
黄金伝説『豪右衛門の“隠し財宝の場所”は、紀淡海峡の友ヶ島である!!』それって、マジですか?
海賊「つむじ風豪右衛門」とは?
埋蔵金やお宝伝説はロマンにあふれ、多くの人々を惹きつけるもの。和歌山市 友ヶ島※には、江戸時代に瀬戸内海で大暴れした海賊「つむじ風剛右衛門」が隠したという「お宝伝説」がいまに伝わります。

この通称「つむじ風」は「海が荒れた日に限り海賊稼業」に出たところからついた通り名で、豪右衛門はあくまでも表向き「廻船問屋の旦那」であり、裏社会での顔「海賊の大親分」とを使い分けていました。
(※紀淡海峡に浮かぶ、沖ノ島、神島、虎島、地ノ島、この四島併せて「友ヶ島」と呼ぶ)
海賊行為のやり方は、頭が良かった
紀伊水道は諸藩の商船が多く往き来する大動脈。その積荷を“荒れた海で略奪”する。そして奪ったお宝はしっかりと選別し、足がつきそうにない品物だけを売り捌く。売ることの出来ないお宝は「どこかへ隠匿し続けた」と云います。
むむっ、どこかに、となっ?ドコだぁ?
♬.*ここで「アジアの海賊」By 坂本冬美https://youtu.be/3SjbINT2G9w?si=nATNgZr3EweW2Rpa

ある日のこと。剛右衛門は嵐の日に略奪に向かったが、難破し多くの子分と一緒に溺死したといわれています。それで、お宝の「隠し場所を誰にも伝えず」この世を去った。
遺されたお宝を金額換算すれば、その総額「数百億から、数千億?!」にものぼるというのですから、これには血が騒ぎますね。それでは、いったいお宝はどうなったのか?
じゃ「友ヶ島を探索」すればいい?
豪右衛門の「隠し島は友ヶ島」といまに伝わっています。そしてその友ヶ島は「幕末から明治、第二次世界大戦が終わるまで軍事拠点」となり、一般人の立ち入りは厳禁だった。また大がかりな探索は、いまもなされてはいない、と云うことは「!」このことは「お宝が手付かずで眠っている可能性」を示唆しています。
しかし剛右衛門が暴れていた海域は、四国蒲生田岬付近※ の「伊島」あたりから淡路島南部地域「沼島」、和歌山市「友ヶ島」までの紀伊水道一帯に及びます。果たしてホントに友ヶ島だったのか、はてさて?
(※昭和二十年に発見された「蒲生田岬の金塊」も、財宝伝説と何か関係あるのかも知れない)

とにかく豪右衛門の「お宝総額も凄い!ですが対象海域も広域」なのですね。そして、何よりも困ったことに、具体的な手掛かりは全く残されていないのです、こりゃトホホだ。
考察、ひとつの考え方として
「もしも自分が海賊の棟梁だったなら、いったい何処にお宝を隠すだろうか?」まず友ヶ島にいくつもある洞窟なんか絶対使わないね。そんなのお間抜けすぎだろ?「つぶやき岩の秘密」ぢゃないのだから。まったく人目につかない隠し場所・・
それは海!海底に隠すだろ!
素潜りでギリ届く水深にお宝載せたまま船ごと沈める。必要になったらサルベージすればよいだけだからね。このことは、友ヶ島の北の海域に「沖ノ島 北方遺跡」なるものが海底に存在していることで、ひとつの可能性を示している。むかし聴いた話に拠ればたしか古い“中国船?の残骸”が沈んでいるという。漁船の地引き網に、中国産の青磁器(碗や香炉など)等が沢山上がったらしい。さらにその沖合にも“謎の沈船”が確認されていて…こりゃビンゴ?
「月いづく 鐘は沈める 海の底」By松尾芭蕉
芭蕉がこの句を詠んだのは、越前金ヶ崎という「海に沈んだ鐘の伝説」が伝えられている土地でのこと。中秋の名月を、皆が望んでいる時だった。宿の主人が言う「この海に釣鐘が沈んでいるのを、殿様が海士に潜らせて探させたところ、龍頭がさかさまになって、海底にめり込んで引き上げる術がない」と、芭蕉に話した。

雨雲の遥か上に月。仄暗い海底に沈む鐘。
月はどこだろうと夜空を見上げ、次に海の底の鐘へ視点を移す。せっかくの名月が見えないのは龍頭がさかさまで、龍神様がお怒りになっているからだろうか、と。
(1800文字、Thank you for reading.Enjoying The tomogashima) #なんて素敵な和歌山なんでしょう