寅さん映画の魅力とは何か?その要素をザックリと
この「男はつらいよシリーズ」で、山田洋次監督が練りあげた作品スタイルは、松竹大船調と呼ばれた「小津安二郎」や、娯楽作品「人情喜劇シリーズ」なども併せ持つ当時の「イケてる近代スタイル」だった。それが当たった!
○第一作の'69年『男はつらいよ』から始まり※1シリーズ最高の観客動員数となった第十二作の'73年の『男はつらいよ 私の寅さん』その前後あたり、まさに「寅さん大フィーバー」だった。もちろん映画館は大入り満員で、客席も大爆笑で熱気にあふれていました。
山田洋次監督は、寅さんの人物像を『卑しい欲望、物欲、名誉欲、知識欲にいたるまで、みんなどこかに忘れ去ってトランクを片手にぶらさげ、澄み切ってカーンと音のしそうな頭で、のんびり旅をする男』なのだと語りました。 ふ~む、「路行く修行僧」みたいな、聖(ひじり※2)イメージだったのかな?ご存じですか「托鉢僧」を。最近見かけませんよね。
(※1 正しくは、テレビシリーズから。その雛形は、ほとんど出来上がっていた)
(※2 もとは「日知り」と呼び、修験者装束で山籠り修行をしては、里に降りては諸国を回遊して、祭祀・勧進等をおこなった。「神秘的な霊能者」であり「暦を占い教える司祭者」。寅さんも得意の啖呵売が「暦売り」で、みごと合致しますね)
シリーズ全篇に味わいたっぷりと
○登場する人物たちが丁々発止とやりあう「会話がとても心地よい」のです。たとえエキサイトして「喧嘩のシーン」になっても、相手への思いやりや気づかいあり「喜怒哀楽」を遺憾無く発揮します。
○ウケ狙いの安易な「暴力や性描写(昭和の映画には、コレ多かった)」など、ほとんど排除してしまった点も、ホント画期的だったのです。主人公のキャラが非日常的な「ヤクザなテキ屋の兄貴」なのに。
○さらにこの映画には悪人はめったに登場しません。これはどうやら山田洋次監督の考え方があったようで「泥棒や詐欺師」挿話もありましたが、とらやの面々はソフト処理して何やらイイ話風な顛末にしてしまう。
○登場人物それぞれが義理人情あつく心優しい人々ばかりなのですから、安心して「家族揃って盆暮れには寅さん映画を観に行く!」や「学校の映画鑑賞会で寅さんを観る!」ことも可能となりました。
○地方ロケのパートでは「どこか懐かしい故郷風景」を大切に描写していきます。これは「高羽カメラマン」の力量がとても大きいです。何気ない風景インサートでも、随分とアングルを工夫して撮影しているコトが判ります。ここから「一般庶民の暮らしの描写」へ落としこみ、旅する寅さんの面前にマドンナが、ドド~ンと登場する流れにつながります。
○もちろん寅さんは、すぐに「瞬間湯沸器的恋愛モード」となる。その姿を見た、オイちゃんが嘆きます「馬鹿だねぇ~ホント馬鹿だよぉ~」もちろん毎度お約束。ドタバタのハチャメチャな展開となります。あげくの失恋…。
▽こちらが『男はつらいよ』前編のお話。
○各シリーズ共シナリオの基本的な流れは、この第一作の『男はつらいよ』を踏襲しています。なのでリピーター的には、あらかた「結末の予測」はつくのです。そのザックリとしたプロットの流れは…
アバン『寅さんの夢パート』⇒『寅さんが旅から帰郷』⇒『とらやでのいざこざ』⇒『また地方へ旅する』⇒『マドンナとの出逢い』⇒『マドンナがとらやへ』⇒『トラブル、問題の開示・解決』⇒『寅さんの失恋へ』⇒『またもや旅立ち』⇒『エンディングの啖呵売』となる。
悪くいえば「ワンパターン」なれど。それが映画の面白さへとなってゆくのだから大変だ。山田監督はホント『繰り返しの天才』なのですっ!
(※以下、大幅にネタバレします。一度も観たこともない方「映画作品をみてから」推奨です!)
02.第一作『男はつらいよ』後編
柴又とらやに、春の奈良旅行する冬子から便りが届き、さくらが読んでいる。その文面には、意外にも「寅次郎とばったり逢い、一緒に観光してから別れた」云々と書かれていた。
オイちゃん「はぁぁ~奈良あたりで、何やってやがったのかねぇ~あいつはぁ?」
オバちゃん「大島紬かなんか、売り歩いてんじゃないのかい。きっとそうだよぉ、ニセモンのさぁ」
ニセモノの大島紬ってオバちゃん、ずいぶん具体的だよね。当時、そんな詐称事件があったのかな?
オイちゃん「バカだねぇ、ほんとにバカだねぇ~あいつはぁ、ここへ帰ってきて店でも手伝えばいいのに。なぁ…さくら」
そうそうホントそう。それで「諸々問題が一件落着」するよねと観客もそう思って映画見ているのだ。
さくら「でもお兄ちゃんには真面目な暮らしは、無理なのかも知れないわね。自分でも解かってんのよっ、きっと…」
すでに自分の兄を完全把握しているとはほんとデキる妹だね!
寅さんと冬子達 奈良からの帰郷
とらや店先に冬子が立っていた。すでに柴又に帰ってきていたようだ。
ふゆこ「ただいまっ。しばらくでした!」
オイちゃん「お疲れになったでしょう。でぇ、なんですか。むこうでトラのヤツにお逢いになったそうで?」
ふゆこ「もう~ほんとに、偶然っ!」
オイちゃん「そうですかぁ、一月前にスィッと家を出たっきりねっ、それっきり音沙汰がねぇんですよぉ、気にはしてたんですけどね。で、えぇ、なんですあのバカ野郎元気でやってましたか…?」
オイちゃん煙草を吸うためマッチに火をつける。そこへツッーと寅さんがケレン味なくやって来た。
寅さん「お嬢さんっ!どうも。あの、御前様と荷物は無事送り届けときやした。御前様、やっぱり寄る年波ですかねぇ、背中が痛てぇ~だとか足がガタガタするってっ、面倒くせぇ~のなんのって。ヘヘヘッ…あっ、オイちゃん、オバちゃん、元気かい?あぁそうか。そりやぁ、良かったっ!お嬢さんからあらまし話は聞いたんだろけどねっ、そういうワケで二、三日ココでご厄介になるからねっ!」
お土産の奈良漬の樽※をプラプラさせている。有無を言わさぬ口上にオイちゃん唖然となって固まる。手には火のついたマッチが燃え続けている…
寅さん「燃えてる、燃えてるぅ、燃えてるよっ~!モエぇてるよぉぉ~!」
寅さんがマドンナに萌えてる「燃えてる自分の心情」がマッチのやり取りで表現されています。一本のマッチから。
(※奈良みやげといえば定番、奈良漬けですね。昔は丸い樽に入っていました。有名な南大門前の森奈良漬店で買ったのでしょうか?)
とらやの裏庭からアメリカ民謡『スイカの名産地』を唄う声が聴こえる。工員たちと、さくらが一緒に歌の練習していた。そこに寅さんがスっと来る。
五月のある日 すいかの名産地
結婚式をあげよう すいかの名産地
すいかの名産地 すてきな ところよ~
きれいなあの娘の晴れ姿 すいかの名産地
スイカの名産地、歌詞がなんだか意味深な
童謡ですねぇ~フラグだてと思えますよ。
さくら「お兄ちゃん!どうしたのっ?え、どうして突然。ねぇ、冬子さんと逢ったんでしょ?」
寅さん「おぅさくら!おめぇたちのことが、気がかりだったからさっなんとなくお嬢さんのお供してなぁ…」
工員たちが口々に寅さんに挨拶する「さくらさん、心配してましたよ」
寅さん「さくらさん?気安いぞぉ~この野郎っ!なんだぁひとん家にずうずうしく入りやがってよぉ~。断っておくけどなっ、ウチのさくら引っ掛けようったってそうは問屋がおろさねぇぞ、あいつは大学出のサラリーマンと結婚させるんだい。手前らみたいなナッパ服※職工には高嶺の花だいっ。わかったか?判かったらこのへんウロウロウロウロするなよっ嫁入り前の娘がいるんだから、帰れよっ!」
これは全くヒドイ言い草だよぉ、寅さん!
ひろし「△*☆✕」ひろしはとても収まらずムッとしている。
寅さん「あにみてんだぁてめぇはっ!」
(※菜っ葉服は綿青色作業服のこと。それが転じブルーカラーともいう。差別的な名称となる)
ここで~チョッコシ解説項~はさみます。いったい寅さんと工員達は何をモメているのか?を解説します。'60年代の大学進学率はだいたい12%あたり。本作公開時'69年でも15.4%だった。
いまと違って国立大学出のサラリーマンになるだけで「いやぁ、あれは大した人物です!」と世間から太鼓判押される風潮が、確かにあったようです。
ちなみに寅さんの学歴は『商業中学 敗退』※このことから「学歴コンプレックス」さらには「インテリ嫌い」となった。
(※このことは、寅さんの入学願書で確認ができます。「寅さん記念館」に展示あり)
タコ社長「工員連中な、寅さんと果し合いだって言ってなっ、江戸川の方いっちゃったんだいっ!」
オイちゃん「警察いったほうがいいんじゃないかなぁ~ヘタすりゃこりゃ血の雨がふるぜぇ・・・」
こわいよぉ~血の雨だってぇ!
勃発!江戸川での果し合い話し合い
江戸川べりに繋いだ屋形船。気色ばんだ寅さんとひろしが対峙している。一触即発の空気が。
ひろし「…大学も出てない職工には、さくらさんを嫁にやれないっていうのか?聞くけどあんた大学出かぁ?もし仮にあんたに好きな人がいて、その人の兄さんがお前は大学出じゃないから、妹はやれないっていったらアンタはどうするっ?」
寅さん「なにぃー?俺に好きな人がいてその人に兄さんが…馬鹿野郎っ!いるワケないじゃないかっ、冗談言うないっ!」イタいところを突かれた寅さん。冬子の顔がチラつきますね。
ひろし「仮にそうだとしたら、いまの俺の気持ちと同じになるハズだと…」
寅さん「冗談言うなよっ!お前と同じ気持ちになってたまるかい。バカにすんなよっこの野郎っ!おまえアタマ悪いな、おいっ。お前と俺は別な人間なんだぞっ!早い話がだオレが芋食っておまえの尻からプーと屁がでるかぁ?どうだっ、ざまぁ見ろいっ。人間はね理屈なんかじゃ動かないんだよっ、えっ?いいてぇことがあったら、言ってみなよっ!バカッ!」
出ましたっ!寅次郎節「芋喰って屁ぇ理論」が炸裂!この後の作品にも、たびたびこの例え話は登場します。また寅さんがいみじくもいう『人間はね理屈なんかじゃ動かないんだよ』まさにその通り!人間は感情で動くのです。この後その通りな展開となる。
ひろし「…あんた、女の人にほれたことがありますか?どうなんですか?一度もありませんかっ?えっ?兄さんも男なら一度ぐらいは心の底から女の人を愛したことが、あるはずだっ!あるでしょう?」
寅さん「あれぇれぇ~?この野郎っ!てめっさくらに惚れてやがんなぁ?女とか愛だとか、蜂の頭だとか、蟻のキンタマだとか、ゴタク並べやがって、おいっ!てめぇ要するにさくらのこと女房にもらいてぇんだろぉぉ~ぅ!」
なんだか妙に嬉しそうな表情が少し異様です。怖いです。ここでひろしの腰が少し引ける。
寅さん 「じゃぁてめぇ、ホレれてねぇって言うのかっ?」
ひろし「いやぁホレてますっ」
寅さん「じゃぁどうなんだよぉ、えぇっ?はっきりしろよっお前っ!」
ひろし「ですから、そのっ親兄弟も居ないも同然だし大学も出ていないからですねぇ…」
寅さん「おいっこらっ、青年っ!お前大学は出ないとヨメはもらえねぇてのかぁ?あぁ~そうかい、てめぇはそういう主義かぁ!」
もう論旨が無茶苦茶ですよ、寅さん。このあと舞台を飲み屋へと移し何故かひろしに「トンデモ恋愛コーチ」を始める。眼は口ほどにモノを言うと、ウインクだけで「I LOVE YOU」を伝えるという技。何だろコレ爆笑!
こうしてひろしとさくらの「超地味目な恋愛」は寅さんがやらかしたいらぬお節介で、さくらの知らぬ間に破綻していた。しかしコレが「怪我の功名」となる。逆に恋愛ストーリーが加速する不思議さ。
ひろしがとらやの茶の間にやって来て、ヘンテコリンな「別れの挨拶」を始めます。ここが前田吟(ひろし)の本作の見せ場ですね!
ひろし「ボクの部屋から、さくらさんの部屋の窓が見えるんだ。あさ目を覚まして見ているとね、あなたがカーテンを開けてあくびをしたり布団を片付けたり、日曜日なんか楽しそうにうたを唄ったり…工場に来てから三年間。
毎朝あなたに逢えるのが楽しみで。考えてみればそれだけが楽しみで。この三年間を…ボクは出て行きますけど、さくらさん幸せになってくださいっ!さようならっ!」工場へと走り去るひろし。
さくら「……?」面食らった表情、何のことかサッパリ判りません。そこに寅さん続いてタコ社長も茶の間へやってきた。
タコ社長「おいっ、寅さんっ!おまえ。うちのひろしに何をしたんだいっ?えっ、冗談じゃないよぉ~あいつはね藪から棒に工場辞めるつうんだよぉ!」
さくらは寅さんから要らぬお節介の顛末を聴いて血相を変える。
さくら「馬鹿っ!お兄ちゃんの馬鹿ぁぁぁ~!」慌ててさくらはひろしの後を追う。
京成金町線柴又駅プラットホームにて。いままさに電車が入線してひろしが車輌に乗ろうとしていた。さくらは改札を強行突破っ!さぁ、今度は倍賞(さくら)さんの見せ場ですっ!
さくら「ひろしさんっ !!」
じっと見つめあう二人時間が一瞬止まる。
そして、さくらの緊張の表情がやわらぐ。列車発車の合図がある。するとさくらはここで意表をつく行動をとった。ひろしを促し一緒にスルッと列車に乗ってしまうのです。あれれのれ?
ひろしの旅立ちを阻止に来たはずが、何故電車に乗ってしまうのか?この行為の意味は深くて、きっとさくらの「あなたについていきます!」という強い意思表示なのでしょう。そう思えますね。なのでこの後に当然あったろう「二人が愛の確認作業するシーン」はありません。う~ん。これは、なんだかオシャレですね!観るひとの想像におまかせといった演出法でした。 そしてとらやに戻ってきたさくらが開口一番に告げる。
さくら「お兄ちゃんっ!私、ひろしさんと結婚する!決めちゃったの…いいでしょ?お兄ちゃん…いいでしょ…?」
妹のキッパリとした決意表明に、寅さんは悲喜交々の絶妙な表情で応えます。しょげて背を向け最後には俯いたまま、大好きなさくらが結婚とは。「嗚呼、顔で笑って腹で泣くぅ男はつらいよ」ですね。
山田監督は一旦、流れをこのシーンに落し込み寅さんでググッと締めたかったのだと想えます。でもあまり成功したとも思えません。寅さんのリアクションが普通すぎるからです。本作で不満点あるとすれば、このシーンかもしれないな。映像がしっくり来ない。
さていよいよ「結婚披露宴シーン」に突入します!
さくらとひろしの手作り結婚式
結婚披露宴の会場は「川甚(かわじん)」にて。ひろし(諏訪博、前田吟)の父親、諏訪飈一郎(ひょういちろう、志村喬)の朴訥な挨拶には、ホント泣けてしまう場面です。
名優 志村喬が魅せます!
ここが「映画の勝負どころ」なのです!
さくらの結婚相手 諏訪博は八年前、親父の飈一郎と折合いが悪く故郷を飛び出した過去があった。このあたりの事情は寅さんとよく似た境遇だった。ガチャガチャした宴の最後の挨拶に立つ諏訪飈一郎夫妻の姿。
飈一郎「(しばらく立ち尽くし絶妙演技を魅せる22秒の沈黙)…本来なら、新郎の親としての、お礼の言葉を申さねばならんところでございますが、わたくしどもそのような資格のない親でございます。
(ひろしが意外な父の言葉にハッ!とする)
しかし…こんな親でも、何と言いますかっ…親の気持ちには変わりないのでございまして。じつは今日、私は八年ぶりに倅の顔を…みなさんのあったかい友情と、さくらさんの優しい愛情に包まれた、倅の顔を見ながら、親として私は、いたたまれないような恥かしさを…いったい私は、親として…倅に何をしてやれたのだろうかっ…なんという私は、無力な親だったかっ…隣におります私の家内も同じ気持ちだと、思います…涙。
この八年間は…私ども二人にとって、長いっ、長い冬でしたっ…涙。そして、いまようやく、みなさまのお陰で、春を迎えられます。みなさん、ありがとうございました。さくらさん…ひろしをよろしくお願いいたします」
スピーチに感動した寅さんは新郎新婦席まで駆けよる。単純で直情径行なのです、爆泣きしながら「さくらぁ~!よかったなぁ~さくらぁぁ」涙でくしゃくしゃな顔。もちろん寅さんはこんな時にも笑いを忘れず紋付の袖がスポンとなくなっていました。これこそが「男はつらいよ」なのです!泣き笑いの往復ビンタ!
(※この結婚に至るシナリオだけで「男はつらいよ さくらが結婚」とか別本の映画が出来そうな程、濃ゆ~いです)
寅さんの秘めた恋心は無惨だった
もうひとつのヤマ場「寅さんの恋愛ばなし」は冬子とオートレース場に行き、もうけた金で焼き鳥屋(蒲田駅前あたり)で呑む二人。これはイイ感じ♪ そして夜の柴又参道を・・
『♪こぉ~ろぉ~しぃ~たいほどぉ~、惚れてはいたがぁ~(喧嘩辰)』
と唄いながら二人ねり歩くという理想の展開。
さらに約束していた釣りのシーン。寅さんは麦わら帽子かぶり手には竿。ウキウキ浮かれ気分で題経寺を訪れた。ところがそこには冬子の婚約相手(大学教授)が待っていて大ショック!仕方なくすごすご帰ろうとすると、さらに駄目押し!御前様から「あれはこれから親戚になる男だっ」とゲームオーバー宣言をされる。寅さんの頭の中で弔いの鐘が鳴る『ゴォ~ン!』ガックシ。源ちゃんが笑っている。江戸川べりに冬子のための「ピンクの麦わら帽子」がある。そこに寅さんの哀しい独白『お嬢さん、お笑い下さいまし。私は死ぬほどお嬢さんに、惚れていたんでございます…』寅さんの恋は、これで呆気なく終った…ち~ん。
とらやの茶の間にて。さくらとひろしは、新婚旅行※から帰ってきていた。一方、自分は惨めな失恋者となった寅さん。この落差にはいたたまれない。ウイスキー瓶抱え隠れていた押し入れから出て、奇妙な笑い残し二階で旅支度を始める。物語のツインピーク。さくらの「電撃恋愛結婚」と、寅さんの「瞬殺失恋話」を陰と陽としてドラマの幕が閉じた。そしてまたもや寅さんは旅立ちました。
(※この時代の新婚旅行先で人気があったのは雄大な太平洋眺める温泉地、伊豆熱海、南紀白浜、九州宮崎方面。海外ハワイは、まだまだ夢の渡航先だった)
エピローグいや後日談として一年後
一年後には、さくらにはもう「満男」が産まれている。これも早いなきっとハネムーンベイビーなのだね?
題経寺の御前様に寅さん似の赤ちゃんとひやかされた。その御前様の元に旅先の寅さんから冬子あてのハガキが届いた。
『…なぉ、私こと思い起こせば恥ずかしきことの数々、いまはただ後悔と反省の日々を、弟のぼると共に過ごしておりますれば…』
数々の大騒動を巻き起こした寅さんが、反省の日々だってぇ~??一緒に奈良を旅したピンクのバンビも「空気が抜けてヘニョヘニョ」になっていた。これが寅さんのいまの心情なのかぁ…
キャメラがパンする。京都、天橋立にある智恩寺の縁日。そこにはキレある啖呵売(たんかばい)の口上で、怪気炎あげる寅さんの姿があった!!
『…ななつ、長野の善光寺。やっつ、谷中の奥寺で、竹の柱に茅の屋根、手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。信州信濃の新ソバよりも、あたしゃあなたの側が良いっ。あなた百まで、わしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまでっ!ときやがったっ!どうだい、ちきしょうぉ~ !! 西に行って天橋立、東に行って東京!西と東の泣き別れだぁぁ~!』
パン!パパンッ!花火も上がる。ラストは、こうでなくっちゃねっハイッ、反省なんてコレっぽっちもしておりゃせんと天の橋立海岸をのぼるとふざけながら歩く寅さんでした!カラッと能天気に、元気なエンディングだった!!
~終~
▷リンク/渥美清の啖呵売
男はつらいよ・啖呵売(渥美清)昭和45年 - YouTube
○マドンナ 光本 幸子(坪内 冬子)
○映画料金 大人 四百五十円。91分。
○人気番組'69年頃/東野英治郎の『水戸黄門』『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』公開バラエティ番組、ドリフターズの『8時だよ!全員集合』の放送開始。家庭の娯楽が、劇場からテレビへと移った時代だった。
映画の中で山田監督がひょっこり姿をあらわす
○それは作中、車寅次郎やひろしの父諏訪飈一郎などの口を借りて突如、滔々と語り出す「山田節」とでも言うべきもの。ワンキャメで長ゼリフが始まると、山田監督のありがたいご講話(人生哲学)タイム突入となる。
もちろん心に染みる話が多いですね。
○本作はフジテレビ版『男はつらいよ』最終回への抗議「なぜ、死なせた※」に対する「寅さん復活の映画」というチョット変わった事情を抱えていた。山田監督は、総括編(テレビ版の差し替え)とする趣向で、きっちりラストをしめ括ってしまう。監督がやりたい放題やっちまった感あり。
なのでぇ完成度がモノ凄く高い作品となったのです!
(※TV最終回では寅次郎がハブに噛まれて死んでしまう)
○公開当時を振り返り、山田監督が語っていますが、何と監督は試写会で失敗作と想っていたそうなんですよ。
『第一作をつくった時に「この映画はなんだかどこもおかしくないなぁ」と思ったことがあるんだよね。変に真面目な映画をつくっちゃったなと。撮影所で試写をやるんだけど試写の時も関係者は誰も笑わない。なんだかこれは失敗したなと思ってたんだけど、映画館で封切ってみたらみんなとてもよく笑う。あぁ、僕の映画はおかしいんだとそのとき思った』
○企画当初は「テレビの焼直しなんて当たる訳がない!」と、ずいぶん渋っていた松竹首脳も興行が大ヒットしたので続編を即つくれと手の平返し。でもそれで次回作「続 男はつらいよ」へと繋がったのでした。すべては結果オーライというもの。
○参考/「男はつらいよ」スタート時の各人の年齢とにかくフレッシュ若い!
渥美清41歳、倍賞千恵子28歳、前田吟25歳、森川信57歳、三崎千恵子48歳、笠智衆65歳、太宰久雄45歳、佐藤蛾次郎24歳、光本幸子25歳、志村喬64歳、津坂匡章26歳、関敬六41歳。監督 山田洋次37歳、作曲家 山本直純36歳。
1931年9月13日~、日本を代表する映画監督のひとり。脚本家であり、演出家。大阪府 豊中市の生まれ。東京大学 法学部を卒業後松竹大船撮影所へ入社する。代表作『男はつらいよ』『学校』『家族はつらいよ』など多くの名作映画を製作。1977年には『幸福の黄色いハンカチ』で「日本アカデミー最優秀監督賞、最優秀脚本賞」を受賞した。
さ~てさて「男はつらいよ」の魅力が皆さんにうまく伝わったでしょうか?なんだか、心もとない気持ちがするな。
「♪奮闘努力の~かいもなく~きょうも涙のぉ~♪」
▽第3作『続々 男はつらいよ フーテンの寅』。
参考、写真/松竹映画公式サイト、ウキペディア、ウェブ電通報、Google MAP
(9600文字、Please enjoy “Tora-san's” movie!) #男はつらいよ お題「ゆっくり見たい映画」