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名城和歌山城 見どころ決定版!「お花見(桜と紅葉)シーズンの歩き方」【観光案内】

 

白亜三層の大天守がそびえる和歌山城。連立式天守という珍しいナワバリを持つお城。紀州徳川家55万5千石ですよ。

和歌山城は市街中心部に位置する標高五十メートルの虎伏山にあり、その御天守(和歌山弁で「おてんす」という)からは眺望よく和歌山市街360度ぐるり見渡せます。北側を滔々と流れる紀の川、西向きは紀伊水道が望め、その照り光る海川の絶景が愉しめます。

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堀端から天守閣を望む

お城見学のその前に、知っておきたいこと

 

交通機関と駐車場について

和歌山城へのアクセス、最寄り駅は「JR和歌山駅」と「南海和歌山市駅」になります。南海和歌山市駅からは歩いて10分ほど、JR和歌山駅からはもう少し離れるので、駅前のバス(公園前行き)か、タクシー利用をオススメします。また車利用の場合、お城の南側三年坂から入れる城内駐車場があります。ここが一番天守に近く便利ですよ。ただ難点は満車になりやすいこと。

 

事前見学の場所としてオススメ

大型バス駐車場(和歌山市役所前)のとなりに、2015年9月にオープンした「わかやま歴史館」があります。和歌山城見学のプレ学習に最適。二階に上がると和歌山城の歴史と、和歌山出身の著名人についての展示があります。ここ「VRシアタールーム」と「紀州徳川家の金印」がみどころです。上映中のVRは「無料アプリ、ストリートミュージアム」をスマホにダウンロードすれば、お城散策時にも観ることができます。

▷料金 大人100円、小中学生は無料。

時間:9時から17時半まで。073-435-1044

また同じ館内で観光案内所と観光土産品センターが1階にあり、お土産、軽食などを販売しています。ホッとひと息いれたい時にどうぞ。

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わかやま歴史館

おもてなし忍者が(どっかに)いる

忍者コスプレのボランティアが、登城の手助けをしてくれます。これは「障害者の方にも、天守に登ってもらいたい」というコトから始まりました。わたしが忍者を見かけたのは「わかやま歴史館」の芝生の所「天守下の広場」でも見かけました。とても良い取り組みだと思いましたね。

▷お申し込み・お問合せは、城プロジェクト(月火休み)073-435-104

 

ではでは、和歌山城見どころ案内

お城を時計周りにぐるりとお城の見どころを巡り、最後に天守へ登楼するコースです。まずは和歌山城北側、表玄関から入ります。けやき大通り、公園前交差点に大手門がありますよ。

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和歌山城MAP

まずは大手門から一の橋です

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大手門、いちの橋

桜開花は枝垂れ櫻から始まります

この門をくぐった右手にとても素晴らしい「早咲きの枝垂れ櫻」がある。まだ肌寒い春先に一気に咲き誇る姿は、大手門の形と相まって随分景色がいいですよ。ほんと美し~い!さらにすこし先、石垣のうえからは「大楠」が枝を拡げている。樹齢数百年、和歌山城の永い歴史を見つめてきた御神木で、天然記念物だそうです。

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和歌山城は、夜も開門しているので「夜桜眺めブラリ散歩」するのも、風情があっていい感じですね。お城が持つ幽玄な雰囲気が堪能できます。

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少しヘンかな~伏虎像に虎伏山

和歌山城を別名「虎伏山 竹垣城」と呼ぶ。天守がある山容一帯を海から眺めれば「まるで虎が伏しているようだ」と見立てそう名ずけたらしい。それでコンクリート製「伏虎像」が造られ、ここに鎮座しています。

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虎伏像は迫力満点!

まさに「南龍公に虎伏城、龍虎並び立つ」て訳です!これは勇ましい。ところで、虎伏山はどこから眺めても虎には見え・・ん、それはともかく。

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和歌山城桜祭り

この辺りはお城の「東側エリア」、櫻木も多く屋台も沢山出ています。なので人口密度も当然高くなりますが、賑わいも楽しみのひとつ。

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花より焼き芋

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桜が満開ですよ

お城の石垣の上に登って花を見下ろすと、視界が拡がり独特の高揚感も楽しめます。足元に注意しながら石垣にも登ってみましょう。岡口門近くの石垣の上、この場所が花見「隠れ推しスポット」です。眺め良き!

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表坂過ぎ南へと向かうと、ずいぶん古い門構えが待っています。

 

武骨な顔、岡口門(重文指定)です

浅野時代までは、この「岡口門」が大手門でした。戦国時代の気風ある、戦闘的で重々しい構えをしています。いまも往時と変わらぬ姿で保存されています。白壁に少し痛みが目立ちますね。

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昔にはこの門の両脇に櫓が並びたち、後背には桝形に武者だまり控え、さらに奥に松の丸高石垣、大櫓が遥か上から睨みをきかしていました。

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まるで野武士の面構え岡口門

そして大水堀(何と最大幅73メートル)と空堀ではさむカナメの位置に、この岡口門がありました。戦術的に考えてある場所、お城の防衛には重要だったことが解ります。

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堀幅73メートルもある

浅野期に大名行列ルート変更に伴い、北の一の橋が大手門となりました。その意味は「戦構の門」から「儀礼の門」に移り変った訳で、時代性も城門が表していると想います。一度、岡口門を出て振り返って観てください。きっといい写真が撮れます!こんな感じなのです。

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岡口門外からの眺め

楽しい童話園・水禽園がある南の丸

南の丸には動物園(童話園・水禽園)があります。お城のなかに動物園があるのは、全国的にもかなり珍しい。お城と動物園とのコラボ、しかも入場が無料。親子連れにいいですね。

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動物園へとむかう道

ファミリー層にはオススメのエリアです。人気のゾウやキリンはいないけれど、お城巡りの癒しのスポットとなっています。さらに動物園のすぐ西側には「一般駐車場」があります。車利用者に便利です。

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家族連れで賑わう童話園(動物園)

天守閣への昇り口は三つ。まず「表坂」に「裏坂」と「新裏坂」があります。それぞれ表情が違い面白いのです。最短で登れるのがここにある新裏坂。でも、江戸時代にはなかったもの。延々と石の階段続き、一気に登るのは少し辛い。やはり表坂か裏坂からゆるゆる登るのがオススメですね。続く駐車場入口側にドーンと構えるのが「南の丸高石垣」です!

 

お城好きにはたまらない南の丸、高石垣

和歌山城がある場所は、基本地盤が岩山であり南西が砂地というあまり築城には向かない場所。この「南の丸」あたり小高い砂丘、それをうまく取り込んだ。空堀を巡らし微高地に高石垣(23.4m)を築きました。

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南の丸高石垣

和歌山城での一番の高石垣で、さらに高層矢倉(二層?)が上に載っていたそうです。「不明門(あかずもん。普段は開けることはない)」を護るために、厳重にこの場所の守りを固めたらしい。

そのワケとは万がいちの落城時には不明門が退き口であったらしいのです。いよいよ事態切迫、不明門より間道をつたい南方面(寺町筋)へ逃げのび、さらに海路にて徳川菩提寺の「長保寺(別名徳川腹切り寺)」まで、スタコラサッサと逃げる手筈だったという。殿様も大変だ。

○ちなみに、単独石垣高さランキング

1位「徳川期大坂城本丸東側石垣」32メートル

2位「丸亀城三の丸坤櫓台石垣」31メートル

3位「伊賀上野城本丸東側石垣」30メートル

4位「熊本城宇土櫓石垣」25メートル

5位「和歌山城南の丸高石垣」23.4メートル

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岡口門のあたりから三年坂望む

でも、そんな事態におちいることは歴史的に一度もなく。この不明門も長い間ひらくことはなかったコトでしょう。また、この前の道路は昔より「三年坂」と呼ばれています。いまはかなり切り通されて広くなったが当時はかなりキツい難所だったそうなんです。「もしこの坂で転んだら、何と三年以内に死ぬ!」そんな謂われもあった場所。このエリア、お城マニア必見。

(※三年坂のいわれ『むかし折助という女癖の悪い男がおり、夜ごと三年坂で女の人に声をかけていました。あるとき折助に急用ができ、急いだところ提灯の火が消え暗闇の中で転んでしまいました。その様子を「坂てころんて(坂で転んで)これはさんねん(残念)」といったことから』出典『紀街の詠(ながめ)』1796年) 

 

少し静かな護國神社と刻印石垣に注目

このあたりも櫻木多く、シートを拡げてのんびり花見を楽しめる場所。ひとも少なく穴場です。小さな子供が舞散る花弁を追いかける姿は微笑ましい。 

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ファミリーで花見が今風かな

気になるのはこの周辺によく見かける刻印のある謎の石。時代によって石垣の積み方も変化しますが、この辺りの石は「豊臣・浅野時代」に刻印されたものです。その“紋様は約170種類、2,100個以上の石”に確認されています。このことの意味するのはいったい何なのか?定紋のある石垣は多くの場合「天下普請(担当部署)」だった。コレ不思議だ…歴史の謎ですよ。

次は砂の丸へ続きます。

 

お城の西側、砂の丸・追廻門がある

砂の丸とは文字どうり砂丘部を取り込み、周囲を高石垣で築きました。この門の外側で乗馬の「追いきり」をやっていたといいます。それでこの赤門の名前が「追廻門(おいまわしもん)」と名ずけられました。藩士の武術鍛錬の場所だったのです。いまはその場所には、国道四十二号線が走っていますが。

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追廻門を外から眺める

西側防備のためにきつい勾配の高石垣を巡らしたのと対照的な、とても優雅な赤い高麗門は少し違和感を覚えます。それはこの場所がお城の「裏鬼門」にあたり、風水的な意味(鬼門封じ)でのことらしいです。また朱塗りなので、婚礼門だったかもしれません。

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赤門、追廻門

門内側の、砂の丸広場には、藩の勘定所が置かれていたそうです。砂の丸から鶴の溪へ石段を降りていきますとイチ推し、美しい紅葉溪庭園があります!

 

秋には紅葉溪庭園・紅松庵で紅葉狩

ここ「紅葉溪庭園」は名前どうりの「モミジの名所」です。晩秋にはとても美しい風情が楽しめます。お濠を取り込んだ大名庭園は、かなり珍しい作庭です。こちらは是非秋に訪れてみて下さい。(11月下旬~12月中旬あたり)

▽時には蒼く、刻には紅く、静謐(せいひつ)な時間が流れる見事な作庭です。

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秋の紅葉溪庭園

また庭内にある「紅松庵」は数寄屋造りの武家風茶室。昭和四十八年、和歌山市出身の故松下幸之助さんが寄贈してくれたそうです。紅葉渓(もみじだに)の「紅」と松下氏の「松」から命名されたそうです。

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紀州藩では「表千家宗匠」が代々茶道頭を務め、歴代の藩主は茶道に造詣が深かったそうです。また、十代藩主徳川治宝表千家皆伝であったとか。茶室からの庭園の眺めはとても素晴らしく、ゆったりと茶事を楽しむことができます。都会の真ん中とは思えないほどの静謐さです。

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紅松庵茶室

和服姿の女性が、抹茶を点ててくれます。立礼水屋点てなのでどなたでもお気軽にどうぞ。

▷抹茶、菓子付き…470円。

時間 9:00〜16:30。年中無休(12/29~1/3は休み)

 

殿様気分で御橋廊下を渡ってみる

二の丸と西の丸を繋ぐこの「御橋廊下(2006年復元)」は、藩主とその側近だけが渡れる「秘密の廊下」として使われました。二の丸と西の丸を堀を跨ぎ繋ぐ廊下、殿様の姿が見えないように厳重な囲いがされています。この約11度の角度がついている傾斜橋は、かなり珍しいものです。匠の技をお見逃しなく。

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入口(東口と西口があります)で、履物を脱ぎます。備え付けのビニ袋に履物を入れ「さぁ、参ろうぞ!」廊下は傾斜して滑ります。が大丈夫、廊下には突起(鋸歯細工)が等間隔にあります。すると若竹踏み運動の感覚になり「あぁ~足が痛い…」日頃の不摂生が、思い知らされた訳でした。

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傾斜ある御橋廊下

案外、健康に良いのかも知れませんね?このアクティビティは無料なので記念に何度も往復してみましょう。

 

二の丸庭園を探ってみると

いい感じに桜並木が続きます。そして「二の丸公園」へ。この「二の丸」は、初期紀州藩の政庁と、藩主住居のあった場所でした。ここでお城歴史に想いを馳せてみましょう。東側から、表御殿、中奥、大奥と絢爛豪華な建物群が、この場所にみっちりと建っていたのです!

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この道の左側に二の丸庭園が拡がる

しかしいまは、明治初期(廃藩置県)と続く大戦末期(B29の無差別爆撃)に、殆ど全ての建築物が喪失してしまう。いま残っていれば間違いなく「国宝級※」なだけに、次々と喪われていったことはホ~ント残念です。

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花見の会場にはうって付けですね

在りし日の様子は、想像するしかないのですが、探ってみるとわずかながら井戸や建物跡の痕跡が見つかりました。

そう「紀州御殿」と呼ばれる巨大な屋敷が、この二の丸にありました。

(※天守が昭和十年(1935)国宝に指定されている)

 

紀州御殿の数奇な運命

明治十八年、和歌山城二の丸にあった紀州御殿は、大阪城の本丸へ移築され陸軍の第四師団(大阪)が紀州御殿を司令部として使用しました。昭和七年、陸軍特別大演習の際に紀州御殿に昭和天皇行幸があり、その翌年に紀州御殿は「天臨閣」と改称された。昭和二十年八月十四日には大阪大空襲。B29の集中爆撃(東側に軍需工場があった)を受けたが、紀州御殿は奇跡的に被害をまぬがれた。ところが、敗戦後GHQに接収され、昭和二十二年に占領軍の失火により、天臨閣(紀州御殿)が焼亡してしまう。嗚呼、何てこと!

 

紀州徳川家の大奥とは

いまに残る「二の丸大奥 絵図面」を見ますと、やはり大規模建物群があったようです。この一角は殿様以外は全員が女性。ひしめき合って暮らしていたのです。御局様の部屋がまるで、アパート部屋みたく連続していますね。凄いコトなんです、大奥があることは。そんなの将軍家と紀州家だけ。

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いまは植樹と庭石が配置され公園になっています。花見客がお弁当食べたり散策するのに良い、市民の憩いの広場です。 はい、これでぐるっと一周お城を廻ってきました。時間にして一時間程度の散歩だったかな。

 

▽はい「空から和歌山城を見てみよう~」くもじいじゃ、嘘じゃ…☁

Youtube

おまけネタ、階段を登るエイリアン?!

ところで「コビトに見える木の根っこ」テレビなどで何度も取り上げられ、ご存知の方も多いみたいですがこの場所が判らず、スルーしてしまうらしいです。このスポットに、ご注意!

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石段を登るコビト?!

場所は二の丸庭園から天守閣へむかう裏坂すぐに、管理事務所がある。その右手側、石垣階段途中にあります。階段下にしゃがみ見上げるように観ると…「あっ、コビトだっ」発見!

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裏坂最初はゆるく徐々に急になる

さあ、この裏坂からゆるゆると「本丸天守」へとむかいましょうか。

 

そして現代の和歌山城天守

天守から時計回りに多門、天守二之楠門、二之御門櫓、多門、乾櫓、多門、御台所、小天守へと繋がる、連立式天守です。

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和歌山城 望遠

回廊部にまで石落とし、鉄砲狭間まで設け「武張った城」であることを遠目にもわかるようアッピールしています。大天守へと通じる小天守玄関は、雅な唐破風御殿入口で、映えがします。

興味深いのは、不等辺四角形の天守台(基壇の面積は2,640)のカタチです。一層目は方形ではなく上に載る二層目から方形になる。一層目の屋根や軒先が、上層部と若干ずれている“歪み現象”が判りますよ。

こういった「見えない所まで工夫を凝らす」ところ、和歌山城の心意気が感じられますね。

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繰り返す歓びと哀しみ、これが天下人を育んだ城

和歌山城天守は二度の火災に遭ったが、その都度蘇りました。弘化三年、天守に落雷し炎上した。そして嘉永三年、日本で最後となる天守が完成する。これは黒船来航の三年前のことでした。

そして昭和十年には、天守が国宝に指定される。しかし、大戦末期に空襲でまたも灰燼と帰す。現在ある天守は戦災後の昭和三十三年(1958)に鉄筋コンクリート再建された三代目で、建造物内部には紀州徳川家ゆかりの品々が博物館のように多数展示されています。

 

紀州人の大きな誇りでもあり、時には嫌悪すべき対象でもあった和歌山城は、いまは静かに佇み時を刻んでいます。

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和歌山城天守

▷料金 大人410円 小人200円。

9:00〜17:30 (入館は17:00まで)年中無休 (12/29 - 12/31 は休み)。073-422-8979 

和歌山城/ https://maps.app.goo.gl/wt8H5tuTjpLs4M3f7

 

和歌山城 再建こぼれ話 

和歌山城天守は昭和二十年に焼失し、その後市民の力によって昭和三十三年にコンクリート再建されました。その和歌山城再建の時には、松下幸之助さんが“最も多額の寄附”をした。市の側でも松下側の多額寄附を期待して「二ノ丸の復原」を依頼しようとしたが「寄付するよって、天守閣に“ナショナルの看板”を掲げさせてほしい」と和歌山市に言ったとか。さすが、幸之助はん!爆笑

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岡口門外からの眺め

はや、再建六十年になります。なんでも現状のCR構造の寿命や耐震構造に問題あるとの話。やはり「木造の再建」を実現すべき時と想います。

 

和歌山城関連のお勧め観光名所

和歌山市南部地域/紀州東照宮、不老橋、養翠園、番所庭園などがあります。いずれも紀州徳川家、縁の名所ですよ。

城郭内&近隣施設/三の丸跡には和歌山県庁舎、和歌山市役所や和歌山市消防局、和歌山地方裁判所和歌山家庭裁判所和歌山地方検察庁をはじめ公的機関や学校、商業施設、オフィス街、和歌山中央郵便局、県立近代美術館・県立博物館などがある。

 

参考史料/和歌山市観光協会HP、和歌山市立博物館、和歌山市教育委員会ニュース和歌山、ウキペディア

(6800文字、Thank you for reading. Enjoy Wakayama Castle!) #和歌山城 #花見