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あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

ありりィ~?気づいたらもはや大晦日だった【年末雑談】

12月30日の夕焼け空、しみじみと

気づいたら、大晦日だったの巻

反省点。今年もあまりブログが書けなかった!他のSNS活動が忙しくてさぁ、書きネタはあるのにずいぶんキャリーオーバーとなったね。まぁ、いつものことでしょ。

さて、ことし最後の締めくくりは何しよう?紅白かぁ~いや、ガチャガチャした番組※は観たくもないし。ならば、酒やら喰い物かな?毎年最後に喰うモノはやはり「年越し蕎麦」だね、全国共通の国民食らしい。

しか~し。よくよく考えてみると何故、慌しい年の瀬に蕎麦なんか食べてんのか?元より蕎麦って、ボンビーな喰いもんだしさ、何やら変な俗習だよなコレ。蕎麦屋のインボー説を、疑うね・・・もしや?

(※でも結局のところ「孤独のグルメ晦日スペシャル」を観るワタシなのであった、、笑)

信州信濃の蕎麦よりもわたしゃアンタの傍が良い

チョチョっと由来を調べてみMUST、一説によれば九州地方の何処かにて、大晦日に年も越せないボンビー人達に、お寺さんが蕎麦掻きを振舞ったことからという。これ、救世軍の炊き出しみたいな感じかな。

あ、この「蕎麦掻き」なるもの、そば粉をお湯で捏ねくっただけ。くっそ不味くて、喰えたものぢゃないよ。これぞ“十割蕎麦”てか。笑 蕎麦屋で通ぶって「蕎麦掻き」とか頼んだら、ガッカリするよ!酒だ、酒だぁ~おやぢぃ🍶´-

 

~蕎麦掻きの作りかた~

材料「そば粉50g&水50cc」用意。
①水を鍋に入れて蕎麦粉を溶かす。
②鍋を中火にかけま~す。
③ヘラで良く混ぜま~す。
はい、出来上がり👍

 

これが江戸前蕎麦の真実だ!

江戸時代、大規模な造成工事が始まり、地方から大工やら土工やら有象無象が集まった。この職人集団が、“お手軽なファーストフード”を求めた。それで信州あたりからやって来た、お手軽「路地蕎麦」がやたらとウケて、江戸町に定着したらしい。そんな事情があった。

江戸時代の夜鷹そば、粋だねい

当時より“蕎麦は二八”と決まっている。値段は十六文(現代価格で264円)、夜鷹のチョンの間と同じとか。あれ、意外と安いんだねぇ。

あぁーそうだな。確か落語に『時そば』という演目があったよね。

 

時そば

 

堀端で夜鷹そばの「二八そば屋」を呼び止める男がいた。「よっ!相変らず寒いねぇ~商売は商いと言う、飽きずにやらにゃ駄目だぜ!」そして手早さ、割りばし、綺麗な丼、鰹節ダシ汁、そばの細さ、コシの良さ、厚く切った竹輪など褒め倒しながら、そばをたぐって、さぁ勘定となった。

気を良くした蕎麦屋は「へぇ、十六文で!」と返す。「銭は細かいよっ、手ぇ出しな。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ・・・」と、びた銭を二八そば屋の手の平に一枚一枚乗せてゆく。

男は「いま何刻でぃ?」と聴く。「もう九つで」と蕎麦屋応える。「十、十一、十二・・・」と払い、その場をサッとたち去った。

その陰で、一部始終を見ていた別の男、「こりゃさしずめ褒め倒し、食い逃げするつもりか?」と思いきや、勘定までちゃんと払ったので拍子抜け。

しかし勘定の途中で、刻を聞いたコトにハタと気づき、指を折々やっと理解した。「・・あの野郎、一文かすめ取りやがったなっ」と薄笑いした。

それを自分もやってみたくて、居ても立ってもいられない。それで翌日、早速二八そば屋をつかまえた。

男はいう「今日は、寒いねぇ~」蕎麦屋「今夜はだいぶ暖かで」早くも出鼻をくじかれる。男は蕎麦食いもソコソコに勘定をいう。

蕎麦屋「へい、十六文で」男「小銭は間違えるといけねぇ、手ぇ出しねえ。それ、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ・・・いま、何刻でぇ?」蕎麦屋「四ツで」男「五つ、六つ、七つ、八つ・・・・」

おあとがよろしいようで。😂ハハッ

 

晦日、年越し蕎麦の相棒は『北秋田』だった!料理との相性良く、クイクイ逝けた。

くせのない淡麗辛口は、料理とよくあう

さてさて、あと数時間で2023年ですな。

皆様~良いお年を❣️

 

(1600文字、thank you for reading.)

お題「昨日食べたもの」

「クリパー終了した後、起ったら絶対ヤだっ!」な状況とは【文藝作品⑫】

🎅🏻サンタってさぁ、ただの不審者だと思ふ。

へんてこコスプレしてさ、妙な髭爺※が深夜に自分ちへ気付かれないよう、コッソリ侵入して来るんだぜ?しかも煙突から・・そんなヤツは変態に決まってるぅ!

 

🎉それはともかく。クリパーってヤツは、いつも以上に食べ過ぎ&飲みすぎるからね。クリスマスはクルシミマ~ス。しやろ?

もちろんトイレは必須。我慢は厳禁、サッサッとすましたいよね。なぜなら聖夜、何かデそうな感じするでしょ?とりま、この話よんでみて・・

(※実在の人物カモ?時代は3世紀頃、リキュア(現トルコ)の司教、聖ニコラウス。このニコラウスさんが、貧しい3人の娘が住む家の暖炉へ、こっそりと金貨を投げ込んだ。そして幸せな結婚をさせたという伝説が伝わる)

 

突然の尿意で俺が目を覚ましたのは、夜も更けた午前2時ごろだった。 「寝る前に飲みすぎたかな・・・」そんなことを考えながら、寝起きでしょぼしょぼする目を擦る。

すぐ隣の窓から、カーテン越しに外の月明かりが透けている。俺は何とかまた寝付こうとゴロンと寝返りをうった。だめだ、寝返りをうっただけで今にも漏れそうだ。俺は夜中にトイレに行くのが、とても嫌だった。

理由は単純かつ明快、怖いのだ。いくら明かりを点けても、今この時間が「真夜中」という事実だけで、昼間とは打って変わった恐怖が俺にのしかかるのだ。大袈裟だと言われるかもしれないが、マンションに一人暮らしの俺にとっては、真夜中のトイレというのはそういう存在だった。

しかし、今回は我慢して寝ることもできない。俺は布団からゆっくりと起き上がった。膀胱に力を入れていないと、今にも決壊しそうだ。すぐ目の前にある明かりのヒモを引くと、パッと部屋が蛍光灯の白い光に照らされた。

俺の住んでいるマンションは、玄関を上がって短い廊下、その先にテレビなどが置いてある8畳程の居間兼寝室、その他にトイレと浴室といった感じの作りになっていて、今から俺が向かうトイレは、この短い廊下の調度中間地点にある。

部屋の奥の布団から抜け出した俺は、部屋を横切って扉を開いた。扉の先には真っ暗な廊下、奥に暗いがぼんやりと玄関の扉も見える。俺はすぐに壁に点いている廊下の明かりのスイッチをいれた。居間の蛍光灯とは違う、電球の黄色い光が廊下を照らす。

「やっべ~漏れる・・」俺はひょこひょこと変な歩き方で足早にトイレへと向かった。ここまで俺は終始ドキドキしていた。やはり扉を開ける瞬間や、明かりを点けて暗闇が明るくなる瞬間は、俺にとっていちいち勇気を必要とする場面だった。

俺はトイレの扉を開けて中に入った。すぐに芳香剤の香りが鼻へ入ってくる。トイレはどこの家ともたぶんほとんど違いはないだろう。縦長の空間の奥に洋式の便器と、壁にタオルとトイレットペーパーが掛かっている、そんな感じだ。

トイレの明かりは自動なので、すぐに廊下と同じ黄色い光が灯った。俺はトイレの扉は閉めない。もしも閉めたら、用を足した後扉を開けるのがとてつもなく怖いからだ。外にもし何かが立ってたらなどと思うと、たまらなく怖かった。いつもどおり扉は閉めずに、俺はズボンを下ろし用を足し始めた。

しかし、深夜とはやはり昼間とは全く違い、なんともいえない緊張感がある気がする。普段は気にしない、視界の端にある扉の向こうの廊下が気になって仕方が無いのだ。「見ない、見ない・・・」そう思いながら、俺はひたすら用が済むまで便器のほうに意識を集中させ続けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

例えばの話だが、何か気配を感じたとき、思い切って振り返ったり、そこにバッ視線を送れば、結局何もいなかった、みたいな経験はしたことがないだろうか。要するに、何かがいる気がしても、それはあくまで何かがいる’’気’’がしているだけということだ。

この時の俺もそんなノリだった。気になるなら見てしまえと、視界の端の廊下へと意識を向けたのである。俺はそれを酷く後悔した。用はとっくに済ませたが、そこから動くことができなかった。視界の端っこギリギリに何かが立っているように見えるのである。

あともう少し顔をそちらへ向ければ、その存在の有無もはっきりするのだが、どうしても俺はそちらを向くことができなかった。だが、その視界の端の何かが俺に向かって手を振った瞬間、単なる思い込みではなかったということが分かった。

それは肘から先をブンブンと存在をアピールするかのように振り続ける。「あぁ・・・」あまりの恐怖に、俺の口から声にならない声が漏れた。ふいにそれが手を振るのをやめた。視界の端のそれはしばらく俺をじいっと見つめていたかと思うと、ふいに扉に手を伸ばし、力いっぱいその扉を閉めた。

バタンッ!!物凄い音と共に、ドアに遮られたそれが見えなくなった。俺はあまりの衝撃に目を見開いてその場に固まっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

しばらくして、今自分がまだズボンを下げたままだということに気づき、呆然としたまま履きなおした。扉におそるおそる視線を送ると、やはり扉は閉じていた。「どうしよう・・・」扉を開けるなんて怖くてできるはずがなかった。きっとまだあいつは扉の外にいるのだ。そう思うと、恐怖で鳥肌が立った。

トイレのなかで途方に暮れていると、バツンッ!何かが切れたような音と共にトイレが闇に包まれた「なっ・・停電!?」あの音じゃトイレだけでなく、きっと廊下もその他の部屋も真っ暗なのだろう。トイレは居間と違って窓も無く、差し込んでくる月明かりもない。

本当の真っ暗闇だった。暗闇の中、ただ俺の荒い息遣いの音だけ聞こえる。 「只今、大規模な停電が発生いたしました。そのまましばらくお待ちください」そんなアナウンスが静寂を破った。俺は息を呑んだ。その無機質な声は、明らかに俺の部屋の中からのものだった。

もちろん停電を知らせるシステムなど俺の部屋には無い。吐き気にも似た寒気が足元からこみ上げる。 「只今、大規ボな停電ガ発生イタシましタ。そのまマしばらクお待チクダさい」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「スグニソチラヘムカイマス」空気を震わすような低い声が聞こえた次の瞬間、ダァァン!!俺の居間の方から床を両足で踏み鳴らしたかのような大きな音が響き渡った。

ダダダダダダダダダダダダ・・・それと同時に足音が物凄い速さで居間の中を走り回る。「ひぃっ・・・」俺は思わず耳を塞いでその場にしゃがみこんだ。

ダダダダダダダダダダダダ・・・バァァァン!!物凄い音で居間の扉がぶち開けられる音と同時に足音が廊下を走って近付いてくる。

ダダダダダダダン!!その足音はトイレのすぐ目の前までくると、そこでまた足を踏み鳴らして、止まった。

ただならぬ気配が扉のすぐ向こうから伝わってくる。俺はとっさにトイレの鍵を閉めた。案の定、鍵をしめた瞬間にドアノブが凄い勢いでひねられた。

ガチャ!ガチャガチャガチャ!!鍵が壊れてしまうのではないかと思うほど強い力で、何度も何度も扉をこじ開けようとしている。

「や・・・やめてくれぇぇぇぇ!!」耐え切れなくなった俺は耳を塞いだまま大声で叫んだ。途端にピタリと音が止み、ドアノブの動きも止まった。

また真っ暗闇の中、静寂が戻り、聞こえるのは俺の息の音だけになった。「はぁ・・はぁ・・はぁ・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「こっち」「ぎゃああああああああああああああ!!」すぐ耳元で囁かれたその声に、俺は絶叫をあげてトイレから転がり出た。勢いよく飛び出しすぎたため、向かいの壁で思い切り頭をぶつけた。

「うぐっ・・・」首の骨にまで響くその衝撃に俺は頭を抱えた。おそるおそるトイレを振り向くと、扉は閉まっており、気配も感じなかった。廊下は真っ暗でほとんど見えなかった。「明かり・・・明かり」俺はそう呟きながら立ち上がると明かりのスイッチがあるべきところを手で探った。

「!!!」俺は凄い勢いで手を引っ込めると、壁に貼りついた。触れたのは、完全に誰かの手だった。スイッチを入れようと探った先に手があったのだ。「いやだ・・・もういやだぁ」俺は涙を流しながら玄関の方へと這うように向かった。すがるように玄関のドアノブに手をかけ、力いっぱいひねった。

ガチャ・・「あれ・・・あれ・・なんで」いくら捻っても扉が開かないのだ。鍵は開けた、チェーンもついていない。それだというのに、扉はまるで接着剤かなにかでピッタリと固定されているかのように、びくともしなかった。

俺はとうとうその場にへたりこんだ。その時「只今、大規模な停電が発生いたしております。そのまましばらくお待ちください」すぐ後ろであの声が響いた。「う、うああぁぁあ!!」俺は玄関の靴箱の上に置いてある小さなライトを手に取ると、すぐ後ろへと向けてスイッチを入れた。

廊下が円形状にぼんやりと淡い黄色に照らされる。そこにはなにもいなかった。 「どこだ!!馬鹿にしやがって!!おぉぉい!!」俺の感情は恐怖を通り越して何か怒りのようなものに変わっていた。

しかし体は正直なもので、涙と鼻水は止まらなかった。俺はぐしゃぐしゃの顔で廊下をライトで照らしながらズンズンと進む。しかし何もでてこない。壁に当たった円形の光の中で俺の影がハッキリと映っている。「・・・」俺はふいに違和感を覚えた。俺はライトを自分の体よりも前に構えている。そんな状態で果たして俺の影が壁に映ることがあるのだろうか・・・。

その瞬間、光の中の黒い影が凄い勢いで手を降り始めた。「ひっ!!」思わず手から離したライトが床に落ち、ガタンと大きな音を立てた。また廊下がふっと暗くなった。「ライトが・・・」俺はその場にしゃがむとライトを拾い、タンタンと叩いた。なかなかライトが点かない。ガンッ、力いっぱいライトを叩いたとき、やっと光が戻った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あ・・・」目の前に、首を傾け白目をむいた子供の顔があった。

~後日談~

A「ねぇBさん聞いた?ここのマンションで、昨夜人が亡くなったんですって」

B「えぇ、またなの!もうこれで何人目よ」

A「しかもまだ20代前半の若者ですって」

B「まぁ・・・」

A「なぜか靴箱の中に上半身だけつっこんで亡くなってたみたいで・・まるで何かから隠れようとしてたみたいね」

B「それ、前のと全く同じじゃない。このマンション、絶対何かおかしいわよ。最近良く電気も落ちるじゃない?変なアナウンスも流れるし、もう引っ越そうかしら・・気持ち悪いわ」

A「え、私の部屋は大丈夫よ?Bさん、大家さんに言ったほうがいいんじゃないの?」

B「知らないの?大家さん、最近小さな息子さんを亡くされて、それどころじゃないのよ」

この数日後、同じマンションでBさんの遺体が同じ姿で発見され、それ以来このマンションは封鎖されている。

以上。洒落怖より『停電が発生イタシマシタ』という怪談でした!

メリーメリークリスマス🍷´-

👋バ~イバ~イ!

▷朗読/「停電が発生イタシマシタ」名作は語り継がれてゆく。

【怪談】停電が発生イタシマシタ【朗読】 - YouTube

(4200文字、thank you for reading.to tonight's memories.)

最高傑作!🎥 第15作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』見どころ三選【大好きな映画⑪】

第15作「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」街宣ポスター


男はつらいよ 寅次郎相合い傘』みどころ三選

 

まずはコレ!その⇒抱腹絶倒「寅さんメロン騒動記」の巻

 

寅ファンに、「抱腹絶倒シーン」と高評価される「メロン騒動」ネタです!

まず、この話の前段として。

寅さんが青森、北海道で蒸発サラリーマン兵頭氏の世話をした。その兵頭(船越英二)、リリーと三人一緒に楽しく北海道放浪旅を果たした。

それでそのお礼にと、兵頭氏より高価な「マスク🍈メロン」をもらったという経緯があった。なので基本「メロンの所有権は寅さん」にある。

保管場所はとらやの冷蔵庫だから、管理責任者はオバちゃんとなる。そんな状況でスタート。

ひょんなことから北海道旅した三人組

さて「とらや一家&リリー」が、茶の間で遊んでいます。この時、なぜか寅さんは外出中。おばちゃんは冷蔵庫を覗き、メロンを取り出した。

オバちゃん「う~ん。い~い匂い!」

さくら「あらっ、メロン切るの?」

オバちゃん「うん。リリーさん来たから、丁度いいだろ」

さくら「うわぁ、何年ぶりかしら・・」

わざわざ指折りしながら人数の確認した。答え「六人だねっ!」とキッパリ断言する。

そして喧嘩にならないように、慎重に「六等割に切り分け」ねばならない。これはとても難しい作業で、どうしても数ミリ程度は誤差(喧嘩のタネだよ)が出てしまう。管理責任者の「超絶技巧」が問われるのです。さぁ、責任重大だよっ!

オイちゃん「喧嘩しないように、公平に切れよぉ~」と、念押しする。

オバちゃん「それが、難しいんだよっ!」と、応えていますね。

そして無事分割作業はおわり、茶の間へ運搬する。さてさて。

「さぁ、頂きましょうか」

それぞれがまず、ひと口パクリ食す。「う~ん、美味しい♡」とか「ウマいっ♪」なんて思わず口に出る、幸せな時間ですよねぇ~♪

愉しい茶の間の団欒が始まりィ~と、思いきや・・・店先で何だか“聞き慣れた声”がするのだ。ありゃりゃーこれは・・

「相変わらず、バカか・・?」

寅さんがスィと、とらやへ戻って来た。

一転、凍りつく茶の間!😱ひぇ~💧

オバちゃん「あらいけないっ、寅ちゃんの分、忘れちゃった!」

さくら「勘定に入れなかったの?」

オバちゃん「うっかりしちゃって、どうしよぅ~」

もう全員がキョドって、オタオタしだす。

さくら 「どうしようって・・」

ひろし「隠しましょう(小声)」

オイちゃん「隠すって、どこぇ(ボソッ)」

そこにやけに上機嫌の寅さんが茶の間へ上がって来た。みんなの顔をニコニコながめ回している。愛しのリリーしゃんもいるしね。

茶の間に奇妙な緊張がはしる、さぁこれには困った!とらやファミリー演者の「絶妙な表情」にご注目!

寅さん「メロン、美味しいかい?」

さくら「うっ、うん…」

寅さん「よしっ!じゃお兄ちゃんもひとつもらおうか。じゃ、出してくれよっ!オレの…(メロンを)」催促するのです。

さぁ、困った。ドタバタの始まりィ~!(もう😫💦助けてぇ~ぇ~)

▷リンク/「🍈メロン騒動」このシーンの続きは、ぜひ動画でどうぞ!

youtu.be

 

次に、ココ!その⇒涙腺崩壊「涙なみだの寅アリア披露」の巻

 

リリーしゃんが出演しているキャバレー「ゴールデン歌麿」まで、エスコートしたが、しょんぼりして帰ってきた寅さん。

家人に「おかえりなさい」と声かけられたが、「ハァ・・・」と溜息ひとつ、様子が変だった。寅さんいわく、リリーが出演するというキャバレーは「場末の小さな店でババァばかりで、とらやより店の規模が小さかった」という。

上框(あがりがまち)に腰をおとし、ポツリポツリと語り出す。

寅さん「あ~ぁ・・オレにふんだんに銭があったらなぁ・・・」とこぼす。

さくら「お金があったら・・どうするの?」と問いかえす。

寅さん「リリーの夢を叶えてやるのよっ!」

寅さん「例えば、どっか一流劇場。歌舞伎座とか、 国際劇場とか、そんなトコを一日中借り切ってよ、アイツに好きなだけ歌を、唄わしてやりてぇのよぉ・・」

さくら「そんなに出来たらリリーさん、喜ぶだろうね!」

さくらは、ホント嬉しそうに聴いている。

寅さん「ベルが鳴る。場内がスーッと暗くなるなぁ・・皆様、たいへん長らくをば、お待たせをいたしました!只今より歌姫、リリー松岡ショーの開幕でありますっ!静かに緞帳が上がる・・スポットライトがパァーッ!と当たってねぇ。そこへ、まっ白けなドレスを着たリリーが、スッーと立ってる!」

寅さんスクッと立ち上がる。

寅さん「そりやぁ、いい女だよぉ~!ありゃ、それでなくたってほら、様子がいいしさ。目だってほら、パチッとしてるから、映えるんですよっ、ねぇ!客席はザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワってしてさ。綺麗ねぇ~、いい女だなぁ!よっ、リリー!待ってましたっ、日本一!やがて、リリーの歌がはじまる・・」

「♪ひとりぃ~酒場でぇ~飲む酒はぁ~ぁ~」美声で唄う寅さん。

寅さん「ねぇぇぇ・・客席はシーンと、水を打ったようだよ。みんな、聴き入ってるからなぁ・・お客は泣いてますよぉ・・リリーの歌は悲しいもんねぇ。やがて歌が終わる。花束、テープ、紙吹雪。ワァ~ッ!と、割れるような拍手喝采だよぉ・・あいつはきっと、泣くなぁ・・あの大きな目に、涙がいっぱい溜めてよぉ・・」

茶の間にクルリと背を向け、上框に腰を下ろす寅さん。想いが溢れてせなで語る。

「いくら気の強い、あいつだってきっと・・泣くよぉ・・」

寅さん力なく涙を拭っていたが、照れ臭いのか「このへんで御開に」と二階へ上がってしまう。

さくら「リリーさんに、聞かせてあげたかったなぁ・・いまの話」

しみじみ・・さくらに、思うとろあり。

▷リンク/『悲しい酒』By美空ひばり
https://youtu.be/zi1yedKi3FE

 

最後は、ココ!その⇒「寅&リリーしっぽり♡相合傘」

 

帝釈天参道に雨が降っている。寅さん、とらやに小走りで舞戻ってくる。やはりリリーが心配だった様子。

さくら「あっ!なんだ。そうか、お兄ちゃん。リリーさんのこと心配で、わざわざ来たの?」瞬時に見抜いた!

寅さん「心配じゃないよ、バカァー!ただオレはねぇ、あいつが駅から帰ってくる途中でよ、雨なんかにあって風邪でもひいてみろお前、えっ?肺炎起こしてみろっ、こんなにカリカリに痩せてるんだから、死んじゃうぞっ!」

早くもさくらもオバちゃんも、寅さんが“帰ってきた意図”が分かり、ニコニコしている。😙ふふ

さくら「わかった!じゃあ、お兄ちゃん。ほら、迎えに行ったげて・・」と、番傘をスっと差し出す。

うん、いい妹だね。

まさに愚兄賢妹の図。

寅さん「なんで?どうして?オレが行くんだよ・・おまえ行けよぉ~ほまぇぇ~」

さくら「だって私、もう帰るんだもん」

寅さん「おまえ、行けよぉ~☆」

さくら「ほらっ、お願いよ♡迎えに行ってあげて」

しかし、さくらが手渡すのは、番傘一本だけなのだ。これなっ🤭ぷぷっ

寅さん「そうかぁ・・?いやになっちゃうな。オレ雨降り、嫌いなんだよな。あ~ぁ、帰ってくるんじゃなかったい」と背を丸め、店を飛び出す。

柴又駅前、雨にあたられた乗降客は、傘を拡げ帰る。そこに所在なさげに、リリーの姿もあった。

ふと眺めていると、駅前のうす暗い場所で、寅さんがあさっての方向むき、番傘さし立っていた。

見つけたっ!これは嬉しくて仕方ない。勢いよく駆け出し、寅さんに抱きつくリリー。

リリー「きゃあ、はっ!」

寅さん、突然の相合傘状態。緊張で顔がこわばっている。目線はあくまで前!

リリー「迎えに来てくれたの?!」

寅さん「バカやろうぅ~散歩だよ」

リリー「フフッ・・雨の中、傘さして散歩してんの?」

寅さん「悪いかい?」

リリー「濡れるじゃない」

寅さん「濡れて悪いかよぉ」

リリー「風邪ひくじゃない」

寅さん「風邪ひいて、悪いかい」

リリー「だって。寅さんが風邪ひいて寝込んだら・・私、つまんないもん」

参道をしっぽりと往く、相合傘の二人…☂️俯瞰。

 

~チョコっとだけカイセツ~

相合傘の関係者試写の時。リリーこと浅丘ルリ子さんは、この「寅アリア」パートに感動して、大粒の涙を流したらしい(普通、演者が出演作を観て泣くことは滅多にない)。余程、感極まったのだろう。そ~んな逸話まであるのです!

○さくらは「リリーさんがお兄ちゃんの奥さんになってくれたら、どんなに素敵だろうな」といった。リリーは真剣な顔で「いいわよ。あたしみたいな女でよかったら」と応えた。

○結局『あいつは頭のいい、気性の強い、しっかりした女なんだよ。俺みてえなバカとくっついて、幸せになれるわけがねえだろ?』と寅さんは、さくらに言う。

観客は「うーん、何故だ?」と、ヤキモキするね。

「私こんなに楽しくご飯食べたの、何年ぶり」

○『あいつも、俺と同じ渡り鳥よ。腹すかせてさ、羽根怪我してさ、しばらくこの家に休んだまでのことだ。いずれまたパッと羽ばたいてあの青い空へ。なっ、さくら、そういうことだろう・・?』ということで、次作へ繋ぎます。

○俗に「リリー三部作」と呼ばれている『11作 忘れな草▷15作 寅次郎相合傘▷25作 ハイビスカスの花』この三作を連続で観ると、実に心地良いリズムを保っていることが判ります!是非まったりとご覧あれ!!

🎥 1975年8月2日公開(収録時間90分)

渥美清…車寅次郎 寅さん○倍賞千恵子…諏訪さくら○下條正巳…車竜造 オイちゃん○三崎千恵子…車つね オバちゃん○前田吟…諏訪博 ひろし○太宰久雄…桂梅太郎 タコ社長○佐藤蛾次郎…源公○中村はやと…諏訪満男 みつお○船越英二…兵頭謙次郎 パパ○浅丘ルリ子…リリー松岡

‪- ̗̀🐯 ̖́-映画「男はつらいよ」シリーズを再考す。

寅さんは流しのテキ屋。一般人からすれば、単なる「893なアニキ」だ。日本各地を気ままに旅し続ける。その一方で、柴又で暮らす人々は「地道な生活」する人々。全シリーズ通して、この対軸構造で描かれています。

そして、寅次郎と柴又住民は対立はするが、同時に共存関係も成立させ、人間関係を熟成させてゆく。これ思えばおかしな世界観で、現実的にはもう有り得ないファンタジー世界だ。例えれば御伽噺や落語世界だね。

このとらやの人々は、寅さんの突飛な「お持ち込み案件」に戸惑い、大騒ぎもする。でも何かと知恵をしぼり、困った人々の力にもなる。そして普段つまんない日常生活では、到底経験出来ない「出来事」を目撃し、それを共有する。

これが「男はつらいよ」全シリーズを貫いている、いわば“人生哲学”と呼ぶべきコンセプト…

日本人が愛してやまない世界観なんですね!

(4500文字、Please enjoy “Tora-san's” movie!) 

お題「ゆっくり見たい映画」

名作、第27作「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」【大好きな映画⑩】後半パート

 

男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』

🎥 ここでチョロっと解説項。各シリーズに共通する基本的なプロットの流れ(一部例外あり)

アバン『寅さんの夢パート』⇒『寅さんが旅から帰郷』⇒『とらやでのいざこざ』⇒『また地方へ旅する』⇒『マドンナとの出逢い』⇒『マドンナがとらやへ』⇒『トラブル、問題の開示・解決』⇒『寅さんの失恋へ』⇒『またもや旅立ち』⇒『エンディング』となる。

悪くいえば「ワンパターン」なれど。それが映画の面白さへ繋がってゆくのだから大変だよね、山田監督はホント「繰り返しの天才!」。

🚕💨前半のカンタンあらすじ

豊島で出逢い、石切さんで奇跡の再会を果たした寅さんとふみさんは翌日、生駒宝山寺へ出掛けます。そこで絵馬奉納時、ふみさんに“生き別れの弟”がいることを知った。

だが、何故か逢うことをためらうふみさんに、寅さんは「いますぐ逢いにいこう」と言う。二人は弟が勤める運送会社へタクシーで駆けつける。

▽ぜひ前編からお読みください。

minminzemi81.hatenablog.com

 

ふみさん生き別れた弟探しの巻

 

寅さん「すぐ行こう。早くっ!ほらっ!」目指す住所は「大阪市港区波除6丁目2、山下運輸株式会社」。タクシーは安治川沿いを走ります。

恐怖の心霊現象として有名な車中シーン。誰?

長距離なので、タクシー代が気になります!支払いは、ふみさんか?

安治川大橋(国道43号線)がみえる。運転手は車を降りて、歩いて探してくれる。なんて親切な運転手なのか・・イイひとだね。

運転手「そのネキですわ」

寅さん「なんだい、ネキって?」

(※この「根際、ネキ」、どうやら固有の大阪弁ではないらしい。他地域から流入してきた言葉?ちなみに、ネト用語では「アネキ、姉貴」のこと)

ウマい具合に御手洗前に車両主任(大村崑)がいた。こんなとこに、崑ちゃんがいるなんて。何でだろ~な配役だ🤔うむゅ?

主任さん(大村崑)チャックで○○挟んだのか?

寅さん「あの・・水上英男という男、おりませんでしょうか?」はじめて弟のフルネームがあかされる。それを何故か困惑する主任・・「二階事務所へどうぞ」と案内される。

ここからのパートは「シリアス」、ホント辛い話ばかり。喜劇ではなくなる。そして、事務所ではショッキングな新事実を告げられます。

『尋ね人の英男君は、すでに死んでいた・・』

川を渡る行為は、山田シナリオ的には「此岸⇔彼岸」の関係となる。向こう岸には既に“隠世”が待っている!春日出橋を渡ったところにある、彼のアパート『松風荘』尋ねてもまだ「辛い話の連続攻撃」続く。

寅さんの混ぜっかえしギャグもなく、淡々と。

何と英男くんには「可愛い婚約者の信子」までいた。部屋には仏画風の「ふみさんと思しき絵」まである・・なんだ、なんだ、これはぁー!!

信子「うち、英男さんから聞いてました。お姉さんのこと・・お母さんみたいに、懐かしい人や・・とっても、逢いたがってました・・」

おふみ「お茶、飲んだら帰ろっ。うち辛い、この部屋におるの・・」

ついに、おふみさんに“部屋に居るのすら辛い”とまで言わせてしまう。「ふみちゃんをそんなに苛めんでもエエやろがぁ!」当時、そう思ったよ。これが演出の狙いか・・ここに来て盛り下がり感⤵︎ 半端ねぇ~ぇ~。あ”~違う映画だ、ヤダヤダ😫

安治川に浮かぶ渡し舟、ジッと見詰めるふみさん

で。ここでふと思う。この“安治川をロケ地”と定めたのは、本作と同年公開『泥の河(1981)』(小栗康平監督)への“せめてものオマージュ”だったのかも?山田洋次は本来社会派監督、自分が「泥の河」を撮れずに悔しかった・・これ、あるやなしや。

(「泥の河」は、昭和31年の夏の安治川河口が舞台。川べり食堂の子供「信雄」は、鉄くずを盗もうとしていた「喜一」と出会う。喜一は、対岸の廓舟で姉の「銀子」と、姿が見えない母「笙子」と暮らしていた・・この姉弟との“出逢いと別離”を描いた、'81年度の傑作映画。作品名言『子どもはなぁ、産まれてきとうて生まれてきたんやない。親、選ぶわけにはいかんのやぁ』😭涙)

▷リンク/「男はつらいよ浪花の恋の寅次郎」ロケ地案内

映画 寅さんシリーズ 浪花の恋の寅次郎ロケ地案内♪ - YouTube

 

これぞ「浪花の恋の寅次郎」最高場面

 

「うち気分が悪い」と、勝手にお座敷(宗右衛門町。源氏名は蝶子はんと判明)を抜けて来た、おふみさん。その足で「通天閣ホテル」の寅さんの部屋へスッとあがり(←オイオイ)窓辺りで座っている。もう芸者を辞める腹づもりか?

希望の星が見えると寅さんに伝えるふみさん

おふみ「星が出てるよ~ひとつ・・ふたつ・・みっつ・・」

外には新世界のギラギラな夜景がみえる・・まぁリアルなこといえば、“この場所”では星はほとんど見えないハズだ。おふみさんの心象での「希望の星」だネ!✩.*˚

おふみ「♪別れる~ことは~つらいけど、仕方がないんだ・・キミの・・うち泣きたい」

▷参考音源/繰り返し登場する『星影のワルツ』✩.*˚千昌夫の大ヒット曲(1966年)。
https://youtube.com/watch?v=sQUosDz7w8g&feature=share

別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君のため
別れに星影の ワルツをうたおう
冷たい心じゃ ないんだよ
冷たい心じゃ ないんだよ
今でも好きだ 死ぬ程に

一緒になれる幸せを
二人で夢見た ほほえんだ
別れに星影のワルツを うたおう
あんなに愛した 仲なのに
あんなに愛した 仲なのに
涙がにじむ 夜の窓

この歌この歌詞、別れのフラグ立てと思えます。

この憂いを秘めた眼差しが、とってもイィ♡

 

ウルウル泪をためて、何かを訴えるふみさん・・寅さん!もうダメ、こりゃダメ。苦手ターンに突入だ!

おふみ「寅さん・・泣いてもええ?」

寅さん「!」ビクッと驚く・・

😱ありゃま〜雪隠詰めついに王手か?!ふみさんは、寅さんにしなだれる。寅さんの膝に顔を伏せ、そこで泣き崩れます。これが大阪の劇場で「いてまぇ~!寅やん!」の声が上ったという「伝説的シーン」です。判るわぁ~そやでぇ。好きなおなごはんに膝しがみ、それ拒絶する馬鹿男ってそんなの何処におるんや~

何でぇ、めぐり逢せ悪いんやろかっ、うちはぁ・・

ここで“細かいカット割り”があり。①入口側(喜介目線)からと、②横側から(状況さま)に撮り分けている。見る方向により「視える情景が変わるよ~♪」という親切説明カット(エロネタ😆)。もちろん次に続く「階段オチのシーン」と関係しています。

喜介「お待っとうはん!あいにく冷蔵庫の中がぁ・・うゎ~あぁぁ~すんまへん、ナンも見てまへん」

喜介「お待っとうはん!」グツ悪い時に登場!

慌ててドア閉め、後退りドタタタタ・・・階段オチする!雰囲気ぶち壊し。山田演出のお約束。雁之助はん演技最高です!

喜介「血ィやぁ~お母ちゃん!血ィ~出てるわぁ!血ィ~!」

階段の下で煩く騒ぐ、喜介はん。

喜介はんデコ打って血ィ滲んでいる・・

おかん「情けないガキゃなぁ。ええ年こいてぇ、大きい声だしてからにぃ、こっちおいで。見せてみぃー!」

初音オカンにデコをペチン!される喜介

カンペキな“初音オカン”の演技、ホント凄いよぉ~!👍✨

○初音 礼子(1908~1987年)元宝塚歌劇団、男役。雪組の組長。兵庫県神戸市の出身。宝塚歌劇創設以来、初の殿堂入りするレジェンド。

▷リンク/名場面「天王寺ホテルの夜」

映画『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』(第27作)HDリマスター - YouTube

 

浪花の夜の秘め事は・・肩透かし

 

残された信子の心配(自分の心情も重ね合わせ)までする、ふみさんだった。

寅さん「そりゃ、いまは哀しいだろうけどさ、月日がたてばどんどん忘れて行くものなんだよ。忘れるってことは、本当にいい事だよ・・」と慰める。いいこと言う寅やん、これを“時薬”という。

浪花の夜はゆっくりと更けていきます

酒に酔ったふり?ふみさんは「今晩、この部屋に泊めてほしい」と伝え、寅さんの膝に頭をあずけ眠る。これには嬉し・・困った寅さん。

しか~し、寅さんは部屋からコソコソと逃げ出し、喜介の部屋で寝るというのだ・・🙃ありゃりゃ~?!な展開となる。またか・・

松鶴おやぢ「そんな殺生なぁ・・」と寝言ひとつ。

翌、未明・・ふみさんはタクシーを拾って、ひとり寂しく帰っていく。

阪神高速松原線高架下、公園通り角

ふみNA『寅さん夕べはごめんなさい。私がこの部屋に泊まるのが御迷惑だったなら、そう言ってくれればタクシーを拾って帰ったのに。これからどうして生きていくか、一人で考えていきます。寅さん、お幸せに。 さようなら ふみ』と、チラシの裏へ切々と書いた「別れの置手紙」が残されていた。この「愛想尽かしの文言」には、少なからずショックを受けている。その、憮然とした顔。

 

覚醒す!浪速のことは 夢のまた夢・・

 

長逗留していた天王寺ホテルを、慌てて引き払うと言い出した。寅&喜介コンビは、地下鉄乗り場への道すがら事後策を、スタスタ歩きながら話し合う。

さらば天王寺また来るまで・・次は39作だ!

喜介「そやけど・・寅やんがおらんようになった後、もしあの娘が訪ねてきたらワテ、どない言うたらエエねん?」

寅さん「尋ねちゃ、こねえよっ!」スタスタスタ・・

喜介「そないなコトは、判らへんがな・・」

寅さん「いや来ねぇ・・もし来たとしたらその時ゃ、あの男は東京へ帰ったと、そう言ってくれりゃいいんだ」スタスタスタ・・

喜介「何でやねん。なんで、そない逃げるようにして帰らないかんねん!」

寅さん「男ってものはなっ、引き際が肝心よぉ」スタスタスタ・・

大阪地下鉄「恵美須町駅③番階段」を手を振り降って消えた。しかし、ここは堺筋線。梅田へ出るには、動物園前駅の方が都合いいぞ(こまかっ!)。

大阪メトロ「恵美須町駅③番階段」寅消失点

はい、舞台は柴又とらやへと移ります。

 

いまだ恋煩い厨、哀れな寅さん

 

夕方、とらやの茶の間。帰ってからずっと様子がおかしく、食欲も無い寅さんを、皆がいろいろ気遣っている場面です。

オバちゃん「じゃ、玉子でも焼こうか、ねっ?」

寅さん「いいよ、いいよ。おふみちゃん、ありがとう・・」

突然の“おふみちゃん”の名前に、ギョギョッとなる一同。それはいったい誰なのか?意中の相手の詮索が始まった!

ゴーン!「四天王寺の鐘の音かぁ」病膏肓に入る

寅アリア ふみver.開始される。

寅さん「いい女かって、聞いてるのか・・もし、ここへ、すぅーとあらわれたら・・タコは腰抜かすよっ!ぬけるような白い肌、それが嬉しい時なんか、パァーと桜色に染まるんだよ。哀しい時には、透き通るような青白い色。黒いほつれ毛が、ふたすじ、みすじ。黒い瞳に涙を一杯ためてぇ・・寅さん・・うち・・あんたの膝で泣いても、ええ?可哀想だったなぁ~あん時のおふみさんは・・」

ひろし「兄さんが色々と、力になって上げたんでしょ?」

寅さん「気持ちだけは、あるんだ。でも、いくら気持ちだけあったって、何してやりゃぁいいのか、判らねえんだよっ。金はねえしなぁ・・ましてや、頭でも良けりやぁ、何か気の利いた言葉のひとつも、かけてやれるものを・・それもできやしねぇ・・」

腹巻にしまってあった“チラシ裏の手紙”をとりだし、凝視する。皆もつられて注目の的。

寅さん「そんなオイラに愛想をつかして、あの娘はいっちまったのさっ・・これからどうして生きていくのか、ひとりで考えていきます。寅さんお幸せに・・そう言ってねぇ、まぁ、今更そんなこと言ったって、こりゃ愚痴になるだけだからさっ、ねっ?今夜はこのあたりで、お開きってことにしようか」

トントン階段を昇りながら、また挨拶す。

寅さん「お茶の間の皆さん。お休みやすぅ~嗚呼、しんど」変な関西弁で〆る。

 

摩訶不思議な女心とらやに何故?

ところがしばらくして。おふみさんが柴又とらやに、突然訪ねてくる。ここで疑問がわいた。何故ふみさんは「自身の結婚報告を、わざわざ寅さんにするのか?」この女性心理が、よく判らな~いですね。劇場公開時には、ワタシにはソレがさっぱり理解出来なかったよぉ・・

 

いわゆる「不思議な女心のなせるワザ」てか?ふみさんは、大阪で寅さんに色々と世話になったのだから通常の「御礼挨拶」位は、当然な行為かもしれない。

しかしデスねぇ。これはとてつもなく“気まずい行為”なんです。態々逢いに来るとは?ふみさんは、寅さんが大好きだった・・まぁ、ゲスい言い方すれば「抱かれてもいい♡」行動までとった。なのに、寅さんに軽く「ダッキング&敵前逃亡」された訳でぇ、相当プライド傷ついたはず。そんな想いも夜明けの旅館「置き手紙」でケリつけたハズだったのだが。

乙姫と夢のような出逢いの豊島

一方の寅さんも豊島の出逢い以来「好意メチャあり態度」をず~と取ってきた。さらにアテもなく(嫌いな)大阪まで、おふみさんを探しに来るのだから相当な入れこみ方。でも、置き手紙を見て「愛想尽かしされ、振られたぁ!」と思い悩んでいる。なので逃げるようにコソコソ大阪から舞い戻って来たのだ。

🙄ならば、この「結婚報告」は、ふみさんのせめてもの「意趣返し」なのか・・??

やはり彼女の行動原理がイマイチよく判からない。普通の女性感覚なら、寅さんと“顔をあわせるのも避けたい”気持ちだろうからね。この後、一連の流れには観客の多くは「ええっ?」だったはず。いつものテンプレート「問題抱えるマドンナ⇒とらやの訪問⇒ドタバタ解決👍🏼めでたし、めでたし」ではない、妙なモヤモヤ感がズゥ~と残ります。

何となんと!おふみさん柴又に襲来

おふみ「あのぅ・・こちら、とらやさんですね。寅さん・・いてはりますでしょうか?」オバちゃんがパタパタ立働く店先で、女の声がする。

📣 「噂の“大阪の美人芸者”がとらやに、来たぁぁ~!!」この一報にザワつく参道周辺の人々。話はあっちゅー間に伝播する。持ち前の客あしらいの上手さで、客を捌いてゆくふみさん。夕刻頃には源ちゃんと一杯引っかけ、上機嫌な寅さんが帰ってくる。更には、思いがけない「ふみのとらや来訪」に、天にも昇る心地の寅さんだったが・・。

 

泡わの輪、開けてびっくり玉手函!!

 

「実は大阪を引き払い、対馬へ行く」といった話のくだりから微妙に茶の間の空気が変化する。何故また、対馬へ・・?

おふみ「実はうち・・・結婚するんですぅ・・」

予想外の爆弾発言が飛び出し一転、凍りつく茶の間・・ひぇ・・ひぇ~💦

おふみ「対馬から大阪に、板前の修業に来ている人がいてね。こんど島に帰って、小さなお寿司屋さん開くことになったんです。そのひと、前からうちのこと思うてくれてて・・うちみたいな女でも、奥さんにしてくれるって、そない言うんよっ、寅さん!」ビシッと、問語り気味に告られた。「対馬の寿司屋に嫁ぐ」というトンデモ展開・・アララどうしましょ?

程なくその結婚の相手、誠から電話ありふみさんが急いで帰った後・・外は土砂降りの豪雨となった。さらに雷鳴も轟く!やはりこれはリリーパターン※の流れです。

一天にわかにかき曇り、雷鳴轟く

(※「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」では、とらや茶の間で気まずい思いまでして、“結婚承諾したリリー”に対し、寅は「冗談だろ、リリー」と決めつけ、避けつづける。その曖昧な態度に絶望して、怒りながらリリーが立ち去る。すると雷鳴トドロキ、土砂降りの雨となる。二階では、寅とさくらがリリーを物語る場面となります)

二階部屋では寅さんがさくら相手に、ぶちぶちボヤくシーン。反省会まで同じ流れだな。

寅さん「わざわざ来ることはなかったんだよぉ、こんなとこまで。ハガキ一本出しゃ済むコトじゃねぇかぁ。こっちの気持ちにもなってくれって言うんだよ、こんな惨めな気分にさせられてよぉ・・」

さくら「そんなこと言っちゃ、可哀想よ。わざわざそれを言いに来た、ふみさんの気持ちにもなってごらんなさい・・・」

このさくらの諌言が、理解出来たのだろうか?そして翌日、寅さんは再び旅立った。それは、何故か。

🤔さくらが言う“気持ち”とは、ふみさんが最期に魅せた「女の意地”みたいな静かな怒り」・・と仮定すると、かなり理解が優しくなるね。以前にもリリーとの心のすれ違いあり、今回のふみさんの件と二重構造に透けてかさなり、寅さんに重くのし掛る。やはり、大変な多重スクリプトだよなぁ~単純ぢゃないね。きっと山田監督も寅に怒ってますよォ!

 

ついにエピローグ対馬での再会!

 

寅さんは遥々、対馬まで逢いに出かけたのだ。この物語は冒頭、対馬の「和多都美神社」から始まり、ラストの「青海の段々畑」に円環して、終わりを告げる。おふみとその亭主、誠(斉藤洋介)の寿司屋店先(※対馬市厳原町国分、對馬醤油店の隣に「寿司処海八」があった)。新鮮寿司ネタで盛り上がっていると・・。

まこと「お袋から電話でなぁ、家のほうにアンタ訪ねてお客さんが来てるんやが・・車さんちゅう人やてぇ」

おふみ「車さん・・?寅さんよっ!ほらぁ、いつも話してる、寅さんよっ!」

ワゴン車に乗り、万関橋を渡る…🚐💨…走り続ける車。実家まではずいぶん遠いようだ。

青海の里の美しい段々畑で終話となる

嫁ぎ先である、石垣で囲まれた古民家(対馬市峰町青海130)その門先でひとり座り待っている、寅さんの姿があった!

寅さん「よぉ、元気そうだなぁ。遠いトコだなぁ、おい。船着場からずっと歩いて来ちゃったよぉ、ははは…」

そんな馬鹿な。確実に倒れるよ、夏場でこの距離はね!

おふみ「よく来てくれたぁ・・・」

うるうる・・涙を流しながら歓ぶおふみさん。所在なく困る亭主の誠。

門戸でズッコケそうになる寅さん

それを晴ればれとした表情で、二人を祝した寅さんだった。きっと、また乙姫に「お・も・て・な・し」されて、対馬で長逗留したことでしょうねぇ。

👏パチ👏パチ  ~終演~

 

どぶに落ちても根のある奴は
いつかは蓮の花と咲く

意地は張っても心の中じゃ
泣いているんだ兄ちゃんは

目方で男が売れるなら
こんな苦労も

こんな苦労もかけまいに
かけまいに

 

○マドンナ/松坂 慶子(1952年~)本名は、高内慶子。東京都大田区の出身。韓国人の父と日本人母との間に生まれる。🎬映画『夜の診察室』で本格映画デビュー!『青春の門』や、本作『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』、有名な『蒲田行進曲』など。ドラマ主題歌「愛の水中花」が、大ヒットした!本作で日本アカデミー賞主演女優賞。

大映映画『夜の診察室』映画デビューした

○入場料1500円、上映時間104分。

▷リンク/『愛の水中花』(松坂慶子) 愛の水中花 - YouTube

▷リンク/『男はつらいよ浪花の恋の寅次郎』予告

〈余録〉蛇足解説始めま~す

 

さてさて。このドラマは『浦島太郎伝説』をモチーフにしているのは明らか(ハナからアバンでそう告げている)です。浦島寅次郎と、ふみ乙姫です。豊島から亀の船で着いた場所が、大阪はネオン✨チカチカ通天閣だった。

昔むかし浦島はぁ助けた亀に連れられてぇ♪

竜宮城で“飛び切りのおもてなし”されたのに、コソコソ逃げ出した浦島寅次郎は、あろう事か玉手函すら持たず逃亡した。それに怒った乙姫が、追いかけてきました。まるで安珍清姫のように。そして「ドカ~ン!」とイカヅチを降す!うわぁ怖い話だぁ・・ホンマやで、これなぁ・・

という訳で。リリーの登場回、第15作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』

minminzemi81.hatenablog.com

 

男つら物語、その本質とは・・?

~わかるヒトだけ解ればイイってハナシ~

 

まず、日本の古代から続く『マレビト伝説』について。マレビト(客人)は、各地方ごとに様々なバリエーションがあり、一番有名な寓話は「かぐや姫伝説」月から来た宇宙人設定。ある時、なぜか月から地球にやってきて、竹のカプセルホテルで過ごす。それを竹取の爺さんに発見される。スクスク急成長し、やがて「婿取りに目覚める」のだ・・。

(※お爺さんは山に柴刈りに来たのだから、得物はナタか。それで竹切ったら、かぐや姫も真っ二つ!・・子供の頃、そうおもたね!😂ひゃ)

続きまして「桃太郎電鉄」。違うやろ!ボンビ〜か!昔話 桃太郎伝説では、川で洗濯していた婆さんが「大きい桃」を発見👀し、すくって持ち帰る。包丁でスパーンと真っ二つにする。なかから飛び出す桃太郎!恐ろしい速さでスクスクと成長し、やがては「鬼退治に目覚める」のだった・・

(※婆さんは川に洗濯なので、手洗い桶?洗濯板?これで川を流れてくる巨大桃キャッチは到底出来ない・・やはり、そうおもう!😂ひぇ)

いずれも共通するのは⇒『マレビトをもてなせば、マレビトの「行動や言動」により、地域に住む人々に「生きる力や知恵」が授かって「災厄をも祓われる」といったもの』古代から日本人は、マレビトの霊力により「豊かで健やかな生活が、延々続いてゆく」と信じて暮らしていました。

半年のおわり、夏越の行事「茅の輪括り」

我々は正月や夏越に、ふらりやって来る「マレビトをおもてなし」します。それらの風習を単純に云えば『漂泊民(マレビト)と定住者(一般人)の交流物語』なのです。コレが「男はつらいよ」の裏コンセプトでしょうね、そう思いまふ。

(※マレビト(稀人・客人)は、ある時期(正月や夏越など)に他界から来訪する霊的な神々。この存在を定義する、折口信夫の思想でもある。「まれびと」が発する呪詞・寿詞が後に「文学」に、所作が「芸能」へ昇華した。日本人の信仰や観念を探る、キイワードとして重視されます)

(8800文字、Please enjoy “Tora-san's” movie!)  お題「ゆっくり見たい映画」

有田蜜柑 誕生秘話「伊藤 孫右衛門」有田蜜柑の礎を築いた男の話【戦国時代】

 

毎年、五月頃になると有田の山々にみかんの白い花が咲き誇り、甘酸っぱい香りが街中に広がります。「全国一の生産量」を誇る有田ならではの風物詩だと思います。

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ミカンの花が咲いている

そして九月ともなれば、蒼い「極早生蜜柑」が市場に出回り、秋が深まるに続いて「早生、中手蜜柑」と出荷量が増えていきます。品種には「ゆら早生」「日南1号」「上野早生」「大浦早生」など。

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その中で「ゆら早生」は、和歌山県で発見された品種で、果皮が緑色。でも果肉は糖度が高く、さわやか風味なのが特徴です!

 

さぁ、もうすぐ温州みかんの季節到来ですね!なんでも夏の暑い陽射しが、甘くて美味しい蜜柑を育てると言います。今年も、まずまずの作柄ではないでしょうか?

▷みかんの花咲く丘 https://youtu.be/_UFiQcGe_Qc

🍊 極早生ゆら蜜柑

鼻歌♪「みかんの花が 咲いているぅ~ 思い出の道 丘の道ぃ~ はるかに見える 青い海 お船がとおく かすんでるぅ~」有田のみかん畑から海を眺めていると、童謡「みかんの花咲く丘」を思い出しました。

 

有田蜜柑の礎を築いた男がいた

 

有田出身の方の話によると、この地方を“日本一の蜜柑産地に変えた男”がいるというのです。でも、世に名高い「紀伊國屋文左衛門」ではありませんよ。三波春夫先生が唄います。「沖の暗いのに、白帆がぁ~見ゆるぅ~あれが紀伊国ぃ~蜜柑ぶねぇ~♪」

▷名調子『豪商紀伊國屋文左衛門』豪商一代紀伊国屋文左衛門 三波春夫 - YouTube

いや漢、文左衛門・・ではなく。それはまだ世に知られていない、ひとりの男。

その名を『伊藤 孫右衛門』という。

時代は元亀天正あたりの出来事、世の中がガチャガチャ騒乱していた頃ですね。宣教使のルイス・フロイスが「紀州の地には四つ、五つの共和国的な存在があり、いかなる権力者も、それを滅ぼすことができなかった」と述べています。そんな国人衆や寺社勢力が入乱れ、自主割拠していた紀州は有田地方、糸我村でのハナシです。

 

蜜柑で全国的有名な有田地方は、元々蜜柑が無かった・・えっ?!

 

ここ紀州有田地方は「山また山、こりゃまた山、振り返ったら、川か海」と云う土地柄で、水田はなく米が殆ど採れなかったそうな。昔より見るべき産物もなく、食うや食わずの着るものさえままならないという「極貧の地」であった。その有田の糸我村で農業を営んでいた伊藤孫右衛門は、そんな村民の窮状を日々憂えていた。というか、単純に腹が減りすぎていたのだ。人間、貧すれば鈍するのです。

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第一村人登場

野良仕事を終えた村人が、立ち話をしている…

「のう、バァさんやぁ、たまには熟鮨でも、食べたいもんじゃなぁ~」

「あでぇ、おぢぃさん、アタマでも可笑しくなったのかぇ、米なんか見たこともねぇぇぇ・・」

孫右衛門は「この地域に殖産を起す」には、何がよいかと色々思案シマクリ千代子だった。荒地を開墾し様々な木を植え試してみたが、なかなか良いものを見出せなかったそうな。そのような時、肥後の国は八代高田(やつしろ、こうだ)の地に『蜜柑』という樹木があることを旅人からツテ聴いた。

何でもたいそう「芳しい香りがする果実」がなるというのだ。さらに「山地にあっても生育し、歩留りも悪くない」とも聞いた。「♪からたち、からたち、から〜たぁ~ちの、花よぉ~」か?その時、何かを閃いた孫右衛門は思わず膝をポン!と打ち、眼がキラリと光った・・

みぃ、蜜柑じゃこれじゃぁ~

欣喜雀躍その神木を是非とも我が手に入れ、この地を「ばぶりぃな国」に変えたいと願うようになった。だがしかし。なんでもその木は「藩外不出、面会謝絶、一子相伝アンタッチャブルな木」であり、おいそれと手に入れられるような代物ではなかったそうなのである。

 

🍊ぷろじぇくと おれんぢ

♪地上にある星を 誰も覚えていない 人は空ばかり見てるぅ~

(※1 熟鮨は和歌山の特産品。鯖・秋刀魚など魚と飯を合わせ、樽に漬け重石をする。数日から数か月あるいは数年間も乳酸発酵させる。乳酸発酵によって味は酸っぱくなるが、雑菌の繁殖を抑えつつタンパク質の分解に伴う、アミノ酸成分の旨みを増加させる料理法で、“寿司の元祖”と云われる)

 

そして孫右衛門は来る日も来る日も、たいそう思案した

 

そして和歌山の上役に相談したが、色良い返事をもらうことはできなかった。だが、それであきらめるようなお人ではなかった。ヘタレではなかったのだ。さても~さても~どうしたものか、想い悩んだ。

和歌山県有田市 糸我町の集落

▷リンク/有田市糸我町
https://maps.app.goo.gl/3kryjZBRCcvqqVpL9

村民の窮状を見るにつけ、オイシイ熟鮨を食べたいという自己要求は、ますます強まってゆく一方であった。それで彼は上役に幾度も願いでて、遂に上役も彼のしつこさに呆れ、彼を肥後の国に遣わすことにしたらしい。そこで上役は思う「しかしのぅ、そう簡単には譲ってくれぬであろうぞ」そこで一計を案じ、彼に一通の手紙を持たせたらしい。その内容は「木の所望は、殖産の目的ではござらぬ。単に盆栽として花実の美をめでたいのよ。よって数株恵与されたし…云々」との内容が書かれていた。これでは「テイの良い詐欺or搾取」である。果たして巧くいくだろうか?

そうして孫右衛門は九州に渡海した。八代高田でのすったもんだの末、ようやく「高田小ミカンの苗木二本」が彼に与えられた。孫右衛門は、念願のみかんの木を手に入れた!「イェイ、ゲッチュ~!」それは天正二年のことでござった。

(※2 天正二年と云えば織田信長に追放された公方様「足利義昭」が、紀州由良にある興国寺へ逃げ延びてきた頃なのです。興国寺は、金山寺味噌や醤油発祥で有名ですね)

 

ぷろじぇくと おれんぢ

♪名立たるものを追って 輝くものを追って 人は氷ばかり掴むぅ~

地上の星 / 中島みゆき [公式] - YouTube

 

人は皆、徒歩で旅をした。孫右衛門だって歩くしかない

 

しか~し。さらなる苦闘が孫右衛門に待ち受けていた。今日のように交通手段の発達した社会ではない。人は皆、テクテクと歩いて長旅をした。新たなる難題「いかに木を枯らさずに、郷里まで持ち帰るのか?」といった状況が待ち構えていた。彼は孫を慈しむかのよう(そら孫右衛門だけに)、その苗木を大事に扱い、郷里へと持ち帰ったのです。道中は「背中から二本の木がはえた男」としてたいそうな噂に、マヂかぁ?しかし、長旅の故に苗木は枯死寸前、ハラホロヒレハレ状態であったそうな。一本を和歌山の上役に賄賂としてソッと渡し、残りの一本をようやく糸我村へ持ち帰った!「ばぁ、ばぁさん…ただいま」バタッ!和歌山の木は当然の如く枯れてしまったが、糸我で植えた苗木の方は孫右衛門のたゆまぬ努力と熱情により息を吹き返し、唯一この地に根付いたのである。俗に言う “Dreams come true” ついに願いは叶った・・かに思えた。

ところが、一難去ってまた一難、更なる難題が待ち構えていた。ピンチの連続波状攻撃だぁ・・

 

地場産業と育成してゆくには、繁殖させねばならないですティニー

 

次の難問は苗木の繁殖であった。苗木を増やさねば殖産は叶わないのだ。「繁殖させることこそ、重要!」なのです。農業立国、アグリ産業の命題。「産めよ~増やせよ~金に成る木」孫右衛門は、有田に自生していたという「橘の木」に接ぎ木を試みて、ようやく見事成功させた。これで沢山の苗木を産むことも出来るのでした。やがて数年が過ぎ去った・・

遂にその夢にまで見た果実を、得ることができた。「実の麗しきこと、また美味なこと」は、他の果実の遠く及ばないところであったといいます。

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果実は得られ苦労は報われた

いまで例えれば「メロンより<<マンゴーより<<蜜柑🍊LOVE♡」ですかね。孫右衛門は、さぞや有頂天だったに違いない。孫右衛門の熱意とその果実のすばらしさに、周囲の村人達も大絶賛開催中!です。そして驚いたことに孫右衛門は、栽培方法を惜しげも無く近隣の「保田庄、宮原庄、田殿庄」にも教え、有田地方を密柑産地として興産せしめた。さらに紀州浅野、続き紀州徳川家の庇護のもと、作付面積もドンドン拡大されてゆく。ようやくここに、貧困地有田を窮状から救い、豊かな大地へと変える「一大蜜柑産業が産まれた」のでした!

👏拍👏手👏…めでたし、めでたし、と。

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♪行く先を 照らすのは まだ咲かぬ 見果てぬ夢

遥か後ろを 照らすのは あどけない夢

旅はまだ 終らない…

ヘッドライト・テールライト - YouTube

文中引用した楽曲「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」どちらも神曲✨です。まさに孫右衛門、江戸時代のプロジェクトXだ!

 

柑橘栽培の起源と小みかんなど、こぼれ話詰め合わせ

しかし、ふと想う。「この話はホントのことなの?」起源は諸説あるようです。現在の「有田市糸我町 中番」で紀州藩の委託を受けた、伊藤孫右衛門が栽培したのが始まり・・というのが、やはり“一番の有力説”とのことなんです。

 

🍊曰く、神話時代(十一代垂仁天皇)に、田道間守命(たじまもりのみこと)が中国南部より持ち帰った「非時香果」が、現在の「海草郡下津町」に移植された。その後、有田地方に「橘」として徐々に広まったと伝わります。※3

(古事記 日本書紀)

 

🍊またある説。永享年間(1429年~1440年)糸我町の神田池のふちに、橘が一本自然に生えており、年々実を結び蜜のような味であったことから「蜜柑」と名付けられた。その後、各地方へも広まった。

(糸我社由緒)

 

🍊天正二年(1574年)今回のお話に登場した、糸我の地頭「伊藤孫右衛門」が命を受けて、はるばる肥後八代より「高田蜜柑(小みかん)苗木二本」を持ち帰った。その後、各地方へ広まった。

(紀州蜜柑伝来記)

 

🍊 「小ミカン」とは日本に最初に伝わった品種。肥後国八代に中国浙江省から小ミカンが伝り「高田みかん」として栽培された。のちに有田に移植され大発展したことから「紀州蜜柑」の名で全国に広まったという。

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たわわに実った早生みかん種

🍊江戸で小ミカンが高騰していた。その話を聞いた「紀伊國屋文左衛門」が、紀州から船で蜜柑を運搬し巨大な利益を得たとされる「文左衛門伝説」でも有名ですね。和歌山の湯浅に「紀伊國屋文左衛門生誕の碑」がある。

 

🍊温州みかんが忌み嫌われたのは「種がないから」とか。子孫が絶えるコトを嫌った「縁起かつぎ」のため。時代は移りいまや栽培種のほとんどが、いまある甘くて美味しい「温州みかん種」となっています。 

 

🍊有田の地はその昔「安諦(あで)」と呼ばれていた。ところが平城天皇の名である「安殿」に似ているので「ありだ(在田)」に変えられたそうです。さらに安諦も含めて有田という地名由来に「荒れた川」からきたという説もあり。

 

🍊江戸時代、和歌山城にあった有名な「三宝柑」。その味をいたく藩主が気に入り、「藩外移出禁止令」が出たほどだった。名前の由来は「三方」に載せて、紀州の殿様に献上されていたことから名付く。

 

そして蜜柑はとても甘く、高価なフルーツに進化した✨

 

🍊昭和時代なら当たり前だった「コタツみかん」籠にオレンジ色の蜜柑が盛ってある風景。コタツにこもりムシャムシャ食べるのが、冬の幸せパターンだったねぇ~♪

 

🍊もちろんいまは「薄皮、種無しの温州みかん」です。いまや伝説の小ミカンはお正月の鏡餅の上に、チョンと乗っている位しか見かけなくなった。

 

🍊新堂地区で生産されたもの⇒「新堂みかん」湯浅町田地区で生産されたもの⇒「田村みかん」と呼ぶ。“有田ミカンのトップブランド”としていずれも高名である。お値段もそれなりに。

 

🍊ブランド蜜柑は、有名百貨店や高級フルーツ専門店に並び、とても高価で販売されている。味は「芳香と濃厚な甘さ」があり、近年、諸外国からも大注目されています。

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幸せのコタツみかん

(※3 長めの引用注釈。“日本人に一番身近で親しみのあるのが蜜柑の愛称で通用している「温州みかん」である。そしてその本場とされているのが、和歌山県の有田であり「有田みかん」である。みかんが市場価値をもってから450年余りが経過し、有田地方の農業といえば「みかん栽培」が大宗を占め、天下に冠たる特産品となっている。長い歴史の間では品種改良等があったとはいえ今も変わらぬ消費需要があることは、日本の産業史でも特異な存在であろう。日本書紀には、11代垂仁天皇の御代に、新羅国から帰化した子孫、但馬の国出石の住人「田道間守」は病気静養中の天皇の勅命で、遥か南方の常世国(中国大陸南岸)に旅立った!彼国に「非時香菓、トキジクノカグノコノミ」という果物が年中実っており、それを食べると延命長寿の効果があるらしく、その果物を採りに行くこととなった。そして苦節10年。田道間守は南方の海上常世国を探し求め、ついに香菓「橘」を得て帰国する。都に着いた時は、10年を経過していたので帝は既に崩御していた。田道間守は帝の存命中に使命を果たせなかったことを残念に思い、御陵に「橘入手の報告」した。「香菓」を手に入れた常世の国の気候風土に似ている土地を探し求め、熊野街道沿いの下津町橘本(旧海草郡加茂村)に橘を植えた、と云う。田道間守は死後ここに祀られ「橘本神社、御神体」となった。この田道間守の植えた「橘」が紀州蜜柑のルーツ。田道間守は”蜜柑の始祖”として10月10日を「みかん祭り」として、蜜柑の関係者が集まりお祭りする。これは昔は「果物」を「菓子」といい、全国の製菓業者がお詣りするようになり、神社では毎年4月3日に「菓子集り」を開催する”和大のセンセの話)

今年冬には「コタツみかん」やりたいな♬.*゚これにて『有田蜜柑 誕生秘話』一巻の終わり。

 

わぁ(っ'ヮ') (( 🍊

 

[おまけコーナー] ちょっとイイ感じの話です

 

▽文豪 芥川龍之介の傑作短編に『蜜柑』と云う、とても爽やかな作品があります。わたしの大好きな作品なのです。ラストで蜜柑がとても鮮やかな色彩を放って登場します。

朗読/窪田等氏、渋いええ声。

窪田等 朗読『蜜柑』作:芥川龍之介 - YouTube

作者:芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、明治二十五年~昭和二年七月二十四日没)

○本名も同じ、大正を代表する大作家。精神疾患から睡眠薬自殺した。その動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」の言葉はあまりにも有名。辞世の句「水洟や 鼻の先だけ 暮れ残る」でした。

○代表作品『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』『河童』など。文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した「芥川賞」を設けた。これが新人小説家の登竜門となる。

▽美味しい「有田みかん早和果樹園、味まろしぼり」濃厚な絞りたてのジュースです。お土産にピッタリだと思います!美味~い!

⇒Link/ホットな“みかん産地”のリンクです

早和果樹園⇒ 和歌山有田みかん、味一しぼりの早和果樹園

JAありだ⇒ http://www.ja-arida.or.jp/index.php

参考文献/ウキペディア、JAありだ 、早和果樹園 、和歌山県観光振興課

(6,200文字、Thank you for reading.bon voyage.) 今週のお題「人生最大のピンチ」