遭難すれば当事者は勿論だが
周囲にも深刻な大問題となる
軽装で低山で道迷い、日没迫りパニックになる。滑落しビバークを余儀なくされ、ついには幻覚まで見るようになった…てな怖い話が沢山あります。
数年前。ウチの近所住みの爺様と、何故か山の話に。その爺様が「このあいだ、山菜採りに裏山へワケ入った。その夕刻下山時に道迷いした」と、言う。
わたしが「澤筋降りたでしょう(ニヤニヤ)」即ツっ込み入れると「グ・・(何故解った?若造)」それで拙い講釈チャチャッと開陳したが…おい、止めれ
要するに「澤筋降りると方向感覚なくし道迷いする。そん時は登り返すが、正解!」と解説したのだが。でも得心いかぬ御様子。そりゃ、そうだよなぁ。
「折角降りてきた路を、また登り返すなんて冗談ぢゃないよ。暗いし疲れてるし。尾根筋のれたとして、その後はどぉするよ?」うん、そう想うよな。
結局のところ。その爺様は澤を強行凸したらしい。勿論、入峰口と全く違う場所におどり出た。そんな武勇伝?だった。それで、フト思ったけれど・・

単独遭難者というものは何故か、自信満々に過ちを繰り返す不思議特性を持つ。そして当座は反省はする(周囲から非難轟々だし)が、何故か根本対策は必ず怠るようだ?多分、これは何らかの個人的な資質(人格、性格、病質等)と深く関係していると思う。
➠「喉元過ぎれば熱さをスコーンと忘れる」
山の事故は「ド派手な滑落イメージ」が想い浮びますが、普通、山屋なら登山道の危険個所は事前に情報分析や滑落対策を施し、現場では慎重にリスク管理するので存外少ないものらしい。
ベテさんからそう聴いた「墜つるのは若葉ぢゃの」濡れ落葉は…やはりしぶといのだ꒳꒳
さて、山岳遭難の原因1位は➠「道迷い」デス!
「現在位置や登道ルートを見喪い、ウロウロ歩き回るうちに体力消耗して、遂に進退窮まってしまう」あるいは「日没や天候等が急変して、行動不能におちいる」というケースが多いといわれます。まして単独行だと尚更、遭難危険度は倍加してゆく。
➠「遭難死者の割合がパーティ登山6%なのに対し、ソロ登山では14.4%にもなる(警察庁調べ)」
△令和元年における山岳遭難概況より
道迷いは“油断している時”に起こりやすいもの。難易度が高い高鋒(3000m級)よりも、割と身近な裏山レベルな低山(1000m級)で起きやすい。
それでは低山で「道迷い遭難」が多発する、その原因とはいったい何が問題になるのか…?
①登道を通る人が極端に少ない。
②ルート整備がなされていない。
③何度も登山したから油断した。
④目的が登山ではなく別にある。
⑤そもそも低山舐めているから。
この答え合わせは「啓蒙の意味あいで自分の失敗談」をネトに上げている御仁を見つけたので、その意図を汲み転載します。(※注/多少モリバナ傾向あるようですが…それは山屋の常というコトで𐤔)
『30歳代の後半頃の出来事。まだ山の経験も浅い頃、和歌山県南部にある大塔山※で下山路が見つけられず、一晩の夜明かしをした時の経験談です。』
(※大塔山とは…田辺と古座川の境界域、標高1,122m、熊野川水系、古座川水系、日置川水系の水源地の山。愚かなる古座川町が、見晴らしのためだけに山頂付近の自然林を伐採したらしい。それからは周囲の木々の枯死が、一気に拡がった禿山の危機)

『友人と本州最南端の潮岬で初日の出を見ようと、大晦日から泊り込み宴会をして仮眠後、ご来光を拝みました。その後友人は釣りに、私は奈良県の十津川温泉で癒されたい、といった希望あり別行動した。車で移動途中に、以前に別の友人と通った国道229号線沿い「大塔山の登山口」の標識を見掛けた。そこで、迷うことなく登ってみようと登山準備を始める。後になって、思い出したのですが標識には「大塔山往復4時間※」と書いてありました。これが「いまスグ行こう」と判断した大きな要因です。その時には既に12:00は過ぎていた。まずそれが過ちの始めでした。準備し出発したのは13:00を過ぎていたと思います。(※これは明らかな間違い)
立派な標識の横からしっかり整備された道に入り、暫く行くと川があったが橋はなく川を靴のまま渡渉。これが二つ目の失敗。すぐ尾根に取り付く階段があり、登っていくうちに階段はなくなったが、登れないほどではなくドンドン登った。そのうち道は細くなり薄い踏み跡になり、終には道がなくなってきた。しかし、まだ登れないことはなく(なまじ経験があるから登れる)ココまで来たのだから山頂迄行って見たいと、尾根まで何とか登りきった。15:15そこには立派な登山道があった。地図(国土地理院1/25000)に従い頂上目指し15:40大塔山に至った。周りにはうっすらと雪が覆っていた。
すぐ引き返し、尾根道から登ってきた道を探し、目印にしていた草と小枝を手折ったところより下山し始めたが、どこを登ってきたのかまったく踏み跡もなく、仕方なく自分の思う方角を下ったのであるが、断崖絶壁というべきところに至った。まったく万事窮すの心境で「混乱というか困惑というか、どうすればいいか。どうしよう、なぜこうなったのか、何もできない、何の判断もできない」状況になりました。いまは冷静に書いていますが、実際は頭に血が上るというか表現できない狼狽えた感じになりました。山セット(ナイフ、磁石、ホイッスル)に入れていたホイッスルを取り出して、思いっきり吹き鳴らし大声で「誰か助けてくれ!」と叫んでみたが、誰も応答するはずもなく。
それもそのはず元旦の夕方に、こんな山の中に人がいるはずもなく。まして登山しようという具体的な計画もしていなかったから、計画書を提出していなかったし、家族の誰にも言っていないので、私がここにいることは誰にも知られることはない。まして、登山道から外れているので下手をすると死体すら発見されないかもしれない。そう思うとますます恐怖感に捉われる。この時、時計は17:30を指していたと思います。いずれにしても周りは薄暗く、これから動くのは危険と判断。ヤマケイか何かの本に「道迷いと感じたときは腰を下ろし、まず一服して落ち着いてから次のことを考えろ」という記事がありましたが、それを読んだのはそれからかなり後のことでした。

それでも「どうにもならない、できない」ということを自覚し、ジタバタしても仕方ない。このとき思い出したのが新田次郎の小説「孤高の人」でした。主人公の加藤文太郎氏は、体力のあるうちに寝て休息し体力を温存する。疲労困憊しなければ凍死することはない、と雪山でも実行されていたという記述です。詳細は覚えていませんが概ねそんな内容だったと思います。私のこの状況ではそれを実行するしかないと思い腰を落ち着け、ザックの中からカッパ(ゴアテックス)を取り出して着る、背当てにしていた発泡断熱マットを下に敷き、ザックの中身を確認。水筒には「チャポ、チャポ」というくらいのお茶と、ビスケット一袋しかない。仕方ないので食べれるだけ食べ、水筒は最後のお茶だけ(末期の水になるかも知れないと思い)残し一口含む。「さて、これからどうしようか」という不安がすぐ頭に浮かぶ。しかし考えても仕方ない、加藤文太郎を見習い、何も考えずに寝れるうちに寝ようと横になる。
そこは断崖の上で、木の枝に枯葉や土が積もったようなところで、ちょうど一人が横になれる広さでフワフワしていたのでなんとなくウトウトしてきた。ハッと気がつくと雨が降ってきた。冷たい水がピチャピチャと降りかかる。泣きっ面にハチとはこういうことかと起き上がる。時計を見ると20:00を少し回っていた。それでも2時間くらいは寝たと慰める。あたりは真っ暗で何も見えない。雨はしばらくすると止んだが、それからは横になっても寝れない。だんだん寒さを感じ始め、横にもなれなくなってきた。それからの夜の長さ、寒さ、辛さは延々と続く。加えて心の葛藤が辛かった。というのは無事に朝を迎えても道がわかるか、誰にも言わずに来たから計画書も提出していなかったから、救助が来ることは有り得ない。そんなことをグルグルなんども繰り返し頭の中え考え続け、このまま最悪の事態を迎えるのか?と恐怖を感じ始めた。
そんな時、背後で「バキッ」という音が響き、ヘッドランプの明かりをつけてみるが何も見えない。何がいるのか判らないが、そこに何かいる気配。しばらく闇をにらみ続けたが緊張が続かず、どうせ襲ってきてもどうしようもないとあきらめた。幸い何もなかったが恐怖感はある。おそらく鹿ではないかと想像する。その後もなにか気配はあるが特に何事も起こらない。寒いことと時間の立つのが遅い。24:00になかなかならない。しかし24:00をまわると寒さが厳しくなる。そんな中、心の葛藤は続く。家族や仕事のことを思い出す。何も言ってこなかったから心配しているだろうとか、いや何も言っていないのだからまだ何も知らない。最悪の事態になって何日も帰ってこないということになってから、騒ぎになるだろう。その時は自分はこの世にいないかも知れない、などなど。

イヤな上司や優しい上司、気の会う同僚友人の顔や、遣り残しの仕事のこと、果ては机の中のことまではっきりと思い出す。明け方が近づくにつれて寒さがイタイに変わってきた。特に登りで渡渉したときに、靴のまま水に入ったことが裏目に出て冷たいではなく、痛い。足を手でさするがどうしようもなく痛い。凍傷になる時はこんなかなと思うが、じっとしていられないくらいに痛い。もう動き出そうかとも思うが、暗い中を動いてさらに現在位置を失うのが怖くて、ひたすら我慢。昨日登って来た細尾根を思い出しあそこに行けば下山できると思うが、そこがわからなければ体力を無駄に消耗して、再び夜を迎えることになればそのときは本当に生きて帰れない、と考える。夜明け前が暗くて寒いとよく言うが、本当にそうだと実感した04:00~06:00この夜明帯が一番寒く、もうどうしようもない。よくTVのコントなどの遭難シーンで「寝るな」などと言うが、寝れるものではない。冬山で意識朦朧で眠りに入るのは、体力消耗して意識を失い温度の感覚を失っているのだと思う。
06:00を過ぎると何となくうっすらと白み始め、明るさを感じ始めると助かるかも知れないという思いもあるのか、やや寒さも緩むように感じた。実際明るくなるにつれ寒さも和らいできた。07:20動きだす。とりあえず尾根を目指して登る。08:20尾根に出るとハッキリとした登山道があり、どちらに行けばいいか迷うが、頂上に行っても仕方ないので反対側に行く。持ってきた地図はこういうことを想定していないので、途中までしかなくこの道を行くと何処に出るのか判からない。しかし、もう一度登って来た道を探して下り、体力を消耗するのは怖い。これぐらい大きい道なら何処かにつながっていると思って歩き始める。尾根道は歩きやすくドンドン進む。どれくらい歩いたかはっきりとは覚えていないが、ようやく道路が下に見えた。下りていくと足郷トンネルの出入り口の横に出た。
「これで助かった!」帰れるとホッとした。どっちに進めばいいか迷ったが、昨日からの位置関係からトンネルに入らず降って行った。舗装路を歩いていると上のほうでなにやら騒がしい。上を見ると猿の群れであった数十匹いる。尾根道を歩いているときから何か気配は感じていたが、こんなに猿が群れでいるとは思わなかった。しかし恐怖は感じなかった。襲ってくるというより見守ってくれていた、という気がする。しかしこれで本当に帰れるとホッとしながら11:30我が愛車に戻り、とりあえず食事を作ってひと心地ついた。その後は、十津川温泉の西川出合(当時は無料の温泉風呂がありキャンプもできた)に移動して一泊後、帰路に着いた。
以上が遭難顛末記です。この後1年位は山から遠ざかっていました。さすがに山に入るのは怖く、2度と山に行きたくないと思いました。もちろん家族にも一切話さず帰った時は、さも楽しい正月を過ごしてきたかのような顔をしていました。山に行かせてもらえなくなるというより、そんな失敗をしたことが精神的なダメージになっていたように思います。それくらい懲りていたのに、また山に行きだしたというのは、余程山が好きなのかと思いますが、それでも冬には行かないようになりました。
今回、長々と書かせていただいたのは、私が「孤高の人」を読んでいたことがずいぶん参考になったこと、また遭難の記事や体験談を読んでおくことが、遭難しないための参考になることと遭難したときに最悪の事態を避けるサバイバルの知恵になれば思い、書かせていただいた次第です。実際精神的な恐怖感や、失敗したという自身の悔恨の思いが夜明かしの際のストレスになりました。自力下山できたから良かったものの、できなければ2日目の夜に耐えられたか自信はありません。その後ニュースなどで遭難の報に接するたびに、状況はそれぞれ異なるが何日もして救助された人は、精神的に強い人だと思います。』
(※転載元:単独行の山歩き、yamakumaさん)
ᨒ𖡼.𖤣𖥧๑… ᨒ𖡼.𖤣𖥧๑… ᨒ𖡼.𖤣𖥧๑
何故か、無茶凸したがるソリスト、これぢゃ加藤文太郎※だって苦笑いするよ。通常の登山計画では大体16時頃迄に行動終了。そして必要あるならば、急ぎビバーク準備に入る。これがセオリー。
いやいや、問題はそうぢゃないよな。そもそも、何故思い付きでしかない“予定外の寄り山”したがるのかなぁ?そのモチベ(行動原理)が、よぅ判らんでノシ。
例えばこのへん…
?➠「以前に別の友人と通った国道229号線沿い、大塔山の登山口の標識を見掛けた。“そこで迷うことなく登ってみよう”と登山準備を始める」🤔何故!
?➠「登山しようという“具体的な計画もしていなかった”から“計画書を提出していなかった”し、家族の誰にも言っていない」🫣めっちゃコワ💧
…うぅん?これ初見の山嶺でしょ?スタートは13時過ぎで「足郷トンネル起点➝舟見峠➝足郷山➝赤倉辻経由で尾根沿いに大塔山頂(エスケVar)」。片道約5キロ、ピストン10キロ程か。
しかも季節は厳冬期、正月元旦だよ?熊野の山々は冠雪し気温は零度近い、すぐストンと真っ暗になり行動不能に陥る。これではてんで愉しくないよお~そんなのヤダヤダ…私だったら迷わず近場温泉へ直行、半日位ほっこりゴロゴロしてるけどなぁ・・やっぱ正月は♨やろし、そやで。

最後にこの金言を添えてまとめとする。未だデナリ(マッキンリー)行方不明厨、世界的冒険家の御言葉だ➠「いくら私が冒険が好きだからといっても、経験と技術もなくてまた生還の可能性もない冒険に挑むことは、それは冒険でも勇敢でもないのだ。無謀というべきものなのだ。それがどんなに素晴らしい挑戦であったにしても、生命を犠牲にしては意味がない」By 植村直己 讃
ᨒ𖡼.𖤣𖥧๑… ᨒ𖡼.𖤣𖥧๑… ᨒ𖡼.𖤣𖥧๑
▷次の話/谷川岳って一体あれ何だべさ…?!
https://minminzemi81.hatenablog.com/entry/2024/09/23/031516
(参考/加藤 文太郎。明治38年~昭和11年没。兵庫県美方郡新温泉町の出身。地味な服装地下足袋を履き、常に単独で各地の山々を駆け登ったレジェンド。その当時の登山はパーティ山行するのが一般常識だった。文太郎の単独山行は“常識外れの蛮行”に映ったらしい。昭和11年。槍の北鎌尾根ルート天上澤より脱出できず、その破天荒人生を閉じた。それを新田次郎が「孤高の人」として小説のモデルにした由)
(Thank you for reading, see you later)#山岳遭難者