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明智光秀が襲撃した本能寺。そこから四百キロも離れたお寺にある「信長の首塚?!」何それマジで?『富士山 西山 本門寺』後編です【歴史案件】

NHK大河ドラマ麒麟がくる』が、通常より早く六月にクランクインしたそうです。あいにくの梅雨時期で鬱陶しい天気が続く六月だった…と、いえば歴史的に有名な「本能寺の変」があったのも六月二日早朝だった。

時は天正十年六月二日未明、その時歴史が動いた本能寺の変」が勃発!光秀、何を想ったのか?!

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惟任明智光秀(本徳寺蔵)
明智惟任光秀/十兵衛/日向守

生年不詳、岐阜明智城で生まれたらしい。青年時代までどこで何をしていたのかまったくの“謎”である。後、将軍義昭に仕え、織田信長との橋渡し役を勤める。信長の正室である“帰蝶とイトコだった”という。天正七年、丹波攻めにて包囲を続けていた八上城を落とす。続けて黒井城も落とし丹波一国を平定。すぐ細川藤孝と協力し丹後も平定する。信長は感状を出し褒め称え「丹波での光秀の働きは、天下の面目を施した」と信長は光秀を絶賛した。天正八年には三十四万石領す大名に。天正十年“徳川家康の饗応役”であった光秀は、一転任務を解かれ、羽柴秀吉の毛利攻めの与力を命じられる。その途上の何処かで光秀が重臣達に、信長討伐の決意を告げた。そして本能寺。さらに秀吉との山崎の合戦に敗れ逃走途中、小栗栖で歿する。天正十年、五十六才で没した。

 

○前回のお話です。コチラからご覧下さい。

(より“理解が深まる”やも知れません?!ただし“効能には個人差”があります)

minminzemi81.hatenablog.com

 

明智光秀丹波亀山城を準備万端、発進す!

 

本能寺の変がおきたのは旧暦「天正十年六月二日未明」のこと。これを太陽暦(ユリウス暦)に直せば「六月二十一日」頃になります。

篠突く雨が続く鬱陶しい“梅雨の真っ只中”でした。表向きには「本能寺での馬揃※1のため」居城 丹波亀山城を猿の刻(夕刻)発進させた。

やがて日が落ち、月も出ない暗い丹波街道を急ぐ光秀軍。昨日の雨によりぬかるむ山道を、ただ黙々と進む。

武士のたしなみとされる「夜討ち朝駆け」。この言葉は「行軍には払暁、つまり夜明けに。討ち入りするなら、深夜」これが“戦国武将の闘いのセオリー”だった。敵が一番油断した頃合に、前触れなく奇襲することが「最大の効果を生む」ということ。

この時光秀は、居城をわざわざ「夕刻発進」しました。なので“夜間行軍の意図”とは「夜討ち」だったのです。

 

そして道半ば、突如 老ノ坂※2 にて別心し

敵は本能寺にあり!!」と光秀は告げた。

 

この時、謀反を決断するには「信長、信忠」ふたりの確たる所在が判明しなければ、決断出来なかったハズです。京に放った探索方からの報告があったのでしょうか…早馬が光秀に駆け寄り「御注進!! 信長公、信忠公、本能寺にあり」と、告げたのか?

(※1 大規模な観兵式や軍事パレード。一説には、信長が森乱丸に突如、指示したと云う。これには、べつの“事案”があったのかもしれない ※2 光秀の謀反について“突然思い立った”かの記述が多い。道半ばの“老ノ坂あたり”で何処からの“使者”が既に待っていたのだろうか?このへんに答えがあるカモしれない)

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△桔梗は別名「岡止々支」オカトトキと云う。土岐氏が本拠とした地名は、この「ととき」の咲く場所「とき」から派生したらしい。土地に咲く花にまつわる家紋とは、何とも優雅な話です。

 

六月二日の未明、京の都に鬨の声があがる

 

京、本能寺に在泊していた織田信長を、明智光秀が兵一万三千で押し囲み襲撃。信長は「こは謀反か如何なる者の企てぞっ!」と森乱丸に尋ね、物見を命じた。

急ぎ物見を終えた乱丸は「桔梗紋、明智が者と見え申し候」と答え、信長は「で、あるか。是非に及ばず」と言い捨てたと伝えられる。

みずから弓を放ち、しばし薙刀でも防戦する信長。そして不意を襲われ“完全包囲”されたことを悟ると、本堂奥に引き籠り火を放ち自害して果てた。ほどなく本能寺伽藍は、紅蓮の劫火につつまれ、焼け崩れ落ちる。

 

太田牛一信長公記※1』でも、本能寺の変はドラマチックに描かれています。

大河ドラマ本能寺の変』信長役、役所広司主演。いい演技ですよ。


YouTube

 

また火災時に、焰硝蔵に引火し誘爆?したので“派手に燃え崩れた”ともいいます。中国出陣前なので、本能寺は「武器弾薬の兵站基地」となっていたのかも知れませんね。

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燃え崩れた本能寺

小瀬甫庵※2の『信長記』では「首を求めけれども更に見えざりければ、光秀深く怪しみ最も其の恐れ甚だしく、士卒に命じて事の外尋ねさせけれども、何とかならせ給ひけん骸骨と思しきさへ見えざりつるとなり…」と、光秀の狼狽ぶりを伝えている。

そして「骸骨と思えるものさえ、一切見つからなかった」と云うのです。

これ信長を取り逃し「もしや上様は、まだ生きているのではないか??」疑心暗鬼に取り憑かれた、光秀の心理状態がよく判ります。

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上様の亡き骸を疾く探せ!

 

織田家当主 織田信忠との闘いへ

 

やがて織田信忠妙覚寺にいることが判り、慌てて軍勢をそちらへ差し向けます。この光秀の“迂闊な采配ぶり”は、いったいどうしたことなのか?

天下取りに動いた武将の行動とは、とても思えない粗忽ぶりです。まったくキレ者、光秀らしくないですね。

一方、妙覚寺で変報を聞いた織田信忠は、直ちに信長がいる本能寺救援に向おうとするが、京都所司代 村井貞勝が駆けつけ「本能寺は、既に焼け落ちた」と伝える。そして「二条新御所は、守るのに堅固」と重ねて進言、信忠勢は二条御所へ立て籠もり、粛々と戦準備を始める。

 

信長公記によれば『ここを出て退きましょうと言う者もいたが、信忠は光秀はこのような謀反で自分を逃さないだろう、雑兵の手にかかるのは無念なので、ここで腹を切ると仰せられた』信忠は、すでに腹を括っていた。

そして『まもなく明智が軍勢を攻めかけた。そこで猪子兵助、福富平左衛門、毛利新助(桶狭間で義元の首を取った武将)らをはじめとし、この他の人々もそれぞれが討って出て、斬り殺し斬り殺され我劣らじと、戦った』寡兵ながらも、信忠軍は奮戦する。

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『しんちようき』陽明文庫所蔵

『信忠は「腹を切った後、縁の板を剥がしてこの中に入れ、遺骸を隠すように」と仰せられ、介錯鎌田新介に命じた。御一門や歴々の家臣、家子、郎党は枕を並べて討死した。この散乱した有様をご覧になり不憫にお思いになられた』

やがて『御殿へもまもなく火が回って来た。この時腹を切られ鎌田新介、ご加護なく首を打ち申した。仰せのとおりに遺骸を隠し置き、無常の煙となり、哀れな様は目も当てられないほどであった』と、信長公記に記されている。

そして「織田家当主 信忠」もまた、館に火を放って自刃した。そして信忠の首も、光秀は手に入れることが出来なかった。この「二重の失策は致命的」となっていく。

(※1 太田 牛一、官位は和泉守、通り名は又助(またすけ)。戦国から江戸初期にかけて活躍。また『信長公記 しんちょうこうき』の著者として有名。信長幼少時代から、義昭を奉じて上洛までを首巻、上洛永禄十一年~天正十年までを十五冊、計十六巻にまとめている。信長近辺の確証できる事跡を編年体にまとめ、比較的正確に記述している。信長の事績を研究するには、無くてはならない一級史料である)

(※2 小瀬甫庵。美濃土岐氏の庶流で、尾張春日井出身。坂井氏の養子となり、さらに土肥氏、小瀬氏と名乗りを改める。慶長十六年に『信長公記』を下敷に『甫庵/信長記』を、寛永十年には『甫庵/太閤記』を記した)

 

遺骨すら残さず、この世からプッツリと消えた信長

 

本能寺の南側、一街(約254メートル)離れた場所に、南蛮寺があった。

そこにいた宣教師の記録には『ある人は日本の大名にならい割腹して死んだと云い、ある人は御殿に放火して生きながら焼死したと云う。だが火事が大きかったので、どのように死んだかはわかっていない。いずれにしろ諸人が、その声ではなくその名を聞いたのみで戦慄した人が、毛髪も残らず塵と灰に帰した』天正十一年『イエスス会 日本年報』やはり間近で目撃した宣教師も、一切何も残さず“消えた”と、描写している。

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イッタイナンデスカナ??

さて、信長の遺体は、本能寺跡でとうとう見つからなかった。しかし、日本家屋がいくら燃え盛っても“骨すら残らない”とは、到底考えられないことですね。最悪でも真っ黒に炭化して“残るはず”です。もちろん、個体判別はかなり困難にはなりますが。

なので、昔から“秘密の隧道(地下道)”があり、密かに逃げ延びたのではないか?と考えられてきました。信長は事変以前、村井貞勝に「本能寺の改造」を命じています。例えばこのトンネル工事を、武田領から連れ帰った「黒川金堀衆」に命じたのでしょうか?

本能寺の変のち、信長の残された息子たちは「父の拝み墓」を建立した。天下人となった秀吉もまた、信長一周忌法要に「木像の葬儀」を執り行い、その墓まで造った。そして「信長の墓と称される」ものは、なぜか各地に伝承されいくつも遺っています。

それぞれの墓に共通するのは、そこには「遺骸は埋まっていない」ということ。これは、探偵小説で言うところの「消失トリック」ですね。

 

それでは、いったい信長の遺体を「誰が…? 何処に…? 隠したのか…??」この謎は、ますます深まるばかり。

 

京、本能寺より四百キロも離れた、西山本門寺にある「信長の首塚

 

静岡県富士宮市にある西山本門寺。そこに伝わる寺伝によれば「信長の首を携えた武士がやって来て塚を築き、篤く弔った話」が遺されている。 

本門寺 首塚前の解説文には…

天正十年六月二日京都本能寺の変で討ち死にした織田信長の首を、囲碁の初代本因坊算砂「日海」の指示により、原志摩守 宗安が信長と共に自刃した父胤重と兄孫八郎清安の首と共に、炎上する本能寺より持ちだし信長の首をここ駿河西山本門寺に納め、首塚を築き柊を植えたのであります。

第百代後水尾天皇のご息女常子内親王の帰依をうけた、当山中興の祖十八代 日順上人は、原家のご出身でご自筆の内過去帳に、本因坊海上人と織田信長公の法号を記し、手厚くご回向されておりました』

…と、記されています。

確かに当時の住職は、十八代「日順上人」で“日海の弟子”であった。しかも日順は元は武家、原家の出身だったそうです。

また、西山本門寺過去帳には、日順自身が「惣見院 信長、為明智 被誅」と記しています。これは「織田信長は、明智光秀により誅殺された」と云う意味。

この“誅殺”とは「謀叛人が上意討ちされる」といった用語なので、まさに信長にとっては「占い通りの天中殺」なのでした。何と、“天が誅殺した”とな?! 誅殺かぁ…。

(※ この事変が下克上であったなら「弑逆、しいぎゃく」と呼ぶ。もちろん“下が光秀、上が信長”である。誅殺ならば、上意討ちとなり、この時の信長の官位は元 右大臣。その上となると日本にはわずか数人しかいない。左大臣太政大臣、その上は天皇しかないのです) 

 

しかし、この寺伝には“数々の不審と疑問点”もあります

 

【疑問点1】囲まれた本能寺をいったい、どのように抜け出せたのか?

この伝承に拠れば、本能寺にいた「本因坊 日海」が指示を出し「原志摩守 宗安」という武士に信長の首を持たせ、囲みを見事にすり抜けたらしい。

しかもこの時、原志摩守 宗安は、信長と共に自刃した自分の父「原胤重」と兄の「孫八郎 清安」の首と共に、本能寺より持ち出したと言われている。

本能寺から「三つもの首」を持ち出した、志摩の守とはいったい何者なのか?! これ、原志摩守がいくら剛の者でも、万余の明智軍に幾重にも取り囲まれた本能寺、そう易々と突破出来たとは思えない。

ましてや小脇に「怪しい物」を抱えた姿なら、誰もが疑います。「そは、怪しやっ!召し捕れやぁ!!」たちまち鉄砲、槍衾の餌食となりますからね。

 

【疑問点2】駿河より手前の織田氏本拠、美濃尾張では何故ダメなのか?

やがて囲みを突破した原志摩守は、駿河にある「富士山西山本門寺」を目指して、一目散に山道をひた走ったと伝えられています。その距離にして、約四百キロ。しかも日に夜を継いで山道をひた走った。どうもこの話も、にわかに信じがたいですね。

そもそも、はるか遠く離れた“駿府のお寺”でなければならない理由、これは「何だった?」のでしょうか。この当時、美濃や尾張 信州などには、信忠配下の武将がひろく展開していました。ならばそのいずくかに駆け込めば、ひと安心が出来るはずなのですが。 

信長の首が“権力闘争の鍵”であるのならば「いったい誰に託すのか?」本能寺にて死を覚悟した信長が、遺言し“後継者を指名”したのではないか。そんな気もするのです。

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赤ピン「富士山 西山本門寺

○富士山 西山 本門寺(にしやまほんもんじ)は、静岡県富士宮市西山にある。日興上人(日蓮高弟の一人、白蓮阿闍梨)の法脈を継承する古刹。老杉の緑に覆われた境内は、3万5千坪(約11万5千5百平方メートル)と広大で黒門から本堂裏手の墓地まで直線で2kmもある。

 

【疑問点3】この「首塚(お墓)に、ヒイラギ」とは、なんとも異様です!

西山本門寺の黒門から参道を約五百メートル。御堂の裏手側に「信長の首塚」は現存します。御堂の背後に「柊(ヒイラギ)を墓標」として「土饅頭の墓」があり、信長の首は約三メートル程下の「土中に眠っている」とされます。

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柊鰯(ひいらぎいわし)

ヒイラギでまず思い出すのは、節分に“鰯の頭も信心から”といった「柊鰯」を入口に掲げて、鬼が嫌うと云う「魔除け法」ですね。また自家の魔除けには、表鬼門(北東)にヒイラギを、裏鬼門(南西)に南天の木を植栽するという。ならばこれ“墓を護る呪術”なのか。

 

いや違うな・・・信長の怨霊を畏れた「鬼封じ」だった?!

 

そう“首塚”と云えば、歴史的に一番有名な「平将門」を思い出しますね

 

すこし余談ですが「平将門の乱」の解説。平将門が関東騒乱の鎮圧の任に当たり、「武士階級を朝廷に認知させるため」の闘いだったといわれる、平将門の乱平氏一族の内紛平定から始まり、関東諸国を巻き込み戦闘は、大きく拡大していった。

やがて将門は朝廷に対し、自らを新たな天皇「新皇」と僭称し、東国勢として独立国宣言をします。このことにより朝廷側より「朝敵」とされてしまう。

そして、朝廷側の追討軍と関東側の将門軍の戦いは、兵力差により決着がつく。その合戦中、飛んできた“矢が将門の額に命中”し、呆気なく討死した。

敗将「将門の首級」は京まで送られ、都大路にて晒される事となった。ところが三日目に、夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、この地(東京)に落ちたとされています。

この“首塚のある場所”に、とても深い意味があります。

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平将門首塚の位置

将門の首塚江戸城の東側、いまの「千代田区大手町、超一等地」にあります。江戸城の大手門を護る位置。そして、何度動かそうとしても「将門の呪い」により、阻止されて来たらしいのです。ここにわざわざ“呪術結界”が張ってある…これ、相当怖い話なのです。

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(伝)織田信長首塚

さてこの駿府の地は、古くは織田信長に討たれた今川義元の本拠地であり、さらには武田勝家の領地となり、次には徳川家康の政庁・隠居所ともなった場所です。

それぞれ三者とも、信長にとって“因縁あさからぬ”人物達なのですね。ここに何か、引っかかるものがあります。

 

ハイっ「真実はいつもひと~つ!!」しかし「歴史の真実は、常に勝者により書き換えられる」とも、云う。アイタタ…ホント、解りずらいねぇ

  

では、その後の「秀吉VS家康」天下盗りレースの行方を、観てみましょう

 

天正十四年、秀吉と家康が対陣した、小牧長久手の戦いの二年後。秀吉に対して家康“臥薪嘗胆の頃”でした。そしてライバルの秀吉は「関白太政大臣」となりました。

家康は本能寺の変後の“出遅れ”が大きく響き、すでに挽回困難な差がつき「天下取りの戦略転換」を図る必要が生じました。

この頃の駿府はうち続く戦乱により、ずいぶん荒廃していました。それでも政庁をあえて浜松から、駿府へと移したのです。“そんな場所”に移る意味とは、そこに“何か”があったから。護らねばならない何か?!

一説には「秀吉ら上方勢に対抗するため」と、言われています。

 

話を本能寺に戻して、徳川家康暗殺説とはホントか?

 

気になるのは本能寺の変について、宣教師ルイス・フロイスが記した『日本史』です。そこには『ある者は、これは信長の内命によりて、その親類たる三河の君主 家康を暗殺するためだったと疑惑した』といった記述があります。

徳川家康の一行(本多忠勝酒井忠次井伊直政榊原康政石川数正服部正成穴山梅雪重臣や小姓の三十四名)が、武田戦勝御礼のため上洛する。そして、五月十五日には、安土に到着しています。

信長が内命した?という「家康の暗殺説」ですが。果たして本能寺の変は『家康と徳川近臣の討伐』にあったのか。この説も迂闊に信じられません。もし信長が本気ならば、“安土城にて家康一行を簡単に討ち取れていた”はずですから。

「信長の夢は、世界にあり!!」

やはり信長は、自身亡き世に“未来に対する布石”を打っておきたいと、考えたことと思いますね。例えば安土城にて、家康に向い世界戦略を語り「将来、日本を禅譲する」と、言わなかったか?それを聴き知った光秀は、そんな(イカレポンチな)信長に絶望したのではないか。そんな気がするのです。

(※穴山 信君、あなやま のぶただ。甲斐武田氏、御一門衆だった。天正十年、甲斐一国の拝領と武田氏の継承を条件に、徳川家康の誘いに乗り内応する。本能寺の変の時には、家康らと共にいたが、畿内から逃亡できず途中で自害した。つまりツメ腹を切らされたらしい『家忠日記』) 

 

明智軍記に遺された「光秀辞世の句」を観てみると

 

光秀の辞世とされる漢詩が、いまに伝わる。内容から勘案すれば、本能寺の変の後に詠んだものと推察※1されます。

『順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元』 明智軍記

<大意> 順逆※2を問われる謂れはない。大道がわたしの心と、やがて判るだろう。五十五年間の夢も醒めてみれば、元の世の中へと戻るのだろう。

 

京の貴族社会での顔が効き、武将としても超有能だった明智光秀が突然、謀叛に走ったのは、それが「世のため、正しい行為」であると考えたから。

やがて時が過ぎればこの行為が、後世の人々が理解してくれるはず。光秀自身はきっと、そう思っていたことでしょう。

(※1 後世の“偽作の可能性”もあります。 ※2順逆は、叛逆の意味。大道は正しい道といったところか)

 

そう考えてみると、本能寺の変が“起ったきっかけ”は、信長の隠居宣言。そして「織田家中の新旧交代と頭首交代劇」から、始まったコトでした。

信長から信忠へ移譲されるものは、支配権力、広大な領地、数多くの家臣団など、多岐にわたります。よって本質的には、単なる「織田家、代替り時のお家騒動」なのであった、と思いますね。

そこに「天下覇権」云々が付加されてくるので、ホントややこしくなる。

(これまだ、続くの? I think maybe.)

 

閑話休題。あぁ疲れた、木の話です。 

 

信長の墓標となったヒイラギの推定樹齢は、四百五十~五百年あたりと診断され、信長が活躍した時代とも、ほぼ一致すると云う。

このヒイラギは随分な大木となり、昭和三十一年には、静岡県の「天然記念物」に指定されました。

また境内の大イチョウが黄色く染まる十一月には、首塚伝聞に由来する「信長公 黄葉まつり」が盛大に開催されています。

 

<参考に、どうぞ>

○参考 壱/本能寺の変、三日前。京、愛宕山おいて「何らかの決意表明」したと云う光秀。本能寺変後には梯子を外され、まったく予想外な展開に直面しました。その当日「光秀が詠んだ連歌」ついて考察してみました。

minminzemi81.hatenablog.com

 

○参考 弍/戦国武将の「お墓」を辿っていくと、本能寺の変などの様々な事件の舞台裏、生存説などの最期にまつわる異説、秘話など。それぞれ名将の波瀾の生涯、戦国歴史ばなしなのです。

戦国武将「お墓」でわかる意外な真実 (PHP文庫)

戦国武将「お墓」でわかる意外な真実 (PHP文庫)

 

  

○参考 参/「戦国一の謀臣」と言えば、このひとしかいない。本能寺の変の前後には、とにかく“キレまくって”いましたから。たくらみごとへの関与は、果たしてあったのか?

minminzemi81.hatenadiary.jp

 

参考/山岡荘八織田信長」、歴史人、ぶらり亀岡、PHP研究所、ウキペディア

(8400文字、You read it, thank you.)

明智光秀と織田信長と本能寺の変。そこから四百キロも離れたお寺にある「信長の首塚」それ、ナンですのん?!『富士山 西山 本門寺』前編です【歴史案件】

2020年の大河ドラマ麒麟がくる」の主人公である、明智光秀。「本能寺の変」は永遠のミステリーと呼ばれ、いまだ多くの歴史ファンを引き付けます。

まずは天正十年、信長が置かれていた状況。本能寺までの流れを追いかけてみることが、肝要でござるな

その明智光秀本能寺の変において、犯した最大のミス「信長の首がみつからない!?」この謎を考察してみたいと思います。歴史ファン待望のドラマ。

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織田上総介信長(出典ウキペディア)
織田三郎/信長/上総介/右府様/第六天魔王

信長は尾張勝幡城で生まれた。子供の頃から“破天荒な行動”が多く、傾奇者の服装でねり歩き、栗や柿・瓜などを食べ歩きした。それで周囲から“大うつけ”と呼ばれる。信長の性格は「極めて残虐、人とは違う、異なる感性」を持っていた。敵対者や裏切り者に対しては、ことさらに残忍であったと言われ、浅井父子と朝倉義景の三人の髑髏を「はくだみ」とし“酒の肴”としたのは有名な逸話、どうも“サイコパスの傾向”があったらしい。しかし、その一方で“世間の評判”を非常に気にしたり、家臣や領民の意見も採用する柔軟性もあった。信長は日頃から武芸の鍛錬に励み、趣味として相撲、鷹狩り、茶の湯囲碁などに自ら励んだ。特に“南蛮文化に強い興味”をいだいていたらしい。最期には本能寺の変にて、明智光秀により弑逆された。享年四十九歳。

 

織田信長は、天正九年八月十三日に「信長自ら出陣し東西の軍勢がぶつかって合戦を遂げ、西国勢をことごとく討ち果たし日本全国残るところなく、信長の支配下に置く決意である!」と、天下一統の野望をあらわにした。

そして、確実にひとつ、ひとつ布石を打ってゆく。 

(※ 囲碁で中盤以降の展開を予想し、勘所となる場所に石をあらかじめ張っておく、戦略的配置のこと。そこから転じて「布石を打つ」という慣用句となり“未来のための下準備”的な意味あいとなった) 

 

信長はついに、長年にわたる宿敵 武田勝頼を追い詰めた

 

本能寺の変が起こる三月前。天正十年三月十一日。織田信長は巧みに内部崩壊を誘い、武田勝頼親子を天目山に追い込め、自害させた。ここに名門武田氏が、滅びました。

そして三月二十七日。高遠城を攻略した嫡男、織田信忠にたいし「そちに天下支配の権を譲る」と宣言するに至る。

 

これは、織田家中の“世代交代”“信長の隠居”を意味する。

人生五十年の時代ですから何の不思議もない。

ですが、実は“大変な決断”なのでした。

武家ではよくあるハナシで「代替り時には、必ずお家騒動が起きる」まして“大き過ぎる権力の引き継ぎ”は、何かと家中係争の引き金となります。

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鳴かぬなら…ていっ!

それは、今回の“武田氏滅亡の遠因”ともなったことでもあり、何より信長自身が実弟信勝と“醜い家督争い”を身をもって経験した苦い過去もあった。しかし嫡男の織田信忠は、父信長の眼鏡にかなった“有能な武将”だったのです。

この時点では、さして大きな諍いも起きず、表面上は“織田家は安泰”と思われました。甲斐から東海道へと至る道を、馬上より「日本一の霊峰 富士山」を眺め、獲得した「織田の新領土」を、ゆるゆる帰国の途に就く。

この時、我が身の来し方行く末、想い巡らしたのではないでしょうか。まずは永年の宿敵であった武田氏を倒し、さらには「後継者問題」も決着した“安土凱旋”なのでした。

 

次なるターゲットは「西国の毛利平定」で、あるか

 

そして、永年に渡る同盟者 徳川家康には、駿河国を割譲した。この旧今川領にて、若き日々を人質として過ごした家康にとっては、駿府は良くも悪くも“想い出深い土地”でした。これにより、家康は東海三ヶ国に及ぶ、大大名へと成長しました。

あとは、関東方面で信長に盛んに抗戦していたのは、越前の上杉景勝だけだった。信長は北条氏まで傘下に収め、武田氏が滅んでまずは“東方の憂い”は去った。また九州の地においては、大友氏や龍造寺氏共、信長とは“表向きは友好関係”にありました。

しかしその一方で、中国地方の大国 毛利一族との文字どうりの“泥沼の闘い”が続いていました。また四国においても、長宗我部氏が突然反旗を翻し、交戦状態におちいった。

 

だが「駄目押し※1」続ければ、織田による「天下一統が定まる」はずであった

 

秀吉は、中国毛利攻めに宇喜多秀家勢(約一万)を傘下に加え、水攻めされた備中高松城はもはや落城寸前。さらには、毛利の後詰軍が着陣(五月二十一日になって、猿掛城に毛利輝元本陣、岩崎山に吉川元春、日差山に小早川隆景)した。

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備中高松城水攻め(東京都立中央図書館蔵)

舞台はコレで整った。あらかた目算※2 がたった羽柴秀吉は五月末、急ぎ安土の信長に援軍を要請し、これを了承される。

さすが“おべっか使いの秀吉”、上様の性格を判っていますねぇ。

 

さぁ、いよいよ「織田軍VS毛利軍」の“天下覇権を賭けた大戦”の始まりである。いやいや「終わり始まりだったのか?!」運命のカウントダウンが、スタートした。

その時、畿内で遊軍だった「明智光秀」ほか各武将の面々に、中国方面への出陣の下知が次々とくだる。信長、信忠親子も最前線へと駆付ける手筈を、急ぎ終えた。

そして舞台は、策謀渦巻く、京は本能寺へ。でで~ん、でん♪

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京本能寺にて

六月に入り織田信長が、自慢の茶道具 九十九茄子茶入、白天目茶碗、高麗茶碗、青磁花入など三十八名品を並べ、京の貴族や商人を集め催した「本能寺茶会」は、満足な結果に終りました。さらには夕刻からは織田信忠主従も加わり、酒宴へと移る。

▷信長は、得意の「敦盛」でも、披露したのでしょうか?


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すべては順風満帆に運んでゆく。やがて夜もふけて、信忠が宿舎の妙覚寺へと帰る頃には、随分盛り上がった酒宴もおひらきとなった。信長は大の「茶事好き」であり、また「囲碁好き」だったのです。

(※1 囲碁での終局、どちらでも無い陣地を「ダメ」と言う。その駄目を埋めて勝敗を明らかにするため、さらに碁石を置き続けることを“駄目押し”という。「駄ジャレ」や「駄菓子」も、ダメよぉ~ダメダメ!)

(※2 「もくさん」とは碁盤の縦横にはしる交叉点のこと。確定地の把握と将来的な地目の可能性、盤上に展開した石の裏表などを総合的に勘案し判断する。転じて“物事の企てや計画する意味”となりました)

 

本能寺にいた「本因坊(日海)算砂」なる御仁、いったい何者でござるか

敵を殲滅するのではなく、最後の局面にて“一目多ければ勝ち”なのが囲碁。そのために知恵を絞り、想いを巡らすのが「戦略」であり、囲碁の醍醐味となります。

 

京、本能寺において、真剣勝負の行方はどんなんかな

 

六月朔※1の夜である。空に月はなく、漆黒の帷が本能寺を包んでいた。

本能寺の片隅にて「本因坊 日海(算砂)と鹿塩利賢」が囲碁対局していた。しばらくすると“盤上に珍しい三劫※2”ができて、決着はつかず“三劫無勝負”となった。

その対局の様子をじっと眺めていた織田信長。やおら立ち上がり日海と利賢に、本能寺に泊ることを勧める。信長のことなので「明日また対局を仕切り直せ」と含めたのかもしれない。

(※1 太陽暦ユリウス暦」では、六月二十日頃。 ※2 これ以降、囲碁世界では「三劫は不吉の前兆」とされるようになった。ただし残された本能寺棋譜には、三劫になりそうな場所はなく“後世の作り話である可能性”が高いという)

 

囲碁名人の「本因坊(日海)算砂」は、実はすごいヒトだった

 

本因坊 日海。永禄二年~元和九年、京都生まれ。京の日蓮宗 寂光寺 本因坊の僧で法名を「日海」と称し、後に「本因坊 算砂」と名乗る。家元 本因坊家の始祖となる※1』

古代からの囲碁は、盤面四隅の星に碁石を配置してから始める「置き碁」だった。十六世紀後半には現代と同じ、自由布石による「互先」が始まる。

(※1 以来、本因坊は代々の世襲制となり、第21代本因坊秀哉まで続きます。昭和十四年、秀哉の引退後は世襲廃止、本因坊は“優勝者に与えられる囲碁の一大タイトル戦”となった)

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黒と白とのせめぎ合い、囲碁

この黒白交互に自由にパチリパチリと打ちはじめる「互先」が考案された天正年間は“織豊時代”であり、天下統一されていった時代でもある。単なる「戦バカ」は、淘汰され、真の実力者が勢力拡大していった。

そのためか囲碁でも“戦術法”ではなく“戦略眼”が重視され「布石」の概念が生まれた。これは、織田信長好みに本因坊日海が「互先」をアレンジしたと思えます。

 

名人、本因坊日海(算砂)と信長の関係はどうだったのか?

 

そして日頃から、信長は日海に囲碁の教えを受けていました。

そんなある日のこと。信長(下手)は日海(上手)と対局し「五子置き(ハンデ)」打ちはじめますがまったく勝負にならず、日海に軽くいなされてしまったという。これには流石の信長も舌を巻き「そちは、まことの名人なり!」と、本因坊日海を賞賛した。ここから現在も使われる「○○名人」という言葉の起こりとされています。

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本因坊算砂、そちは名人じゃ!

それ以来信長は、日海のことを「名人」と呼び、囲碁の師匠と仰いでいた。しかし、明け方には「光秀謀叛の嵐」に巻き込まれることになるのでした。

 

作家 山岡荘八が描く「織田信長」に興味深いシーンがある

 

余談ですが。光秀は「算命術」つまり、いまで言う「四柱推命」を嗜んでいたらしい。

それは合戦前に行う“縁起担ぎ”みたいなもので、出陣の日時、方位、場所などすべて占い、もしも“凶”と出たら合戦延期か、とり止めともなった。もちろんこれは「軍配師」いわゆる軍師の役目で、総大将が執うことではない。

この時も光秀みずから筮竹と算木を使い、自身の“未来運命”を占ったとされる。

そして光秀が『上様のご運は、この六月から“空亡”に入らせられる。空亡は十二年毎にまわってくるその人一代の凶運の時ながら、それにあるは上様お一人ではないぞ。光秀はな、すでに去年、今年と空亡のうちにあるのじゃ。それゆえこの間の出来事は一つとしてよい事はなかった。その空亡を脱するは七月半ば、それまでは光秀も、やはり手を拱いて自らの意思では動かぬものと知るが良い』と周りに告げる。

織田信長(5)本能寺の巻(山岡荘八歴史文庫 14)

織田信長(5)本能寺の巻(山岡荘八歴史文庫 14)

 

ここで言う「空亡」は“大殺界”のことで、“自分から動けば自滅する”といわれている。ならばこれ、随分と自己矛盾した話となりますね。

そして疑問も浮かぶ。

本能寺の変は果たして、“明智光秀ひとり”で起こしたものだったろうか??

 

はなしは「信長の首塚?!何それマジで?後編」へと続きます↓↓

minminzemi81.hatenablog.com

 

昔からささやかれる、黒幕謀略説とはいかに

実は光秀に、本能寺の変をそそのかした「黒幕がいたのではないか?」といった「黒幕」謀略説が、昔からあります。主な三つの説をザックリとご紹介します、色々推理してみて下さい!

 

①朝廷黒幕説

○信長は朝廷側に対して、正親町天皇に譲位を求め、暦の改正(宣明暦を→三島歴に)も要求しました。官職を辞していた信長に、三職推任(征夷大将軍の要請?)したが信長はこれを無視、朝廷は綸旨(りんじ)をないがしろにされ、面目を失くしました。

○また光秀との朝廷のパイプ役「吉田兼見の日記」は、何故か二つあり書き落としの箇所がある。本能寺の変後には、関与を疑われた前太政大臣 近衛前久が出家(号 龍山)、遠江国まで遁走しました。しかしこれ、なぜ隠棲した場所が徳川領なのか? あれれっ、変だよね??

 

羽柴秀吉黒幕説

○犯罪捜査の基本「犯行により一番得した者は誰か?」それは明智光秀を討って結果、天下人となった秀吉です。秀吉は京での変事を知ると、毛利氏と素早く講和(もっと以前に、すでに講和条件等は調っていたはず)を結び、待ってましたと「中国大返し」を敢行。山崎の合戦にて明智光秀を破る。

○その段取りの鮮やかさは、かねてから(黒田官兵衛?)準備万端だったと、想われます。しかも毛利軍は、追撃戦(やれば一方的なボロ勝ちとなる)すらありませんでした。そんな馬鹿な。それでは「秀吉が光秀をまんまと陥れたのか??」権力者は、歴史を捏造しますからね…あるいは。

 

徳川家康黒幕説

○長年に渡り、信長の同盟者だった徳川家康は、武田氏が滅亡することより“東国方面での存在価値”が、おおきく損なわれました。そしてこの時、信長の招きに応じて重臣とわずかな供廻りを連れ、京や堺見物にのんびりと訪れていました。しかし、これはとても危うい状況なのでした。

○本能寺にて織田側が「徳川主従を、ひとまとめに殺害計画」が発覚。この“危機的状況”を打開するために、家康は“何らかの対抗策”を前もって練っていた。その意趣返し、それが「光秀の謀叛」の真意であるとします。しかもその後、光秀は死なず生きていたという伝説まで…マジですかぁ~??

(注/光秀の子孫という明智憲三郎氏が書いた本“本能寺の変 431年目の真実”が、話題になりましたね)

 

④おまけコーナー、新説です

○最近の黒幕トレンドには「四国政策説」があります。林原美術館で「石谷家文書」が発見された。長宗我部元親が光秀配下の武将、斎藤利三に宛てた手紙です。四国方面の政策担当していた光秀は、この政策にまつわる“軋轢から叛意”を起したというもの。

○しかし、斎藤利三や長曾我部氏の“危険な先棒”を、上位者の“光秀が自ら担ぐ意味”が分かりませんが…とは言うものの、この説の可能性はゼロではないからね。さらなる補完出来る、何らかの物証が望まれますね。

 

▷推奨本/『現代語訳 信長公記』 現代語に翻訳され、読みやすい。織田信長の生きた戦国時代の空気感が、よく伝わって来ます。日本史に燦然と輝く伝記作品です。

現代語訳 信長公記 (新人物文庫)

現代語訳 信長公記 (新人物文庫)

 

参考/太田 牛一(おおた ぎゅういち)官位は和泉守、通り名は又助(またすけ)。戦国から江戸初期にかけて活躍。また『信長公記 しんちょうこうき』の著者として有名。信長幼少時代から、義昭を奉じて上洛までを首巻、上洛永禄十一年~天正十年までを十五冊、計十六巻にまとめている。確認できる事跡を編年体にまとめ、正確に記している。信長の事績を研究するには、無くてはならない一級史料である。

○併せてこちらもどうぞ。「信長しくじり先生」ばなし。

minminzemi81.hatenadiary.jp

  

参考/山岡荘八織田信長」、歴史人、ウキペディア

(6000文字、See you again.)

和歌山名産「葉つき布引大根」が手に入った夜に始まる⇒「だいこん祭り」開催【得意料理】

案外知られていないカモですが、和歌山名産の旨いもん「布引大根」をご紹介します。

 

首大根なんですが。和歌山の紀ノ川筋、布引地区の砂地畑で採れます。この地域は水はけの良い肥沃な土壌に恵まれて、古くから紀州大根の産地として知られていました。例年、だいたい11月下旬あたりから「美味しい布引大根の最盛期」に入ります。

紀州和歌山の風土に最も適した大根として、徳川御三家の時代から栽培されていたと言います。江戸時代から連綿と栽培され続けた、永い歴史があったのです。


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地元の和歌山大学 地理学教室の報告よれば「砂質土壌はサラサラとした砂粒から成っている。通気性、排水性に富み土中深くまで酸素の供給が良く、しかも柔らかい土壌のために、根菜類の生育には最適です。大根、人参などは、その身も表皮も軟らかく美しい」と、評価しています。

確かに朝採りのフレッシュな大根だと、ナマでも甘くて美味しいのです。皮付きそのまま薄切りしパリパリといただくと、甘くフルーティな味わいと舌触りが抜群にいいことが判かりますね。

 

それでまぁ、今日の我が家は「だいこん祭り」絶賛開催中なんですよ。

 

調理開始!大根をすべて使い切るのです

 

まずは葉の根本のところを切り落とす。さらに大根本体を上を三分の二、下は三分の一くらいに切り取り、スリーピースにスポポン♪と分断します。これは首に近いところほど甘みが強く、下にいけば少しだけ辛味が出てくることから。なので使い分けます。

上葉は約三ミリ厚(適当)細かく刻み、胡麻油と醤油で軽く炒める。鷹の爪(もしくは七味)と黒胡麻は、お好みで加える。シャキッと感、炒めすぎないのがコツ! はいっ、ご飯の友「大根菜炒め」完成! まいう~♪

コレで御飯が二膳はイケますね。ホントホント!


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大根の上半分は、煮物にします。今回は予算の関係で「鶏手羽元」にすることに。手羽元はフライパンで軽く焼き目を入れて、大根は皮付きのママ半月か銀杏切りにします。出し汁に醤油と砂糖1:1、料理酒を少し加え、落し蓋して二十分ほどコトコト煮る。火を止めしばらく置く。

また「豚バラ肉」で炊くのも美味しい。いや、個人的にはコッチがオススメかも。

 

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後日作ってみました鰤大根

また、これから寒い季節がら「いい鰤アラ」が手に入れば「ブリ大根」に、また「おでん」の具にも、最高ですよ♪

さぁヘルシー「鶏大根」の完成です!

あぁ慌て過ぎた、刻み大葉を最後のせるの忘れていた…冴えない写真になってる。


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あと残りの大根下三分の一は「大根おろし」 にします。これを秋刀魚や寒鯖の焼魚の上に、ドカっと載せれば大根一本丸々使った“ヘルシーメニュー”の完成です。う~ん…あとは「ポン酒🍶」かなぁ~、地元海南の「黒牛」推し!

 

【追記】

食事の〆には漬物が欲しい。和歌山オカンの「おくき」レシピ。

<材料>

布引大根、塩、だし昆布、鷹の爪(唐辛子)砂糖、酢。

<作り方>

①大根を適当な厚み(好みで)の銀杏切り。
②漬物つけ器の底に、塩を少しふる。
③その上に、大根を一面乗せる。
④乗せた大根の上にも、塩を少々。
⑤大根の上に出し昆布(細くカット)を敷く。
⑥これを容器がいっぱいになるまで、繰りかえす。
⑦酢と砂糖の「甘酢」を、上からまんべんなく回しかける。
⑧鷹の爪(唐辛子)を、パラパラふる。

○最後に重し乗せ冷暗所で保存。数時間ほどで大根から水が上がって来るので、ギュ~っと絞ります。これを繰り返します。また、大根の替りに「白菜漬け」も美味しい!

 

(1400文字)

少しづつ秋が深まるこの季節にピッタリ、素敵な絵本『ルリユールおじさん』をご紹介します いせ ひでこ 作品【推薦図書】

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この本が生まれた、きっかけとは

 

この本の作者である伊勢英子さんは、フランス旅行中に偶然、ヘンテコな部屋を発見した。通りの窓越しに室内を観れば、古い羊皮紙の本が並び乱雑な室内、そして見慣れない工具がある、とてもフシギな部屋だった。

「ここは、一体なんだろう??」

とても気持ちを引かれ、しばし立ち去ることを躊躇した。そこで、彼女がとった行動がなんとも素敵なのです。

自分が書いた絵本を、郵便受けに投函したといいます。その本に「アナタにお会いしたいです」と書いた手紙を添えて。

 

宿屋にて何日も返事を待つ伊勢さん。

 

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そして諦めかけた滞在最終日に、ようやく返事が届いた。

「一時間なら、お会いしましょう」と。

返答にしばらく時間がかかったのは、この部屋の主のおじさんが病気になり、入院していたからでした。

 

おじさんのルリユール工房にて、出会った興味深いモノ

 

急いで面会にむかい、くわしく話を聞いた。

実はこの不思議な部屋は、古い本を修復する「ルリユール工房」だったのです。そして部屋の写真を撮りたいというと、それはダメだとおじさんはいいました。それならばと伊勢さんは、夢中で工房内や街並みなど、スケッチしまくったといいます。

そのあと、何度もおじさん(齢八十歳という)の工房を訪ねることになる。

ついに伊勢さんは、パリにアパートメントまで借り滞在し続けた、といったイレコミぶり。やはりそれだけの魅力が、「おじさんの工房」にあふれていたのですね。

(※ relieur、ルリユールは、フランス語で「工芸製本」と呼ばれ、職人の手作業による装丁や製本その技術のことを指します。手作業で一冊の書物に仕上げるルリユールは、ヨーロッパで数百年も続く伝統的な技術です)

 

そしてこの本『ルリユールおじさん』に結実した

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絵本『ルリユールおじさん

素晴らしい絵本が完成しました。

2011年初版、いまもたくさんの人に読み継がれているのは、絵本好きにはたまらない“空間や時間”が共有できるからでしょう。

工房内の描写には、おじさんが仕事に使う機械などマニアックな絵も多く、それらを水彩の淡いタッチで、独特な工房の空気感を表現しています。

あなたが「絵本好き、植物好きで、あと…ちょっぴりフランス好き」ならば、ドンピシャにハートに届きます。

さらに「子供の心を持つ大人のための絵本」でもあります。

 

「本と、おじさんと、おんなのこ」の話なのですよ

ルリユールおじさん (講談社の創作絵本)

ルリユールおじさん (講談社の創作絵本)

 

○作者 いせひでこ講談社 ○ねだん1600えん

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○カンタンあらすじ/

パリのまちに朝が来た。

ソフィーが大切にしていた「植物の図鑑」が、バラバラになってしまい困ってしまいました。そこであるヒトに教えてもらったのが「ルリユールおじさん」でした。

路地裏の静かな通りにひっそりとルリユールおじさんの店はありました。「ルリユール」とはもちろん“手作りの製本”のことです。

ソフィーが歩き回って、やっと探し当てたお店なのでした…「はいっても、いいの?」

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伊勢英子さん

○伊勢 英子(いせ ひでこ)1949年5月13日~北海道生まれ、絵本作家。父は画家、夫はノンフィクション作家柳田 邦男。「いせひでこ」名で活躍している。東京藝術大学 美術学部卒、フランスにて一年間イラストレーション技法を学ぶ。38歳のとき、眼疾患で右目の視力を失くす。「グレイがまっているから」で産経児童出版文化賞水仙月の四日」で産経児童出版文化賞美術賞。「ルリユールおじさん」で講談社出版文化賞絵本賞。

▷『ルリユールおじさん』朗読/田中好子


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▷リンク/フランスでの評価⇒ Sophie et le relieur - Hideko Ise - Babelio

 

(1600文字、I think you should read this book.) 【今週のお題】秋の空気

アメリカ空軍に39年間もエンジニアとして勤めた、レイモンド・スジマンスキ氏が「ロズウェル事件」の真相を語る!【UFO告発案件】

いまや、常識カモ?!「見よ!あれが空飛ぶ円盤なのである!」ゆん ゆん ゆ…

ついに米軍が「UFO案件」を認めたようですよ!そんなこと初めてのことじゃないかな。いまだに「UFOがいるか?いないか?」と議論したがるヒトがいるが、いやいや物理的に、それは間違いなく「存在している」のだ。それで…いま問われているのは「その正体」なのです!「ムムっ」そうだ、いったい何なのアレ??

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レイモンド・スジマンスキー氏

胡散臭い…有名な英紙「The Sun」の報道によると、39年前にエンジニアとしてライト・パターソン空軍基地に配属されたスジマン好き氏(仮名)は、当時の教育係から「ワエらのえいりやんのこと、知っちゃ~るかえ?」と、予想だにしなかった和歌山弁で聞かれた。←コラコラ<笑

 (※このザ・サンは、英国を代表する日刊タブロイド紙。世界でもっとも発行部数(日本除く)が多い。なので、大衆に与えるインパクトは、色んな意味でとても大きいのです)

 

~只今、The Sun風に、お届けしております~

 

○スジマン好き氏(仮名)が言うには、米オハイオ州デイトンにあるライト・パターソン空軍基地の地下にロズウェルで回収された「生きたエイリアン」と「死んだエイリアン」と「普通のエイリアン」を隠蔽するための“トンネル”が掘られていたという。

 

○このトンネルとは、hangar下を繋ぐ連結部か?地下壕なのか? 基地「地下構造物」のことと思われます。そして、ライトパターソンには、昔より“hangar 18”伝説があります。

以下、情報を補足していきます。

(※hangarとは、腹ペコでもなく、服を引っかけるヤツ、でもありません! 飛行機の格納庫を、何故かカッコつけて“ハンガー”と呼びまする。意味はたしか…田舎小屋みたいな、なんやソレださっ<笑)

 

そもそも「UFOとは、なんですのん?」

 

「え~、そこからでスカ?」そう~なんです、川崎さん。ではでは、チョッチだけ<用語解説>いたします。

それで、よくいう「未確認飛行物体、U.F.O.」は本来、軍事的なスラングで、航空管制が把握できない航空機、ミサイル、気球などを指す航空用語でした。なので“国家の安全”のために「戦闘機のスクランブル要撃対象」となります。メッチャ怖いです!

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F-4ファントムII 戦闘機(手前)Tu-95 偵察機(奥)

軍事用語での「未確認飛行物体」スクランブルで出撃した米軍「F-4ファントムII 戦闘機」にインターセプトされた、ソ連軍「Tu-95 偵察機」現認されるまでは「UFO、未確認飛行物体」だった。 (出典、ウキペディア)

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F/A18 スーパーホーネット

▷参考動画1/米軍が「UFO案件※」を正式に認めた「Go Fast」海軍のF/A18スーパーホーネットスクランブルした、未確認飛行物体の映像です。「超高速飛行するUFO」を見たパイロットの、興奮した音声も入っています。(2015年1月撮影)

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また海中に潜む未確認物体を「U.S.O.(未確認潜行物体 Unidentified Submerged Object)」と呼びます。最近はこちらが、がぜん注目されています。海にいるUFO。

一方、雑誌やテレビメディアでは「エイリアンが乗る、地球外からの飛行体」といった特殊な意味で「U.F.O.」と呼んでいます。目撃された形状から「Flying saucer、空飛ぶ円盤」が当初、使われていました。ですから少しだけ、イメージが違いますね。

(※早稲田の大槻教授に云わせれば、すべては“プラズマ現象”で片がつくらしいが…違うと思ふ)

 

ライトパターソン空軍基地は「UFOの聖地」だよ

 

▽ライト・パターソン空軍基地 (Wright-Patterson Air Force Base)とはアメリカ、オハイオ州にある、全米最大級の空軍基地なのです。基地名は、世界初の有人飛行を行った「ライト兄弟」と「フランク・S・パターソン」にちなんで名付けられました。

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まさに「航空史を飾るに相応しい場所」ですね。ライト兄弟が飛んだ「ハフマンプレーリー」が滑走路エンドにあります。基地の南に“アメリカ空軍博物館”や“付属ゴルフコース”まで備え、横っちょには“MAD”川が流れている。Wow…こりゃ、なかなかやでな。

○特筆すべきは1994年に、ライトパターソン空軍研究所が「ゲイ爆弾」と呼ばれるビッくら珍妙兵器の開発のため、政府に750万ドルもの予算を要求したことがあります。リンク↓は、その記事ですよ。も~コレは、爆笑ダナ。

minminzemi81.hatenadiary.j

 

ライトパターソン基地に、隠されていたものとは?!

 

○世にも悪名高い「ライトパターソン空軍基地」昔からUFOといえば「エリア51」と並んで、必ずこの名前が登場します。それくらい「UFO案件とは、切っても切れない関係」がある、いわゆる“UFOの聖地”なのですね。

(※2013年、米CIAが情報公開請求に基づき、資料公開という形で「エリア51の存在」を公式に認めた。実はいままで「一般販売の地図」や「Google Earth」にまで所在地は記載されていた。しかし、なぜか米政府や米軍は何十年も「エリア51」の存在をまったく認めなかったのです。疑惑臭がプンプン、UFOマニアもプンプン)

この辺りの話は、UFO👽マニアなら「あたりまえだのあっちゃん話」なれど、UFOにあまり興味ない人には「え~なんのこっちゃ??」となるので、なるべく噛み砕き、テゲテゲでお伝えいたします!あ、いや、結構ムズいコトですね。笑

 

さて、スジマン好き氏(仮名)は「1947年のロズウェル事件で、墜落したUFOとエイリアンを精査するため、ライト・パターソン空軍基地に移送。それらが“地下の秘密トンネル”にいまも保管されています」と、衝撃的なビッくら発言をしたのです。

さらに、スジマン好き氏(仮名)によると、どうやらこのことはライト・パターソン基地内では“周知の事実となっている”らしく、先程の教育係も「ほいて、基地で働いちゃ~たらな、だえでも知っちゃ~るでぇ!」と和歌山弁でいいました。←をいをい!<笑

 

▷参考動画2/「ufo hangar 18」まるで出来の悪いSF映画みたいだが…なんだろねぇ、これは?! しかも繰り返し流れる「We are your friends」トモダチ作戦か?<爆

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なので“隠蔽された宇宙人”に興味を持ったスジマン好き氏(仮名)は、ライト・パターソン空軍基地の“秘密のベール”をツッコミ調査してみたらしいのです。

すると、同基地内の海外技術部門(Foreign Technology Division)に、空軍の公式UFO調査機関である「プロジェクト・ブルーブック」が存在していたことが解った。

これは、ビンゴ!!

プロジェクト・ブルーブック(Project Blue Book)とは、1952年から1969年にかけて“実際に活動”していた、アメリカ空軍の「UFO研究セクション」だったのです!

(※米空軍のUFO調査機関。48年には「プロジェクト・サイン」を設置、のち「プロジェクト・グラッジ」と改名、52年には「プロジェクト・ブルーブック」と再編され、69年までUFO調査が継続された)

 

ハイ、盛り上がってまいりました!

 

「ブルーブックリポート No.13」案件、1977年のことです。この年「ブルーブックリポート No.13」が、アメリカ空軍(ライトパターソン空軍基地)の情報部員に配布された。

そこには「アメリカ政府と宇宙人との接触」などが記載されており、グレイタイプの大型サイズである「ラージ・ノーズグレイ」やや小型サイズである「リトル・グレイ」の記載があった。

(※まるで魚のblack bus「ラージ・マウス」や「スモール・マウス」みたいだが、“相手は宇宙人”なのである。これ結構ヤバい案件だ)

MJ-12メンバーが直接接触したものとして「人間そっくりのブロンドの美人、背が高い宇宙人(ノルディック星人か?)」や、「人間クリソツのオレンジ髪の宇宙人(クラリオン星人か?)」その他様々な宇宙人も過去には居たらしい、都合57種くらい?どんだけぇ~!

(※マジェスティック・トゥウェルヴ(MJ-12)とは、ロズウェル事件等UFO案件に対処するため、トルーマン大統領が1947年に「MJ-12委員会」を設置した。アメリカ合衆国の政府高官や科学者など、12人の専門家で構成されており「世界を陰で操っている」と噂される謎の組織なのです。「ヱヴァ」でいえば「ゼーレ」ですね)

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いわくつきの宇宙人の解剖?!

また、宇宙人の解剖写真や生きた宇宙人の写真、UFO内部構造の写真なども記載があったというのです。「うわぁ、マジですか…キモ😱」

  

そう、すべての疑惑は「ロズウェル事件」から始まる

 

遡ること1947年、米ニューメキシコ州 ロズウェルでUFOが墜落しました。墜落現場では、四体の宇宙人が回収された。その外見は人間離れしていて、灰色の体色、身長は1.2m、頭だけが異常にデカくて、アーモンド型の大きな瞳に小さな鼻と口を持つ。

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グレイタイプ想像図

そのうちの一体は、かろうじて生きており手当された。1980年頃にあったという「宇宙人との会見時まで生きていた?!」その後に、お迎えの宇宙人に引き渡されたらしい。

その宇宙人は地球人類とは全く異なる生物であり、いまでは一番よく知られている「👽グレイタイプ」と呼ばれる宇宙人だった。

そうです、いま思えば、1978年に日本公開された『未知との遭遇 Close Encounters of the Third Kind』は、ヘンテコな映画だった。あれは、捕えられたグレイタイプ宇宙人の「返還物語」だったのだ、と思いますね。

▷参考動画3/『未知との遭遇』⇒Close Encounters of the Third Kind (6/8) Movie CLIP - Communicating with the Mothership (1977) HD - YouTube

スピルバーグアメリカ政府と共謀?し「宇宙人との遭遇による人々のショック」をやわらげる意図があった。そしてきっと、実話(グレイタイプとのコンタクト)をベースに、この映画を構成したのでしょう。

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ロズウェルのUFO墜落現場といわれる写真

さてこの事件が“一般的に知られるきっかけ”となったのは、1947年7月8日にロズウェル陸軍飛行場(Roswell Army Air Field)が発表した、簡単なプレスリリースからでした。

このリリースの中で「第509爆撃航空群の職員が、ロズウェル付近の牧場から“潰れた空飛ぶ円盤”を回収した」と、発表しました。まだまだマスコミ対策が、ユルユルの時代だった。新聞に『RAAFは、ロズウェルの牧場で“空飛ぶ円盤”を捕獲した』ババ~ン!!

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ロズウェル・デイリー・レコード紙

(※ reference ⇒第509混成部隊 - Wikipedia 広島・長崎へ原爆投下したことで有名な爆撃部隊)

ところがその数時間後、第八空軍司令官はこの発表をすぐに撤回「RAAFの職員が回収したものは、空飛ぶ円盤などではなく、気象観測気球であった」と急ぎ訂正した。もちろんいまでは、気球などではないことが判かっている。では、本当は何だったか?

 

 ▷参考動画4/「ロズウェル事件の真相 1~4」このロズウェル事件、知れば知るほど、興味をそそられる話です。いったい“hangar 18”とは何なのか?!

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(※「MUFON」は、1969年に設立されたUFOの世界最大の調査組織。世界42ヵ国に支部を持ち、過去50年にわたってUFOに関する資料を集め続け、七万にも及ぶファイルは「HANGAR 1」と呼ばれる倉庫施設に保管されています。ムーフォンは民間の団体なので“比較的信用”できます)

 

▷参考動画5/ 「SOM-1-01 宇宙人取扱マニュアル 1~4」米軍のUFO案件、その対処マニュアルが発見された!そして回収されたエイリアンが、眠る場所とは?!

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(※上の動画4&5はツッコミ所満載ですが、今回はスルーです。沼りますので、笑)

 

宇宙人のお墓の場所まで判っているらしいよ


○スジマン好き氏(仮名)よれば、トンネルに続き“貯蔵庫”らしきものも、見たという。しかし、その中に入り保管されているという“エイリアンの姿”を見ることはできなかった。この基地内には、最新鋭の“気候制御施設”や地下深く“低温施設”を所有しているという。これが「UFOやエイリアン」存在の“何よりの証拠”であると氏は主張している。

さらになんと、同基地内でエイリアンが埋葬された場所が四つもあり、スジマン好き氏(仮名)いわく、海外技術部門に隣接した駐車場の地下にも「👽身長2.4mの宇宙人の遺体」が埋葬されていて、さらに「👽身長1.2mほどのエイリアン」も埋められている場所まで判っているらしい。なんとな!

そして、真夏でも黒いスーツに身を包んだ「メン・イン・ブラックの男」たちに三回ほど尾行もされたと自慢する。Mibが登場するなら、こりゃホンモノだよ…ね??

▷『Mib』は、だいたいこんな感じですね⇒ Will Smith - Men In Black - YouTube

 

○参考動画6/懐かしの『矢追純一👽UFOスペシャル(1980年2月28日)』 ライト・パターソン空軍基地の「hangar 18」にあるという宇宙人と「メン・イン・ブラック」について言及しています。⇒https://youtu.be/5rg567ndSG8

 

▷参考動画7/そうそう、忘れちゃいけない最重要案件があった。日本で「UFO」といえば、「ピンク・レディー」彼女たちの“最大にして最高のヒット作品”がコレ。当時の「女子小学生は、全員振付けをマスターした」というぐらい社会現象を引き起こしました!

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△振付けマスター用の「ミラー反転ver.」まである。さぁ、踊ってみよう♪あ~そうそう、あと日清の焼そば!コレがまた…まさに「UFO✋現象」恐るべし!

 

○併せて読みたい、いやぜひ、読んで頂きたい! 日本の日航機がアラスカにて、UFOと遭遇した不思議な話。『日航ジャンボ機UFO遭遇事件』↓↓

○参考・引用/The black vault、TOCANA、ウキペディア

わりと愉しい<閲覧注意>⇒知的好奇心を刺激するニュースを配信 TOCANA

 

(6000文字、thank you for reading.😊UFO is nearby!)

驚愕!未知との遭遇『日航ジャンボ機 UFO 遭遇事件』1986年11月17日 アラスカ上空において【UFO目撃案件】

満点の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、
煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂のなんと饒舌なことでせうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も、瞼に浮かんでまいります。
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いや「ジェットストリ~ム」は関係なくて、 UFOの話なのです。しかもなんだか“キナ臭い展開”となる…?

1986年11月17日「JAL ジャンボ機 UFO 遭遇事件」

日航1628便 ボーイング 747は「フランス産のボジョレーヌーボーの大量輸送」のためパリを飛び立った。一路東京へと「アラスカ、フェアバンクス上空」を高度10,600mで、時速900~910kmあたりで巡航していた。

(注/この年の前年、1985年の夏には日航123便御巣鷹山の大惨事があったばかり、つまり世間的にもわりあいピリピリムードの空気があった。)

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接近遭遇、フェアバンクスと空軍基地との中間点

▷使用機材は「JAL1628 特別便 日本航空ボーイング 747-246F カーゴ機」

▷飛行経路は「🇫🇷フランス(パリ)発→🇮🇸アイスランド(ケプラヴィーク)→🇺🇸アメリカ(アンカレッジ)→🇯🇵日本(成田)着」

日航1628便、コックピットクルー三名 (遭遇当時)  機長 寺内謙寿(47歳)副操縦士 為藤隆憲(39歳)航空機関士 佃善雄(33歳)

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B747 JAL CARGO

○当該案件、FAA(連邦航空局)が作成した秘匿文書(1,569ページ)は、しばらく行方不明のままだった。2018年になって「米国立公文書記録管理局」で、その関係文書のコピーが発見された。(※ザ・ブラック・ボルトが開示要求した案件)

そのうちのファイル、日航便機長がアンカレッジにて記述した『Written Statement by Capt. Terauchi [In Japanese]』を採録します。寺内氏は絵心と軽妙な文書を書く方で、レポートの書き出しはこんな一文で始まる。

(※以下、寺内機長が搭乗後に日航社用便箋に記した、証言と図表である)

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奇妙な出来事の始まり、アラスカフェアバンクス上空 

 

○現地時間の午後17時05分。その日は雲もあまりなく、気流も安定していた。アンカレッジの管制塔とコンタクトし、タルキートナへ進路(南方)を取った直後、日航機はとてつもない「奇妙な光」と遭遇することになるのだ。

 

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○コックピットクルーの三人は日航機の左30度前方、下方600mほどの場所を先行する二つの光の帯を見つめていた。この謎の灯火は、航空標識みたいに想えるが、もちろん違う。空中に浮かんでいるのだから。ある意味、オカルティック!

 

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最初、光の帯のような長方形だった

 

○当初は、特別任務の軍用機か何かだと思って、機長もあまり気にとめていなかった。ところが、いつになっても飛行位置を変えないことが、気掛かりになってきた。そして副操縦士が、アンカレッジ管制センターに滞空エアの存在を尋ねる。

 

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日航機とアンカレッジ管制との交信記録

 

○やがてその動きが、「二匹の小熊がじゃれあいする」ように動き出したという。日航機に対して、さかんにアピールしだしたのだ。 

やがて機長も「UFOかもしれない」と思い始め、所持していたフィルムカメラで写真を撮ろうとした。しかしカメラはレンズの伸縮を繰り返し、AFシャッターが切れないなどの異常を示し、結局撮影をあきらめたという。

 

瞬時に日航機の前面に移動した、二機のUFO。意図が解らない

 

○それからしばらくして、日航機の飛行方向に突如として「二機のUFO」が現れた。高速移動して、しかも前面の一点に静止したまま、動かなかった。その時の様子を、機長は次のように記述している。

 

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○UFOを認識して七分たった頃『突然、全く突然に我々の顔面に、二隻の宇宙船が静止してさかんに光をはなっている。コックピットの中も明るくなるし、顔も少々ほてる感じがする。高速移動したためその慣性を殺すための噴射なのか、眼前の一点に静止したまま見事に動かない。3~7秒ぐらい経過し、我々と同速で定速運動に入ると焔のような噴射はやみ、小さな円形の光になった。なんと排気孔が大量に見えるではないか』機長は冷静に、UFOの観察を続けている。

 

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ジャンボ機の正面位置に見えた

 

○やがて機長は、目の前でまばゆく光る物体に大量の排気孔があるのに気付いた。しかしエンジン部分は、見えなかったという。機体バランスを保つためか排気孔からの噴射は、強くなったり弱くなったりしていたらしい。

 

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○航空機の胴体みたいな円筒形で、回転しながら排気?して推力を得るシステム、そして大量に並ぶ噴射孔だけで、姿勢制御出来るらしい。この時代、いや、いまの航空技術でも、存在したとは考えずらいシステムだった。

 

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○そしてアンカレッジ航空管制に、再び副操縦士が問い合わせた。しかし管制からの応答は「周辺空域にはJAL1628便以外に機影はない」というものであった。

管制官からの「ビーコンの色はなんだ?」との問いかけに「白と黄色と、思う」と応える「自分が見えているものが地上レーダーに捕捉出来ない?」クルー達の疑心暗鬼が、この後も続くことになる。

 

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日航機とアンカレッジ管制との交信記録

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○ジャンボ機WXレーダー(機上気象レーダー Onboard/Airborn WX Radar)で“謎の航空機体の捕捉”を試みる。レンジミニマム、フォワード、チルト水平位置。すると画面上に現れたものとは“驚愕すべきモノ”だった(曲線ライン、5マイル刻み)。

 

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7~8マイルに緑の円形で表示された

 

○自機WXレーダーに捉えた「緑色の物体」の意味は、雲や霧であり、金属製ではないことを示している。航空機は、エコー画面に通常赤色で表示される。

 

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○二機編隊で優位な位置取りをするUFO、一定のスペースをとり追従する。それだけだと要撃機のスクランブルみたいだが、やがてその正体を顕すこととなる。

 

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トゥーリバースを過ぎたあたりで

 

日航機は、フェアバンクス市街地上空にさしかかった。そこに現れたモノとは! 

(※良くある勘違い/ UFOは「unidentified flying object、未確認飛行物体」の略称。なので「変な宇宙人が円盤に乗って地球にやってくる」ことだけを指す訳ではありません)

 

突然、姿を現した母船型UFO、そのサイズに驚愕す!

 

○機長手記によれば、直径がジャンボ機の3~4倍にもなる「巨大な球形型UFO」で、航空母艦のサイズだったという。危機感を覚えた機長は、フェアバンクス上空で360°右旋回して逃れようとしたが、ずっと日航機の左後方に併航してくる。

(※米航空母艦のUSSエンタープライズ(CVN-65)で、長341m、ジャンボ機は長70mほど)

 

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機長の説明ではUFOは、とてつもないサイズ

 

○その後、アンカレッジに向かう日航便が、ユナイテッド航空機とすれちがった。するとUFOは突然反転し、今度はUAL機の追尾を始めた。同機がフェアバンクスに着陸すると、どこかにUFOは消失したという。またこのUFO騒ぎを聞きつけた「空軍のC-130H輸送機」が、現場に近接したが当該物体は確認出来なかった。

 

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UAL機に状況チェックを依頼する

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○アンカレッジ着陸後には、アメリカ連邦航空局(FAA)により、機長の事情聴取が行われチェックされた。寺内機長については「酩酊、薬物などの可能性がない」ことが証明された。しかし、この話はまだ終わらないのです。

 

日航機UFO遭遇/再現シュミレーター動画。当該UFO機がまるで「ステルス爆撃機のB2」みたいになってますね。ワザとなのかな? もしくは「TR-3B」??

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(※B2スピリットの初飛行は、1989年7月17日となる。運用配備が1997年。全長21.03m、全幅52.43m、全高5.18m、最高速度は約1,000km/h、生産コストが高額だったので量産されなかった)

 

後日談は、すったもんだの末、残念な結果に

 

ところが、日航便の副操縦士は「光は見たが飛行物体の形は、確認できなかった」と証言。航空機関士に至っては「何も見ていない」と、ハッキリ証言している。寺内機長は「機内が照らされて熱も感じた」と述べている。しかし副操縦士も機関士も「そんなことはなかった」とキッパリ否定。ん、そうだよなぁ…

 

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日本をはじめ世界各国の新聞やテレビ、週刊誌で採りあげられ大きく報道された。ところが突然「これはUFOではなく、惑星を機長が見間違えたもの」とする論調が、マスコミを介してリリースされた。でた、惑星…?なんだそれ、ありえないけど。

なおこの機長は、この事件の前後にも「UFO目撃談」を語っており、この事件の後でも再びアラスカ上空で「UFO」を目撃している。どんだけぇ~!

寺内機長はその後、地上勤務に異動となった…あぁ。

 

それから時が流れ、忘れた頃にある発表があった 

 

2001年のこと、FAA職員であり当時、事故調査部長だったジョン・キャラハンが「JAL1628便UFO案件」を裏付ける証言をした。

実際には、日航機がアラスカ上空で遭遇したUFOは、地上レーダー上でも捕捉され、機長の要請に呼応する形でFAAがレーダー追跡して、管制が記録をとっていたという。

当時、キャラハンは資料と記録をFAAの技術センターに移送させ、模擬管制室を用意し録音やデータを元に、管制経過をリアルタイムに再現した。

 

▷再現ドキュメント「JAL Flight 1628」クルー目線で、状況変化がわかり良い作り方をしている。日航機は、かなり危機的状況にあったように思える。

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そしてFAA所長である、元海軍中将ドナルド・D・エンゲンに、再現された「レーダースクリーン状況」のビデオを見せたらしい。すると所長は大慌て、その夜の予定を全てキャンセルし「大統領に面会する」と言い残し出て行った。

当時の大統領「ロナルド・レーガン」のスタッフに、キャラハン他、FAA関係者22名、FBIから3名、CIAからも3名、が召集され会議が開かれた。

会議後、参加者全員に対して「CIAから緘口令が宣告」された。「本事件は存在せず、この会議も開催されなかった」と。さらに、FAAが会議に提出した資料や、レーダー記録等はCIAらにより全て持ち去られた。

しかし、FAA側は「報告書や録音テープ、再現状況録画ビデオ」などの、原本を保有していた。これらには提出を命じられなかったので、キャラハンらは保管し続け、後に資料を公表したことから明るみにでたのでした。

 

▷ジョン・キャラハンが証言しているビデオ。なにやら「米軍と政府の動きが怪しい」みたいだ、とキャラハンは述べている。こちらは、日本語字幕付きです。

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レーガン大統領は、「UFO遭遇事件の一連の報道」に対して、アメリカ国内のマスコミに圧力をかけはじめたのだ。

ひぇ~、マジモンの「MIB案件※1」だったか。道理で寺内機長が急にトーンダウンしたワケだ。でもこれで、逆に信憑性が増したよね。

それで、謎の巨大な光の正体は「HAARP兵器」による「何らかの秘密実験※2」とする説が、かなり濃厚なのです。なぜなら目撃場所が、アラスカ…。

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空の旅は、ご安全に

(※1 メン・イン・ブラック、Men in Black、MIB、とは「UFOや宇宙人などの目撃者・研究者」の前に突然現れ、警告や脅迫を与えたり、さまざまな圧力や妨害を行う“謎の組織”である。最近では「BOSS」のCMに、MIBのジョーンズ氏が出演していた)

(※2 HAARPは「高周波活性オーロラ調査プログラム」の頭文字であり、アメリカ合衆国 アラスカ州 ガコナにある。HAARPは、陰謀論を信じる者にとって“疑惑の総合商社”となっていた。この研究には米海空軍も参画していた。つまり表の顔と裏の顔がある。アラスカ州にあるHAARP研究施設(建設は80年代から)には、2億9000万ドル(約313億円)もの投資がなされたという。また、閉鎖されたという話もある)

 

▷アラスカ・トライアングルについて

アラスカには「魔の三角地帯」と呼ばれる地域があります。このアラスカ三角地帯では何千人もの行方不明者がいて、ほとんどがその姿や痕跡を残すことなく忽然と消えてしまうのです。

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アラスカ・トライアングル

服や遺骸も発見されず、忽然と地上から消えてしまう。地元ではUMAやUFOの仕業であると、騒がれているらしいのですがいまだにハッキリとしません。

 

▷参考/近年になり、米海軍が正式に認めたUFO流出映像「Gimbal」いまだに「UFOがいるか?いないか?」と議論したがるヒトがいるが、間違いなく、物理的に、存在しているのだ。問われているのはその正体、コレいったい何なの?? (2015年1月撮影)

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二機の「F/A18F スーパーホーネット 攻撃機」が、サンディエゴ沖の通常訓練中「複数の特異な航空機械」と表現された飛行体の調査を指示された。

パイロットはこの「航空機械」が高度6万フィート(約18,000m)付近から50フィート(15m)まで瞬時に降下したと報告。パイロットのひとりによれば、白いティックタック(ミントキャンディー)のように見えたという。 (出典ニューズウィーク)

 

○いまだUFO案件に懐疑的な人達は、コチラにアクセスして欲しい。アメリカのCIAは「1940年代~1950年代にかけての、UFO調査機密文書」を公開しています。

CIA自らが「Xファイル」と呼ぶ(やけくそ?)文書データは、いまはCIAのサイトで一般公開されて、誰でも「ダウンロードして読める」ようになっています。

Take a Peek Into Our “X-Files” — Central Intelligence Agency

 

おまけコーナー/ガンバレ日本航空! <与太話>ですよぉ~♪

 

▷『新説発表!』

この事件のポイントは、日航カーゴ機の積荷が「フランス産のワイン」だったことにある。エイリアンは「’86産 フランスの新酒」を、いちはやく「飲んでみたかったぁ~!」のです。そうなのです、11月の第三木曜日には「ボジョパ~♪」なのだ<笑 

(※ちなみに’86年度産のボルドーは“当り年”らしいですよ。 シャトーマルゴー☆ビンテージ 五つ星推し!Merveilleux✩.*˚いやしかし、お値段が…ンが)

 

▷『事件補足』

民間機や航空自衛隊などでは、パイロットが飛行中「未確認飛行物体」を目撃すると「正式に記録や報告をしない」ことが慣習となっているらしい。その理由は…「良くて地上勤務、ヘタすると基地外扱い」なのである。ひどいわぁ、基地外に出禁なの?! (白目)

 

▷『機長挨拶』

こんなパイロットがいる航空会社が、ダメなワケがない…と、思いたい。

日本航空機長による感動アナウンス - YouTube

 

▷『ジェットストリーム

当時、大好きな番組でしたね。いまはもう、アレだけど。

ジェットストリーム(夜間飛行)城達也 - YouTube

♪ミスターロンリー

『遠い地平線が消えて 深々とした夜の闇に心を休める時
遥か雲海の上を 音もなく流れ去る気流は
限りない宇宙の営みを 告げています

満点の星をいただく果てしない光の海を
豊かに流れゆく風に心を開けば
煌く星座の物語も聞こえてくる 夜の静寂の
なんと饒舌なことでしょうか

光と影の境に消えていった はるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります

日本航空があなたにお送りする
音楽の定期便「ジェットストリーム

皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは
わたくし城達也です』

 

…では、皆さま さようなら。

 

参考/ The Black Vault、ウキペディア (6400文字、thank you for reading.)

新たな情報はいったい、いつどこで?!『日航123便 墜落事件』Tips集【航空機 事件6】

ネト上に散らばる情報や、また書籍など眺めていると「あるひとつのこと」を指し示していることに、気付くこととなる。しかし結論を急ぐ前に「検証すべきことあるのではないか?!」そんな気にもなる。

日航123便墜落事件について言及している「YouTube&Tips」

 

▷Tips1日航123便 墜落事件「アシタノワダイ」リターンズ(2019/07/07)

○数年前より、ワタシはYouTubeの「アシタノワダイ」ヘビーリスナーだった。<笑 アンタッチャブルな「時事ネタを取り上げる良き番組」ですね。たまに「ハズしているよなぁネタ」あるが、ご愛嬌てやつか? オススメできますよ。

youtu.be

○動画内容に、少しだけ解説を加え補完して行きます。救援に携わった「元米軍中尉の証言」はこちら。

minminzemi81.hatenablog.com

 

続きまして話の中に登場した、外国のとても「怪しい航空機事故」の話です。どちらも軍の関与、撃墜疑惑が濃厚ですね。

<トランス・ワールド航空800便墜落事故について>

○1996年7月17日午後8時19分。ボーイング747、TWA800便は、アメリカのジョン・F・ケネディ国際空港を、大幅に“定刻遅れ”にて離陸した。

その12分後にイースト・ハンプトン沖合で15,000ft(4,600 m)上昇中に突然、爆発・墜落した。事故の一報は、近くを飛行中していた「イースト・ウインド航空507便」より、管制にすぐ連絡が入った。

○爆発時に突然「機体底部に巨大な穴」が空き、そこから亀裂がジャンボ機を一周して、二階を含む機体前方が切り落とされ乗客を乗せたまま落下、機体後部は操縦席を失いながら10数秒そのまま急上昇し続け、エンジンが停止してから降下を始めた。さらに墜落中に、左翼が破断して海に急落した。

この壮絶な墜落事故により、乗員18名乗客212名、計230名全員が死亡した。

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イーストハンプトン沖で、大西洋に墜落した。

○機体が爆発する前に「ミサイルのようなものが、機体に向かうのを見た」とする多数の目撃証言まであった。テロ攻撃の疑い、それをうけFBIやCIAまで捜査を開始する。

また墜落時には、ロングアイランドの沖合では米海軍が演習を行っていた。それは「電磁波ビーム(詳細不明)」で“ミサイルを撃墜する”という極秘実験だったらしい。

NTSBの事故調査によって、事故原因が発表された。それは「電気配線がショートして発生した火花が、“燃料タンクに残留した気化ガス”に引火して爆発した」との結論だった。もちろん、この妙な結末に対し異論が続出した。

○閲覧注意/「TWA Flight 800」想像を絶するような、酷い航空機事故です。

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○その後、2013年のこと。「TWA 800」墜落事件に関して、当時、事故調査にあたった元NTSB職員など6名の元事故調査官が記者会見を開催し、事故報告書にまとめられた墜落原因は嘘である」と証言した。まさかのNTSB、捏造までやるとは…。

(※HAARP兵器による電離層にビーム照射して、飛行体の通信システムを破壊、あるいは電子回路を焼き切る実験だったらしい。それがたまたま旅客機にストライクしたのか?)

 

<エールフランス1611便火災墜落事故について>

○1968年9月11日。1611便は、コルシカ島からニース行きの国内線として運行されていた。しかし現地時間の午前10時半頃に、着陸しようとしていたニースの沖合い40kmの地中海で、消息を絶った。乗員乗客に生存者はいなかった。

事故の直前三分前に、パイロットから「トラブルが発生した」と送信があり、また「機内で火災が発生した」と告げていた。1611便最期の通信は「このままだと墜落する」であった。事故機の残骸は、深さ2300mの深海で発見され、二年をかけて回収された。

 

○事故から43年後の2011年。元フランス軍秘書官ミシェル・ラティが、フランスのTV番組に出演し「あの事故はフランス軍が誤って、エールフランス機を撃墜したのが真相だ」と驚きの証言をした。

彼は続けて「当時、フランス軍はルヴァン島のミサイルテストセンターで、“地対空ミサイルの発射実験”を行っていた。“古い軍用機をテスト用標的”として発射されるようにプログラムしていたが、レーダー探知範囲に入ったエールフランス機に誤って発射された」と語った。

1611便墜落原因は、「軍のミサイル誤射だった」というのだ。もちろん、フランス軍は認めてはいない。

 

<森永卓郎氏がオニ推している「青山透子さんの本」について> 

○生存者の一人である日航客室乗務員落合由美さんの同僚でもあった、青山透子氏はこの「事故」に今なお疑問を抱き、数々の目撃者の証言をもとに考察する。

○全国学図書館協議会選定図書/単行本/208ページ/ISBN:978-4-309-02594-0/Cコード:0036/発売日:2017.07.24

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日航123便墜落の新事実

<本書が追求する問題点>

●公式記録にはない「ファントム二機の追尾」が、目撃されている。
日航機に付着した「赤い形状のもの」が目撃されたが、それは何か。
●地元群馬県上野村の小中学校の文集に寄せられた「子どもたちの目撃証言」。
●米軍機が墜落地点を連絡したにもかかわらず、なぜ「現場の特定が遅れ」たのか。
●ジェット燃料の火災ではありえない「遺体の完全炭化」から考えられる“ある種の武器”使用の疑い。
●事故原因はなぜ「意図的に漏洩」されたのか。
●「圧力隔壁修理ミス原因説」への疑問。

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ファントムF-4EJ

○実はこの本、まだ読んでいません。上記、問題点については既に知っていましたので、まぁコレはいいかなと。しかし青山氏はこの目撃証言それぞれについて、綿密に裏をとって廻ったと言いますから、その姿勢には頭が下がります。 

▷リンク/青山透子氏のブログ「天空の星たちへ」

⇒「日航123便墜落の波紋ー天空の星たちへ」公式ブログ

 

▷Tips2日航123便 墜落事件「この真相はどうなった? 」(2019/08/13)

youtu.be

○つい先日、日航機墜落事故の記事をブログにアップすると、この記事がすぐ「あなたにおすすめ」にあがってきました。

最近のAIさんの仕事の早さに、ビックリですね。過去データ・フィルムも交えながら、現在の国会追究の動きへと繋がる内容となっています。

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自衛隊員が御巣鷹の尾根で収集中

○内容的には“間違ってはいない”とは思えるが、森永卓郎氏の喋り方が…(実に、胡散臭い💧)…その点が、残念ですっ!

▷リンク/森永卓郎氏のブログ「森永卓郎戦争と平和講座」

⇒第76回:日航123便はなぜ墜落したのか(森永卓郎) | マガジン9

 

<1952年「もく星号墜落事故」について>

○1952年4月9日、伊豆大島に墜落した航空機事故で、乗客・乗員37名全員が死亡した。運営していたのは「日本航空」だが、当時GHQの占領中で自主的運行が認められていなかった。なので、航空機の整備と運用は「ノースウエスト・オリエント」機長(36歳)副操縦士(31歳)は、米国人。また航空管制官も、オール米国人だった。

○参考/もく星号事故のドラマ『風の息』(1982年)

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マーチン2-0-2型機(N93043)の愛称が「もく星号」と呼ばれていた。この事故は、123便事故と「多くの類似点」があると云われています。大島から伊豆半島にかけては「魔の空域」である、と言えます。

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ありし日のもく星号と乗務員(出典ウキペディア)

○航空管制ミス説。(航空通信を、モニターしていた「東京モニター」による通信記録による)まず、もく星号は「館山上空を2000ft計器飛行、館山南方10分間飛行高度2000ftを保持し、その後6000ftに上昇する」飛行ルートを採っていた。

事故調査会の報告書の記述では「操縦者が航法上に“何らかの錯誤”を起こし」指示された「高度2000フィートで飛行」した。さらに「なんらかの理由」で、幅16kmの航空路の中心線を北側に逸脱、時速200マイルで水平飛行中の機体が、三原山(標高2474ft、754m)に接触し墜落した。なんらか…なんらか??

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大島 三原山 墜落現場

結局、交信テープのオリジナルを、航空管制センターが事故調査会に提供しなかったため、事故の“真相は藪の中”である。この「なんらかの理由」とは、いったい何なのか?!

○墜落原因には「米軍機の関与」が疑われ、それを松本清張が『一九五二年日航機「撃墜」事件』といった小説に書いた。実に興味深い考察を重ねています。

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一九五二年日航機「撃墜」事件 (角川文庫)

○米人パイロットと米軍管制官の間に、どんな交信がなされていたのか? 全員救助の一報(誤報)が一転、絶望となる。その情報錯綜する夜間に、米軍は何を画策したのか? 犠牲者のひとり“ダイヤ密売の美女”とは、いったい何者なのか…?! 清張最後の作品ですよ。

○文庫:272ページ/出版社:角川書店 (1994/12/02)/ISBN-10:4041227550/ISBN-13:978-4041227558/発売日:1994/12/02

 

▷Tips3日航機墜落事件、目撃証言 (2019/08/12)

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高濱洋子さんは123便事故で亡くなった高濱機長の娘さんです。日航のパーサーとなり、一時期話題になりました。目撃者の貴重な証言「低空飛行する123便」とは?そして垂直尾翼を失くした、123便の写真(一部を拡大)これは、かなりショッキングです。

▷FDR記録より。奥多摩より北へ、すぐに山並が迫る。49分46秒、二度目のストールにより、最低高度5000ft(1524m)を記録することになる。低空飛行とは、この頃のことか?

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奥多摩町の山崎氏が撮った写真ですが、123便の下部に突き刺さっている「オレンジの異物」は、いったい…何なのだ??

写真発表時から「これが標的機“ファイアービー”なのではないか?」と云われてきました。123便が“横田(or羽田)に着陸出来なかった”理由、自衛隊が墜落現場で“何かを回収作業していた”ことにもつながります。

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本仁田山上空で123便を捉えた

<オレンジ・エア>

▷標的機「ファイアービー」全長7m、全幅3.9m、上昇限度7000m、自重686kg、速度960キロ、航続約60分。

▷誘導ミサイル「チャカII改良型」全長3.87m、全幅1.76m、高さ0.71m、速度900キロ、上昇限度9.000m、自重182キロ、航続約80分

○それで気になって「事故調査報告書」を再びくってみますと、写真は修正なく(下図、白黒コピー)そのまんま採録されています。異物は相当“大きなモノ”であるのは確かですね。ジャンボ機の翼長が約60m、すると5~6m以上はあると思えます。

 

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241P 写真-124

○第一通報者、中嶋初女さん(川上村住民)が農作業中に見た、迫る日航ジャンボジェット機、赤い火を噴く123便墜落方向。ふたつの絵。(空白の16時間~"墜落の夜"30年目の真実より)

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中嶋初女さんが描いた123便

○絵は実に“解りやすい情報”を伝えてくれています。気になるのは123便の高度。この絵の印象からすれば、対地高度は100m位なのでは?

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赤い火を噴く123便墜落方向

123便の墜落時、とんでもない「大火災を引き起こしたコト」が理解出来ます。 そしてまだ周囲は黄昏時、暗くはなかった。

 

▷Tips4日航機墜落事件、残骸(APUの一部)発見のANNニュース(2015/08/12)

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○このパーツは、2015年に東伊豆沖合水深160mで、発見されたものです。なのに、運輸安全委員会は、いまだサルベージすらしないのです。いったい何故なのか?

「余程都合が悪いモノ」なのかと、勘繰りたくなりますね。一刻も早く引き上げ、検証して頂きたいものです。↓

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日航123便 747 APU部品が沈んでいる場所

○今頃になって、JAL123便の破片が伊豆で発見された珍事件&顛末『見つけたもんはさっさと忘れろ、もうこれ以上誰にも言うな』と、脅迫されたという。

日航機墜落事故「陰謀説」は終わらない ― 伊豆で破片が発見→隠蔽?目撃者語った真実 - エキサイトニュース(2015/07/02)

 

▷Tips5エリア116「チャーリー空域」が変更された件(2019/07/18)

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国土交通省HPより

○2019年5月17日。来年のオリンピック開催を控え、航空機の急増が予想されています。それを受け、急ぎ変更したらしいが、成田空港への進入経路の高度が上がり、R116海域面積も増えている! 何だよ、コレは?!

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防衛省HPより

 

▷Tips6いまの気分は、よし、コレだ『上を向いて歩こう♪』

忌野清志郎甲本ヒロト、最強コンビだな。元気が出るよ、ホント素晴らしい。

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日航123便墜落事故、関連ブログです。ご覧下さい。

リンク/シュミレーション動画

Vuelo 123 de Japan Air - Reconstrucción - YouTube

minminzemi81.hatenablog.com

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(参考ウキペディア、5400文字、thank you for reading.) <今週のお題> 老いも若きも楽しく研究