黄金伝説『豪右衛門の“隠し財宝の場所”は、紀淡海峡の友ヶ島である!!』それって、マジですか?
海賊「つむじ風豪右衛門」とは?
埋蔵金やお宝伝説はロマンにあふれ、多くの人々を惹きつけるものですね。和歌山市の友ヶ島※には、江戸時代に瀬戸内海で大暴れした海賊「つむじ風剛右衛門」が隠したという「お宝伝説」がいまに伝わります。
この通称「つむじ風」は「海が荒れた日に限り海賊稼業」に出たところからついた通り名で、豪右衛門はあくまでも表向き「廻船問屋の旦那」であり、裏社会での顔「海賊の大親分」とを使い分けていました。
(※紀淡海峡に浮かぶ、沖ノ島、神島、虎島、地ノ島、この四島併せて「友ヶ島」と呼ぶ)
海賊行為のやり方は、頭が良かった
紀伊水道は諸藩の商船が多く往き来する大動脈。その積荷を“荒れた海で略奪”する。そして奪ったお宝はしっかりと選別し、足がつきそうにない品物だけを売り捌く。売ることの出来ないお宝は「どこかへ隠匿し続けた」と云います。
むむっ、どこかに…とな?ドコだ?
ある日のこと。剛右衛門は嵐の日に略奪に向かったが、難破し多くの子分と一緒に溺死したといわれています。それで、お宝の「隠し場所を誰にも伝えず」この世を去った。
残されたお宝を金額換算すれば、その総額「数百億から、数千億…?!」にものぼるというのですから、これには血が騒ぎますね。それでは、いったいお宝はどうなったのか?
じゃ「友ヶ島を探索」すればいい?
豪右衛門の「隠し島は友ヶ島」といまに伝わっています。そしてその友ヶ島は「幕末から明治、第二次世界大戦が終わるまで軍事拠点」となり、一般人の立ち入りは厳禁だった。
また大がかりな探索は、いまもなされてはいない…と云うことは「!」このことは、「お宝が手付かずで眠っている可能性」を示唆しています。
しかし剛右衛門が暴れていた海域は、四国蒲生田岬付近※ の「伊島」あたりから淡路島南部地域「沼島」そして、和歌山市「友ヶ島」までの紀伊水道一帯に及びます。果たしてホントに友ヶ島だったのか。はて、さて?
(※昭和二十年に発見された「蒲生田岬の金塊」も、財宝伝説と何か関係あるのかも知れない)
とにかく豪右衛門の「お宝総額」も凄い!ですが「対象海域」も広域なのですね。そして、何よりも困ったことに「具体的な手掛かり」は全く残されていないのです…こりゃ~トホホだにゃ。
考察、ひとつの考え方として…
「もしも自分が海賊の棟梁だったなら、いったい何処にお宝を隠すだろうか?」まず友ヶ島にいくつもある洞窟なんか、絶対使わないね。そんなのお間抜けすぎだろう。では、まったく人目につかない隠し場所…?
それは海!海底に隠すだろ!
素潜りでギリ届く水深に、お宝載せたまま船ごと沈める。必要になったら、サルベージすればよいだけだからね。このことは、友ヶ島の北の海域に「沖ノ島 北方遺跡」なるものが海底に存在していることで、ひとつの可能性を示している。
話に拠れば、たしか古い中国船?の残骸が沈んでいるというのです。漁船の地引き網に、中国産の青磁器(碗や香炉など)が沢山上がったらしい。さらにその沖合にも謎の沈船が確認されていて……これは、ビンゴか?!
「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」By 松尾芭蕉
▽冒険島 友ヶ島の歩き方をまとめました。愉しい旅のご参考にどうぞ!
(1400文字、Thank you for reading.Enjoying The tomogashima!) #なんて素敵な和歌山なんでしょう