谷川岳の概略
⛰️ 谷川岳は群馬県と新潟県の国境に位置し、日本有数の豪雪地帯である。かつて氷河期には此処に氷河帯が存在し、これらにより渓谷が深く抉りとられ一ノ倉澤などの断崖絶壁が聳えている。
⛰️ それが昭和期に多くのクライマーを虜にした。太平洋と日本海の低気圧がぶつかる。天候は猫の目の様に変わり、滑落遭難事故が多発。世界一の山岳死亡事故数が記録されギネス登録もされる。
⛰️ 衝立岩、そんな「ヤ場」を登りたがるヒト(垂直登攀)も沢山いたそうです。昭和のアルパイン黎明期には一ノ倉澤、幽の澤などで功名心にはやるクライマーが、滑落死亡事故を何度も繰り返したのです。
⛰️ 余りの犠牲者の多さから、やがて「魔の山」とか「人喰い谷川岳」の異名で呼ばれるように。そんな哀しい山岳史と相まって、怪談じみた逸話の宝庫にもなっています。そんなお話の幾つかご紹介します。
▷有名動画/よゐこは閲覧注意。毎日ニュース、一ノ倉澤滑落死亡者収容状況。▷https://youtu.be/fBpUNQG6ZtY?si=PVgUx08zl89qK864
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⛰️ 谷川岳でみた人影とは
私の父親はもうすぐ80歳になるが、10代の頃より登山をしている根っからの山男である。そんな父の山話はいつ聴いても面白いものだ。それは父の実体験にもとずく実話で、嘘がないから(山屋は元来、法螺吹きが…やめれ𐤔)ではないだろうか?そんな父と、久しぶりにサシで呑む機会があった。私も父の影響を受け山好きなので、何時ものようにヤマ話で盛り上がっていた。それで。私がこの前、谷川岳に登った話を開帳していると、さっき迄笑顔だった父が、何やら険しい表情になっている。「人生でな一度だけ、不思議なものを見た」と、急に何かを想い出したように訥々と語り始めたのだ。
父がまだ30代の頃の話、友人と二人冬の谷川岳に登っていた。登り始めは天気が良かったのだが、やがて吹雪だした。その日はとても天候がコロコロ変わりやすかった。しばらく登ると吹雪は収まった。そしてしばらくするとまた吹雪くそんな繰り返し。歩いていると今度は急に天候は良くなり、青空が拡がり遠くの景色まで良く見えた。その景色を眺めながらも、ふと谷底を見ると二つの人影が見えた。友人に「おいっ!あんな所に人がいるぞっ!」友人もその二人の人影を確認した。「どうやってあんな所まで行ったんだ・・?」そこは峻険な谷で、普通ではとても行けないような場所だった。
父と友人は二人の人影に向かって「おぉ~い!おぉ~いっ!」と、暫く呼び掛けたが声は届かない。父たちは人影を眺めていた。するとまた吹雪になり、父たちは諦めて先を歩き始めた。吹雪の中を歩いて行くと、少し先にうずくまる二つの人影があった。父たちはそれにひどく驚き、うずくまる二人の人影に走りよった。父たちが「どうしたんだっ!大丈夫かっ!」「しっかりしろよ!」と声を掛けた瞬間、その二つの人影は、スゥと目の前から消えたと云う。山での不思議話はよくするのだが、父が怪談を語ったことにとても驚いた。
実は私は子供の頃から不思議話が大好きだった。心霊やUFOやら超常現象。この手のテレビ番組が大好きで、いつも欠かさず観ていた・・ていうかみたかったぁ!父は昔から私とは真逆で心霊、UFO、狐狸妖怪、この手の類いが大嫌いで、私が特集番組を見ていると「くだらないものを見てるんじゃないっ!」とチャンネルを即刻変えられてしまうから、特集番組を最初から最後までノーカットで見ることに密かに憧れていた。幽霊話なんか聞いても「ただの見間違い。そんなもの科学で、証明できない」と、片付けてしまう。なのでいま迄、この父から一度も怪談話なんて聴いたことなかった。そんな父が不思議体験をしていたなんて…
最後に「ああいったモノはな、目で視るものではないような気がする」と、言っていたのが印象的だった。この話を聴いて以来、私は人やモノと接する時、目にはみえない“魂のようなもの”を見るようにしている。(まぁ視えませんけども)みえなくともひとつの魂だと思えば、また違う世界が見えてくるような気はします。
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⛰️ 谷川岳からの救難無線の怪
何時もの部室で無線機をチェック中、「どうしてもSOSとしか聞こえない電波がFMに入るんだけどさ。どお?」と部員が聞いてきた。その場に行くと確かに長点、短点を連続3回クリックする音が聞こえる。「うん、コレ、間違い無いな!」とアンテナを振り、その方向は上越国境、信号強度はとても高い。即座に顧問に連絡し、車をだしてもらう。警察にはまだ確信も無いのでとりあえず通報は後にする。電波の位置を特定する事をFXといい、われわれは車3台で渋川沼田へ入り、さらに方向を確認。3時間ほどかけてほぼ特定できたのが、谷川岳方向だった天神平。駐車場へ車をいれると平日の夕方ということもあり、止まっている車はとても少なかった。
小型無線機をポケットにいれて再度方向確認。もうアンテナが無くても信号強度は強い。3方向に分けて移動すると先輩のBさんの無線機が飽和状態で、ハウリングを起こした。通常、こんなことは無いので一同が驚く。Bさんに続いて登山道を入り、ほんの20m位で置きザックを発見した。さらに見回したところ男性の遺体を見つけた。すぐに自分は取って返して警察に電話連絡した。こんなこともあるのかと一同興奮しながらも、警察がくるのを暫く待った。その時は誰も気がつかなかったが、もう無線機は音声を出していなかった。当然、登山者が持っているものと誰もが疑わなかった。「でも、どうして・・?死体が電波を出すんだ・・?」警察も当然その事情を聞き、無線機を探したが、その登山者は持っていなかった・・
そしてその方は、死後2日程は経っているといわれた。こんな駐車場のすぐ近くの茂みで、誰にも見つからずいたのかと思うと、不思議だった。さらに捜索すると沢の水の中から、それは出てきた。もちろん冠水没して使い物にならない。ではいったい誰が電波を出したのだろうか?もしやと思い人数を動員して、付近を再捜索したがやはり誰もいなかった。駐車場に残った車も亡くなった本人のものと確定され、登山カードも該当者はなかった。いったい誰が無線機で俺達を呼んだのだろうか?同窓会の度に話題になる、秋の日の想い出です。
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⛰️ 谷川岳の谷底のそこ
「あれは確か私が小学生の頃。両親と一緒に墓参りした帰りに、谷川岳に登った時のことです。群馬にある母方の祖父に逢いに行き、祖母の仏壇に線香をあげ、その祖母が眠る霊園に立寄ってから東京へ帰る、というコースが何時ものお約束でした。この群馬には母の姉が2人がおり、祖父はそこの家族と一緒に墓参り行くことが多いから、同伴する事は少なかった。で、祖父に見送られ車で30分程の距離にある霊園での墓参りを終えた後、私たち家族3人は谷川岳に立寄ったのでした。
群馬に行く日は、テーマパークやバラ園的な場所に寄ってから帰ることもあり、その日に谷川岳へ行ったのも「群馬の有名観光地」だから程度の理由でした。祖父宅に泊りで行った日だったか、早朝に東京を出発した日帰りの日だったのか、覚えていませんが谷川に着いたのは、まだまだ日が高い時間帯のことでした。谷川岳といっても本格的登山ではなく、家族連れが短パンと運動靴で気軽に立寄れるようなエリアです。ロープウェイにも乗っておりませんし、麓の駐車場から気軽に歩いて登っていける程度の場所です。
私達はごった返す観光客をかきわけ、半ば単独行動気味に登っていきました。たまに振り返っては、父が母の手を取りながら、後ろから歩いてくる姿を確認します。やがて、これ以上は登れない拓けた場所に出ました。他の峰々に比べたら標高は低いのでしょうが、所謂ここが頂点です。広さがあっても売店や展望台等はなく。あとは引き返して来た道を戻るのみという感じ。昼間だったのに曇り空で薄暗く、途中からガスがでて、それがかなり濃かった。父が「山の天気は変わりやすいべぇ」と、呟いていたのを覚えています。天気良ければ視界が効いて、さぞ景色は良かったのでしょうね。でもガスのお陰で真っ白な風景。自分達がいる場所以外、他山なども全く見えませんでした。
この当時の私は、こんな場所まで登った経験がなかったため、目の前で霧が右から左に流れ落ちていく様子を眺めては「雲に触れられる!」と、霧を手で掴もうと無邪気な試みしたものです。登ったからには、それなりの高度があることは、判かっています。視界は悪く流石にマズいかなと、はしゃがずにしていました。ここではもうすることもない、あとは引き返し駐車場へ戻るだけ。そう思って歩いていると、前方にあったはずの地面が、急にフッと無くなったのです。「これ以上進んだら…死ぬ…!?」私はそんな絶壁淵に立っていました。先ほどまでは自分の視界には、ドッジボールが出来る位の幅の地面が拡がっていた。
たまに霧が薄れ視界が戻ると、登道と先行する観光客の姿も見えていたのに。急に眼前が崖になったのです、完全に奈落の底、相当な高さの断崖絶壁。その先は雲かガスなのか全く見えはしない。勿論落ちれば、絶対助からない事だけは明白でした。先ほどまで自分の目の前に広がっていた場所は一体何だったのか?頭が真っ白になり動けず、奈落の底から目を離すことが出来なくなっていました。その断崖絶壁からは真横に数本の木々が伸びていました。時計の針で3時方向に樹木が伸びているのです。方向感覚が90度ずれ、視界が歪む感覚。自分がいる場所が正しい面なのか、足元に広がる面が正しい面なのか。そんな不思議な感覚です。
子どもの私は「山だから真横さ木が生えている」なんて思ったものです。そしてその木々や岩肌を伝いながら、こちらへよじ登ってくる影がいくつか見えたのです。眼下の遥か遠くに見えるとはいえ、人にしては余りにも小さい。子猿のような黒い影。灰色の断崖絶壁。そこから垂平に伸びる白い樹木。そしてその遙か下に拡がる雲。その中をユラユラとよじ登ってくる謎の影。この世の景色とは思えませんでした。此処にいたら、このままでは、奴らの手が自分に届いてしまう?!此処から落ちたら、数えるほどしか生えていない樹木で、助かる確率はゼロだろう。直下で広がる崖底の雲の部分まで真っ逆さまだろうな。そう考えるばかりで体は固まり動けないのです。その後の事はよく覚えていないのですが、ちゃんと両親と一緒に駐車場まで無事に帰れました。
この場所の山名が谷川岳だと知ったのは、私が成人してからのことです。あの山での一件がフト気になって、母に「小さい頃にさぁ、群馬で行った霧が濃ゆい山は、なんて言うのさ?」と聞いたからです。そして昔あったらしい事件事故や、犠牲になられた遭難者が世界一多い山、ということを知ったのでした。
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⛰️ 世界一の遺体キャンプ場?!
夏休みも終わり少し肌寒くなる頃、わたしは谷川岳へ登山しました。テン泊を含めて1泊2日の行程です。久々の谷川岳を巡る山行ということもあり、愉しみ膨らませながら朝を迎えた。登り始めると紅葉が色付き山々の景観は美しく、度々立ち止まっては写真など撮っていると、予定より行程が大きく遅れてしまった。その結果、日没の薄暗くなってからテン場に到着。慌ててテントを張る場所を探しました。紅葉シーズン真っ只中ということもあり、テン泊の登山者はかなり多かったのです。その中で何故かポツンと平らな空き地がありました。迫ってくる真暗闇に追われるようにテントを急ぎ張り終え、登山後の心地よい疲労にも促され、すぐに眠りにつきました。
その深夜のことです。和太鼓、鐘の音、笛の音が混じった祭りお囃子?みたいな音色が聞こえてきた。それで一度はハッと目が覚める。変な夢を見ているのかと思い、また寝袋に頭まで潜り込ませ、目を強く瞑った。それでもお囃子は止むどころか、同じリズムで鳴り続けている・・実は子供の頃、この音色がとても苦手でした。楽しそうだけど哀しげな、うまく説明できないけれども。不安になる感じが子供心に少し恐怖を感じました・・そんな記憶が蘇ってしまうと、もう外を確認しようと、テントから出ようとしても、身体が拒絶するように固まり身動きが取れない。次第にコチラに近づいてくるその音が段々大きくなり、テント前に祭り山車が止まったかのように音が大きくなりました。そしてお囃子の音に混じり、大勢の人間のガヤガヤ感も感じました。何か話している筈なのに、ボソボソボソした喋り声で、内容迄はうまく聞き取れません。
このまま幾時かをジッと我慢していましたが、もう恐怖に耐えられなくなり、できる限りの大声で「助けてぇ~ぇ!!」と叫びました。するとテントがガサガサと揺らぶされる、入口のファスナーがゆ~くりと、外から開けられました「こんなところにテント張って、寝ていてはダメだろう」雨に降られたか位の冷や汗を拭いながら、寝袋から頭を出すと、そこには山小屋の主人が立っていました。そして一息入れてからテントの外を見渡すと、山小屋の主人以外は誰もいませんでした。勿論聞こえてくる音は、木々が風で揺れる音だけです。私が呆然としていると、山小屋の主人は大型ライトで、テント前に建てられていた看板を照らしました➝「使用禁止」。
怒られながらも残りの夜明かしは、山小屋の中で過ごしました。山小屋の主人が言う。あそこは遭難死体の仮置場だったとのこと。谷川岳は世界で一番登山者を殺めている山。その犠牲者遺体の仮置場だったという。言い換えれば世界で一番事故死体が置かれまくった場所で、わたしはグースカピー寝ていたのです。流石にこの話を聞けばわたしは心底怖くなって、山小屋の主人に祭囃子の一件を話すことは、もうできませんでした。
後で調べてみると、群馬新潟県の境に位置する谷川岳は、遭難事故死者数でギネス記録を持っています。「魔の山、人喰い山、死の山」などのおどろおどろしい異名も持っていました。その翌日、わたしは下山道を歩き出したところで、足を滑らし谷底へ滑落しました。幸いにも登山客は多かったこともあり、すぐに助けられ命に別状ありませんでしたが。それからは登山へは二度と行けなくなってしまいました。皆さんもテントを張る場所には、くれぐれも注意してください。例えキャンプ場であってもね・・
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⛰️ 谷川岳から登山帰りの旅館で
私が大学生の頃の夏休み。友達二人で谷川岳登山を終えた。その帰りに泊まった旅館での出来事です。この山行の計画はすべて友人にお願いしていた。泊まった旅館も貧乏学生予算を考慮し、安価な旅館の中でもより抜きの木賃部屋でした。JR水上駅から程々歩いた旅館は、昭和フレーバーが溢れかえる建物。内装は化粧壁が所々剥がれ照明も暗い印象でしたが、従業員の方々は対応が丁寧でした。当時の私達はとりあえず泊まれればそれで良し!という考えだけでした。部屋に荷物を置いて、夜の温泉街に繰り出しましたが、やっているお店はポツンポツンという有様で、ようやく小さな個人で切り盛りしている居酒屋へ入ることができました。
そこの店主と話をしているうちに、今晩泊まる旅館の名所を告げると、店主の顔色がサッと急変。そして店主から、いままでその旅館であった不幸な出来事や、その禍から生じる心霊現象のような話を、生々しく聞かされました。私達はかなりお酒が入ったこともあり、まぁ怖い話も夏の風物詩だし、怖いどころかド~ンと来い!といった気分で旅館へ戻りました。時間も随分遅くなり大浴場へ足を運ぶと、まさかとは思いましたが先程の居酒屋の店主の話のごとく、浴場入口横の従業員用の扉には、古いお札が張られていました。友達はそのお札を、反対に向きを変えて張り直しすというイタズラをしていました。私は更衣室にお経の書いてある手ぬぐいを見つけましたが、畳んで忘れ物置き場へ置いておきました。入浴終えて和室の部屋に戻る。部屋の隅には着物掛けと、閉じられた合わせ鏡の鏡台があるのに気づきました。
またも友人と買ってきた缶ビールやつまみで、今回の登山を振り返りながら会話をしていると、部屋には線香の匂いがしていたので、汗取り用の香水スプレーを部屋中に巻き散らし対処しました。この時は怖いという気持ちよりも、心地よい疲れと酒の酔い、登山の達成感しかありませんでしたので、程なく寝入ってしまいました。そして、夜中の3時すぎ。私は尿意で目が覚めました。「呑み過ぎかぁ…」部屋外にあるトイレに出向き、部屋に戻ってふと目に入った合わせ鏡を見ると、閉じてあったはずの鏡台が何故か開いていました。その鏡に映っていたのが、赤白の着物を着て髪の毛が長く横向きの女がいました。私は一瞬の出来事で、後ずさりをして顔をそむけましたが、再度鏡を見るともう女の姿はありませんでした。「呑み過ぎだぁ…」酔いと眠気も相まって、そのママ眠りに付きました。
翌朝。起床すると友達は呑気に朝風呂に行っている様子でした。私は昨夜の鏡台の事を思い出し部屋の隅を見ると、合わせ鏡は最初と同じように閉まっていた。深夜の出来事は単なる勘違いだと思いました。朝食の時間となり、友達が部屋へ戻ってきたのですが「実は怖い夢を見た。体が動かなくなり、赤白の着物を着ている女が寝ている自分に覆いかぶさってきて、気を喪ってしまった。それで怖くなって、浴場でいたずらしてしまったお札を元に戻してきた」と次々と話します。その話を聞くと同時に、私の昨夜の出来事と女性の容姿がピタリ重なっていたため、流石に「えぇっ!」となりましたが、流石に友人には話せませんでした。朝食の際も友達は「身体が冷たいんだよぉ、何かおかしくなってるぅ」と呟く、私が身体に触れると冷水につかったみたく、非常につめたくなっていたのです。私は旅館を出る前に、廊下で後片づけをしている女性従業員に、昨夜の居酒屋店主に聞いたことをこっそりと話しました。所がその女性従業員は、既に慣れっこな様子でした。
この旅館にはかなり昔より古い時代物の女幽霊が出るとのこと。赤白の艶やかな着物を着ていること。私たちの泊まった部屋がホットスポットであること。あの居酒屋の主は以前はこの旅館の番頭だった。番頭の家族に災いが生じてしまった結果、やむなく退職した…私はこの女性従業員の話を聞き呆然となりました。とにかく一刻もはやく自宅に帰りゆっくりと休もうと、早々に旅館を後にしました。私は友達の症状が心配なので、最寄り駅まで送って行きました。夕方に家に帰りつく。夏休みで従妹達が遊びに来ていました。私と同年代の女子大生従妹は、昔から霊感らしきものがあるそう、私は旅行先で起きた出来事を伝えると、谷川岳は登山事故で亡くなられた方が多く場所柄もあまり良くない、という。更に時代の古い心霊現象ほど怨念が強いため、日常生活に支障を感じるようであれば、それなりの対処をしたほうが良いかも、とも言われた。
私自身は旅行後には、何事もなく過ごせていたのですが、旅行で撮った写真の現像をお願いしていたものを業者の方が紛失してしまい、旅の想い出が残せませんでした。また登山に使用した汗で汚れた衣服一式、乾かしていたはずなのに自宅で再確認すると、何故か黴が生えてしまっており、所々黒ずんでいたので処分せざる得なかった状況でした。
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⛰️ 谷川岳に興味持たれた方のために
登山ルートには、難所(鎖場はある)は少なく「トマの耳(△1,963m)薬師岳」から、「オキの耳(△1,977m)谷川富士」へサクサク縦走コース。上級者向け「西黒尾根バリルート」もあり、避難小屋(熊穴澤、肩の小屋)も完備されている。またピーク過ぎ、国境稜線から衝立岩(ついたていわ)などを上から眺めることも出来ます。最近、大流行りオシャレ登山、ワチャワチャするのにも最適です?
⛰️ 谷川岳の登山ルート2選
🚶♀️…天神尾根コース(観光登山はこちら)
JR上越線土合駅(日本一のモグラ駅486階段)より、谷川岳ロープウェイに乗り継ぎ天神平駅へ。更に天神峠ペアリフトに乗り天神峠展望台に着く。尾根道を辿り、まずはトマの耳ピークへ向かう。余裕あれば続きオキの耳へ、眺望抜群。来た道ピストン下山するのが一般的です。登りが約2時間半、下り約2時間程度が標準タイムとなる。標高差は600m程度。
上記、ロープウェイを利用しない場合は、その下道の田尻尾根をひたすら登る💦
▷ロープウェイ土合口駅/
https://maps.app.goo.gl/E36pXgdA6PQ8p5QcA
▷天神峠ペアリフト/
https://maps.app.goo.gl/Bey8iHVmSgg8B1Hh9
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🚶🏻…西黒尾根コース(クラシックルート)
上級者向けバリエーションルート。“日本三大急登”のひとつとされ、特に下山時の難易度高くビキナー不可。注意を促す看板🪧’-が建てられている。
参考動画/☃️春先、冠雪期の西黒尾根をいく
▷https://youtu.be/zE9uL_RjS2E?si=58YBpFEiuMCcBuab
https://minminzemi81.hatenablog.com/entry/2020/10/09/120000
(Thank you for reading, have a safe climb.)
#谷川岳#10月3日は登山の日