minminzemi+81's blog

あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

厨坊とちゅんぼ大人に捧ぐ。迷作童話 『栗鼠と栗』第一話【文藝大作】

 

じつはこの間のことです。恒例「秋の俳句 🍂」をこしらえてみた…『なすび好き きゅうりも好き くりと栗鼠』By 少額生←このあまりな残状出来栄え♡に気をよくした。次は童話チャレンジしたでござるよ。やればできる子、ダヨネ~♪

 

童話 「栗鼠と栗」

 

f:id:minminzemi81:20211119111450j:plain

(注、「ぐりとぐら」パロと思ったら大間違いデス)

 

秋の深まりとともに野山も程よく色好きはじめましたよぉ~♪

栗の木、梨の木、柿の木、山ぶどう達が、沢山の実をタワワにつけています。まずはアケビ、ぱっくりンコ!落ちた栗の実も、イガイガ外皮がぱっくりンコ!とワレました。なかからは元気な栗の子が「艶々な姿」をあらわします!

第一声が…

🌰「じゃじゃん、誕生!ブランニューでいっ!」

第二声は…

🌰「ボキはピカピカ✨栗の子だお、いぇい~!」

 

f:id:minminzemi81:20211119111731j:plain

 

さきほどから木の下で、ジ~と眺めていた栗鼠の子がはやし立てます。

🐿「なんだぁオマ~は。イガイガ皮カブリ野郎め!」

🌰「え~?ボキのことなの。皮カブリってどーゆー意味?」

🐿「や~い、や~い。悔しかったら、そのイガイガから出てきな!」

🌰「な、なにお~。あんま悔しくはないんだけれども…みてろっ!」

まるで坊ちゃんのよーな展開ですな。

栗の子供は、栗鼠めがけてジャンプしました。

バコッ!💥栗の硬い身体が栗鼠のアタマにヒット!よろける栗鼠。

🐿「いてぇ~💢やったなぁ!」

 

f:id:minminzemi81:20211119115113j:plain

 

怒ったリスがクリの子に飛びつき、激しくモミ揉みしながら、

森の坂道をゴロゴロ転がり落ちます!

 

リス、クリ、リス、クリ、ゴロゴロとう。

リス、クリ、リスゥとクリィ♪

 

‹‹(´ω` )/››わぁ~い‹‹(  ´)/››

うへぇ‹‹( ´ω`)/››わぁ~い♪

 

クリ、リス、クリ、リス、ゴロゴロとう。

やがて…『クリ🌰と❤リス🐿』仲良くがった~い♪

 

f:id:minminzemi81:20211119115507p:plain

またかよォ…おしまい。

だいたい二十歳前後は生🌰やで、イガイガだけに気をつければ良い。しか~し、アラサーともなれば、それは火中の🔥🌰手練でないと大火傷しますでな。

 

(800文字、thank you for reading.Enjoy autumn!)

佐久間信盛のお墓発見!からの~織田信長の手紙、など考察してみた【武将列伝】

 
織田家筆頭家老「佐久間信盛」が追放された場所は、たしか高野山のはず。まさか、こんな場所に墓があるとは、何故なのか?

偶然、織田武将「佐久間信盛墓所」をみつけた!

奈良十津川に遊びに来てR168を走っていますと、偶然にも「佐久間信盛の墓」との看板があった!好奇心が湧くわく。

 

おっ…なんか小さな看板がある…「これは織田家武将の、あのヒトのことかな?」急ぐ旅ではなかったので、少し寄り道をしました。

我ながら物好きだニャン♪「アンタも好きね…チョッチだけよ。」

しか~し、この武蔵集落への登り口を見落して、一度十津川温泉までスル~スル~と通り過ぎてしまった!「ありゃりゃ、こりゃたいへんだぁ」と即、Uターン。それくらい山のまた山奥だった。笑

▽佐久間盛信 墓所/車(小型)でないと到達出来ません。R168より脇道(旧道)を東に入ってゆく。さらに武蔵集落への細い坂道を登ります。住所は、奈良県吉野郡十津川村武蔵435 

f:id:minminzemi81:20190716152734p:plain

佐久間信盛の墓

(※十津川村のみどころは…やはり、大自然。星空や雲海が写真バエる!メジャースポットには「谷瀬の吊橋」「十津川温泉」「玉置神代杉」「果無集落」など)

 

佐久間信盛ファンキーエピソード

 

○その一。

陸攻めの時。朝倉義景軍への追撃戦を怠たり、大将義景を取り逃した。それで信長から叱責されていた。すると盛信「…そうは申されましても我々のような優秀な家臣団はなかなか居ませんぜ!」としたり顔で口答えし、信長をさらに「激オコ💢プンプン丸」にさせてしまう。

○その二。

三方ヶ原の戦い※1、徳川方の援軍として出向いた時。佐久間軍は精強武田軍団を目の当たりにして、たちまち恐怖し真っ先に浜名湖付近までトンズラしたとか。もちろん徳川方は総崩れ。これで織田信長は面目丸潰れとなる。さすが異名通り「退き佐久間」真骨頂ココにありですね。

○その三。

石山本願寺攻略の総大将を任された信盛は、力攻めも謀略戦も仕掛けず、丸々五年間をたいした成果もなく過ごした。勿論、戦国最強の雑賀衆が「強烈な鉄砲」で寄せ手側を完全排除したからですが、その恐怖心たるやハンパなかった模様です。お気の毒ではありますね。

 

(※1 余談ですが…三方ヶ原の戦い。当初、徳川家康は武田軍団襲来の報を受け、籠城策をとろうとした。この時、徳川兵8000に加え、織田援軍(総大将が佐久間盛信)3000を合わせ、浜松城にこもればまず負けはない!ところが武田軍主力27000は、浜松城を素通りし西方へと向かいます。プライドを傷付けられた家康は「背後から攻撃すれば、我らに勝機あり!」と主張し、何と「武田軍追撃戦」に作戦変更する。三万近くもの敵軍に対し、寄合連合軍は半数以下。しかも相手は最恐の武田騎馬軍団🐎💨…この愚策は徳川家臣や佐久間盛信らからも猛反対されたが、家康は押し切って出陣する!ドド~ン陣太鼓鳴り響く。徳川織田連合軍は「祝田の下り坂を武田軍の背後から急襲」する手筈だった…ところが武田軍は三方ヶ原の台地の奥で反転「武田 魚鱗の陣」を布き手ぐすね引き待っていた。慌てた連合軍は横陣に近い「鶴翼の陣」を展開。微高地にあり数でも勝る武田軍の攻撃は「きこと風の如く!侵掠すること火の如し!」連合軍は闘かう前から負けていた。この三方ヶ原の戦いは夕刻に始まり、日没までのわずか二時間ほどであっさりと決着がつく。もちろん、武田軍の圧勝だった。必死のパッチ敗走する家康が、恐怖のあまり💩ブリブリちびったのは有名な話(笑!)。記念に絵に描かせたほど(爆!)。さて、敗因のひとつとして「佐久間盛信らが逃げ出した」からと云われるが、これはとんだとばっちり。そもそも「勝ち目のない野戦」を仕掛けた家康が愚か者なのだ。後詰援軍の織田方はそんな負け戦に付き合う義理なく、戦線離脱は軍法にかなっていると想われますね。それにしても註釈、ながっ!)

 

織田家筆頭家老「佐久間信盛」が追放された理由…讒言?

 

そして、その後の展開は… 

やがて信盛には、信長より「十九か条の折檻状※」を突きつけられた。信盛はこの手紙を読んで「もはやワシもこれまでなのか…」と絶望感を抱いたようです。程なくして嫡子の信栄(のぶひで)とともに頭を丸め、高野山へ入りました。

ところがその高野からも信長に追われ、さらに家臣達にも見捨てられ、熊野の山奥で亡くなったときには、息子の信栄と小者一人しかいなかったそうです。天正十年一月二十四日、熊野山中に哀れ信盛没す!

f:id:minminzemi81:20211115210404j:plain

墓所西側には気持ちのイイ風景が拡がる

(※ ついでに林秀貞安藤守就、丹羽氏勝らも家中追放された。織田リストラ断行!なお『佐久間軍記』には、この追放劇について「誰か(光秀?)の讒言でもあった云々」といったことが書かれています。すると信盛はハメられたのか?信盛追放後、空席となった筆頭家老の座にスルスルと這い上がったのが明智光秀。さらに近畿エリアの武将をうまうま実質配下(与力)とした。これらを考え併せば、さもありなん。その数年後には「本能寺の変」をやらかすのだから、この謀略のヒトはさぁ…註釈またも、ながっ)

 

もしも「織田信長株式会社」があったなら…パワハラ確実!

 

え~本社は東大阪あたりにある、トンデモなブラック企業と名高い総合商社でした。ある日、佐久間常務のパソコンに、信長社長から業務メールがピロロ~ン♪と届きました!

(※以下、チョー適当な、大阪弁に翻訳してみました。笑)

 

<信長社長からの着信 Mail>

用件 :「佐久間信盛にメッサ言うとくで!」

 

To サクやんへ

 

ジブンなぁ、全然あかんヤツやん。七つもの国の支店長かき集めて、もうかれこれ五年なるのかなぁ…ほんで結局のところ、アンタじぇんじぇ~ん仕事出来ひんかったよなぁ。

ぶちょーのヒッデーやミッツーら見てみな、よおけ手柄あるやん。アンタここらへん手柄、じぇんじぇ~ん無いやんかいさ。しやろ?笑

そらな、でけへんのはしゃーないわ、そやけども、やで。出来ひんなら出来ひんなりに、ワイに相談したら、エエんとちゃうかぁ?マジで。そやのにアンタ何もやらんとからに、ダラダラしてたヤン、あっかんやっちゃ。

パートさんばっかこき使うて、自分の部下とかぜんぜん増えとらんちゃう?そらあかんでぇ。あっ、そや。ほんでな水野君のチームやけどな、ジブンに付けたったやん。そやのに、あいつらじぇ~んぶクビでっか?アイツらめっちゃツオかったんやで。ワリと見込み有馬温泉やったのに。

ミッツーやヒッデーら見てみいなぁ。ワイは表彰状何枚書いたと思てんねんな。もう右手、腱鞘炎やでぇホンマ。

で、ジブンどないですか?はやくも隠居でっか?隠居ハン?そらま~そんなコトも考える歳かもしれんけどもな。跡取り馬鹿息子、信栄かな、アレなメッサ評判悪いんやで。

ジブン、あんなんに跡継がすんでっか?ワイの部長とか支店長にまで横柄な態度とってんの、ホンマあのアホタレ笑かしょんでぇ。

そうそう、アンタよりもっと年寄のゴン六ちゃんなんか、北陸支店長スゲー頑張ってますやんかいさ。ゴンちゃんなんか跡取りの話なんかせぇへんて。いまゴンちゃんえらい頑張って…いや、たまには負けることあるわな。そら、しゃ~ないわ。いくさは勝ち負けちゃうしな。しゃろ?笑

まぁ結局のところ。ヤル気やんけ、ヤル気ィ。「ヤル気ィ、元気ィ、猪木ィ~!ボンバイエー」やな。

しょーみのハナシ、このままやったらジブンほんまアッカンで、マジ卍で。なぁサクやん。たまには死ぬ気でワンチャン大手柄たててみ、それか…サクッと切腹でもちてみる?身の振り方ようよう考え天下。ワイ、じぇ~たいゆるしまへんえっ!ほなな、あでぃおす!!

 

第六天魔王 織田信長 (天下布武 印) ババ~ン!

 

f:id:minminzemi81:20211115205910j:plain

紀伊半島の山の中腹に、佐久間盛信は眠っています。

(※天正三年。水野信元は武田方に内通した疑いで、信長からの命を受けた家康により、殺害される。これは佐久間信盛の讒言があったからという。後、水野領は佐久間信盛のものとなり、水野家の家臣は所領を奪われた。)

 

佐久間/信盛(のぶもり)/出羽介/右衛門尉

織田信長による「折檻状の一件」で、織田氏を離れるまでの三十年間。尾張国の出身で、若い頃から織田家に仕え軍事と外交面で活躍。信長に従い各地を転戦、織田家の主だった合戦に参戦している。殿軍戦(撤退戦)を得意としたことから「退き佐久間」と呼ばれ、案外戦巧者でもありました。織田家臣団の“筆頭家老”として重臣柴田勝家と並び、家中をまとめあげ重宝された。天正十年一月二十四日、熊野山中にて急死す。さしもの信長も、追放した信盛がすぐに亡くなったと知ると、さすがに「息子の信栄」のことは赦免しています。そして唯一の救いは、ずっと信盛に離れずにいた小者は、その変わらぬ忠義を賞されて士分に取り立てられたそうです。

 

(3600文字、Thank you for reading.bon voyage.)#戦国武将

山行前、読んで欲しいのココロ「神戸高校生 大峯山遭難 案件」【山の怖い話】

 

f:id:minminzemi81:20211014011518j:plain

大峯山系は、わけいっても、わけいっても…山。
奈良県にある霊峰 大峯山は『女人禁制の修験道の聖地』として世界遺産登録され、世界的に有名な山となった。沢山の登山客で賑わいます。わたしも大好き(天気さえ良ければ)ヤマです!

 

1975年(昭和五十年)夏。神戸の高校生四人パーティが、奈良大峯水系で「二泊三日(テン泊装備)の澤登り※1」を計画していた。リーダーは山登りが大好きで、六甲山などでの澤登り経験もあった。とかく若さとヤル気に溢れていた!

ルート(推定)「奈良県吉野郡天川村、神童子谷(じんどうじたに、大川口入渓)渓流を遡上し、接続する犬取谷(いぬとりたに、分岐点)へ進み、源流域ドンつきまで詰め上がる!途中サワ適地テント二泊、交友を深め、宴会してぇ・・(以下略)」笑。

▽神童子谷名物「釜滝※2」。大峰ブルーと呼ばれる水質がとても素晴らす~い♪高校生グループも、この場所を越えていきました。

f:id:minminzemi81:20211118140630j:plain

しかし他の三人は、まったくの山初心者、これは何だか・・実にマズいね。だが「途中避難小屋もあるから、何とかなるやん」と、青春満タンで大峯山へとむかいました・・We can work it out!

▽動画リンク/大峯水系、神童子谷とはこんなところ。天気よければ、実に愉しく遊べる場所。「澤遊びの王道」と言っても過言ではない?!

youtu.be

○神童子谷見所あり、へっついさん、赤鍋滝、釜滝、ゴルジェ澤風景、山鹿に三本脚ガマ🐸?

(※1 澤歩きは日本古来の登山スタイル。そのルーツは多分、大峯修験道にある。道なき路を突き進み、清水と戯れ滝に打たれ釜を泳ぐ。澤泊で焚き火すれば、もう気分最高!)

(※2 左に安全?な巻道があり釜越えすぐ右岸に泊地がある。左にイヌトリ谷、右へノウナシ谷の分岐点となる。釜滝で折り返しが一般的。これより上流は大峰ラビリ~ンス?!)

 

遭難の始まりは、地図の読み違い

大峯山で遭難したとみられる高校生四人の捜索は、本日で打ち切られます」と、非情にもラジオから流れる。行方不明からはや10日が過ぎ、彼らの生存がほぼ絶望視されていた…。

 

さて、彼らが道迷い遭難した場所は、大峯奥駆道の「小笹ノ宿」の西南側オザサ谷付近だった。この時、リーダーが頼りにしていた登山地図があり、その登道の表記『赤い破線道』を一般登道と錯覚していたらしいのです。何でもないようなコトだけど、このあと重大な失敗を重ねた。

f:id:minminzemi81:20211014012143j:plain

地図を読み間違い、メインルートを見失う

(※赤破線は“難路や廃道”を示し、危険度、踏破難易度も格段に高くなる。また所要時間も大幅にマシマシとなり、その結果ろくな目にあわないものデス)

 

その地図だけを頼りに、本流筋からトラバース(難路)道へ外れていきます。やらしい支流は、お山のベテラン以外逝ってはいけない掟、んん?

まぁ、大峯の行者でも、やらない場所でしょうね。このあと、遭難要素のフルハウスを喰らうことになります。それほど「ヤバいエリア」・・Let’s face it !

高校生パーティはとにかく自信過剰気味だった。自分たちがよもや道迷いをしているとは、決して思わなかった。やがて、登山地図や山岳ガイド本でも見た覚えのない大滝が、ドド~ン!とあらわれ彼らの進路を塞いだ。もう戻れない、でも進めない、彼らを惑わす大峯ラビリンス。

ようやく「これは・・・道迷いだ!」と自覚する。しかし「ここは、いったい、何処だ?!」愕然…。

f:id:minminzemi81:20211014013621j:plain

高巻きで活路はひらけるのか?(イメージ)

(※これは「正常性バイアス」と思われ。自分に都合悪い情報をあえて無視したり、また過小評価してしまう心理特性のこと。「自分だけは大丈夫!」とか、「今日は何かイケる!」など根拠ない自己評価が、状況をさらに悪化させてしまう。山屋なら誰しも経験あるハズ)

 

大滝の中洲でビバークするが…

 

30m以上高低差がある「ナナシ大滝(不詳)orクソ滝(35m二段)」を真近に眺めていた。これを高巻き※1し脱出を試みるが、山あいの落日はとても早い。陽は陰り、うす暗くなりかけていた。こりゃマジで、ヤバい。それで急遽、崖の上の中洲で四人がお互いをロープで繋ぎ、ビバーク※2したのだが、悪いことに澤泊一日目で大宴会をやらかし、食料の大半を消費、早くも底をつきかけていたのです。川の水を飯盒に大量に入れて、米の味がしないおかゆと極薄スープを胃袋へ流しこむことになる。昨日のバカ騒ぎがホント悔やまれる。

入渓二日目からは一気に天候が崩れ、やがて激しい雷雨となった。これでさらに活動困難となる。それでもリーダーは中洲ビバーク地点はそのままに、巌壁登攀を繰り返しながらルート探しに無我夢中。気づけば彼の腕や足は、傷だらけになっていたのです。

f:id:minminzemi81:20211014033518j:plain

雷鳴とどろき…落雷、地面がグラグラ揺れた

(※1 高巻きは障害物などを迂回してクリアーすること。大滝や絶壁などが進行方向にあり直登困難なら、上下左右にアプローチ路を探ります。それでも無理筋ならば即撤退デス!無理は禁物)

(※2 ビバーク判断は早めに。その時は「ツエルト、簡易テント」を使います。ナイロンやポリ防水素材で、雨露バッチリしのげますが反面寒さには弱く、中でコンロ炊けば結露でベチョる、居住性はもう最悪。山屋装備の中で「使いたくないナンバーワンギア」)

 

入渓四日目。パーティは、またもや危機的状況に陥った!唯一山の経験者で、皆が頼りにしていたリーダーの意識が朦朧となり、高熱を出してしまった。これにて万事休すとなるのか?

状況『雷雨がずっと続いていました。テントのポールは金属なので、とても怖い。ド~ォ~ン!と雷が落ちると地面がグラグラ揺れる。私たちはテントから這い出し、雷雨の中で身を寄せ合って、声を掛け合いました』

恐怖感がジワります。閃光に続き山地へ落雷し爆音が轟く!恐怖に耐えられずツェルトを這い出し、小さな岩穴で四人が肩寄せ合って、ブルブル震えながらピンチをしのいだそうです。

 

最後の晩餐が、汁だけの粥?!

 

入渓五日目。食料が完全に底をついた。これで最後の食事となる。昨日より高熱出しガタガタ震えていたリーダー。その彼に渡されたおかゆが、他のメンバーのよりも量が多かった。普段は口数少ないメンバーが言った。『お前は、リーダーや。大変な苦労をかけて道を作ってくれた。手足見てみろや、傷だらけや。食べろ!元気出してもらわんと・・』いい仲間だ、泣かせる台詞だね。

『素直に流し込みました。いまでもその言葉、その光景は、鮮明に覚えています。しかも翌日には不思議と熱も引いていました。もしあの時、みんなの気遣いがなかったら、もしかしたら死んでいたかもしれない・・』

涙、涙の物語が続く。ビバーク場所目印に「黄色のポンチョ」を滝口からロープでつるす。この行為こそがその後の命運を決めることになった。

 

連日聴き続けたラジオからは…

 

「これ俺たちのことやね?」ラジオから聞こえてきたのは、まさに自分たちのことだった。「生存は難しいだろう」そんな内容が流れてきた。ときおりヘリの音も聞こえた。ヘリ音聞こえると、空にむかって必死でタオルを振りまわすのだが、気付かずどこかへ消えてゆく・・あぁ無情。

▽ガンバ!冒険四人組に捧ぐ曲(年代的にさ)『STAND BY ME.』


www.youtube.com

入渓十日目。ラジオからは「捜索打ち切り」の知らせが流れる。極度の空腹にくわえて、寒さにも悩まされる。やがて幻覚や幻聴も聴こえだし、もう全員が平常心を保てなくなっていた。

パーティ全員が限界(※低体温症の疑い)だった。

「子供の声が聞こえる」

「橋を見つけたよっ!」

「水道の蛇口があるよ」

「お経が聞こえてくる」

別に示し合わせた訳でもなく、それぞれが生徒手帳に「遺書」を書き始めた。そんな時、またもおかしな幻聴が聴こえてきた。黙々と遺書を書いていた手が止まり、四人は顔を見合わせる!

「あの滝にひっかかっているモノ、何ですかねぇー?」との声…

f:id:minminzemi81:20211017063232j:plain

遭難した小笹谷左俣(ひだりまた)、大滝付近。

滝からロープで垂らしていた“黄色のポンチョ”を、戻りかけていた救助隊員が発見した、その声だった。やはり幻聴ではなかった。ゆっくり巻きながら近ずいてくる足音。「幸運の黄色いポンチョ」が、高校生パーティを助けたのでした。諦めずによかったね、ホントよく頑張ったっ!ところが、大団円ならず。

更なる急展開が待ち受けていた。

 

救助後、後日談。本当に怖いのは…ここからだ

 

救助後には、即日記者会見(すぐ入院させろよ!まず静脈点滴を!)が始まる。会場ではマスゴミから、容赦のないバッシングを受けた。続いて警察の取り調べ、学校関係者の事情聴取が延々と続いた。これ順番すらおかしいだろ!

さらには捜索費用として約400万円(当時の四百万は、高級外車が買えるほどの額)が請求され、また通っていた高校からは、無期限停学処分が下された。

この遭難事故をきっかけに、通っていた高校での全クラ活が自粛処分ともなった(これ、まったくカンケーない💢飛んだとばっちり)。

実質放校なのか?扱いがホント酷い!腹がたってくる。奇跡の生還果たした高校生(17歳の未成年者)に「悪意むき出しの仕打ち」をするとは、この大人達は常軌を逸してないかぁー💢

 

知られざるアナザーストーリー

 

大切なのは…高校生リーダーが、当時を振り返りながら『本当に申し訳なくて、つらかった。澤登り経験もあり、自分に慢心がありました』と話す。『澤靴じゃなく、スニーカーと綿の半袖Tシャツ。ザックもいまみたいにスリムなモノでなく、腰サポートも付いていない綿のキスリング※1という横長のモノ。ノーヘルにハーネスもカラビナもスリングもなく(30mの)ロープ一本※2だけで』なんかモノ凄い!そんな軽装備でよくぞ。この淳○郎先生はいまも現役、山屋を続けています!よかったぁ、諦めなかったんだな。

▽リンク/ヤマレコ『幻の青春遭難大滝を見つけました』ついにあの大滝に感動の再会?淳○郎先生。

幻の青春遭難大滝を見つけました。in 小笹谷左俣〜本流 - 2017年08月17日 [登山・山行記録] - ヤマレコ

事故当日には『旅館に設けられた会見場。リーダーの私だけが各社のマスコミ取材が個別に始まります。ほぼ10日間水しか口にしていないのに、コレは拷問でした』この取材後には、ついに気を喪い倒れてしまう・・・哀れ。

▽リンク/YAMA HACK『大峰山遭難事故』遭難後のアナザーストーリーです。淳○郎先生、乙。

【大峰山遭難事故】 死にたい。救出されたのに・・2016年9月救助隊長と再会へ|YAMA HACK

f:id:minminzemi81:20211014141413j:plain

稜線から澤筋へ降れば、方向喪い迷うことに

(※1 昭和時代。カニ族達に愛用されたキスリング型ディパックがあった。防水加工された綿帆布や皮革ベルトに、ピッケルやらカラビナぶらさげて、山屋のオラオラ感を醸していた。いまみてもカッコ良き。実用性・・‪うへ😆)

(※2 装備がロープのみということは、登攀昇り降りを「肩掛け法」でこなしたと思われる。初心者にとうていムリ筋(危険)なスキルですが、それをやったのだろうか?スゴすぎる)

 

大峯登山後、遭難時の救助隊長さんに偶然出逢い、車で送ってもらった逸話です。

命の恩人は別れ際にポツリと言った。「ひとつだけ言っておきますね。澤に行くなら、時間を考えて登りなさい」 「はいっ!」 私は、直立不動の姿勢で返事をしました。神橋さんの目が許してくれていました。そしてUターンして洞川の村まで帰る車のテールランプが消えるまで見送りました。 〜おわり〜

 

教訓『澤に行くなら時間を考えて登りなさい』

 

(4800文字、Thank you for reading.Go to mountain climbing!) (参考出典/YAMA HACK、jyunntarouさん)

#10月3日は登山の日!#沢登り#大峰山

子供の頃、経験した事象と見事シンクロした『女並通り』(従姉妹シリーズ)【文藝作品⑫】

 

昔むかしのおもひで話を

 

子供時代の記憶というものは曖昧となり、何かに記録しておかないとダメだね。ヘタすっと「はいっ、ナッシ~ング!」上書き消去されかねない。ワタシはわりと長期の記憶力は、いい方なんだけど。いや、過去のメモリーすべき風景が、多過ぎるのだった。ネタ繰りするのも大変だ。

f:id:minminzemi81:20210614134041j:plain

白状するが実際のところ、私語りはあんま得意ぢゃない。ましてそれを小文にチャチャと纏めるなんてね、それじゃまるで小学SAYだよ、夏休みの作文みたくなって後々なり読み返し、けっこう自己嫌悪に陥る。

そうそう作文!夏休みの宿題なんか、八月末、残り三日でラッシュ!深夜まで工作したり、急に七月の天気調べだしたりね…宿題に絵日記があった。それをまとめて片付けようと気づけば、深夜四時なんて経験あった。笑…が、もちろん間に合わず、頭抱えたものだ。我ながらヒドイね!

さてさて、あれは八月の終わり頃のこと…うん。夏休み中の出来事だったな。

 

夏休み、海釣りでの思ひ出

 

ワタシは、オヤヂのいない母子家庭育ちだった。なので、夏休みは自由なのだが自分のスケジュールは、自身で組み立てねばならなかった。要するにひと夏中「放ったらかし状態」だった訳で…放任主義かよっ?!笑

それで夏休みには宿題もせず、河川で釣りばっかしていた。釣れるのは、フナやハゼかギンタとか、たまに見たこともない謎の魚?汽水域なので海魚も混じった。この時すでに、ジジィ釣師ような釣キチぶり。日没まで頑張るべ。

f:id:minminzemi81:20210614134239j:plain

そして友達と自転車こぎ漕ぎ、海へも行った!さらに遠征釣行にもいった。凄い行動力だね!

釣り道具一式を抱えて、緑の南海電車に乗り泉州まで。そこに母方の実家があったからだ。旧街道筋に百年位は軽く歴史あろうかという、古い商家の造りだった。すでに可愛がってくれた祖父母は亡くなり、当主は代替わりしていたが。ぅんーそれで母ちゃんは、足が遠のいていたのかな。まぁ、とりあえず軽く挨拶して。

「こんにち~はぁ~釣りに来ましたっ!」

その家から海岸まで、人気ない裏小路を徒歩三分。歩くほどに磯の香りがど~んと強くなる。低い堤防をヒョイと越えると、随分古臭い石組造りの波止(明治か大正時代のものか?)にでる、その先端よりブッコミ釣りすると、ちっこいカレイやガッチョなどが、よく釣れた。子供的にも気軽な穴場だったんだよ。

f:id:minminzemi81:20211123090533j:plain

これがガッチョ、ヌメリゴチとも。煮付が美味!

(※ブッコミ釣りとは、お手軽な投げ釣り。幹糸に重りを通してスイベルで止めて、その先には釣針とエサがある、シンプルな構成。それをチョイと投げる感じ。飛距離はあまり必要ない)

波止場を独り占め。夏の日没までじっくりと釣り続けた。太陽がジリジリ照りつけ、潮風がとても心地よかった。単発的なアタリが続いた。

その釣りの合間、その石波止の横っちょ辺りに、テトラの隙間からドブ川が流れ込んでいたのをみつけた。昭和時代には排水路がゴミ箱代わりだったのか、色々ゴミが河川に流れ込んでいた。

それらは、ずいぶん赤みが残るスイカの皮とか、茶色の健康サンダル片方とか、割れた白い陶器とか、ピンクのイチジク浣腸とか、生ゴミ魚の骨、残飯など…色々。いま思えば投棄物がゴチャったカオス状態、ほんとヒドい光景だった。ゴミ観察をひとまずおえて、釣座へ戻る。そして、日が翳り夕まずめとなった。

f:id:minminzemi81:20210614131918j:plain

沖往く船もなく、堤防にパチャパチャと打ち付ける波の音だけが聞こえている。そんな時だった。ふと、ひとの声が聴こえたのは…微かに聞こえる、どっかのバアさんの話し声だった。どこか懐かしい、でも知らない話し声だ。会話内容までは判からない。

「え、ぇ…?だっ、誰…?!」

キョロキョロ周囲を歩き見回したが誰もいない。続けてまた、ヒソヒソ話と瀬戸物類がカチャカチャと鳴る音も聴こえてきた。これにはドキドキした。

「う~ん。どっかで、洗い物してるのかなぁ…?」

今度はあたりをよく探したが、もちろん周囲にはひとっこ独りいない…ここは海にポンと突き出た波止なのだから。やはり自分以外、誰もいなかった。不思議だ。

「なんか変な感じなんだケドな…」

でも、ナニが変なのか小学生の自分には、よく判からなかった。まず海の沖方から、人の声なんか聴こえるハズはない。いまにして思えば日没間際だった。それなら、その時分には浜風が吹いていたはず。沖合から浜辺へと吹きつける風。だからヒソヒソ声が聴こえるハズないやろ・・

まぁ、そ~んな“不思議体験”をしたのだった。

〰〰〰〰〰summer 𓊝𓄹𓄺 

▽思ひ出の夏は遠く…『Summer』By久石譲

youtu.be

そして、最近のはなし。SNS上にこんな話があることをみつけた。そしてずいぶん驚愕した!それが『女並通り(めなみどうり)』(従姉妹シリーズ)というお話なのです。実に興味深かった。

短いはなしなので以下、要約せずに転記します。

 

『女並通り』

 

『昔から旧いものには魂が宿るという。長い年月を経て魂を得たものは、九十九神とも付喪神※1とも呼ばれ、神のような妖怪のような信仰と、僅かな恐怖の対象にされてきた。澁澤龍彥※2はそれを日本人の、古いものに対する愛着と畏れの表れだと記している。

だが、本当にそれだけなのだろうか。中には、年輪のように記憶を積み重ね、語るようになったものもあると、俺はそう思う。小学生の頃、俺は俗にいう鍵っ子で、中学年になってからは学童保育に通っていた。迎えには近所に住んでいた五歳上の従姉妹が来てくれていたのだが、これが少し変わった人で、一緒に行動するうちに幾つかおかしな体験をすることになる。

歩くだけで汗ばむ暑さも、日が落ちるに従ってだいぶ落ち着き始めた。小学五年の夏休み前のことだったと思う。学童保育からの帰り道、従姉妹と商店街の裏通りを歩いていた。通い慣れたいつものコース。左手は商店街、右手は小川が流れるその小道は、女並通りと呼ばれていた。

f:id:minminzemi81:20210614140652j:plain

夕闇が近づくなか、時おりすれ違う買い物帰りの主婦をのぞいて、あたりには人気がなく、少し離れた商店街のざわめきが聞こえてくるほかは静かだった。石を蹴りながら歩いていると、小川のほうから瀬戸物が触れ合うような音がした。見回したが何も見当たらず、俺は空耳だろうと考えた。

少したつとまた、さっきの音が聞こえた。今度は人の話し声も混じっていた。立ち止まるといつの間にか商店街のざわめきが聞こえなくなっていることに気づいた。また、瀬戸物が鳴る音と話し声。一瞬笑い声まではっきりと聞こえた。見回しても俺と従姉妹のほかは誰もいない。

 

急にあたりの夕闇が濃くなったような気がした。奇妙な静けさが痛いほど耳に迫る。

 

従姉妹を呼び止め、先程聞いたものについて話した。「ねえ、変な音がしたよ。誰も居ないのに話し声がしたんだ」俺がそう言うと、従姉妹は少しの間、耳を澄ませてから言った。「この川、昔はもう少し大きかったの、知ってる?」また姿の無い笑い声が聞こえた。

「商店街が出来る前はね、民家がずうっと立ち並んでいて、川はここに住む人たちの生活を支えていたの」

沢山の瀬戸物が触れ合う音や、濡れた布を叩くような音もする。

「その頃は炊事や洗濯は、全て川に頼りっきりで。同時に主婦たちのお喋りの場にもなっていてね、だからこの通りは今でも女並通りなんて呼ばれているんだよ」従姉妹はそう言い終わると歩き出した。

f:id:minminzemi81:20210614144310j:plain

俺は離れないよう慌てて隣に並びながら聞いた。「これはその時の音?どうしていま、聞こえるの?」従姉妹は屈んで、俺の顔を覗き込んだ。

「今はもう誰も使わなくなったのだけど、川は忘れたくないのね。自分を昔頼っていた人たちのことや、その思い出なんかを」そう言って俺から視線を外し、川を振り返って眺めた。俺もつられて振り返った。

その時、川岸で食器を洗い、洗濯をしながら世間話に興じる人たちの姿を、確かに見たような気がした。俺は何だか懐かしいものに触れたような思いで、それに見惚れた。

従姉妹が俺の頭をぽんぽんと軽く叩いた。我に返るともう何も見えなかった。やがて、遠くから商店街のざわめきが、聞こえてきた。』

〰〰〰〰〰summer 𓊝𓄹𓄺 

そうかぁ…不思議体験は、自分だけではなかったのだな。ワタシはこの話に驚き、そして妙に安心したのだった。

(※1 付喪神は神様ではなくモノに宿る、いわば怪異の一種。草木や動物や道具でさえも、長い年月たてばモノに精霊が宿り何らかの意志を持つ、といった信仰。『器物百年を経て化して精霊を得てより人の心をたぶらかす。これをつくも神と号すといへり』陰陽雑記)

(※2 澁澤龍彥は、フランス文学者、小説家、評論家。エロチシズムに関する著作が多く、マルキ ド サドの「悪徳の栄え」で、裁判沙汰となり有罪判決を受けた)

▽不思議なストーリー、続けてこちらの話もどうぞ

minminzemi81.hatenablog.com

(3500文字、thank you for reading.to recall beautiful memories.)#思い出話

クレペリン検査に、なぜ落ちる?てか、こんな子供騙しで何がわかるのさ?と、私は言いたい【就活対策】

 

何だか信じられな~いハナシですぞ!

 

そ~なのである。わたしには信じられない事象なれど、人生を左右する企業の入社試験とかにですね、未だこんなモノを応募者にさせるらしいのよ、へぇ、マジですか?あ~た、たかが一桁の足し算ですよ。小学生の数ドリですよ。大卒馬鹿にすなぁ~い!まさにコレ、子供騙しじゃろて。ちがふ?

1+1=2「小学一年かよっ!」ピシッと。

f:id:minminzemi81:20210325030730j:plain

チコちゃん「ふふっ、ワタシに足し算で勝てるのかしら?」

まず筆記試験「一般常識問題」に続いて「クレペリン」検査なるものがあり、その後に「鬱陶しい人事部長」らと全面対決!と相成りまするなぁ…そして、総合判断します!とな、言いよる。ふふっ、燃えるぜっ🔥萌🔥うそウソ。笑

(※大卒とは、限らないよね。高卒も中途採用者もやるよね)

 

そもそもクレペリンとは、なんじゃらほい?

 

「無駄に痛い予防注射かよ!」と思っていたら、まったく違った。

「それは、ツベルクリンやろっ!」じゃ、昔のドイツの飛行船やったかいなぁ?

「それは、え~と、何?…ツェッペリン号?そのボケむず。てか、ショーもな」

クレペリンの、正式名称は「内田クレペリン精神検査」というのぢゃ。

おやおや『精神検査』とは、まったく穏やかでないですねぇ「人権問題」が早くも発生!クレペリンさんは、ひとの精神状態を検査するのですかな。ドイツ精神医学者 クレペリンの作業曲線を、日本の内田勇三郎※1大先生が、1920年頃より、こちょこちょと色々“アレンジ加え”ながら、いまあるテスト形式に発展させたのです。驚くなかれ、何と…

一世紀以上も過去の遺物だったのですっ!!

これには、唖然とした。モボとかモガとかシャラり闊歩していた大正浪漫なんですなぁ、竈門炭治郎も鬼滅隊入る前にやらされたのだろうか。ずいぶんカビ臭く、もう草ボ~ボ~大草原の小さな家※2。人事ぶちょん、そろそろやんぴにしませうよ。ホントくだらないと想ふ、今日この頃。

f:id:minminzemi81:20210225054505j:plain

「何と全問正解!?ヤな奴だわ、こいつ失格!」マジか…

(※1 内田 勇三郎 1894~1966年。心理学者「内田式クレペリン検査開発者」として有名なのだが、一般的にはあまり知られていない。この検査、どうやらパク…)

(※2 NHKで、1975年~1982年まで放映された人気ドラマ。主人公は明るく活発な次女ローラ。美少女しっかりもの長女、メアリー。美人で優しい母さん、キャロライン。牧農業やら製材所やら製粉所で働き過ぎチャールズ父さん…何だか懐かしいな)

 

それではいったいクレペリン検査で、何がわかるのか?

 

クレペリンは…『受検者自身の気持ちの気質特性など判断できるようになっており、描かれる作業曲線によって、情緒性や仕事にかかるときの態度、仕事の乗り、周りの環境への変化に対する適応力など、受検者の性格や行動ぶりや知能など判断しようというものです』(日本心理テストHPより)

これ、いったいアニ言ってんだか…理解不能

 

企業における情緒性とは?

 

例えばあれかな、仕事ヘマした新人OLにガミガミ叱り飛ばして、さらに仕事終わりにそのOLを、赤提灯に一杯誘うパターンだね。さぁて、頃はよし。結構酔わしたからその店も用済み。引き戸をガラララ…そこで夜空チョイと見上げ「月が綺麗ですょ、美那すわん♡」とか、言うつもりかねぇ?この、エロぶちょーさんはよ。(※一部実話ですが、フィクションです!)

 

新人の仕事する態度やら、ノリ?

 

ノリってあんた、それマジですか?新入社員が、両親指立て「ウェ~イ♪きょうも得意先、行っちゃうよぉ、ベィベェ!」にわか飛び出す若者、タタタと走りバタン!そこでパイセンが言う「うんうん!アイツはノリだけは、いいねぇ~♪届ける資料、忘れているけどさぁ」ノリだけは、いいヤツ!そう、まさに浅草海苔。(※これも実話かも。でもフィクションです!)

 

わお性格やら知能までバレちょんだで!

 

さらに恐ろしいことに「性格やら知能」まで判っちゃうらしいぞ、キャ!オカルトなのかしら。いやいや、チョット待って頂きたい。なぜ小一の数ドリ的足し算で、性格やら知能まで判るのだ?!よく当たる占い師的な、新宿の母的なやつ(古っ)。このことがホントならば、「イグノーベル級の大発明」ではないか!

い~や、にわかに信じ難い。で、ワタシはまた想う。はい、独断と偏見によりますと。このテストの意図(真意)は、やはり“ちがふところにある”のでは、ないかな?例えば、世間様に胸張ってハッキリ言えないような、精神疾…?おっと待てよ。

 

f:id:minminzemi81:20210325033653j:plain

チコちゃんは想ふ。この宿題にいったい何の意味があるのかしら?

さてクレペリン検査の実際

 

クレペリンの試験内容は、一列に無意味にダラダラと並んだ数列、1348…数列の左から順番に足し算をします。例えば1と3ならば、答えは4と下に書き、次に3と4なら答えは7と数字をサクッと記入していくのです。もちろん、テストなので時間制限もある。それぞれ一列に付き一分。「前半パート15分⇒休憩を5分とり⇒後半パートも15分」といった流れとなっていますね。途中“五分の休憩”を挟むところが、どうやらこのテストのキモらしい。

クレペリン検査でわかること…『15個ずつ線で結ぶと、たいていの人は大体同じ様な経過の曲線を描くことがわかりました。これを「作業曲線」と呼びます。約一万名の作業量の平均を基本とした作業量の平均曲線をもとに、受検者の曲線を調べた結果、受検者の性格の違いによって、そこに描かれる作業曲線にもいろいろな特徴が見出され、その作業曲線の特徴が性格の特徴と結び付くことがわかりました』

(日本心理テストHPより)

またまたぁ、たかがサンプル一万人レベルで、アニ言ってんだか。そしてまたもや「性格」といってるね。そんなら西洋占星術(ちゃんとスコープ書くやつ)の方がよっぽど当たるぞ!マジで。

 

ようやく得た、結論としては…

 

ワタシは、とあるドクターS(京大医学部卒)に、このクレペリン検査の話したのですよ。そしたら「フッ」と一生に付したのゼ!

『人の好みも選別差別』

そう言うコトだろっ!

 (2500文字、Thank you for reading.good luck!)#クレペリン