか、上着があれば衝撃の際の保護になるように着用してくださいと指示するのですが、そんな時間的余裕はありませんでした』

 

○目撃情報/『疑惑/JAL123便墜落事故』の著者である角田四郎氏は、たまたま奥多摩にキャンプに訪れていた。そして123便と、追尾する自衛隊機を目撃したという。この本がいわゆる「疑惑本」と呼ばれる、最初と記憶しています。

引用『このとき私は、日航123便を目撃していた。(山梨県大月市と神奈川県相模湖の中間)東から南へ南から西へ旋回しようとする地点である。18時42分頃になる。そして44分か45分頃、ループ飛行を終えて東へ向かったであろう頃の日航機を追うように、東へ向かう“二機の自衛隊機”を私は見た。

その時また飛行機が見える。木の間に見え隠れしていたが、私は「エッ」と驚きの思いで立ち止まって見つめた。しかし今度はごく小さな機影で、北西に向かって夕焼けの中をどんどん小さくなってゆく。「あれはさっきの飛行機じゃないな」と思いふたたびバンガローへの坂道を登っていった。この間5~6分の出来事である。』

○角田四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故』推奨資料。

疑惑 JAL123便墜落事故―このままでは520柱は瞑れない

疑惑 JAL123便墜落事故―このままでは520柱は瞑れない

 

百里基地よりスクランブル発進した「ファントムF-4EJ」二機が123便の追尾体制にはいったのは、この辺りから。まず機体外部の様子を視認し、日航123便へ「垂直尾翼の破損」と「垂直尾翼及び機体下部に異物あり」と“致命的な機体ダメージ”について通告したと思える。地元民の自衛隊機目撃情報が増えてくる。

 

▷FDR・CVR音声記録より/18,600ft(5,669m)、240kt。18時43分に、ANA NH757便(羽田18時半発、小松行き)が右旋回中のJAL123便を、上方に視認する。この時NH757の高度は、18000ft以下に制限されている。角田氏が最後に見たという「北西に向かう航空機」は、このANA NH757便だったかもしれない。

 

18時43分~

19秒 (STW) どうぞそのままの状態で、お待ちくださいませ…

23秒 (CAP) あたま下げろ

47秒 (CAP) おもたい もっと もうすこし あたま下げろ

50秒 (COP) はい

56秒 (CAP) さがるぞ

 

緊急着陸に備え、安全姿勢をとる乗客乗員

 

『私は「56C」にもどりました。L5のスチュワーデスは、通路をはさんでふたつうしろの空席に座りました。安全姿勢は頭を下げ膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。

「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは衝撃にそなえるためです。こういうときは「…してください」とは言いません』

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夏の富士山、右側の席から見える風景

『お相撲さんや妊娠してお腹の大きい女性の場合、腰をかがめるのは苦痛ですから逆に背中を伸ばして脚でしっかり床を踏み、椅子の背に上体を押しつける安全姿勢のとり方があるのですが、このときにはそういう姿勢をしているお客様はいませんでした。

安全姿勢をとる直前、私はとなりのKさんに言いました。「緊急着陸して私がもし動けなかったら、うしろのL5のドアを開けてお客様をにがしてやってください」と。Kさんは「任せておいてください」と、とても冷静な声で言いました。Kさんと言葉をかわしたのは、これが最後です。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/15,000ft(4,575m)、220kt。大月上空でギアダウン、右旋回して緊急降下が始まった。この場所でディセントしたのは、“最寄り空港”に着陸するプランだったのか?フラップの準備まで始めている。

 

18時44分~

05秒 (CAP) おもたい

22秒 (CAP) いっぱいやったか?

23秒 (COP) いっぱい、かじいっぱいです

43秒 (CAP) あーおもたい

47秒 (F//E) フラップどうしましょうか?下げましょうか?

49秒 (CAP) まだはやい

50秒 (F//E) まだはやいすか

51秒 (CAP) まだはやい

52秒 (COP) ギヤおりてますか?

53秒 (F//E) ギヤおりてます

54秒 (CAP) えっ?

55秒 (COP) コントロールのほうが ←

 

『そしてそのとき、窓の外のやや下方に富士山※が見えたのです。とても近くでした。このルートを飛ぶときにもっとも近くに見えるときと同じくらいの近くでした。夕方の黒い山肌に白い雲がかかっていました。

左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます。富士山が窓のちょうど真横にきたとき私は安全姿勢をとって頭を下げたのです』

(※左側窓から下方に富士山がまじかに見えるのは、大月上空 “右旋回ディセント”の時と思われる)

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『頭を下げながら機内をちらっと見ると、たくさん垂れている酸素マスクのチューブの多くがピーンと下にひっぱられているのが見えました。マスクをつけたまま安全姿勢をとったお客様が大半だったのかもしれません。

安全姿勢をとった座席のなかで体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし上下の振動はありませんでした。前の席のほうでいくつくらいかはっきりしませんが、女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのはそれだけです』

 

▷FDR・CVR音声記録より/11,900ft(3,627m)、250kt。横田米軍基地からの呼びかけが始まる。この時、機長が気にしている“コントロール”とは「JALのOCC、ディスパッチャー」のコトか?「JAL⇔Yokotaの調整」が、まだ出来ていなかったようです。

 

18時45分~

18秒 (CAP) ニッコウ…オオシバ…

37秒 (YOK) JAPAN AIR ONE TWENTY THREE JAPAN

39秒 AIR ONE TWENTY THREE YOKOTA APPROACH ON GUARD.

41秒 IF YOU HEAR ME YOKOTA 129.4

46秒 (CAP) ジャパナ123

47秒 アンコントローラブル

49秒 (ACC) JAPAN AIR 123 GO AHEAD.

50秒 (F//E) コンタクトしましょうか?

52秒 (CAP) ちょっとまって、コントロールだ ←

54秒 (F//E) どこへ?

 

⑫髪の毛が逆立つくらい、機体が急降下しだした

 

『そしてすぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。

頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。

怖いです。怖かったです。

思いださせないでください、もう。

思いだしたくない恐怖です。

お客様はもう声もでなかった。私もこれはもう死ぬ、と思った。

まっすぐ落ちていきました。振動はありません。窓なんかとても見る余裕はありません。いつぶつかるかわからない。安全姿勢をとり続けるしかない。汗をかいたかどうかも思いだせません。座席下の荷物が飛んだりしたかどうかわかりません。体全体がかたく緊張して、きっと目をつむっていたんだと思います』

 

▷FDR・CVR音声記録より/大月にて、高度22,000ftより6,000ftへと、一気に15,400 ftも緊急降下(神技!)し、横田米軍基地まで24kmの距離に詰めた。機長の目論みは「横田基地に強行着陸」と思われる。羽田よりも横田の方が“何かと規模”がよい。ただ軸線が南北なので回り込む必要がある。大月上空で右旋回したのは横田基地の北側から進入するための旋回能力を試したと思えます。この時、南西風。さぁ、神技をもうひとつ!

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横田基地、日本で二番目にデカい

18時46分~

03秒 (CAP) あたま下げろ

06秒 (COP) えー相模湖まできてます

08秒 (CAP) はい

09秒 (ACC) JAPAN AIR123 羽田に コンタクトしますか?

16秒 (CAP) このままでお願いします ←

20秒 (ACC) コンタクトしますか? 

21秒 (CAP) こ…このままでお願いします ←    

27秒 (ACC) はい 了解しました スタンバイ お待ちください

33秒 (CAP) これはだめかもわからんね… ←

 

○CVRの09~27秒のあたり、ACC管制官と機長の“会話が噛み合っていない”のがとても気になる。機長はどこと交信していたのか?

そして33秒の「これはだめかもわからんね」となるが、かなり変だ。これが当時、「弱気発言」としてずいぶんとマスコミから叩かれた。

しかし、全く違う。その直後に機長は、“木更津へのレーダー誘導”を47分07秒にリクエストしている。あくまでも空港に、ハードランディングするつもりだった。

 

⑬緊急降下の恐怖体験により、時間感覚が歪んだのか? 

 

○「32分間が何時間にも感じた」という落合さん。その一方で、右旋回し緊急降下から墜落までの記憶が、“一瞬のことのように”縮んでいます。その「恐怖の正体」とは?!

 

『「パーン」から墜落まで三十二分間だったといいます。でも長い時間でした。何時間にも感じる長さです。羽田にもどりますというアナウンスがないかな、とずっと待っていました。そういうアナウンスがあれば操縦できるのだし、空港との連絡もとれているのだからもう大丈夫だって。でも、なかった。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/11,000ft(3,352m)180kt。コースを阻止され?北へ、すぐに山並が迫る。二度目のストールにより、最低高度5000ftを記録する。さらに三度目のストールによりバランスを崩し、機体は右40度の傾斜となる。

フラップ-10度以上は、着陸レベルとなるが、この時-25度近くまで下がっていた。長野県南佐久郡川上村の住民の方が、黒煙あげながら山に落ちてゆく日航機を、目撃している。

 

18時55分~             

01秒 (CAP) フラップおりるね?

03秒 (COP) はいフラップ 10    

15秒 (CAP) あたま上げろ   

16秒 (F//E) はい了解しました

17秒 (CAP) あたま上げろ   

19秒 (CAP) あたま上げろ

24秒 (APC)…わっかんないんだ(背後のヒト)

27秒 (CAP) あたま上げろ

34秒 (COP) ずっとまえからささえてます

37秒 (STW)管制塔からの交信は

39秒 (STW)ちゃんとつながっております

42秒 (COP) パワー      

43秒 (CAP) フラップとめな   

45秒 (?) あーぁーっ     

47秒 (CAP) パワー (CAP) フラップ

48秒 みんなでくっついちゃだめだ  

49秒 (COP) フラップアップ  フラップアップ 

50秒 フラップアップ  フラップアップ 

51秒 (CAP) フラップアップ (COP) はい  

56秒 (CAP) パワー       

57秒 (CAP) パワー    

58秒 (CAP) フラップ!      

59秒 (F//E) あげてます     

 

18時56分~

02秒 (CAP) 口ごたえするな

04秒 (CAP) あたま上げろ!

07秒 (CAP) あたま上げろ!

10秒 (CAP) パワー!

12秒【火災警報音1秒間】【社用無線呼出音1秒間】

14秒【GPWS=地上接近警報】(GPWS) SINK RATE

16秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

17秒 (GPWS) PULL UP

18秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

19秒 (GPWS) PULL UP

20秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

21秒 (GPWS) PULL UP (CAP)もうだめだぁー!!

22秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

23秒 (GPWS) PULL UP【衝撃音①U字溝に右翼あてる】

24秒 (GPWS) WHOOP WHOOP

25秒 (GPWS) PULL UP

26秒【衝撃音②機体が裏返し、高天原尾根に激突した】

 

18時56分28秒【録音終了】

 

▷FDR・CVR音声記録より/56分7秒、急激な降下速度、機首下げ36°右横70°にもなる。56分11秒、降下率は18,000ft(5,400m)/分。対気速度は、400kt(740km)を超える。高速墜落。墜落五秒前、機長は悲痛な絶叫『もうだめだぁー!!』と叫んだ。最後の最後までクルーは、コクピットで闘っていた。

 

『衝撃がありました。衝撃は一度感じただけです。

 

いっぺんにいろんなことが起きたという印象しか残っていません。回転したという感じはありません。投げだされたような感じです。衝撃のあとも安全姿勢をとっていなければいけないのですが私はもう怖くて顔をあげた。その途端、頭にいろんなものがぶつかってきました。固いもの、砂のようなもの、がいっぺんにです。

音はまったく記憶にありません。音も衝撃も何もかもが一度に起きたのです。衝撃が終わったあとは、わーっと埃が舞っているようでした。目の前は、もやーっとしているだけです。墜落だ、と思いました。大変な事故を起こしたんだな、と思ったのはこのときでした。』

 

群馬県 上野村 高天原山、墜落現場にて

 

○墜落時にも“冷静な観察”を続けようとした落合さん。あまりにも“有能過ぎる”気がするが、CAとはそんな人達なのかもしれない。

群馬県高天原山北尾根筋に“高速墜落”した123便、しかし落合さんの周りには沢山の息遣いが聴こえた。生存者がまだ沢山いたのです。 

 

『すごく臭かった。機械の匂いです。油っぽいというより、機械室に入ったときに感じるような機械の匂いです。体はちょうど座席に座っているような姿勢です。左手と両脚は何か固いものにはさまれていて動かせません。足裏は何かに触っていました。それほどの痛みはなくもうぐったりしているという感じです。

目には砂がいっぱい入っていて、とくに左の目が飛び出してしまったようにとても熱く感じました。失明するだろうなと思っていました。これはあとで知らされたのですが左右どちらかわかりませんが、コンタクト・レンズがどこかへ飛んでしまったのか、なくなっていました。

すぐに目の前に何かあるんですが、ぼやーっとしか見えません。灰色っぽい夕方の感じなのです。耳にも砂が入っていたので、周囲の物音もはっきりとは聞こえていなかったのではないかと思います。呼吸は苦しいというよりもただ、はあはあ、とするだけです。死んでいく直前なのだ、とぼんやり思っていました。

ぐったりしてそのとき考えたのは、早く楽になりたいな、ということです。死んだほうがましだな、思って私は舌を強く噛みました。苦しみたくない、という一心でした。しかし痛くて、強くは噛めないのです。墜落の直後に「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

 

「おかあさ~ん」と呼ぶ男の子の声もしました。

 

次に気がついたときはあたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのかわかりません。すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼんやり見えます。

私は座ったままいろんなものより一段低いところに、埋まっているような状態でした。左の顔と頬のあたりにたぶんとなりに座っていたKさんだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息はしていません。冷たくなっていました。

シート・ベルトはしたままだったので、それがだんだんくいこんできて苦しかった。右手を使ってベルトをはずしました。動かせたのは右手だけです。頭の上の隙間は右手が自由に出せる程度でしたから、そんなに小さくはなかったと思います。右手を顔の前に伸ばして何か固いものがあったので、どかそうと思って押してみたのですが、動く気配もありません。

それを避けて、さらに手を伸ばしたらやはり椅子にならぶようにして、三人くらいの方の頭に触れました。パーマをかけた長めの髪でしたから女性だったのでしょう。冷たくなっている感じでしたが、怖さは全然ありません。』

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⑮墜落後“たくさんの生存者”が周囲にはいた!

 

○JAL123便を追尾していた米軍輸送機C130が、「19:15墜落現場」を確認。次に沖縄米軍海兵隊のヘリが、墜落地点に「20:05に到達」した。が…救助降下寸前に横田基地より“中止命令”があり帰投した。あぁ、なんたることや!

▷C130ハーキュリーズパイロット「マイケル・アントヌッチ・Jr」元 米軍大尉の証言について書きました。

(※墜落現場を発見した米軍の「輸送機C130H」については「事故調査報告書の25ページ」に記載あり。)

minminzemi81.hatenablog.com

○さらに朝日新聞のヘリコプターが、「21:10に墜落現場」を発見し墜落現場写真を撮り帰投する。さて、123便をしばらく追尾していたという「百里基地所属、二機のファントムF-4EJ」はこの後、いったいどうしたのか?

○12日墜落後、位置情報が錯綜しすぐに墜落現場を特定できなかった等々、これらは完全な偽装である。“ミスリード”させたといってもいい。JAL123便が「0077発信」以来、追跡し「軍、軍、一部のマスコミ」には、航跡は周知の事実だったのだから。

○正確な墜落位置は「北緯35度59分54秒、東経138度41分49秒」住所は「群馬県上野村 大字楢原 字本谷」となる。

(※ すべての航空機は、日常的にレーダーで監視されています。「E.M.G信号」発信すれば、軍民、すべてのレーダーサイトが注視し、行方をモニタリングします。ACCでは、123便がレーダーから消失したのが18時56分1秒、墜落の25秒前まで。自衛隊、米軍のレーダーサイトでは、この後も捉えていたはずです。)

 

『どこからか若い女の人の声で「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。

それからまたどれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。

突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。

しかしさっき「おかあさ~ん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか判断はつきません。私はただぐったりしたまま荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。

もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。』

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墜落現場、群馬県多野郡上野村高天原山尾根

『やがて真暗ななかにヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで助かる、と私は夢中で右手を伸ばし振りました。けれどヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と声も出したと思います。ああ、帰って行く…。

このときもまだ何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声はもう聞こえてはいませんでした。

体は熱くまた右手を伸ばして冷たい風にあたりながら、真暗ななかで私はぼんやり考えていました。私がこのまま死んだら主人はかわいそうだな、などと。父のことも考えました。母親が三年前に亡くなっているのですが、そのあとで私が死んだらとても不幸だと。母は私がスチュワーデスになったとき「もしものことがあったときは、スチュワーデスは一番最後に逃げることになっているんでしょ。そんなことあなたに勤まるの?」と、いくらかあきれた口調で言っていたものです。

それからまた、どうして墜落したんだろうということも考えました。時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗しないでもっとうまくできるのに。いろんなことが次々と頭に浮かびました。

涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じはもうだれにもさせたくないな。そんなことも考えていました。そしてまた意識が薄れていきました。』

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○『時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗しないでもっとうまくできるのに。』また『墜落のあのすごい感じはもうだれにもさせたくないな。そんなことも考えていました。』この発言に落合さんの職業倫理、ポジティブさが表れています。本格的救援活動が開始されたのは、翌日13日の午前七時でした。

 

⑯落合さんがスゲの沢で発見されたのは、翌日10時45分 

 

『気がつくとあたりはあかるかった。物音は何も聞こえません。まったく静かになっていました。生きているのは私だけかなと、思いました。でも声を出してみたんです。「がんばりましょう」という言葉が自然と出てきました。返事はありません。「はあはあ」いう荒い息遣いも、もう聞こえませんでした。

あとで吉崎さん母子や川上慶子ちゃんが助かったと聞きましたが、このときにはその気配を感じませんでした。たぶんそれから私は眠ったのだと思います。

風をすごく感じたのです。木の屑やワラのようなものがバーッと飛んできて、顔にあたるのを感じました。』

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○落合さんを最初に発見したのは、長野県警の柳澤隊員、手を振る落合さんに気付き「何か動いてるぞ!」と発言したという。そして、地元上野村消防団と猟友会のグループも加わり、彼女を救助しました。

 

『はっと気がついたらヘリコプターの音がすぐそばで聞こえる。何も見えません。でもあかるい光が目の前にあふれていました。朝の光ではなくてもっとあかるい光です。

すぐ近くで「手を振ってくれ」だったか「手をあげてくれ」という声が聞こえたのです。だれかを救出している声なのか、呼びかけている声なのか、わかりません。私は右手を伸ばして振りました。「もういい、もういい」「すぐ行くから」と言われました。

そのすぐあとで私は意識を失ったようです。朦朧としながら、ああ助かったな、助かったんだ、とぼんやり考えていました。どうやって埋まったなかから救出されたのか、どうやって運ばれたのか、まったく覚えていません。』

 

⑰搬送先の病院でも「不思議な感覚」が続いた

 

○落合由美さんは翌8月13日の午前十一時半に、事故現場から救出されました。 墜落してから十六時間も経っていた。ヘリコプターで藤岡市の病院に緊急搬送された。

 

『体の痛みも、空腹も感じませんでした。ただ喉が渇いたのを覚えています。カラカラでした。お水が飲みたい、お水が飲みたい、と言っていたというのですが、私は記憶していないのです。

応急処置をしてくれた前橋の日赤病院の婦長さんが、あとで「あのときは打ちどころがわるかったりするといけないから、あげられなかったのよ」といわれましたが、水を飲みたいと言ったことはまったく覚えていないのです。

目を開けたら病院でした。お医者さんから「ここはどこだか、わかりますか」と聞かれて奇妙な返事をしました。「はい、二、三回きたことがあります」って。そんな馬鹿なと自分では思っているのですが、わかっていながら、そんなふうに答えていました。頭がおかしいんです。

でも電話番号は正確に答えていました。「ここは群馬県だよ」とお医者さんは言いました。どうして群馬県にいるんだろう、と思いました。それで、あのとき飛行機が落ちて、そこからきっと群馬県が近いんだな、とだんだん考えるようになりました。』

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『家族がきていると教えられたとき、えーっと思いました。飛行機がおちたことはわかっているのですが、どうしてここまで家族がきているのだろうと、不思議で仕方ありませんでした。現実感がなかなかとりもどせないのです。

たぶんこのときだったと思いますが「何人助かったんですか」と聞きました。お医者さんが「四人だよ、全部女の人ばかり」と教えてくださいました。それしか助からなかったんですか、と思いながら「へえーっ」と言いました。

大変な事故を起こしてしまったんだと、また感じました。

天井しか見えませんでした。酸素マスクをして、じっと天井を見ながら一緒に千歳からもどってきて、同じ飛行機に乗った松本さんはどうなったのだろう、と考えました。

私もほんとうはもう助からなくて死んでいくところなんだ、などとも考えていました。百幾針も縫ったのに痛みは感じません。麻酔をしていたせいだと思いますが、でもあとで看護婦さんに聞くと「痛い、痛い」と言っていたようです。

救出された日の午後3時過ぎ、夫と父と叔父が病室に入ってきました。私は「四人しか…」と口にしたのですが、夫はすぐに「しゃべらなくていいから」といいました。』

 

日航123便ジャンボ機事故」関連、お勧め資料

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日航123便 747 SR-100

○落合由美さんは、墜落前後の状況に関して“重要な証言”を残しています。そして吉岡忍氏もわずか一年後に『墜落の夏』を書き上げた。その後続く「日航123便事故本」の魁となる名著となった。当時の“時代性や空気感”まで感じることが出来ます。

Amazonのカスタマーレビューより引用『そもそもあんなに巨大で重い物体が空を飛ぶということ自体が、本来あるはずのないことなのだ。あるはずのないことを、人類は科学技術によって実現させた。(中略)本書が事故発生後わずか一年で書かれたことには驚きすら覚える。その後新たに判明した事実は少なからずあるものの、いま読んでも全く古さを感じさせない。単なる技術論や感情論に走ることなく達観した見地から事故を冷静に分析している。それを物足りないと評する向きもあるかも知れないが、数ある類書の中で名著と呼ぶにふさわしい一冊だと思う。』

わたしも同意見です。興味を持たれた方は、まずは『墜落の夏』をお読みください。多くの関連情報が記されています。

墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)

墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)

 

○吉岡忍/長野県佐久市出身、ノンフィクション作家。上記、日本航空123便墜落事故を題材にした『墜落の夏 日航123便事故全記録』で第9回講談社ノンフィクション賞を受賞。日本ペンクラブ常務理事、放送倫理・番組向上機構放送倫理検証委員会委員なども務めた。 

 

○そして小説『沈まぬ太陽』。日航がなぜ“崩壊にいたった”のか、見事に描写されて
ます。TVドラマにもなりました。小説家の文体はとても読みやすいですね。またノン
ィクション(ほぼ実話)としても、一読の価値があります。
引用『「実は事故機の墜落原因について、聞き捨てならない重大な話を仕込みまし
ね、墜落の真相は、自衛隊がミサイル発射訓練に使う標的機が、たまたま飛行中の国
航空123便の尾翼に衝突したらしいのです、ご意見を聞かせて下さいませんか。」
ホームで、記者は強引にコメントを求めた。
「いきなりそんな突飛なことを言われても、答えようがないですな」
「おや、おとぼけですか、それとも政府・防衛庁は、事故調査官を棚上げして、真相を
隠蔽するつもりなのですかね」嫌味な言い方をした。
「確たる証拠でもあるのですか」
「事故機が最初に緊急事態を発信したあの時刻に、海上自衛隊護衛艦『たかつき※』
相模湾でちょうど演習中だったのですよ。現に事故の翌日、相模湾内に尾翼の重要
部である垂直安定版が浮いていて、回収されたではありませんか」』

山崎豊子著『沈まぬ太陽(三)御巣鷹山篇』より 

○映画『沈まぬ太陽渡辺謙主演⇒【映画】 沈まぬ太陽 - YouTube

(※作中の護衛艦「たかつき」は「DD-130 まつゆき」のこと。日航機事故時、相模湾にて公試中だった。事故発生時に、事故機より海上に落下した垂直尾翼を発見回収した)  

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DD-130まつゆき
沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)

 

 

○事故の第一報/八月十二日、戦争記録番組中に事故のテロップ流れ、番組が中断「NHKニュース」が始まる。木村太郎アナが原稿を読み上げる。

youtu.be

<不思議な報道>

事故当日12日夜、NHK報道番組中、速報にて。

NHKアナ「ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。続報が入り次第お伝えします」 画面にテロップ流れ、NHKアナがニュースを読み上げた。

NHKアナ「先ほど、自衛隊員が何者かに襲撃され死者が数名出たとお伝えしましたが、誤報だった模様です」その後、繰り返し否定した。

これは、いったい何だったのか??

 

▷1*⋆✈ 外部リンク/JAL123便 日本航空墜落事故。この事故の原因・墜落は、“なにかと外的要因”が関係しています。まずは“音声テープ”を聴いてみて下さい。

youtu.be

▷2*⋆✈ 外部リンク/JALの安全啓発センターHP、JALに申し込めば、誰でも見学ができます。搭乗者の遺品、回収された123便の機体パーツなどが展示されています。ぜひ一度訪れて下さい。最寄駅は、東京モノレール新整備場駅」下車。

www.jal.com

▷3*⋆✈ 外部リンク/ありし日の坂本九さん。1961年に発表した「上を向いて歩こう」は国内で爆発的なヒットを記録、海外でも「Sukiyaki」名で発売され、1962年アメリカで日本人初のビルボードチャート1位を獲得した。

曲は『見上げてごらん夜の星を✩.*˚』日曜ビッグスペシャルより


YouTube

『見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光が

ささやかな幸せを 歌ってる

見上げてごらん 夜の星を 僕らのように 名もない星が

ささやかな幸せを 祈ってる』 

 

日航123便墜落事故関連ブログです。

minminzemi81.hatenablog.com

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○最後に/

この記事を書くきっかけは、日航123便に「私の知人が搭乗していた」ことからでした。そしていまから20年近く前、地元図書館に通い日航123便に限らず“航空機事故本”を読み漁りました。司書のヒトに変な顔された、想い出があります。

~おかげで少しは、知識を得ることが出来たのですが~

時間は無残に過ぎてゆく。いまや“当該事故から34年もの歳月”がたち、ワタシが故人の没年を追い越しました。なのに、うまくまとめられずにいる。

また当ブログを作った動機、その目的のひとつが「JAL123便墜落事故」を記録して遺しておきたいと過去、意気込んだものでした。が…しかし、この案件は「余りにも難物」で、どこから手をつければいいのか?そして故人のこともいまとなれば書きずらい。あまた各種ある「陰謀説」も角度がなんか違う気もする…困った。

それで、原点へと立ち戻り、まずは「落合証言とFDR,CVR音声記録」を併せて記録することにしました。この事故を風化させないため、若い人達にも是非知ってもらいたい、と願っています。

日航ジャンボ機墜落事故は、乗員・乗客524名のうち520名が死亡した。さらに“二次被害”においても、亡くなられたすべての方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。

 

参考/墜落の夏、ウキペディア (14.000文字、thank you for reading.)  <今週のお題> 老いも若きも楽しく研究

日航123便 ジャンボ機事故、落合証言の示すもの「Part1 急減圧はなかった」【航空機 事故1】

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「JAL123便ジャンボ機事故」搭乗者の証言。【前編】

520名の犠牲者を出した「日航123便ジャンボ機事故」から今年で、34年目の夏となる。生存者わずか四名、そのうちのひとり当時客室乗務員だった落合由美さん。「旅客機乗務員の経験と知識」を持ち「事故を実体験したヒト」の証言ほど説得力あるものはない。落合証言が物語るモノとは?!

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747 SR-100 機体記号 JA8119

(✈︎747 SR-100、SRはショートレンジの略。全長70.5m全幅59.6m全高19.3m重量52万7333ポンド、総飛行時間25,030時間18分、総着陸回数18,835回。燃料三時間十五分搭載、伊丹からのリターン燃料も積載していた)(※現在、日本航空の「123便」と「350便」は、どちらも“墜落事故のため欠番”となっている)

 

<事故のあらまし> 

日本航空123便墜落事故、昭和六十年(1985年)八月十二日のこと。「東京羽田発✈︎大阪伊丹行」123便ボーイング747 SR-100 (機体記号JA8119) が、群馬県多野郡上野村高天原山(たかあまはらやま)の北尾根(通称 御巣鷹山)に墜落し、空前絶後の犠牲者を出した、痛ましい航空事故である。

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圧力隔壁 出典:JAL安全啓発センター

○事故原因は後日、ボーイング社の“手抜き修理”があったと発表された。後部圧力隔壁が飛行中に疲労破断し、噴出した空気圧により垂直尾翼を完全に吹き飛ばした、とされた。さらに油圧操縦4システムも全喪失。その結果、JAL123便は完全に操縦不能に陥り、あげく迷走飛行し「高天原山の尾根」へ墜落した。

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羽田空港18時発(イメージ写真、以下同)

○しかし、事故調が描いたこのストーリーは、そもそも「客室内で急減圧」が起こらないと垂直尾翼を吹き飛ばすモーメントたりえず、実際JAL123便はディセンドするまで高度2万4千フィートあたりを上下しながら、17分間以上飛び続けたのである。それでは「客室内は、どうだったのか?」が、重要な意味を持ってくる。

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垂直尾翼 出典:JAL安全啓発センター

○巡航高度(東京⇔大阪線は、2万4千ft位)で、突如「急減圧」になると、乗客乗員が意識を何とかたもてるのは、数十秒程と言われています。なので大急ぎで酸素マスクし、ディセンド降下します。

またキャビンの一部に穴が開き「急減圧」となると、機外との気圧差(外気圧は0.4気圧。機内の気圧は0.9気圧、その差は0.5気圧)により一瞬にして開いた穴からヒトやモノが機外に吸い出されます。しかも外気温は、マイナス40~50℃の死の世界です。


<JAL123便 飛行計画>

○アシスタント・パーサーの落合由美さんは八月十二日の朝を札幌で迎えた。その日の乗務は千歳空港から羽田に飛び、また千歳に飛んでふたたび羽田着、午後三時の便に乗るというものだった。一往復半の飛行は、通常スケジュールどおり。勤務を終えて、大阪の自宅に戻るため日航123便に、デッドヘッド搭乗していました。

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生存者は全て後部座席の女性四名だった

○落合さんの席は上図の右側。客室E部後方から三列目、二席の通路側「56C」だった。一般乗客の生還者「54列 D.F」に吉崎博子さんと、吉崎美紀子さん母娘が「60列 D」に川上慶子さんが座っていました。

以上が生存者四名のシート位置です。

 

フライトプランは、JAL123便が「東京 羽田空港」を18時00分にテイクオフ。離陸後は三原パーチ、大島・伊豆相良から西に巡航し、和歌山串本VOR/TACにて北西に右旋回。

信太VOR/DMEから「大阪 伊丹空港」へ。18時56分到着予定だった。

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○15名の乗務員と509名の乗客を乗せた123便は、ほぼ満席“定刻十二分遅れ”で六時十二分二十秒に、羽田空港をテイクオフしました。大島から伊豆半島にところどころ積雲(九千から一万ft)があり、西に沈む夏の夕陽を追いかける、フライトとなります。

▷航空機ファンが捉えてた123便の姿⇒羽田空港を離陸するJAL123便② - YouTube

(※航空界では「出発12分遅れ」は定刻となる。“ショートカット”したり回復運航の手が色々と…またこの12分遅れのため、“内陸寄りにショートカット”したと思われます)

 

○以下、『青字』が落合証言です。事故後、落合由美さんが語っています。またFDR/CVR音声テープ記録も、なるべく時系列に沿う様に添付しました。

(※完全には一致しません。またCVR音声は「プライバシー保護のため」として、いまだに全面公開されていません。 FDR=フライト データ レコーダー、CVR=コックピット ボイス レコーダー)

(備考/1000ft=305m、30.000ft=9150m。200ノット=370km、300ノット=555km。CAP=機長 高濱、COP=副操縦士 佐々木、 F/E=航空機関士 福田、PRA=チーフパーサー 波多野、STW=スチュワーデス、PUR=機械音声、ACC=東京コントロール(所沢)、TAC=東京進入管制(羽田)、COM=JAL社内無線、YOK=横田米軍基地)

 

①客室に「バ~ン」でなく、カン高い「パーン」と音がした

 

123便は、相模灘 大島の北方を上昇飛行していた。やがて水平飛行に移ろうとするあたり。右窓には暮れなずむ江ノ島や富士山を眺め、乗客がほっと出来る頃のこと。

 

『離陸してすぐ私は機内に備え付けの女性週刊誌を読んでいました。女性や子供の姿が多くいつもの大阪便とはちがうな、という印象はありました。

私の席の周囲にも若い女性の姿が目立った。禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうかはっきりしません。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/衝撃音より前に、レコが始まっていた。キャビンでは、すでに“「何か?に緊張状態」にあったと思われる。繰り返し「気をつけて」発言があった。トイレに行くだけのこと、なぜしつこく“気をつけねばならない”のか?

 

18時24分~

12秒 (STW) (トイレに行き)…たいとおっしゃる方がいらっしゃるんですが

14秒 よろしいでしょうか?

15秒 (COP) 気をつけて ←

16秒 (F//E) じゃ、気をつけてお願いします ←

17秒 (COP) 手早く ←

18秒 (F//E) 気をつけて下さい ← 

19秒 (STW) はいありがとうございます

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123便は十二分遅れで飛び立った

○前触れなく「甲高いパーン」という衝撃音を聞いたと、話す落合さん。音は「自席の天井の後ろ辺り」からしたと云う。しかし、振動は感じなかったとも。

 

『そろそろ水平飛行に移るかなというとき「パ-ン」というかなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。

「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常はまったく何も感じませんでした。

音は私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/伊豆半島 下田沖上空、23900ft(7170m)、300kt。衝撃音は、続けて二回(もしくは三回?)あった。機体は衝撃音より、オートパイロットがはずれマニュアル操舵となる。また短時間に、二度も発言する「オレンジエア※1」の正体とは何か?!

 

18時24分~

35秒「パーン」というような音① ←

36秒「ドーン」というような音② ←

37秒【高度警報音】ビービー音

38秒 (F//E) まずいっ

39秒 (CAP) 何かわかったぞ

42秒 (CAP) スクォーク 7700 (宣言)※2

43秒 (CAP) ギアみて、ギア部

44秒 (F//E) はい?

46秒 (CAP) エンジン?

47秒 (COP) スクォーク 7700 (発報)

48秒 (F//E) オレンジエア… ← 

51秒 (COP) これみてください

53秒 (F//E) はい 

55秒 (COP) オレンジエア… ←

57秒 (COP) ハイドロプレッシャみませんか?

59秒 (CAP) 何か爆発…

 

(※1 ここでは、いわゆる“無人標的機”のことと思われるが、未だ確定は出来ない)

(※2 SQUAWK-7700は、国際救難信号E.M.G、CAPは衝撃音からわずか“七秒後に宣言”した。早すぎる手順)

 

○事故調査報告書によれば、圧力隔壁損壊部分から客室内の空気流出しキャビンには“強烈な減圧”が、発生したと主張する。

事故調査委員会はこの減圧計算を行い、衝撃音発生の八秒後には「機内の“与圧はすべて失われ”気温も-40℃まで低下した」ことを示唆している。それでは八秒後以降の、機内の様子に注目して下さい。果たしてそんな状況が生まれたのか?

○落合証言によれば『振動はまったく感じませんでした。霧のようなものは数秒で消えました。酸素マスクをしてぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。体に感じるような急激な降下はありませんでした。機体も揺れなかった』との“整合性”がまるでないことが解る。

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▷参考音声/何回聴いても「オレンジエア」としか聴こえない⇒日本航空123便ボイスレコーダー「スコーク77」オレンジエアの部分をスロー再生 - YouTube

○いわゆる“謎の飛行体”について「1990年10月14日付 朝日新聞記事」に写真・記載あり。通称「オレンジエア」は、開発中の“プロトタイプ”を指し、視認性を良くするため「蛍光オレンジ色」に全面塗装されます。

○この時、相模湾で「追尾システム搭載型 巡航ミサイル」の試射(誤射?)をしていたと思われます。しかし、数多くの航空機が常に飛び交っている「関東南A空域」で、自衛隊がなぜ実験したのか、理解に苦しみます。

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左「ファイアービー」右「チャカII改良型」

(△標的機「ファイアービー」全長7m、全幅3.9m、上昇限度7000m、自重686kg、速度960キロ、航続約60分。△誘導ミサイル「チャカII改良型」全長3.87m、全幅1.76m、高さ0.71m、速度900キロ、上昇限度9.000m、自重182キロ、航続約80分)

○標的機相手に演習していたのが、“自衛隊ではない”のなら、それは誰か?

▷外部リンク/123便に衝突したのはファイヤー・ビーとチャカ2

 

○参考/R-116(レンジ イチイチロク)は、軍事演習用海域のひとつ「チャーリー水域」と呼ばれる。房総半島の南東に設定され「アメリカ海軍に供用」されている。射爆訓練時には航空機や船舶の航行は、全面禁止される。

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エリア116「チャーリー空域」が変更された件

 

②すぐに酸素マスクが、自動的に落ちて来た

 

『お客様からは「うわっ」という声がした。女の人だと「きゃっ」という一瞬喉に詰まったような声。騒がしくなるとか、悲鳴があがるということは、ありませんでした。

耳は痛くなるほどではなく、ツンと詰まった感じでした。ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。しかしそれもすぐに直りました。

「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。ジャンボの場合、席の数プラス・エキストラのマスクが落ちてくるので、私の座っていた「56」の二席には三つありました。

それが機内にいっせいに落ちてきたときは、マスクがわんわんわんとバウンドするような感じでした。ひっぱると酸素が流れだして口もとの袋がふくらむ。酸素が出てこないのもあったけれど足りないということはありません。

ただちに録音してあるアナウンスで「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください」と、日本語と英語で流れました。マスクのつけ方はとなり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。

ベルトについての指示はなかった。お客様はまだベルトをしたままでした。煙草をすぐ消すように、という注意はアナウンスでも口頭でもありませんでしたが、禁煙のランプのサインは自動的についたようでした。あとで気がつくと、離陸してまもなく消えていたはずのサインが、ついていましたから』

 

▷FDR・CVR音声記録より/24,200ft(7,376m)、310kt。落合さんによれば、まず最初は機内に「PURが流れた」そうです。“ベルトについて指示がなかった”とは、すでにベルトサイン表示が出ていたと思えます。

 

18時24分~

45秒 (PUR) 酸素マスクをつけてください

46秒 (PUR) 酸素マスクをつけてください

47秒 (PUR) ベルトはベルトを

48秒 (PUR) してください…

 

③白い霧の発生と、緊急降下中のプレアナウンス

 

○「パーン」という音と同時に「白い霧」が発生した。かなり濃くて、前の方がうっすらとしか見えないほどであったらしい。しかし数秒で消え、空気も流れなかった。

 

『しかし緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。急減圧のとき、酸素マスクがおちてくることはもちろん知っていました。急減圧は何かがぶつかったり衝撃があって、機体が壊れたときに起きると教わっていましたから、そういうことが起きたのだなと考えたのですが。しかし何が起きたのか想像もつきませんでした。

酸素マスクが落ちてくる光景は訓練では見ていますが、実際に経験するのはもちろんこれがはじめてでした。やはり「パーン」という音と同時に白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方がうっすらとしか見えないほどです。

私の席のすぐ前はそれほど濃くはなかったのですが、もっと前の座席番号「47」「48」あたりのところが濃かったように見えました。ふと見ると前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが立っていたのですが、その姿がボヤ-ッと見えるだけでした。

その霧のようなものは数秒で消えました。酸素マスクをしてぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。

すっと消えたという感じだったのです。

匂いはありませんでした。こうした白い霧というか靄のようなものが出るのは、急減圧の場合の現象だ、ということも、もちろん訓練のときに教わっていたことでした。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/伊豆半島上空。機体が右に40°傾き、尾翼破片を落とす。キャビン内では、クルーがエンジン、ランディング・ギアをチェック、異常はなかったが、ハイドロ(油圧)四系統が、すべて不能となったことを知る。機体のダッチロールが始まる。

 

○25分16秒、高濱機長はACC交信前に「ライトターン」 指示を出している。そして21秒「あー、東京。日本航空123便トラブル発生、ただちに、えー羽田に帰ることを要求します。220へ降下し維持したい。どうぞ」と管制官に了解をとり「右か左旋回か?」のリクエストに「右旋回したい」と、即答する。

 

18時25分~

04秒【高度警報音 47分28秒まで鳴動継続】

05秒 (F//E) ギア ファイブオフ

06秒 (PUR) ベルトを必ずしてください

14秒 (F//E) はいはい、ラジャー

15秒 (PRA) ベルトを締めて

16秒 (CAP) ライトターン ←

17秒 (CAP) ライトターン 

19秒 (COP) プレッシャ  (F//E) おっこった 

21秒 (CAP) Ah…TOKYO, JAPAN AIR 123,

24秒 request from immediate e…

27秒 trouble request return back to HANEDA descend and maintain 220 over.

37秒 (ACC) Roger,apprived as you request.

40秒 (CAP) Radar vector to OSHIMA, please.

42秒 (ACC) Roger, you want right or left turn?

45秒 (CAP) Going to right turn, over. ←

49秒 (ACC) Right, right heading 090 Radar Vector to OSHIMA.

52秒 (CAP) 090.

53秒 (CAP) バンクとんな そんなに  

54秒 (COP) はい                   

55秒 (CAP) バンクそんなにとんなってんのに、バカ! 

57秒 (COP) はい                

59秒 (CAP) なんだよ、それ 

 

18時26分~

00秒 (F//E) ハイドロプレッシャがおっこちています、ハイドロが…

02秒 (PUR) ただいま緊急降下中…

03秒 (CAP) バンクそんなにとるな、マニュアルだから【高度警報音2秒間】

05秒 (COP) はい

11秒 (CAP) 戻せ

12秒 (COP) 戻らない

15秒 (CAP) プルアップ

17秒 (PRA) ……

27秒 (CAP) ハイドロ全部だめ?

28秒 (F//E) はい

 

④トイレの上、カーテンのような布がヒラヒラしていた 

 

『はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくしてお客様のマスクを直したりしてまわっていました。そのときはエキストラ・マスクをひっぱって口にあてていました。マスクのチューブは伸ばすとけっこう伸びます。三列くらいはひとつのマスクをつけたまま、まわっていたようでした。

このときも荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながらきょろきょろあたりを見まわしていました。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/駿河湾上空、22,200ft(6,766m)、300kt。機長とACCとの会話。管制官の「大島レーダー誘導のため、方位090(真東)」へとの指示に対して、123便高濱機長が『But now uncontrol.』と応える。なんて哀しい交信か。

 

18時28分~

31秒 (ACC) JAPAN AIR 124, fly heading 090 radar vector to OSHIMA.

35秒 (CAP) But now uncontrol.

39秒 (ACC) Uncontrol roger understood.

 

○この時123便と交信していた、東京航空交通管制部(ACC、通称 東京コントロール)の管制官は、このことをどう感じていたのか。その本人の証言があります。

『「…了解」そう答えながら「おかしいな」と感じた。エンジン出力が低下した、客室内の気圧が下がったなどと、普段ならトラブルの中身を伝えてくるはずだが、機長は何も言わない。心が騒いだ。』すでに“通告出来ない理由”があったのだ。

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キャビンは平静を保っている、乗客の小川哲氏撮影。

○上記写真は「1985年10月13日付 毎日新聞記事」に言及あります。写真は56列Hの席から小川哲氏が撮影しました。また「謎の飛行体」と呼ばれる右側窓より撮影した「連続写真」もありました「飛行体の存在を示す証拠写真」となります。

 

『あとになって8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いたとありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。ですから開いたのかどうか、私は確認できませんでした。

きょろきょろしていたとき、私はトイレの上の横長の壁がほとんど全部はずれていることに気がつきました。トイレのドアはしまっていましたが、その上の壁がすっぽりはずれて、屋根裏部屋のような感じで見えたのです。

壁はちぎれたとか破壊されたというふうではなく、継目が外れたと言う感じでした。壁のパネルがどこかにいったのかはわかりませんでした。

そして壁のはずれた向こう側に運動会で使うテントの生地のようなものが、ひらひらしているのが見えました。オフ・ホワイトの厚地の布のようなものです。

ぴんと張ったのでもなく、ヒダの多いカーテンのようでもなく、一枚の布を垂らしたような感じでした。これもあとで整備の人に聞いたのですが、裏のほうにはそういう布があるのだそうです。

それが破れたというふうではなく、風にあおられたようにひらひらしていたのです。そこから機体の外が見えたとか、青空がのぞいたということはありませんでした。

もひとつ私の頭上の少し前の天井に整備用の50センチ四方の長方形の穴があって、蓋がついているのですが、その蓋が私のほうに向いて開いていることに気がつきました。壊れたのではなくて何かのはずみで開いたという感じです。内部は暗く何も見えませんでした。ただ天井の荷物入れが下に開くということはありませんでした。

このときにはお客様は全員酸素マスクをつけていましたから、しゃべったりはしませんでした。酸素マスクをして呼吸するのに懸命で、とても会話どころではなかったのかもしれません。でもとても不安そうにしてきょろきょろしたり、窓の外を見たりしていました。赤ちゃんの泣き声がしたかどうか覚えていません。』

 

○証言『白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした』と『このときも荷物などが飛ぶということもなく』や『テントの生地のようなものが、ひらひらしているのが見えました』これらの証言でも“急減圧は無かった”ことが判る。

○この時起こっていた現象は、ほんの“緩やかな減圧”だろう。 キャビンは充分与圧されていたので、酸素マスクなしでも苦しくなかったことが伺える。

○また、29分30秒辺りからモガリ笛のような“高く低くピィーピュー音”が最後まで続く。R5の扉から“ほんのわずかな空気”が漏れ出していたからではないか?

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○18:30頃に書かれた乗客の遺書が多い。客席では、まだ何とか文字を書くことが出来たようだ『(家族の名前)どうか仲良く がんばって ママをたすけて下さい パパは本当に残念だ きっと助かるまい 原因は分らない 今五分たった もう飛行機には乗りたくない どうか神様 たすけて下さい きのうみんなと 食事をしたのは 最后とは 何か機内で 爆発したような形で 煙が出て 降下しだした どこえどうなるのか しっかりた(の)んだぞ ママ こんな事になるとは残念だ さようなら 子供達の事をよろしくたのむ 今六時半だ 飛行機は まわりながら 急速に降下中だ 本当に今迄は 幸せな人生だったと感謝している』川口博次氏の手帳より

○六時半頃、伊豆半島南端の住民が「ドカーン」という大きな衝撃音を聞き、上空に尾翼付近から白煙(オイル?)を上げて飛ぶ飛行機を、目撃したと証言している。

 

▷FDR・CVR音声記録より/焼津上空、24,900ft(7,589m)、280kt。ここではなぜか、緊張感の無い会話(機内電話)が続く。この時点でフライトエンジニアの福田氏、後部座席の様子を自身で目視チェックすべきではなかったか?それとも、それほどの危機感は、感じていないのか。

 

18時31分~

50秒 (F//E) えーとなにが、こわれているんですか?

56秒 (F//E) どこですか?

59秒 (CAP) あ~あああ

18時32分~

01秒 (F//E) 荷物を収納するところですね?

04秒 うしろのほうのいちばんうしろの

06秒 ほうですね?はいわかりました

11秒 (F//E) あのですね荷物いれてある

13秒 荷物のですね、いちばんうしろですね

17秒 荷物の収納スペースのところが

19秒 おっこってますね、これは降りたほうがいいと思いますぅ

 

⑤客室内では、酸素マスク外しても息苦しくなかった

 

『いつ点灯したのか気付きませんでしたが「EXIT 」と「非常口」を示すエマージェンシー・ライトはついていました。座席上の空気穴から空気が出ていたのかどうか記憶にありません。ライトをつけていた人が、いたかどうかも覚えていないのです。時間的にはそろそろ暗くなるときですから、つけていてもおかしくないのですが気がつきませんでした。

こうしているあいだも飛行機が降下している感じは、ほとんどありませんでした。ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをしてしばらくしてからです。

「パーン」という音からたぶん10分くらいしてからのように思います。このころになって酸素マスクをはずしてみても、苦しさは感じませんでした。ただ、ほとんどのお客様がマスクをしていましたが。』

 

○この頃キャビンでは、大変な操作をしていた。翼下に四発あるエンジン(左1左2右3右4)のストラスレバーを微調整し、ほんのわずかな出力差で機首を北に回頭させようとしていた。CAPがマスクの問いかけに気のない返事繰り返すのは、エンジン操作に集中していたためと想える。123便、神技コントロールの始まり。 

 

▷FDR・CVR音声記録より/静岡上空、24,900ft(7,589m)、280kt。操縦席では、酸素マスクをしていなかった。通常、急減圧が発生した場合、最優先にて「クルーは酸素マスクを着用」します。このことからも「垂直尾翼を破壊するような急減圧」は“発生していなかったこと”が解ります。「R5の窓」とは、最後尾右側にある非常扉の窓である。

 

18時33分~

35秒 (F//E) キャプテン

36秒 (CAP) はい

37秒 (F//E) アールファイブの

38秒 窓が…【高度警報音2秒間】(ブロークン)ですから

39秒 (COM) JAPAN AIR 123 JAPAN AIR How do you read?

41秒 エマージェンシーやったほうがいいと思いますね

44秒 (CAP) はい

46秒 (F//E) マスク我々もかけますか?

48秒 (CAP) はい…

49秒 (COP) かけたほうがいいです

50秒 (COM) 【社用無線呼出音】

54秒 (F//E) オキシジェンマスクできたら吸った

56秒 ほうがいいと思いますけど

58秒 (CAP) はい…

 

⑥高高度24,000ft (7,200m)380ktでダッチロールする

 

○ダッチロール、もしくはフゴイト運動といった現象は、コクピットパイロット達にとって未経験で、全く理解出来ないことだった。それは、キャビンにいる落合さんにとっても同じことだった。

 

『ダッチロールという言葉は知りませんでした。飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し左右に傾いているという揺れ方がつづきました。急な動きとかガタガタ揺れるというのでもなくスローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。』

(※ Dutch rollとは航空機が、縦方向と横方向の振動を繰り返す現象) 

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巡航高度24.000feet

『私の席に近い左の窓から見えたのはまっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で地上は見えませんでした。お客様は窓の外を眺めたりなかにはスチュワーデスに「大丈夫か」とたずねる方もいました。

機内の様子はあわただしい雰囲気とかパニックなどということではなく、この段階ではまだ何とかなるんじゃないか、という気持ちがあったように思います。ただコックピットからの連絡は何もなくて、みんな不安な表情ではあったのです。』

 

⑦マスクから酸素が終了、救命胴衣を装着する

 

『そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか私がフライトをしていたとき、お客様から酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合18分くらいと計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。

でもほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。

ちょうどそのころになって私のうしろのL5 (最後部左側)ドア受持ちのスチュワーデスがまわりのお客様に「座席の下にある救命胴衣を取りだしてつけてください」という指示を出しました。

その指示がどこからきたのかわかりません。ふだんのコックピットからの連絡はチーフ・パーサーを通じて各スチュワーデスに伝えられたり、急な場合は乗務員席の電話が全部コックピットと同時につながって受けることができる「オール・コール」でくるのですが、今度の場合はそれはありませんでした。

ライフ・ベストをつけるようにという指示は機内アナウンスではなく、スチュワーデスの口頭で行っていました。まずスチュワーデスが着用してこのようにつけるんです、と教えながら座席をまわることになっています。今度もそうしていました。

前のほうでも、いっせいにベストの着用がはじまっている様子が見えました。スチュワーデスは口頭で座席ポケットのなかにある『安全のしおり』を見て、救命胴衣をつけてくださいと言いながらまわりはじめました。私はすぐに座席下から救命胴衣をひっぱりだして、頭からかぶりました。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/静岡市 井川ダム通過、25,000ft(7,620m)、220kt。R5の扉に不具合が判明し、エマージェンシィーディセント(緊急降下)することとなった。しかし、なかなか高度が下がらない。

 

18時35分~

33秒 (STW) …かんじでございますが

34秒 (F//E) ええとですね、いまあのー

37秒 アールファイブのドアーがあのー

39秒 ブロークンしましたえーそれでー

43秒 えーいまあーディセント

46秒 しておりますえー

51秒【機内電話呼出音】

52秒 (CAP)…

53秒 (COM) 了解しました。キャプテンのインテンションとしては

56秒 リターンツウ東京でしょうか?

58秒 (F//E) はいなんですか?

 

18時36分~

00秒 (COM) 羽田にもどってこられますか?

04秒 (F//E) えーとちょっと待ってください

06秒 いまエマージェンシィーディセントしてますので

08秒 えーもうすこししたら

10秒 あーコンタクトしますのでもういちど

14秒 あー再びコンタクトしますので

16秒 えーこのままモニターしておいてください

20秒 (COM) 了解しました  

 

⑧いまだ高高度をダッチロールする機体 

 

『私は羽田にもどれればいいなと感じていました。しかしまだ雲の上で高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。

しかしライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わかってもひっぱって取りだすことがわからないお客様も、少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所がわからなくて、取り乱している若い女性がいました。

そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。

私が席を立ったとき、となりの窓際の席にいた男性のKさんが「スチュワーデスの方ですか」と、声をかけました。私は「はい、そうです」と答えてKさんが救命胴衣をつけるのをお手伝いしました。

とても冷静な方でした。ご自分のをつけ終わると、座席から手を伸ばして前後のお客様の着用を、手伝ってくださったのです。

私は通路に出て、L5のスチュワーデスの受持ちのお客様のお手伝いをして歩きました。彼女が私の席よりうしろのほうをまわり、私は前のほう二列分くらいの左右のお客様を指示してまわりました。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/22,300ft(6,800m)、ディセンドがうまく出来ずに、逆に上昇を繰り返してしまう。機体破片を落とす。

 

18時37分~

04秒 (CAP) おりるぞ

05秒 ( ? ) ……

07秒 (CAP) そんなのどうでもいい

11秒 (CAP) あ~あああ~

 

⑨徐々に客室内に、不安感が募るようになる

 

『しかしこのころになると、機体の揺れはじっと立っていられないほどでした。激しい揺れというのではなくて、前と同じように左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、座席につかまって二、三歩、歩いてお客様の座席の下のベストをひっぱってちょっと座って、また二、三歩、という感じでした。

まっすぐ歩いてあたりを見てまわるということはもうできません。

救命胴衣は飛行機が着水して外に脱出してからふくらませることになっています。機内でふくらませてしまうと、体を前に曲げて膝のあいだに頭を入れる安全姿勢がとれないからです。しかし私の席の周囲では、ふくらませてしまったお客様が四、五人いました。男の人ばかりです。

こういう場面になると、女の人のほうが冷静なようです。泣きそうになっているのは男性でした。これはとても印象深かったことです。

 

▷FDR・CVR音声記録より/オルタネート(電動モーター)で車輪を出した。これで空気抵抗が増え機体は安定感を得る。しかし…「失速の危険性が増す」ことにもなる。

 

18時38分~

32秒 (F//E) ギヤダウンしたらどうですか?ギヤダウン

34秒 (COP) ギヤダウンでしょうか?

45秒 (CAP) 出せない

46秒 ギヤ降りない

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18時39分~

13秒 (F//E) オルタネートでゆっくりとだしましょうか?

18秒 (CAP) はい、ちょっとまって

59秒 (F//E) スピードブレーキひきますか?

18時40分~

00秒 (CAP) あーあたま下げろ

01秒 (COP) はい

22秒 (F//E) ギヤダウンしました

23秒 (COP) はい

 

ベストをふくらませてしまった若い男性が「どうすればいいんだ」と弱気そうな顔でおっしゃるんですが、ふくらませてしまったのは仕方ないですからそのままでいいですと、安全姿勢をとっていただきました。ひとりの方がふくらませると、そのとなりのお客様もふくらませてしまう。他のスチュワーデスも私も、それに私のとなりのKさんも「ふくらませないで!」と叫びました。

機内にはまだいくらかの空席がありました。ひとりだけポツンと座っている人は、不安になったんだと思います。救命胴衣をつけているあいだに、席を詰めて固まるようになりました。

私は何も聞かれませんでしたが制服を着ていたスチュワーデスは、お客様からいろいろ質問されました。「どうなるんだ」「大丈夫か」「助かるのか」聞いていたのは男の方ばかりでした。家族連れの女性は男の方が一緒だったせいでしょうか、そういう場合でも男の人がいろいろ質問していました。

スチュワーデスはお客様に不安感を与えないように、できるだけ冷静に行動していました。いろいろ聞かれても「絶対大丈夫です。私たちはそれなりの訓練も受けています。絶対大丈夫です。」と答えていました。

そのせいもあって、客室内がパニックに陥るようなことがなかったのだと思います。ただ笑顔はもうなく、彼女たちの顔も緊張していたのですが。赤ちゃん用の小さいライフ・ベストが上の棚にあるのですが、このときにはもうそれを取りだす余裕はなく、大人用のベストをつけたと思います。』

 

○22,400ft(6827m)、200kt、衝撃音より15分が経過した。富士吉田付近。しかし、123便はまだ「巡航高度を保ったまま」なのである。

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○こちらPart2後半に続きます。↓事故の「原因・墜落には、外的要因」があった、と思われます。落合証言と音声記録から改めて、この事故を考えてみたいと思います。

minminzemi81.hatenablog.com

日航123便墜落事故関連ブログです。ご覧下さい。

minminzemi81.hatenablog.com

minminzemi81.hatenablog.com

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○外部リンク/関連記事です、参考にどうぞ。

▷1 *⋆✈ - 日本航空123便墜落事故33年目の記録 -

▷2 *⋆✈ 日航ジャンボ機 - JAL123便 墜落事故 (飛行跡略図&ボイスレコーダー) - YouTube

▷3 *⋆✈ 日航機墜落 simulation of JAL123 B747 Crash accident Pilot's View - YouTube

 

参考/墜落の夏、ウキペディア (14,000文字、thank you for reading.) <今週のお題> 老いも若きも楽しく研究 

そろそろ「🐬イルカと🐳クジラの違い」を、ハッキリさせたいのココロ。そして「祝🎊商業捕鯨再開!」ですよ【鯨肉文化】

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和歌山県太地漁協の捕鯨船「第七勝丸」が帰ってきた。

ビックリするくらい、ちっちゃいボートです。でも、太地町エース!

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第七勝丸出航風景(出典 読売新聞社)

やっとこさフレッシュな鯨肉が、食べられるかな。しかし、初物は何でも高いからね⇒『全量落札されたが、価格は公表されなかった』と云う。これは、あか~んヤツかい?ご祝儀相場。

www.agara.co.jp

 

昨年の12月のこと、「日本がIWCから脱退」とのニュース!

 

だいたいやね、国際捕鯨委員会(IWC)を例えれば⇒「ぼったくりバーみたいなもの」ホ~ント「捕鯨反対派のためのおかしな団体」に、成り下がっていました。

 

ていっ!て~いっ!。

 

記事引用『IWCは「クジラ資源の保存と捕鯨産業の秩序ある発展」を目的に国際捕鯨取締条約に基づき1948年に設立された国際機関。日本は1951年に加盟した。

当初は捕鯨国でつくる資源管理機関だったが、反捕鯨国の参加が増えて1982年に商業捕鯨の一時停止が採択された。

水産庁によると八月時点で加盟国のうち、捕鯨支持国は日本やノルウェーなど41カ国、反捕鯨国がオーストラリアやブラジルなど48カ国。捕鯨支持国との反捕鯨国が激しく対立している』(産経新聞事 2018/12/20)

 

これ、単純に言えば「食肉輸出国=反捕鯨国=反捕鯨団体なのであります。さらに、あのグダグダの「みどり豆ヤロー」共ときたら! まあ良い。

(※みどり豆とか云うカルト集団は、ただの“利権団体”でしかないのは周知の事実です)

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捕鯨漁 風景(昭和の頃)

それで、捕鯨基地のある和歌山県山口県高知県では「調査捕鯨」は終了。そして「商業捕鯨」再開がいよいよ始まった。

この漁は日本の領海と排他的経済水域(EEZ)で行われる。調査捕鯨では、大西洋でクジラを捕っていたが、これからはそれらも実施しないと云う。

じつは地球上に生息するクジラ類は、充分に回復しているのです。“愚かな乱獲”さえしなければ、まったく問題はありません。

 

引用文『…現在インド洋西部に生息するザトウクジラは、三万頭以上にまで増えているという。この海域のザトウクジラの個体数は約二世紀にわたる捕鯨によって激減し、1970年代末には600頭未満になっていた。

そして研究チームは、2018年の調査とそれ以前のデータに基づき、インド洋西部に“三万頭以上のザトウクジラが生息”していると推定した』

(出典 ナショナルジオグラフィック)

 

いま本当に資源保護しなければならないのは「ニホンウナギ」である。資源枯渇して絶滅寸前、なのに脳天気な日本人はのたまう…

土用の丑の日は鰻よ♡うふふっ」

じつは鰻丼大好き♪人間ですが、この十数年位“ほとんど食べた記憶”がない。回転寿司屋で摘む位かな?食べてるヤン、すまぬウナちゃん。

 

輝く!和歌山県の郷土料理「クジラの竜田揚げ」です

 

農林水産省が選定した「農山漁村の郷土料理百選和歌山県代表の郷土料理です。

「あ~竜田揚げ食べた~い!!」

そして「クジラ給食復活!」もね。そうだよぉ~♪人気献立はやはり圧倒的に「クジラの竜田揚げ」だね。給食のやつは、ホント美味かったよねぇ!

戦後貴重なタンパク源として、日本の食卓を支えた懐かしの鯨料理。クジラの竜田揚げは、鯨料理の代表的メニューだったのです。

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1950年頃の小学校の給食

 

<クジラの竜田揚げレシピ>

 

昭和のソールフードだったね。ひと口大に切った鯨に下味をつけ、片栗粉をまぶし油でサクッと揚げます。「まいう~♪」

 

○鯨赤身をひと口大にカットする。隠し包丁も入れると下味がよく染みる

○ボウルに「醤油、酒、味醂、おろし生姜」液に、鯨肉をしばらく漬けておく

○ひと切れずつ片栗粉まぶし、すぐに180℃の油であげる。ここがポイント

○揚がった鯨肉と、付けあわせをあしらって   <<完成です!>>

 

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新鮮な鯨肉は刺し身✨にて

 

<給食ランキングをブッチで一位「鯨の竜田揚げ」>

 

しかし悪名高かった「コッペパン」が三位になってるよ。あと七位の「脱脂粉乳」てか。これ…マジですか、人気あったの?

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人気給食メニューランキング

 

知っておきたい、なが~い捕鯨の歴史

日本人の鯨を食べる習慣は、それこそ太古からあったといいます。また、奈良時代の文献に“鯨肉贈答”の記載があるそうですから、ずいぶんとその歴史は古くて永い。

 

紀伊半島の南端に位置する和歌山県東牟婁郡太地町は、日本の「古式捕鯨発祥の地」として、世界的にも有名な捕鯨の町です。 

その始まりは、江戸初期(1606年)。紀州太地で捕鯨組織の「鯨組🐳」が設立される。そして和田一族、和田頼元を中心に「刺手組」と呼ばれる捕鯨漁師たちが、太地浦を拠点に沿岸鯨漁を始めました。

延宝三年(1675年)には「鯨を網に追い込む捕鯨法」を、和田頼治が考案しました。これ「クジラ一頭で七浦潤う」と云われた位だからね。乱獲なんかありえなかった。

○古式捕鯨説明サイト⇒http://www24.big.or.jp/~kyusoku/w_old_whaling.htm

(※縄文や弥生時代貝塚から、鯨の骨が数多く出土します)

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ザトウクジラのブリーチング

 

そもそも欧米と日本では、利用目的も捕鯨手段も違う

 

幕末になると、欧米諸国(主にアメリカ、オーストラリア船)の捕鯨船が、さかんに日本近海までやって来ました。

当時は「米式捕鯨」と呼ばれる遠洋捕鯨でした。帆船見張り台から肉眼でクジラを捜す。発見したら手漕ぎのボートで漕ぎよせ、鯨に次々と銛を撃ち込むスタイルだった。

この西洋における遠洋捕鯨は、十九世紀から二十世紀前半までがピーク。漁獲目的は「灯火燃料や機械油」に使うため。脂を絞ったら肉や骨などはすべて海洋投棄した、なな、なんてことを!しかも「世界規模で鯨を乱獲」し続けたのです。

そして油だけが目的なので、まず「マッコウクジラ」種が、絶滅寸前の危機に瀕した。次に「セミクジラ」が、1931年には最大種「シロナガスクジラ」の捕獲数がピークをむかえる。

世界全体で800隻程度の捕鯨船が活動し、一隻あたり年間10頭程度捕獲していたらしい。単純計算すれば「年間8000頭」にもなるっ!!

どんだけぇぇぇ~!!

(※デコに大量の脂を蓄えていた。さらに悪いことに「抹香鯨」からは「龍涎香」という香料・医薬にもなる珍品が採れた。その正体はマッコウクジラの「腸内で形成される結石」である。これが高価で取り引きされていたので、マッコウクジラ種のみが執拗に狙われた背景もある)

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「どど~ん!!」whale watching!✨

そのあたりの話は、有名な小説「白鯨※」に詳しく描写されています。この話は、実際に捕鯨船に乗船、捕鯨に従事した「メルヴィルの実体験」をもとにしています。

○映画「モビー・ディック」グレコリーペック主演。“白鯨の描き方”は、ほとんどゴジラ扱い<笑 このMADさは“アメリカ人の精神構造”をよく捉えていますね。あの“バッファロー”を絶滅させたヤツらだからね。

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(※1851年に発表されたアメリカ文学を代表する作品。たびたび映画化もされている。原題は、英国版が"The Whale"、米国版が"Moby-Dick or The Whale")

最終的には「鯨類資源の減少」と「鯨油需要の低下」から不採算になり、欧米では一気に捕鯨が衰退する。しかし…

 

日本の捕鯨は、随分出遅れていた「古式捕鯨」からの~

 

欧米船による乱獲、その結果として日本近海で鯨の個体数は著しく減少し、日本の古式捕鯨は、壊滅的な打撃を受けることになったのです。

明治十一年(1878年)には、太地において海難事故「大背美流れ」が起った。この大打撃を受け近代捕鯨への発展には、まだまだ時間が必要でした。

その後、捕鯨銃による沿岸捕鯨、鯨解体場の開設、鯨缶詰工場の建設など、次々と改善され、太地町捕鯨産業はようやく軌道に乗りました。

(※覚書『脊美流れ控え』によれば、子連れのセミクジラを追って沖合へと漕ぎ出した鯨取り船団は、遭難事故により百名以上が帰らぬヒトになりました) 

 

そうだった「イルカと、クジラの違い」とは何か

 

まず、クジラはだいたい二種類に大別することができます。鯨の口が髭なのか、歯なのか?「髭クジラ」と「歯クジラ」のツータイプ。

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ザトウクジラ

①「ヒゲクジラ」は、口の周りにヒゲを持ち、小魚やプランクトンをガバ飲みします。「髭」タイプ代表種は⇒「ナガスクジラ、ザトウクジラ」

②「ハクジラ」は、頑丈な「歯」で巨大な生物(例えば大王イカとか)も捕食できます。「歯」タイプ代表種は⇒「マッコウクジラ」です。

イルカも歯を持つので②の「歯」タイプになりますね。 

 

まさかっ?! イルカとクジラの差とは…

 

実は「何となく」らしいのです。

「えぇぇぇ、ナニそれ?!」

ひとが見て「チッコイなぁ」思うのが「🐬イルカ」で、ひとが見て「デッカイのう」思うのが「🐳クジラ」その境目はテキトーだった。目安としては、だいたい「体長四~五メートル」あたりで線引きらしい。

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イルカは、賢そうだよな

例えば「セントバーナードとチワワ、コレどっちも犬でしょ?」

みたいなハナシなのか <笑

 

○鯨は海の中で「唄い、踊り、遊ぶ」とても愉しそうですね。

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和歌山県太地町には「鯨魂の永く鎮まりますよう」という願いを込めた「くじら供養碑」が建立されているのです。毎年、四月二十九日(肉の日?)には「くじら供養祭」が行われています。

もちろん日本人は、鯨さんをリスペクトしていますよ。日本での古名は「勇魚 いさな」これは“キングオブフイッシュ”といった感じですかね。

 

○推奨図書/「勇魚」と云えば、この本「C.W.ニコル」さんの名著です。西洋人に日本捕鯨をここまで描かれては、少し気恥しい心持ちがする。

勇魚〈上〉 (文春文庫)

勇魚〈上〉 (文春文庫)

 

 

鯨法会、これが日本人の感性である。 

金子みすずさんの詩『鯨法会』で〆ます

 

鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。

浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、

村の漁師が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、

沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こいしこいしと泣いてます。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら

 

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(4300文字、thank you for reading.)