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てんてん てんまり てん手鞠♪童謡「紀州 手鞠歌」に隠された謎【歴史異聞】

紀州公の大名行列は凄かった!

御三家紀州徳川家(55万5千石)の大名行列は、「前駆、前軍、中軍、後軍、+荷駄隊」の軍事編成を組む。内訳は騎馬武者103騎、徒武士1639人、荷駄人足が2337人・・・堂々たる四千人規模だった!

徳川家大名行列、作者「歌川広重

大名行列。街道筋や宿場に入った時などに、人々に土下座を強いた。行列前を遮るものは、全て排除されたという。

前駆は「露払い・金紋先箱・先槍」が務める。まず露払いが「したにぃ~!したにぃ~!」と、お馴染みの文言を大音声を発しながら歩く。これは“尾張紀州家のみの大特権”だった。金紋先箱も、ごく僅かな大名家のみ許された、「控えおろう、この紋所が目に入らぬかぁ!」と。漫遊中の水戸黄門御一行だって逃げ出すよね。なので先槍の穂先の相違で遠方からでも、その家格が判別できたらしい。

そして「徒士武者・槍組・弓組・鉄砲組・騎馬隊」が繰り返し続く。駕籠専属の「護衛家臣団」。そして、お殿様が乗る「黒漆塗り御駕籠」となる。駕籠の前後左右には、「馬廻り衆」が羽織袴姿でぐるりと囲んだ。 それに続いて「刀持ち・薙刀持ち。医者・茶坊主・弁当持ち・草履取り・傘持ち」などが、それぞれ付き従う。

後尾の荷駄隊は、長持に諸々の備品(草鞋、金銭、衣類、馬具)などを入れた。馬列では、家臣達の荷物・献上品やら土産品まで運んだ大所帯だった。

(※街道を大名行列が通過する時、近隣すべての人は道を開けなくてはならなかった。例外として「産婆さんと飛脚」だけは、行列を横切ってもお咎めなしとされたという)

 

童歌「手鞠唄」実は恐ろしい?!

紀州てまり

手鞠唄の歌詞をじっくり眺めてみると、何やら只ならない情景が描かれている。一体これ、何を言わんとしているのだろうか?不思議だ。

 

1.てんてんてんまりてん手鞠
てんてん手鞠の手が逸れて
どこから どこまで飛んでった
垣根をこえて屋根こえて   
表の通りへ飛んでった
飛んでった
 
2.表の行列なんじゃいな
紀州の殿様お国入り
金紋先箱供揃い
お籠の傍には髭ヤッコ
毛槍を振りふりヤッコラサ
ヤッコラサ
 
3.てんてんてんまりてん手鞠
弾んでおかごの屋根の上
もしもし紀州のお殿様   
あなたのおくにの蜜柑山
わたしに観させてくださいな
くださいな
 
4.お籠は往きます東海道
東海道は松並木
とまりとまりで日が暮れて
一年たっても戻りゃせぬ
三年たっても戻りゃせぬ
もどりゃせぬ
 
5.てんてん手鞠は殿様に
抱かれてはるばる旅をして
紀州はよいくに陽の光
山の蜜柑になったげな
赤い蜜柑になったげな
なったげな

 

以下引用文『・・大名行列が見えてきた。人々は平伏す。その平伏した目の前を異様なものがコロコロ転がった。それは、手毬だった。そう思った途端、お河童頭の女の子が飛び出してきた。もちろん毬を拾いに出ていったのである。

しかし、次の瞬間侍の大きな声が聞こえた。「無礼者っ!」ただひと声だった。刀がキラリと光った。ばさっという音とともに、女の子の体が崩れ落ちた。悲鳴すらなかった。肩先から胸に切り裂かれた傷口から、赤い血がただ、どくどくと流れていた。大好きな手毬を追っていった女の子は、何の前ぶれもなく理由を聞かされることすらなく、ただばっさりと斬り捨てられた。

「一体何が起こったのだろうか?」

即死してしまい、痛みさえ分からぬ女の子は、目の前の毬に魂をのり移らせてしまったのだ。

「はずんでお駕篭の屋根のうえ‥」とは、死ぬことにより浮遊した霊が、殿さまよりも上にいるという状態を歌っていたのである。でなければ殿さまのお駕篭の上に乗るなんて、あまりにも不謹慎すぎるではないか。死んだ女の子の心は、毬にのり移って東海道を旅するのである。死んでしまったという意味、いなくなってしまったということを、「一年たってももどりゃせぬ、三年たってももどりゃせぬ」と表した。

戻らないとは、もう二度と帰ってこない、つまり死んでしまったという意味になるのである』

(合田道人著「童謡の秘密」より)

何だなんだ、この話はっ!とても気味が悪いぞ。まさにホラーぢゃないかぁ・・たまりませぬ。もっとも「毬と殿さま」の作詞者は、西条八十とされているので、昭和時代なのだけどさ。

アリリィ…?

▷以上諸々、踏まえまして。こちらのお話もどうぞ。これは・・いったい?!何なのか…

【怪談】手毬歌【朗読】 - YouTube

(1,800文字、Thank you for reading.see you next Time.)