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あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

日本人が観ておくべき傑作名画『男はつらいよ』紹介します。八月二十七日は「寅さんの日」【大好きな映画③】前編

 

八月二十七日は「寅さんの日」なんだって

 

1969年の一作目『男はつらいよ』の公開日が「8月27日だった※1」ことから。最近の若者(平成生まれとか)は、「フーテンの寅さん」を知らないんだって。そして「観たこともな~い」とのたまうのです。

若者「ナニそれ。虎、フーセン?…タイガース?」

ワイ「そう、そう、そう。甲子園球場でタイガース勝ったら、みんなでピュ~て飛ばすヤツ、フーセンの寅さんっ!私設応援団…チャウわっ」ピシッ!マジかよぉ~、ショック!

じぇねれーしょんぎゃっぷ、いうヤツね、これなー。

もちろん映画なんだから、好き嫌いはあってもいいケドさ。でも喰わず嫌い選手権は、何か勿体ないよぉと思ふ。ならば、語り伝えておかねば!「国民的名画」として、永年にわたり人気を博し、毎年恒例どんどん制作され続けた名シリーズだからね。

しるべし、観るべし。さぁさぁ、傑作を「しらざぁ~いって聞かせや Show !」パン、パンッ!(←ハリセンの音)

えぇっ~、大丈夫かぁ~しかし。オイっ!(( 汗 たしかにぃ…

まずは、最初の一歩。一作目の『男はつらいよ』絶賛推し。さすがにワタシは映画公開時の「リアル世代」ではありませ~ん!半世紀、五十年以上も昔だよ、すでに日本映画史のひとコマだ。考えてみると、なんだかアタマがクラックラするよ。昭和44年(1969年)は、東大安田講堂の攻防戦があり、アポロ11号が月面へ着陸した。そ~んなドガドカな時代、この作品が生まれた。

シリーズ物の一作目は、“多くの映画の常”として、完成度がピカ✨イチ!寅さんファンなら「満場一致」で、ねっ!?

▽少し前にも思い出話をチョコっと描いてみました。

minminzemi81.hatenablog.com

(※1 松竹のHPにそう書いてあった!とらさんだから、10月3日でも良かったのでは?)

(※ご注意/大幅にネタバレします。もしも、まだ一度も観たこともない方、映画作品をみてからを推奨)

 

01.第一作『男はつらいよ』レジェンド

1969年8月に公開される。

 

東京葛飾水元公園の咲き誇る桜をバックに『桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が、今年も咲いております。思い起こせば二十年前、つまらねぇことで親爺と大喧嘩、頭を血の出るほどブン殴られて、そのまんまプイッと家をおん出て、もう一生帰らねぇ覚悟でおりましたものの、花の咲く頃になると決まって思い出すのは故郷のこと。ガキの時分、鼻垂れ仲間を相手にあばれ回った水元公園や、江戸川の土手や、帝釈様の境内のことでございました』と、寅さんのモノローグ(独白)で映画ストーリーが始まった。

矢切の渡しに乗り、故郷を懐かしむ男がいた

江戸川を松戸側から渡し舟(矢切の渡し、大人三十円、小人二十円だった)に乗り、河川敷ゴルフ場を平気で横断する。カップイン前のボールをピックアップ、さらにはバンカーではコケる。いちゃこいアベックの邪魔をする・・。

主人公のキャラが判ります

傍若無人で余計なお節介したがるおっちょこちょいなのです、このヒトは。今風にいえばADHD※1といったところでしょうか。

土手法面を駆け上がり懐かしさいっぱい、河川敷風景を一望します。ドド~ン!

アバンからドラマが始まる、ワクワク。

でも、ここでフト違和感も感じる。まず寅さんの衣装が違う。定番キャメル背広が「グレー格子柄にネクタイ」。いつもの雪駄ではなくオシャレな「白黒コンビの革靴」を履いてる。トレードマーク「寅ンク」も、ずいぶんボロくて小ぶりサイズです。そう、これはTVシリーズからの小物ですね。スクリーンは柴又風景の描写が続く、画角の切り方がとにかく素晴らしい。高羽キャメラ※2 

いまは喪われつつある「古き良き昭和の原風景」をシッカリ画面に捉えています。しっとりとした雰囲気がとてもイイ!

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みんなが知っている寅さんの姿はコチラ

(※ADHDは成長障害者のこと、注意欠如多動性障害とも呼ばれる)

(※2 高羽 哲夫 たかは てつお、福島県河沼郡湯川村出身。映画カメラマンとして、山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズのほとんどの撮影に携わった。地方ロケの絵がとても情緒あり良いのです)

 

タイトル男はつらいよド~ン!

 

華やかな「題経寺(だいきょうじ※3)」の庚申祭り。みずから纏(まとい)を廻す寅さん。昭和時代の人情と活気などが、はやくも画面から伝わってきます。現地柴又ロケは、だいたい4月から5月あたりでしょうか。春先ですね。

そして寅さんは帝釈天へ、御前様(笠 智衆)に「寅次郎が帰ってきた」とシレッと挨拶をします。さっきからぼんやりと、この 謎な纏男を眺めていたオバちゃん(車つね、三崎千恵子)が、その正体に「ハッ!」と気づいた。

オバちゃん「寅ちゃんじゃ、ないかい…?!」

寅さん「オバちゃぁぁ~ん!」とガッチリ抱きあった、感動の再会ですっ!十六歳から二十年間も家出していた、車 寅次郎(渥美 清)が、故郷の葛飾柴又にある団子屋※4「とらや」へ帰ってきた。

(※3 柴又 帝釈天 題経寺(しばまた たいしゃくてん だいきょうじ)は、葛飾区柴又七丁目にある、日蓮宗寺院。通称「帝釈天」とも。題経寺の寺伝では、開基は江戸時代の寛永六年となる)

(※4 とらやは、帝釈天参道脇にある。ちなみに団子と餅の違いは「団子は粉から作るが、餅は粒を蒸してから作る」「団子はうるち米の粉、餅はもち米を使う」「餅は祝儀に用い、団子は仏事に用いる」などの違い)

 

涙の再会は嵐の前触れ、序章なのか?

 

緊張するオイちゃん(車竜造、森川信)、オバちゃんを前にして渡世人挨拶の口上をきります。店先には、ご近所さんまで集まっています。これぞ昭和フレーバー!

寅さん「十年ひとむかしの勘定でいきゃあ、ちょうどふたむかし、父母も亡き兄も、さぞかしご迷惑をお掛けしたことでございましょう…なお、たったひとり残りました愚かなる妹が無事に成長しましたのも、ただただひとえに、お二人の御訓育の賜物と、まことに兄としてはお礼の言葉もございません。オイちゃんっ!ならびに、オバちゃんっ!本当にありがとうございました…」

うん、普通だ。ここまでは、まだ普通だね。会社から帰ってきた妹のさくら(車櫻役、倍賞千恵子)と、寅さんの涙の再会の場面へと移る。

 

<推しポイント!>

スクリーンの倍賞千恵子が、とにかく美しいっ!もうキラッキラッ輝いています!「これぞ映画☆スター」というものでしょう。もう、団子は悶絶、ハート♡ズキュ~ン!さすが元SKDのトップスターです!

谷よしのを前立てに、見事な画面構成となっておりますね。笑

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とにかく美しい、倍賞千恵子

(※谷 よしの、写真右側。一作目より「男はつらいよシリーズ」でチョイ役ながら、ツボを抑えた演技を魅せる。スっと登場して、スっ~と消える。本編のストーリーに深く絡まず、画面にアクセントを与える役目。とらやのご近所さんや、旅館の仲居さん、とらやのお客さん、花売り役など、役柄を変えて二回登場の巻もあった)

 

さくら「ただいまぁ~!」

オバちゃん「さくらちゃん、おかえり」

寅さん「さくら…おまえ、ホントにさくらかい。ほら、ほら、ほらっ!俺だよ、この顔に見覚えねえのかいっ?」

ドンドンさくらに、にじり寄ってゆく。さくらは恐怖で顔面蒼白、後退しつつ。

さくら「ねぇ…このヒトっ…誰なのっ…??」

オバちゃん「やだよぉ~、まだわかんないのかい」

オイちゃん「よく見ろよぉ~」

寅さん「いいんだ、いいんだっ、無理はねぇ。五つか六つのちっちゃいガキん頃に、ほっぽりだしてそれっきりだぁ、ふぅ~。親はなくても子は育つ、というがでかくなりやがったぁ…」

さくら「あぁっ…お兄ちゃん!生きてたの?!」

「お兄ちゃん!生きてたの?!」驚くさくら

やっと笑顔となる。どうやらとらやでは、死んだことにされていたみたいですね。そして集まった皆んなが、感動して涙ぐんでいる。

寅さん「んっ…!」

さくら「お兄ちゃんっ!」

寅さん「苦労かけたなぁ…ご苦労さんっ…」

まず手を握りあう。感動のハグでもするのかな?ところが突然、裏庭へ向かう寅さん。

寅さん「なに、しょんべんよぉ!」

寅さん「なに、しょんべんよ!」

これで緊張が一気に解ける、ここ笑うとこ。

寅さん「♪泣くなぁ~いもとよぉぉ~いもとよぉ泣くなぁぁ~泣けばぁ幼なぁいぃ~ふたりぃ~しいてぇぇ~故郷をぉぉ~すてぇ~たぁ~かいがなぁぃ~(人生の並木道)」

立ちションしながら、唄ってる。『ゴォ~ン』と題経寺の鐘が鳴る。

歌が残念賞だったのか?

▽名曲『人生の並木道』渥美清さん、歌がホント上手いよねぇ!

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翌日、事件勃発!怒濤の展開のはじまり

 

寅さんが妹さくらの見合い(しかも玉の輿的)をぶち壊し、おジャンにしてしまう。このことがきっかけで、兄妹の仲に早くも亀裂がはしる。言い争いから大喧嘩へと展開します。

さくら「お兄ちゃんこそ何よっ、アニキ面していい気になって、昨日から今日にかけて、私がお兄ちゃんのために、どんな辛い思いしてるかわかんないのっ!」

寅さん「うるへえぇぇ~!」

ビシッと、さくらの頬を打つ。ありゃ~簡単にキレたっ!ダメだよ寅さん!頬をおさえながらも、キッと睨みつけるさくら。

さくら「お兄ちゃんなんかっ、どっか行ちゃいなさいよっ!」

オイちゃん「オレはもうぉ~我慢できねええぇ~ !!」

これで「寅さん VS オイちゃん」のとらや裏庭対決へ発展する。そこに裏の工場のひろし(前田吟)が登場!寅さんを後ろからガッチリ羽交い締めにする。身動き出来ず一方的にポカスカと殴られる寅さん。

オイちゃん「てめぇがなぁ~、てめぇがぁ、家をおん出た時、オヤジはどれだけぇ心配したかっ、えぇっ!おとついてめぇのツラ見たときはなぁ~、嗚呼、親父が生きてたらどんなに喜ぶかと、でもかえって死んだほうがよかったっ!このザマ見るくらいならなっ、死んだほうがマシだったぁぁ~!親父はいまごろ草葉の陰でぇ…草葉のぅ…陰で…ぅ…」

オイちゃんが、とても苦しそうだ。まずいっ!心臓が悪かったのかな?

オバちゃん「あんたっ、しっかりしておくれっ、大丈夫かい?」

これでオイちゃんは、裏庭リングから一時退場。

相手なくした寅さんは、縁側にションボリとし、その横にさくらも座る。

寅さん「おいちゃん、大丈夫かい…?」涙ぐんでいる。

さくら「うん…」

寅さんは、ひろしの腰のタオルを奪い取り、涙顔を拭うとインクで真っ黒になる。その顔を見て吹き出すさくら。“緊張の後には必ずオチ”があります。泣き笑いの往復ビンタ!これが「男はつらいよ」なのです。

 

とらやから、寅さんの姿が消える

 

翌日。寅さんの置き手紙があった。とてもヘタな文字※1だった。

妹よ、夕べは悪いことした。俺は出てゆく、たびの空。お前のしあわせいのってる。俺の弟、のぼるのことはよろしくたのむよ。さようなら。 愚かな兄の寅次郎

ヘンな七五調の文章だね。

江戸川堤を走りさがす、さくらとのぼる。あれぇ?柴又駅じゃないのか。

のぼる「兄貴ぃ~!待ってくれえ~ぇ~!」叫ぶ。走る。

さくら「お兄ちゃ~ん!」走る。

この時寅さんは、すでに江戸川の渡し舟(矢切の渡し※2)の人となっていた。旅立ちのシーンまで疾走感があります!とにかくストーリーも、走っておりますっ!

本作品の特長は『笑いと感動と疾走感』なのですっ!パン、パパン!

(※1 この手紙の文字「金釘流」は、倍賞さんが左手で書いたという逸話あり。「金釘流は世界で最も盛んな書道の流派。門下生は全世界で恐らく一億人を越すと試算される。しかし、この流派に属している門人は口外ならぬ掟らしく、正確な門下生の総数は不明である」wikiから引用) 

(※2 「矢切の渡し」は旅立ちの絵になります。渡った先は、野菊の墓で有名な「千葉の松戸」。すると寅さんはこの先どこへ向かうのか?昔からの謎となっていて、京成矢切駅から電車に乗るためには、さらに相当歩くことになり、理不尽だ)

 

それから一ヶ月…旅先の奈良にて

 

寅さんは、何故か外人観光客を連れ「奈良東大寺 二月堂」にいた。たまたまバッタリ出逢ったのが題経寺の御前様と、その娘 冬子(光本幸子)だった。

寅さん「あっ、どうも御前様。なかなかスミに置けませんね。こんな綺麗な方とお愉しみを。それじゃ、わたくしは、これで…」

「あっ、どうも御前様。なかなかスミに置けませんねぇ」

御前様「馬鹿っ!娘だ。ほらっ、忘れたのか?おまえが出目金とアダ名をつけて、よくいじめとった冬子だっ!」

寅さんうろたえ鞄を落としかける。

寅さん「は~ぁ~出目キン!」

この冬子に瞬間的片恋した寅さんは、この二人と同行して奈良観光で珍道中を繰り広げます…話のテンポが、ここでも加速しはじめます。次々と始まり終演する逸話、まるで寅さんの啖呵売、いや舞台演劇みたいなストーリーの詰み込みをしていますね。なので注意しないと色々見落とします。

旅先で注目の小物『ピンクのバンビ』が登場する。当時、奈良の土産物屋で「人気商品」だったのだと想われます。寅さんはこのピンクバンビを買い求め、背後から冬子に背負わせます。

寅さん「はいっ、おんぶっ、おんぶぅ~!」

ふゆこ「いやぁ~やめてぇ~!」

ピンクの鹿に寅さんの浮かれ気分♡の恋心が、うまく投射されています。そしてエピローグのシーンにも、その“結果報告”としてまた登場。コレは注目案件ですね。

▽『男はつらいよ』映画予告編。リニューアル4Kデジタル画面が美しいな。

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さて、ここで映画の中締め。話の舞台は旅先の奈良から、東京柴又へと移ります。映画人の意気込みと役者陣の熱量で、ひとつ目のヤマ場である感動シーン「さくらの結婚披露宴」まで一気呵成突っ走るのですっ!パパン、パン!

▽後半へ続く。終盤まで「泣き笑いの波状攻撃」が続く。

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(※まるで「瞬間湯沸かし器」のようなスピードで、寅さんがマドンナにベタ惚れします。信じられない心の振れ方ですね。しかも冬子は、寅さんの幼馴染なのですから、なおさら~変ダナ!)

 

~おまけ話~

どうでもいいけど、気になりますっ!年齢問題

 

寅さんの劇中の年齢が、よくわからな~い💦のです。それで寅次郎とさくらの「年齢設定問題」を考えてみた。

一作目『男はつらいよ(1969年)』16歳で家出して、20年ぶりに故郷へ帰ってきた逸話が正しければ、36歳は間違いなく越えているハズ。では、どのあたりで整合性を求めるのか?

この一作目の時点で「寅さんが36歳+‪α‬で、さくらが26歳+‪α」‬として、年齢差は「10歳」程度あるのが妥当な気がする。

寅さんが16歳での家出時、さくらを『…五つか六つのちっちゃいガキん頃に、ほっぽりだして…』と言ってるからだ。

さくらの部屋には家族写真が飾ってあった

~暫定アバウト~

(家出時)寅さん十六歳、さくらが六歳。→二十年が経過→(再会時)寅さん三十六歳、さくら二十六歳。

そして二作目の『続 男はつらいよ(1970年)』の映画アバン(冒頭部)で「38歳」との発言アリ『いまを去る三十八年前、雪の降る寒い夜、玉のような男の子を産んだ覚え…』云々のセリフがあります。

そして、とらやに舞い戻った寅さんに対して、オイちゃんが発言します『(前回から)まだ、一年も経っちゃいねぇよっ!』と言う。

このことから逆算すると、寅さんは一作目時点で、だいたい37歳あたりと推定は出来ますね。そうすると…生年は「1932年(昭和七年)」なのか?

(この年は、海軍将校がクーデター起こし首相官邸を襲撃。大養首相を射殺したという、有名な「五・一五事件」があった)

~結論~

当初の設定は、寅さんが「37歳で、チョンガーテキ屋」だったようですね。しかし、さくらは「27歳オリエント電気の独身OL」これ昭和時代には少々キツいなぁ…?なので焦って「お見合い」に走ったのだ、とも考えられますね。

(※後の作品では「入学願書の履歴書」に、昭和15年11月29日とあるから、何とも悩ましい。年齢詐称かな)

(※倍賞さんは昭和十六年生まれ。作品当時の実年齢は二十八歳だった、若いよねぇ。一方、渥美清さんは四十一歳でした。なんか実年齢にビックリだ) 

 

参考、写真/松竹映画公式サイト、ウキペディア、ウェブ電通報、Google MAP

(6500文字、Please enjoy “Tora-san's” movie.)  #男はつらいよ お題「ゆっくり見たい映画」