和歌山県太地漁協の捕鯨船「第七勝丸」が帰ってきた。
ビックリするくらい、ちっちゃいボートです。でも、太地町のエース!
やっとこさフレッシュな鯨肉が、食べられるかな。しかし、初物は何でも高いからね「全量落札されたが、価格は公表されなかった」という。これは、あか~んヤツなのかい?ご祝儀相場。
昨年の12月のこと「日本がIWCから脱退」とのニュース!
だいたいやね、国際捕鯨委員会(IWC)をありていに例えれば⇒「ぼったくりバーみたいなもの」ホ~ント「捕鯨反対派のためのおかしな団体」に、成り下がっていました!
ていっ!て~いっ!
産経記事引用『IWCは「クジラ資源の保存と捕鯨産業の秩序ある発展」を目的に国際捕鯨取締条約に基づき1948年に設立された国際機関。日本は1951年に加盟した。当初は、捕鯨国でつくる「資源管理機関」だったが、反捕鯨国の参加が増えて1982年に商業捕鯨の一時停止が採択された。水産庁によると八月時点で加盟国のうち、捕鯨支持国は日本やノルウェーなど41カ国、反捕鯨国がオーストラリアやブラジルなど48カ国。捕鯨支持国との反捕鯨国が激しく対立している』(産経新聞事 2018/12/20)
これ単純に言えば「食肉輸出国=反捕鯨国=反捕鯨団体」なのでありますね。さらに、あのグダグダの「みどり豆ヤロー※」共ときたらね。まあ、良いか。
(※みどり豆とか云う“カルト集団”は、ただの“利権団体”でしかないのは、既に周知の事実です)
それで、捕鯨基地のある和歌山県、山口県、高知県では「調査捕鯨」は終了した。そして「商業捕鯨」再開がいよいよ始まった。この漁は日本の領海と排他的経済水域(EEZ)だけで行われる。それまでの調査捕鯨では、大西洋でクジラを捕っていたが、これからはそれらも実施しない。
じつは地球上に生息するクジラ類は、充分に回復しているのです。
「愚かななる乱獲」さえしなければ、まったく問題はありません。
引用文『…現在インド洋西部に生息するザトウクジラは、三万頭以上にまで増えているという。この海域のザトウクジラの個体数は、約二世紀にわたる捕鯨によって激減し、1970年代末には600頭未満になっていた。そして研究チームは、2018年の調査とそれ以前のデータに基づき、インド洋西部に「三万頭以上のザトウクジラが生息」していると推定した』
(出典 ナショナルジオグラフィック)
いま本当に資源保護しなければならないのは「ニホンウナギ(絶滅危惧種)」ですね。資源は枯渇して絶滅寸前だ、なのに能天気な日本人はね…
「土用の丑の日は、ウナちゃんよ♡うふふっ♪」
じつはわたくし「鰻丼大好きィ人間」なのですが、この十数年位「ほとんど鰻丼を食べた記憶」がない!すぐ記憶をなくすヤツ?あ、回転寿司屋で摘む位かな?それ食べてるヤ~ン。すまない…ウナちゃん。
輝く!和歌山県の郷土料理「クジラの竜田揚げ」です
農林水産省が選定した「農山漁村の郷土料理百選」和歌山県代表の郷土料理なのです。
「あ”~竜田揚げ食べた~い!」
そして「クジラ給食復活!」もね。そうだよぉ♪人気献立はやはり圧倒的に「クジラの竜田揚げ」だね。給食のやつはホント美味かったよねぇ!戦後貴重なタンパク源として、日本の食卓を支えた懐かしの鯨料理。クジラの竜田揚げは、鯨料理の代表的メニューだったのです。
<クジラの竜田揚げレシピ>
昭和のソールフードだったね。ひと口大に切った鯨に下味をつけ、片栗粉をまぶし油でサクッと揚げます「まいう~♪」。
○鯨赤身をひと口大にカットする。隠し包丁も入れると下味がよく染みる。
○ボウルに「醤油、酒、味醂、おろし生姜」液に、鯨肉をしばらく漬けこむ。
○ひと切れずつ片栗粉まぶし、すぐに180℃の油であげる。これがコツ!
○揚がった鯨肉と、付けあわせをあしらって… <はい、完成です!>
<給食ランキングをブッチの一位「鯨の竜田揚げ」>
しかし悪名高かった「コッペパン」が三位になってるよ。あと七位の「脱脂粉乳」てか。これ…マジですか、あんなの人気があったの?
知っておきたい、なが~い捕鯨の歴史
日本人の鯨を食べる習慣※は、それこそ太古からあったといいます。また、奈良時代の文献に「鯨肉贈答」の記載があるそうですから、ずいぶんとその歴史は古くてなが~いのです。
紀伊半島の南端に位置する和歌山県東牟婁郡太地町は、日本の「古式捕鯨発祥の地」として、世界的にも有名な捕鯨の町です。その始まりは、江戸初期(1606年)。紀州太地で捕鯨組織の「鯨組🐳」が設立される。そして和田一族、和田頼元を中心に「刺手組」と呼ばれる捕鯨漁師たちが、太地浦を拠点に沿岸鯨漁を始めました。
延宝三年(1675年)には「鯨を網に追い込む捕鯨法」を、和田頼治が考案しました。これ「クジラ一頭で七浦潤う」と云われた位だからね。乱獲なんかとてもありえなかったのです。
○古式捕鯨説明サイト⇒http://www24.big.or.jp/~kyusoku/w_old_whaling.htm
(※縄文や弥生時代の貝塚から、鯨の骨が数多く出土します。こんな時代から捕鯨していた証)
そもそも欧米と日本では、利用目的も捕鯨手段も違う
幕末になると、欧米諸国(主にアメリカ、オーストラリア船)の捕鯨船が、はるばると日本近海までやって来ました。当時は「米式捕鯨」と呼ばれる遠洋捕鯨でした。まず帆船見張り台から、見張り員がクジラを捜す。その姿を発見したら数隻の手漕ぎのボートで漕ぎよせ、鯨に次々と銛を撃ち込んでゆくスタイルだった。
この西洋における遠洋捕鯨は、十九世紀から二十世紀前半までがピーク。漁獲目的は「灯火燃料や機械油」に使うためでした。船上で脂を絞ったら、肉や骨などはすべて海洋投棄した。なな、なんて!勿体ないことを!
しかも欧米船は「世界規模で鯨の乱獲」を続けたのです。そして油だけが目的なので、まず「マッコウクジラ」種※が、絶滅寸前の危機に瀕した。次に「セミクジラ」が、1931年には最大種「シロナガスクジラ」の捕獲数がピークをむかえる。世界全体で800隻程度の捕鯨船が活動し、一隻あたり年間10頭程度捕獲していたらしい。これ単純計算すれば「年間8000頭」にもなる!
どんだけぇぇぇ~!
(※デコに大量の脂を蓄えていた。さらに悪いことに「抹香鯨」からは「龍涎香」という香料・医薬にもなる珍品が採れた。その正体はマッコウクジラの「腸内で形成される結石」これがとても高価で取り引きされていたので、マッコウクジラ種のみが執拗に狙われた背景があった)
そのあたりの話は、有名な小説「白鯨※1」に詳しく描写されています。この話は、実際に捕鯨船に乗船、捕鯨に従事した「メルヴィルの実体験」をもとに書かれています。
▽映画「モビー・ディック」グレコリーペック主演。白鯨の描き方は、ほとんどゴジラ扱い。このMADさは「アメリカ人の精神構造」をよく捉えています。あの「アメリカンバイソン」を絶滅寸前※2(レッドリスト)に追い込んだ奴らだからね。まったくなってないよ!
(※1 1851年に発表されたアメリカ文学を代表する作品。たびたび映画化もされている。原題は、英国版が"The Whale"、米国版が"Moby-Dick or The Whale")
(※2 アメリカンネイティヴは「弓で仕留めたり、追い詰めて崖から落とす」といった伝統的な狩猟法だった。なのでバイソンの個体数は“絶妙なバランス”で保たれていた。17世紀頃に“悪魔のような白人種”が来るまでは…ね)
最終的には「鯨類資源の減少」と「鯨油需要の低下」から不採算となり、欧米では一気に捕鯨が衰退する。しかし…日本では違った。
日本の捕鯨は、随分出遅れていた「古式捕鯨」からの進歩
欧米船による乱獲、その結果として日本近海で鯨の個体数は著しく減少し、日本の古式捕鯨は、壊滅的な打撃を受けることになったのです。さらに明治十一年(1878年)には、太地において海難事故「大背美流れ※」が起った。この大打撃を受け近代捕鯨への発展には、まだまだ時間が必要でした。その後、捕鯨銃による沿岸捕鯨、鯨解体場の開設、鯨缶詰工場の建設など、次々とインフラ改善され、太地町の捕鯨産業はようやく軌道に乗りました。
(※覚書『脊美流れ控え』によれば、子連れのセミクジラを追って、はるか沖合へと漕ぎ出した鯨取り船団は、遭難事故により百名以上が帰らぬヒトになりました)
そうだった「イルカと、クジラの違い」とは何か
まず、クジラはだいたい二種類に大別することができます。鯨の口が髭なのか、歯なのか?「髭クジラ」と「歯クジラ」のツータイプです。
①「ヒゲクジラ」は、口の周りにヒゲを持ち、小魚やプランクトンをガバ飲みします。「髭タイプ」の代表種は⇒「ナガスクジラ、ザトウクジラ」など。
②「ハクジラ」は、頑丈な「歯」で巨大な生物(例えば大王イカ)も捕食できます。「歯タイプ」の代表種は⇒「マッコウクジラ」です。
そして、イルカも丈夫な歯を持つので②の「歯タイプ」になりますね。
まさかっ!?イルカとクジラの差とは…
実は「何となく」らしいのです。
「ひえぇぇぇ、ナニそれ??」
ひとが見て「チッコイなぁ」思うのが「🐬イルカ」で、ひとが見て「デッカイのう」思うのが「🐳クジラ」その境目はテキトーだった。目安としてはだいたい「体長四~五メートル」あたりで線引きらしいです。
これ例えば「セントバーナードとチワワ、どっちも犬でしょ?」みたいなハナシなのかな <笑
▽鯨は海の中で「唄い、踊り、遊ぶ」とても愉しそうですね。
○和歌山県の太地町には「鯨魂の永く鎮まりますように」という願いを込めた「くじら供養碑」が建立されています。毎年、四月二十九日(肉の日か?)には「くじら供養祭」がとり行われています。そうです鯨法会。これが日本人の感性ですね。
もちろん日本人は、鯨さんをリスペクトしていますよ。日本での古名は「勇魚 いさな」これは“キングオブフイッシュ”といった感じですから。
○推奨図書/「勇魚」と云えば、この本C.W.ニコルさんの名著です。西洋人に日本捕鯨をここまで描かれては、少し気恥しい心持ちがしますね。
金子みすずさんの詩『鯨法会』で〆ます
鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁師が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいしこいしと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら
(4600文字、thank you for reading.) #商業捕鯨#竜田揚げ