minminzemi+81's blog

あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

絶好調『古語、オマンですよぉの時間』がやってまいりました!🎉【方言指導】

まぁ、チットややこしよってな、興味ある人だけ読んでね!なんチューか、ほんチューか・・

「何かムズいこと、ゆーてらョ~」

はい『古語、オマンですよぉの時間』がやってまいりました!笑えヨ☆

🎉٩😆わ~👏パチ!👏パチ!👏パチ!

 

ちょっとかい前やで。SNSにて「ナデ、おまんがダメなんよぅ?」というカキコがあり。ワタシも“チョロっとダケ憤慨”した。なのでぇ“誇り高き和歌山県人”のため、あえて言及をスルメ♪

わかやまゆーたら『友ヶ島』しやろ!

はい。『ベーシック和歌山弁講座「おまん」の真実とは、如何に?』さてさて。まず始めにお断りしますが、“おまん”は別に和歌山人の専売特許ではな~い!これ「関西の古式ゆかしい、歴史ある土地」で使われた“雅言葉”なのだ。まぁ、京都の一部でも、つこてますやんかいさ。

んで、思うに、たぶん“賢きあたりからの言葉の伝播”ではなかったか?仮説「熊野詣でにより伝わった!」🤔ワイは、色々と考察した結果な、そう確信したンやでぇ~まぁ、別に言語学者チャウけども・・(⬇考察詳細は下のブログをみやれ)

わかやまゆーたら『柿に蜜柑』しやで!

旧い紀州弁にはその時々“時代に即した言葉”が使われていた。そして現地にて保存される。目上相手を指し示す「御前(おまんとかごぜん)」がある。もしくは「おまはん=お前様」とも呼ばれる。この「御前」は時代劇でもお馴染みの用語だ。

この「御前=ごぜん」は、上位者を呼ばわる代名詞で、また「お上」というのも同じ感じ。日本には、「目上の人の本名を呼ぶコトは長い間禁忌」とされてきた文化がある。“卑弥呼の時代”から続く奇妙な風習だよね。🤔そうそやねんな。

わかやまゆーたら『和歌山城』そいや!

標準語では「御前」と云う言葉は、一般用法ではない。「おまん、おまはん、おまえ」の言葉使いしても、他県の出身者(どうせ田舎モンやろが?)共から和歌山県人がアレコレ揶揄される覚えは、🤞これっぽっちもな~い!!💢

和歌山は常に「文化先取県」なんだからさ、胸張って県民よ呼べよ叫べよ!さぁさぁ Repeat after me!

「おま~ぁ~ぁ~ん!!!」 ~以上、で御座る。

わかやまゆーたら『満幸商店』やろが!

もし、オマンこれ間違ってたら“お目こ干し”を!

「分かるかな?解っかんねぇだろ~なぁ」爆。

これにて和歌山弁講座『おまん』考 (芳ばしいで)。  ~おしまい~

▽この記事、「ワイもまんざら阿呆やなかった👍✨」と思える出来映え!?どやさどやさ!

minminzemi81.hatenablog.com

○🎶推奨曲『WAKAYAMA CM song 』

WAKAYAMA CM song - YouTube

○📻 推奨ラジオ番組/どちらもバナナFM

(87.7mhz、和歌山市塩屋5-5)

①▷『和歌山弁 ラジオ第一』

「あんにゃら、えぇかえ?ほや、手ぇ~を前から真ぁ上まであげて、おっきに背ぇ伸ばすぅいごきからやでぇ~!」😂こりゃキツいでな。

②▷いぐっちゃんの『朝の和歌山弁講座』

「みてみなそぅ~あのじゅうよぅ」🤣たまらんわん

(1300文字、thank you for reading.be happy!)

傑作映画、第3作『続々 男はつらいよ フーテンの寅』1970年1月公開【大好きな映画⑧】

 

男はつらいよ フーテンの寅」街宣ポスター

 

男はつらいよがシリーズ化、そのキッカケは?

 

🎥 『男はつらいよ フーテンの寅』が、寅さんファンになぜか人気がないんだよぉコレが。みんな、映画観る目がないよね。

この「第三作 フーテンの寅」は存外、面白いんだからさ、通好みなのかも?本作監督は、山田監督の友人、森崎東監督のメガホンとなります。

んで、交代劇の裏事情とは・・

じつは、映画『男はつらいよ』シリーズは「続編で終わりにしたい」と考えていた山田洋次監督だった。😰うわぁ、ツラみ。

ところが、興行の好成績に気を良くした松竹首脳陣は、さらなるシリーズ製作続行を決定した!もちろん、監督は  ゚∀゚)・∵. グハッ!!しかもその時、提示されたのは「あまりにも過酷な特急スケジュール」だったぁぁ鼻血がブ~!!

映画鉄則「売れる時に売りきってしまえ!これテキ屋の常識」てか?

「それを言っちゃあおしめぇよっ!」

この要求にへそを曲げたのか、山田監督はシナリオ描くだけ書いて、監督のイスを森崎東さんへあっさり譲ってしまう。そんな事情があった。

そして、公開されたのが1970年1月。前作からわずか一ヶ月ほど後という、信じられないスピード制作。そして半年ほどのスパンで、シリーズ四本が堂々完成!まさに狂気の撮影現場だ。

今回のフーテンの寅さんは伊勢路を往く

各作公開時期は~

一作目「男はつらいよ」が、1969年の8月。
二作目「続 男はつらいよ」 1969年11月。
三作目「続々 男はつらいよ」 1970年1月。
四作目「新 男はつらいよ」は 1970年2月。

 

🎥 『続々 男はつらいよ フーテンの寅』始まります!

 

さて、映画アバン(冒頭部)信濃路から始まる。なので、お馴染み「夢パート」はありません。

♪木曽のなぁ~ なかのりさん 木曽のおんたけ なんちゃらほぉい 夏でも寒い ヨイヨイヨイ~♪結婚の宴  ง ˙ω˙)ว ⁾

木曽節の祝歌が聴こえている…信州奈良井宿の古風な宿屋『ゑちごや』で、風邪をこじらせて寝込む寅さんがいた。

○ちなみにアバンでのロケ場所はココ。いい宿屋です!木曽路旅するなら、是非宿泊したい!リンク/Googleマップ「ゑちごや旅館」https://maps.app.goo.gl/xqF68uEjUvSM4gsW6

その物置部屋へ、少し心配した仲居さん(何と樹木希林!)がバタバタッとやって来る。

中居「あんた!」

寅さん「んん?」

中居「家や親兄弟が、あんのかねぇ?」

寅さん「あにを言ってやがるんだいィ~!ひとのこと、野良犬と一緒にしやがってよぉ、コホッ、はばかりながら、このフーテンの寅さんなっ、チャキチャキの江戸っ子よっ!故郷に帰りぁ、ほれっ、この通り!れっきとした家族が待ってらぁ、ちゃんとぉ・・コホッ、コホッ・・」風邪をこじらせるなんて寅さん、やはり「鬼の撹乱」なのか?

仲居さんから身寄りを聞かれ、身内の写真をドヤ顔で見せつける。さくらを「奥さん」満男を「自分の子供」オイちゃん、オバちゃんを「おふくろとおやじ」と、妙な見栄を張る寅さん。

あまつさえ写真にチュ!ここで、自分の持つ密かな「家族願望」を、図らずも語ってしまった。今回もテーマは、フーテンが世間並みの「世帯を持つ=家族を得る」なのでしょうか。

寅さん「いくら可愛くっても、妹じゃしょうがねえゃ・・」と嘆くことしきり。蒸気機関車が近くを通過し、さらに障子がアタマにドカン落ちてくる。元気なく呟やく「落ち目だなぁぁ…」このセリフが、寅さんの偽らざる心情でしょうね。

寅ンクをイス替わりにしてズッコケる

海を眺めるために、寅ンクを椅子がわり。そして浜辺でズッコケる寅さん。象徴的なシーン、暗示するものとは?ではでは…

 

タイトル男はつらいよ フーテンの寅』ド~ン!

 

タイトルバックに「片瀬諏訪神社」の縁日。寅さんが「蝦蟇の油売り」をやっている!口上は「さて、お立ちあい。とりいだしたる氷の刃、一枚が二枚、二枚が四枚になり、四枚が八枚、八枚が十六…やがて舞い散る、花吹雪きィ~♪」このバイは、とても珍しい姿です。いまコレやると、薬事法違反?!

(※ガマの油売りの詳細はこちら、大道芸人 石原耕さん⇒第37回大須大道町人祭 - YouTube)

とらやAパート始まる。帰ってきて早々「寅さんのお見合い話(相手は春川ますみ!場所は川千家)で大荒れ」から「江戸川堤でさくら達との別れ(珍しい寅さんのトレンチコート姿!)」経て、舞台は突然、三重県御在所岳の麓「湯の山温泉郷」へと飛ぶ!

いえっ、ぼかぁ別に注文なんて、ありませんよ!

オイちゃん、オバちゃんも「ウキウキ湯治旅」へ出発します。やっぱこの頃は、とらやも景気がイイようですね♪

…🚞💨…ゴトゴト、場面転換Bパート。

🚍 バスターミナルに、各旅館からのお出迎え。徳爺(左卜全)がいる。湯の山温泉「もみじ荘」に到着したオイちゃん、オバちゃん。何と!そこには「もみじ荘 美人女将(新珠三千代)」に惚れ込んだ、寅さんがいた。しかも番頭になってるぞ、爆笑必至😂キタ~!

口達者な中居 澄(野村昭子)さんから、寅さんがここに居座っている事情を、マルっと聞かされる羽目になるシーンが、笑えます。

🤭「あれがねっ、元テキ屋だったんですよっ、えぇ、半月ほど前でしたかねぇ、ヒョッとやって来て、あの電子の力でなんとかって…健康バンドって“インチキなもの”を売りに来ましてねぇ。そいでまぁ、自分が腹下しちゃって、何べんも何べんも、便所を借りに来るんですよぉ~ここの女将さんがすっかり同情しちゃって。宿に泊めたんですけどねぇ、その~まぁ、宿代も持ってないんですよっ、自分じゃ薪割りでも風呂たきでも、何でもするって、そのまま捨て猫みたいに居ついちゃったんですけどねっ。それでまぁ、人助けのために番頭してんだ、なんてへへっ…知らないお客さんにまで吹聴するんですけどね。いえねぇ、毎日ここの女将さんの顔見たさに番頭してるって町中の評判なんですよぉ、知らないのは自分だけなんですけどねぇ…可哀想にふふふふッ…余興の最中に夢中で、女将さんの名前を叫んじゃうくらいなんですからねぇ、お志津っ~!って・・」

状況が目に浮かぶような説明だ。「おしずぅ~??」あまりなハナシに、驚愕するオイちゃん、オバちゃんの二人。

○ここが見もの/劇中に「旅笠道中」が、何度も効果的に使われています!ꉂꉂ🐯「お志津っ~!」と、渡世人が見得を切る。宴席で小芝居する寅さんが爆笑もの!昔の宴会は余興が付き物だ。

寅さんとお志津がベンチで「これからどこへ行くの」「怒らないでね。寅さんさえよかったら、半月でも一週間でも、うちで働いてほしいの」いい感じでやりとりするシーンがあります。

半月でも一週間でもうちで働いてほしいの

☝もちろん、いつもの寅さん「勘違い恋愛スイッチ」がパチン!とはいった瞬間だった。「プ、プロポーズ…」←何でやねん!

○地元に伝わる蒼瀧橋逸話(寅さんとイマージュ被ります)。

大正の終わり頃。粗末な身なりの定五郎がこの地に流れてきた。風呂焚きや掃除をはじめ、ふろ場でお客の背中を流して喜ばれ、忙しいときは膳を運ぶ手伝い、ときには座敷へ出てお客の相手を務めることもあった。

近所の人からの頼まれ仕事まで律儀にこなしたそうだ。最初はバカにしていた人々も、その姿に親しみを持つ。ある時、定五郎が亡くなった。稼いだ金は貯蓄で残っており、その金を使って作られたのが「蒼瀧橋」という。

張り切り過ぎて橋から転落の巻

今回の寅さんは、身体を張った笑いを取りにきます!まだまだ若いのですよ。こんな風に、「謎に頑張る寅さん」だった。

しか~し、コトはそんなに甘くなかった。じつは女将のお志津には、再婚を決めている某大学教授が、すでに存在していた。「彼と結婚して旅館『もみじ荘』も、閉鎖しましょう」そんな心づもりだった。そのことをようやく理解した寅さんは、旅館を去ることを決心する!

これにて呆気なく「寅さんの(結果的に)横恋慕がチョン!」と終了。渡世人は“去り際が肝心”とばかり、障子越しに粋な別れ(でも、お志津さんは不在だった)を告げる。

 

散り際は潔く、颯爽と去る!これが旅烏の流儀

 

湯の山街道(国道477号)を合羽ならぬ、ベージュのトレンチコート翻し「旅笠道中」を口遊ながら、独り歩いてゆく寅さんがいた。このシーンは晴々として、とても良い感じ。まさに旅烏だ。

旅笠道中を口遊ながら独り歩いてゆく

しかし、すれ違った高級車(矢印)には、女将お志津が乗っていたのだが…こちらは、哀し、寅さんに声すらかけないとは。あぁ、無情…。

 

堂々のやらかしエピローグです!

 

晦日の深夜、とらやの茶の間。みんなが集まり、年越し蕎麦※1など啜っている。TVからは「1969年よ、さようなら。1970年がやって参りました!」と、アナウンサーの声が流れてきた。続いて「こちらは、霧島神宮※2でございます!」すると、露天商の姿がチラリ映る。

さくら「あらっ!お兄ちゃんじゃないかしらっ?!」

画面にさっきから、寅さんが何度も見切れている。テレビに映りたい小学生みたいに。それをとらや一同が、画面を固唾をのみ見つめている。

アナウンサー「さぁ、奥さんやお子さんに、この画面から新年の挨拶をしてください!」寅さんをカメラ前へ促した。

寅さん「お志津よ!元気でやってるかいっ…新年おめでとう!」

これは痛い。ダメ押しに、お志津さんの暖かい家庭のインサート。しかも、その後も寅さんしつこかった。有り得ない「妄想家族」に対してまだ語ろうとする。アナウンサーは堪らず逃げる。もう番組がぶち壊しだ。生放送でもやらかしましたよぉ~寅さん。👉はい、退場!

(※1 裏話「ひろしポクポク事件」。この蕎麦を食べるシーンがNGが連発で、もう食べられないくらい食べたそうです。倍賞千恵子さん談)

(※2 この撮影現場は「鹿児島 霧島神宮」ではなく、「菰野町 廣幡神社」がロケ場所だそうです。https://maps.app.goo.gl/WM38wsAzey8rXPMg9)

その翌日、鹿児島から出る種子島行きフェリー。

船上では寅さんが、乗船客相手に怪気炎あげている「今度、鹿児島に帰ってくるのは、三月頭かな。桜の花もぼちぼち咲こうかって頃よ。それから、熊本、小倉、尾道。ずっと下がって四月は、関東。五月は東北、六月は北海道。オレ達の旅は桜の花と一緒よっ!花見の旅だいっ!まぁ、俺っちのような粋な売人になるには、タクがマブくなくっちゃ駄目だ。うん、よ~し、ひとつさわりだけやってやろうか?」

噴煙をあげ続ける桜島

「…四角四面は、豆腐屋の娘、色が白いが水臭い。四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベンてな、どうだぁ!!」

あくまでも寅さんの声は、陽気で明るい。船の背後には桜島。巨大噴煙をモクモクと吹きあげ続けていた。 ~終~

どぶに落ちても根のある奴は
いつかは蓮の花と咲く

意地は張っても心の中じゃ
泣いているんだ兄ちゃんは

目方で男が売れるなら
こんな苦労も

こんな苦労もかけまいに
かけまいに

 

山田洋次監督、当時振り返り語る


〇当時の松竹喜劇の香りが、プンプンしますねぇ。森崎監督の狙いは「渡世人 寅さん」を深堀りしたかったのだと、思えますね。

〇監督を降りた背景とは…何故にゆえに?

『あの時代は、テレビより映画が上だと、みんな映画界の人は思ってたからね。テレビでやったものをまた映画でやったってしょうがないよということで、随分反対された企画を必死になって僕が実現したわけで。それが意外に成功したので、だんだん続くようになったんだけど…(中略)…それで続編をつくったらこれも成績がよかったので、もう一回つくってくれというから「僕はもう降ります」と。そんなにたくさん映画はつくれるもんじゃないと。』

『じゃあ、僕は脚本を書きますから、他の監督、森崎くんという友人の監督に撮ってもらったんです。ボクが脚本書いてキャスティングしてるんだから、ほとんど同じテイストのものができていいはずだったんだけど、実は見ると全然違うものができちゃってるのね。ボクは日本料理をつくっているつもりが、できたものは中華料理くらいに違うわけ…』

〇日本料理が中華料理に化けるとは、これは相当な違和感。それで続く第五作『望郷編』は、再びみずからメガホンを執ることに。そして「男はつらいよ」は、次作望郷編が男はつらいよシリーズ締めくくり、「最終話としたい!」と意気込んだ…これが延々と50作品も続くキッカケなのだから😂あな、おとろしや『そんなにたくさん映画はつくれるもんじゃない』などといっていた山田監督が、ですよお。

▷リンク1

第三作「フーテンの寅」予告編。タイトル文字もなんだかいかめしい。昭和45年1月15日封切り。入場料(大人)550円だった。

youtu.be

▷リンク2

藤圭子の『旅笠道中』を。なんて素晴らしい歌唱力!!♪亭主 もつならぁ~堅気をおもちぃ~とかくやくざはぁ~苦労の種よぉ~恋も人情も 旅の空ぁ~♪

youtu.be

▷リンク3

湯の山温泉協会「寅さん記念館」。

/https://maps.app.goo.gl/VxyvMzi6gNGwYdhJA

○特記事項

マドンナ「新珠三千代」といえば、渥美清さんが憧れ、大ファンだったヒトです。夢が叶ったはイイが、演技が大変だったのではないだろうか?キャスティングが凄いよねぇ「東宝の看板女優」を引っ張ってきたのだから。悪名高い「五社協定」が終焉した頃か?

銭の花の色は清らかに白い。だが蕾は血がにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがする…『細うで繁盛記』は、’70年に大ヒットしたTVドラマ。なので本作でも、新珠三千代が「温泉宿の女将」になったのか。これ、後か先か?!

○マドンナ

新珠 三千代(お志津)、春川ますみ(駒子)

○ロケ地

三重県 湯の山温泉四日市市、鹿児島県、種子島桜島霧島神宮岐阜県 中津川。神奈川県、片瀬諏訪神社

森崎東監督作品

森崎監督といえば『喜劇 女は度胸』『時代屋の女房』『ペコロスの母に会いに行く』などがある。

○'70年の音楽界

皆川おさむ『黒ネコのタンゴ』、ドリフターズ『ドリフのズンドコ節』輝く第一回日本歌謡大賞は、藤圭子『圭子の夢は夜ひらく』。

▽次は、少しとんで第27作「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」を描きます。

minminzemi81.hatenablog.com

 

参考、写真/松竹映画公式サイト、ウキペディア、ウェブ電通報、Google MAP

(6000文字、Please enjoy “Tora-san's” movie!)  お題「ゆっくり見たい映画」

「亀の子たわし」のはなし。発明家の神髄とは【発明品】

 

「必要は発明の母である!」By ジョナサン スウィフト

日本で高名な発明家は…「ドクター中松」えっ、知らないか?チキンラーメンの「安藤百福」この人は、NHK朝ドラにまでなり有名。ロボット學天則の「西村真琴」誰それ、何それ?!だよねぇ😂そんなもんだ

さぁ、いまや誰でも知ってる、使っている「亀の子たわし」の誕生物語

 

亀の子たわしの開発者として有名な「西尾正左衛門」の登場だ!時代は明治の中頃か、ところは東京文京区小石川にて。

 

彼の名を西尾正左衛門というのじゃな。子供時代には、正ちゃんと呼ばれていたに違いない(知らんけど)。

 

正左衛門はいつも「忙しく働く母親の姿」を見て育ち、貧しい生活体験から「母に少しでも楽をさせてあげた~い♡」そして「何か凄いモノを発明して、お金持ちになりた~い♪」そう考えた!

 

いよっ、高校息子!違う、孝行息子でした😆

 

ある時、正左衛門はピッカーン閃いた💡𓈒𓂂𓏸母がいつも編んでいたシュロを、針金でグルグル巻いた「新式靴拭きマット」を考案する。

 

正左衛門式マットの特徴は「ブラシのように靴底泥を削り取って」くれるというスグレモノだった。いける予感!

 

棕櫚の木、一見すると🌴椰子の木に見える

🙄シュロは、椰子科常緑木。枝がなく円柱状で、葉は頂点にでる。葉の根元を覆う「しゅろの毛」でブラシや箒などに加工されるそうです。

 

ウ~ン果たして、巧くいくだろうか?。oஇ

 

この出来栄えにトテモ気をよくした正左衛門は、「特許でもとって大々的に販売すれば、ウフフなコトにィ♪」善は急げ、そそくさと東京特許許可局(三回言って)へ向かいました!いや、特許庁か。

 

すると、なんと、そこで意外な返事を返された。

 

職員に「似た商品が、英国ですでに特許を取っている」と言われる。更に、この新型マットは「何回も使用したり、体重の重い人が乗ると、毛先がつぶれて効果がなくなる」と酷評されることに。

 

ひぇ~😱ガ~ン‬!好事魔多し!

 

そして細々と販売していた新型マットが、大量返品されてきたのです。これで正左衛門は、またもや苦しい生活に陥ってしまう…

 

負けるな正ちゃん、逆境こそがスプリングボード!ぼよよ~ん

 

並の発明オヤヂだったら、これにて終了~となるところだろう。正左衛門は一味違ったよ!粘り腰ってもんがあったのさ!

 

ある日のこと、嫁の「西尾やす」が障子の桟を掃除するのに、シュロを曲げて掃除しているのを見た←👀ン!そーか。これ「洗浄用の道具に出来るのでは?!」そう考えた。

 

すぐ嫁からシュロ束を、しゅぱっと奪い取る!


藁や縄を束ねた「たわし」は、掃除道具として既に存在していたが、「針金で巻いた棒状のシュロ」は初めてのモノだった。

 

▽ここで難問クイズです。たわしみたいな「ファンキー生物」とは何?難しいですぞ。(ヒント)なるべくなら触らない方が良き!

さぁ、「亀の子たわし」は、どーれだ?!

 

これは、微妙な発明品カモ?少し曲げ工夫し、出来上がった新商品の特許をとる為に、またもや東京特許許可局(二回目)…いや、特許庁へ。

 

しか~し、この“丸みを帯びたモノ”にはまだ名前がなく、実用新案に登録するため、やはり良き感じの「商品名が必要」だったのだ。

 

「う~むゅ。どないしまひょかいなぁ?」

 

そんな折もおり、正左衛門の息子が「お父さん見てぇ!見て!🐢カメが水のなかを泳いでいるお」と。亀かあ、ん?たわしに似てるな。

 

「🐢亀かぁ…亀にたわし…亀の子たわしってか?」何と!「亀で遊ぶ子+たわし」をくっ付けちゃった。そしてようやく産まれでたのが「亀の子束子」なのです!!

 

🐢何か、嘘みたいなホント!

 

正右衛門がしたこと。それは…『母が苦労して編んでいたシュロにトコトンこだわり。嫁から奪い取った便利グッズ、棒状シュロ。子供の亀からヒントを得たネーミング、亀の子束子

 

正左衛門の努力って、いったい何だったのか?!

 

いやいや、コレこそが「発明家の神髄✨」なのです。↓↓↓

 

『パクれるモノは、何でもパクれ~!!そして、誰よりも早く特許をとれ~!!』

 

亀の子束子界の名門、西尾商店!🏁🐢💨カメ印を舐めんなよ!いま“Amazon”でみると748円もする~😆うわっマジかぁ~💧

 

(1800文字、thank you for reading.)

幕末復讐劇!勝海舟と坂本龍馬が関与した『紀州境橋の仇討ち』顛末記💥【歴史夜話】

 
よいか皆の衆。和歌山にある「勝海舟寓居跡」にまつわる、ちょいと面白秘話でござる。

物語の始まりは土佐の高知にて

 

パン!(←ハリセンの音)

時は安政四年。風雲急を告げる幕末でござった。大河ドラマでお馴染みの篤姫さんが、徳川家定の御台所として江戸城入りした頃の話です。

勤王なのかぁ?はたまた佐幕かぁ~?!

世の中が剣呑な空気で、グルグル渦巻いていたそうです。その大揺れにゆれていた四国は土佐藩での出来事!

⁡⁡藩士の廣井大六は、とある諍い事から傍輩の棚橋三郎に切られさらには理不尽にも川に投げ込まれて、絶命したと云うではないですか。その後、下手人棚橋三郎は士分剥奪、藩外追放されました…が、横死した廣井大六の嫡男 岩之助、父の仇を討つべく「棚橋三郎を探す旅」に出ることとあいなった!

パパン、パン!

しばらくして、棚橋が和歌山藩の加太浦で人夫として御台場(砲台)の建設に携わっていると知った岩之助は、紀州藩を通じて「仇討ち許可」を願い出たのでした。果たして仇討ち、そう上手くゆくものなのか?この時すでに、幕府から「仇討ち禁止令」が出されておりました…そのことを聴き知り深く落胆した岩之介、はやくもこれで“仇討ち挫折”となるのかっ?!ぐはっ…╭( ๐_๐)╮ガクシ

 

さぁ、さぁ、さぁ、どうする、岩之介!
パン、パパン!

 

当時、和歌山藩を訪れていた勝海舟坂本龍馬

和歌山にある勝海舟寓居跡

この仇討ち話にはお台場検分のため、たまたま紀州藩に滞在していた「勝麟太郎(海舟)と坂本龍馬」などが深く関わっていたという伝聞がありまする。その勝海舟の裏からの取り計らいによって、翌年の安政五年に「仇討ち免許状」が岩之介に交付されたと云うのです。これが江戸時代最期の仇討ち免許となる。

デデンデン!

そして一計を案じた、勝の指示(龍馬か?)で海軍操練所の「佐藤与之助、千屋寅之助、新宮馬之助(海援隊)」を仇討の助太刀として、密かに参加させたらしいのです。廣井岩之介に対して、紀州奉行所は…「ゆえあって棚橋三郎を所払いとし、境橋より追放する。よって和泉側にて討つべし」と沙汰した。これは、国外追放処分(早い話、厄介払い)といったところでしょうか。

(※勝海舟、通称麟太郎、官位は勝安房守。心影流剣術の免許皆伝。咸臨丸にて渡米し、帰国してからは軍艦奉行並、神戸海軍操練所(後の日本海軍)を開設した、幕府きってのエリート官僚だった)

 

いよいよ大詰め、仇討ちは成功するのか?

 

和歌山より和泉へと抜ける紀州街道は、一本道。雄ノ山峠を抜けたその先、国境にあたる境橋北詰で、岩之助らは準備万端待ち構えていました!ナイスポゼッション♪

「我こそは廣井大六が嫡男、岩之介と申す!貴殿は棚橋三郎殿とお見受け致す、いざ尋常に立ち会いそうらえ…」スラリと抜き放った、氷の刃✨キラン!伏せていた新宮ら助太刀三人組にも前後を取囲まれ、もうこれでは棚橋には逃げ場がなかった…廣井岩之介は見事武士の本懐、父の仇を討ったのでした。パン!⁡

⁡⁡時は江戸から明治へと移る、わずか五年前の出来事でした。⁡⁡おそまつな一席 <(_ _)> ⁡⁡⁡デン、デデン♪

▽MAP/紀泉国境「境橋」ここが日本最後の「許された最後の仇討ち」の場所。阪和高速道の下、峠道沿いにポツンと碑が建っています。https://maps.app.goo.gl/ybdsmsyirDMCbrLLA

(1400文字、Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow.)

小猿が浜の湧水で芋洗いすると…その結果?!「百匹目の猿現象」発祥の地【猿学問】

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百匹目の猿現象」発祥の地、幸島

  ~おバカな人間と賢いお猿の物語~
🐒幸島は「百匹目の猿現象」発祥地。サル学、サル生息地として有名な「こうじま」は、宮崎県南端部に位置する日南海岸にあり、日向灘に浮かぶ周囲3.5kmほどの小さな無人島です。

 

猿の群れは人間社会の縮図か?

 

幸島サルの研究、1953年のこと。この島で「小猿が砂浜の湧水で芋洗い」するという画期的な行動が観察されました。👀おっ!

 

この泥を落す都合良い方法が、少しずつ判ってくると、猿群の中にも広まった。そしてこの芋洗いをする「サルの数が100匹(閾値、いきち※)」を超えたある日、突然不思議現象がおこる。

 

=͟͟͞͞🍠🐒い🐒…🐒い🐒も🐒…🐒あ🐒ら🐒い🐒

 

この閾値を超えた途端「幸島の群れ全体」に芋洗いが一瞬のうちに広まり、さらに驚くべきことに幸島から200km以上離れた、大分県高崎山の猿群」でも芋洗い行動を始めたという。

 

これがイギリス生物学者「ライアル・ワトソン」が、1979年の著書『生命潮流』のなかで紹介した逸話である。さらにこの話は、センセーショナルに世界中へ広まってしまった。

 

ある何らかの行動、考え方などが「ある一定数(閾値)を超えると、全く接触のない同類の仲間にも伝播する」と。ホントだろーか?

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そして、我々人間社会にも適応する法則か?!

 

=͟͟͞͞🍠🐒い🐒…🐒い🐒も🐒…🐒あ🐒ら🐒?🐒

 

ところが…この逸話はフェイク(創作)だった!

実際には高崎山の猿群へは、情報伝達されてはいない。また、幸島猿群の全体に伝播したという観測すらなかったのだ。そして“単なる創作”であることを、ライアル・ワトソン自身も公式に認めた…なんてこったい。

 

付和雷同したがる群れ社会

 

この話のベースは、猿研究者が書いた「河合論文」であり『…幸島ニホンザルの行動観察を行なっていたら、芋を海水で洗って食べる事を覚えた個体が出現し長期間おこなっていたために、群れの中でそれを真似するものが数頭現れた』という“何てことない一文”より始まった。

これにより導ける答えは、我々人間社会では『全く接触ない人類であっても、フェイク情報は一気に伝播しまくる』て、ことですな…🥴ふふっ

 

「人間は🤭怖いネ、特に猿面学者は…🐒」

 

(※キィワード「いきち」は、物事の変化が生じ始める数値、その境界ライン。物理工学の分野では「しきいち」と読み分ける。学術用語だが、相手を煙に巻く時使えば、存外便利かも?)

(※🐒 猿面学者は、太宰治の「猿面冠者」のもじり。冒頭文『どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜いてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜の男がいた』ということで…笑)

▽MAP/「百匹目の猿現象」発祥の地、幸島

https://maps.app.goo.gl/5hcd7cw5fji5MHU78

▽気分は、この曲🎶『青空』By ブルーハーツ


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ブラウン管の向う側 カッコつけた騎兵隊が インディアンを 撃ち倒した ピカピカに光った銃で 出来れば僕の憂鬱を 撃ち倒してくれれば よかったのに

 

神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを ねだるなんて 本気なのか?誠実さのかけらもなく 笑ってる奴がいるよ 隠しているその手を 見せてみろよ

 

(1400文字、When the rich wage war, it’s the poor who die.)