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日航123便 ジャンボ機事故、落合証言の示すもの「Part1 急減圧はなかった」【航空機 事故1】

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「JAL123便ジャンボ機事故」搭乗者の証言。【前編】

520名の犠牲者を出した「日航123便ジャンボ機事故」から今年で、34年目の夏となる。生存者わずか四名、そのうちのひとり当時客室乗務員だった落合由美さん。「旅客機乗務員の経験と知識」を持ち「事故を実体験したヒト」の証言ほど説得力あるものはない。落合証言が物語るモノとは?!

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747 SR-100 機体記号 JA8119

(✈︎747 SR-100、SRはショートレンジの略。全長70.5m全幅59.6m全高19.3m重量52万7333ポンド、総飛行時間25,030時間18分、総着陸回数18,835回。燃料三時間十五分搭載、伊丹からのリターン燃料も積載していた)(※現在、日本航空の「123便」と「350便」は、どちらも“墜落事故のため欠番”となっている)

 

<事故のあらまし> 

日本航空123便墜落事故、昭和六十年(1985年)八月十二日のこと。「東京羽田発✈︎大阪伊丹行」123便ボーイング747 SR-100 (機体記号JA8119) が、群馬県多野郡上野村高天原山(たかあまはらやま)の北尾根(通称 御巣鷹山)に墜落し、空前絶後の犠牲者を出した、痛ましい航空事故である。

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圧力隔壁 出典:JAL安全啓発センター

○事故原因は後日、ボーイング社の“手抜き修理”があったと発表された。後部圧力隔壁が飛行中に疲労破断し、噴出した空気圧により垂直尾翼を完全に吹き飛ばした、とされた。さらに油圧操縦4システムも全喪失。その結果、JAL123便は完全に操縦不能に陥り、あげく迷走飛行し「高天原山の尾根」へ墜落した。

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羽田空港18時発(イメージ写真、以下同)

○しかし、事故調が描いたこのストーリーは、そもそも「客室内で急減圧」が起こらないと垂直尾翼を吹き飛ばすモーメントたりえず、実際JAL123便はディセンドするまで高度2万4千フィートあたりを上下しながら、17分間以上飛び続けたのである。それでは「客室内は、どうだったのか?」が、重要な意味を持ってくる。

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垂直尾翼 出典:JAL安全啓発センター

○巡航高度(東京⇔大阪線は、2万4千ft位)で、突如「急減圧」になると、乗客乗員が意識を何とかたもてるのは、数十秒程と言われています。なので大急ぎで酸素マスクし、ディセンド降下します。

またキャビンの一部に穴が開き「急減圧」となると、機外との気圧差(外気圧は0.4気圧。機内の気圧は0.9気圧、その差は0.5気圧)により一瞬にして開いた穴からヒトやモノが機外に吸い出されます。しかも外気温は、マイナス40~50℃の死の世界です。


<JAL123便 飛行計画>

○アシスタント・パーサーの落合由美さんは八月十二日の朝を札幌で迎えた。その日の乗務は千歳空港から羽田に飛び、また千歳に飛んでふたたび羽田着、午後三時の便に乗るというものだった。一往復半の飛行は、通常スケジュールどおり。勤務を終えて、大阪の自宅に戻るため日航123便に、デッドヘッド搭乗していました。

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生存者は全て後部座席の女性四名だった

○落合さんの席は上図の右側。客室E部後方から三列目、二席の通路側「56C」だった。一般乗客の生還者「54列 D.F」に吉崎博子さんと、吉崎美紀子さん母娘が「60列 D」に川上慶子さんが座っていました。

以上が生存者四名のシート位置です。

 

フライトプランは、JAL123便が「東京 羽田空港」を18時00分にテイクオフ。離陸後は三原パーチ、大島・伊豆相良から西に巡航し、和歌山串本VOR/TACにて北西に右旋回。

信太VOR/DMEから「大阪 伊丹空港」へ。18時56分到着予定だった。

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○15名の乗務員と509名の乗客を乗せた123便は、ほぼ満席“定刻十二分遅れ”で六時十二分二十秒に、羽田空港をテイクオフしました。大島から伊豆半島にところどころ積雲(九千から一万ft)があり、西に沈む夏の夕陽を追いかける、フライトとなります。

▷航空機ファンが捉えてた123便の姿⇒羽田空港を離陸するJAL123便② - YouTube

(※航空界では「出発12分遅れ」は定刻となる。“ショートカット”したり回復運航の手が色々と…またこの12分遅れのため、“内陸寄りにショートカット”したと思われます)

 

○以下、『青字』が落合証言です。事故後、落合由美さんが語っています。またFDR/CVR音声テープ記録も、なるべく時系列に沿う様に添付しました。

(※完全には一致しません。またCVR音声は「プライバシー保護のため」として、いまだに全面公開されていません。 FDR=フライト データ レコーダー、CVR=コックピット ボイス レコーダー)

(備考/1000ft=305m、30.000ft=9150m。200ノット=370km、300ノット=555km。CAP=機長 高濱、COP=副操縦士 佐々木、 F/E=航空機関士 福田、PRA=チーフパーサー 波多野、STW=スチュワーデス、PUR=機械音声、ACC=東京コントロール(所沢)、TAC=東京進入管制(羽田)、COM=JAL社内無線、YOK=横田米軍基地)

 

①客室に「バ~ン」でなく、カン高い「パーン」と音がした

 

123便は、相模灘 大島の北方を上昇飛行していた。やがて水平飛行に移ろうとするあたり。右窓には暮れなずむ江ノ島や富士山を眺め、乗客がほっと出来る頃のこと。

 

『離陸してすぐ私は機内に備え付けの女性週刊誌を読んでいました。女性や子供の姿が多くいつもの大阪便とはちがうな、という印象はありました。

私の席の周囲にも若い女性の姿が目立った。禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうかはっきりしません。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/衝撃音より前に、レコが始まっていた。キャビンでは、すでに“「何か?に緊張状態」にあったと思われる。繰り返し「気をつけて」発言があった。トイレに行くだけのこと、なぜしつこく“気をつけねばならない”のか?

 

18時24分~

12秒 (STW) (トイレに行き)…たいとおっしゃる方がいらっしゃるんですが

14秒 よろしいでしょうか?

15秒 (COP) 気をつけて ←

16秒 (F//E) じゃ、気をつけてお願いします ←

17秒 (COP) 手早く ←

18秒 (F//E) 気をつけて下さい ← 

19秒 (STW) はいありがとうございます

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123便は十二分遅れで飛び立った

○前触れなく「甲高いパーン」という衝撃音を聞いたと、話す落合さん。音は「自席の天井の後ろ辺り」からしたと云う。しかし、振動は感じなかったとも。

 

『そろそろ水平飛行に移るかなというとき「パ-ン」というかなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。

「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常はまったく何も感じませんでした。

音は私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/伊豆半島 下田沖上空、23900ft(7170m)、300kt。衝撃音は、続けて二回(もしくは三回?)あった。機体は衝撃音より、オートパイロットがはずれマニュアル操舵となる。また短時間に、二度も発言する「オレンジエア※1」の正体とは何か?!

 

18時24分~

35秒「パーン」というような音① ←

36秒「ドーン」というような音② ←

37秒【高度警報音】ビービー音

38秒 (F//E) まずいっ

39秒 (CAP) 何かわかったぞ

42秒 (CAP) スクォーク 7700 (宣言)※2

43秒 (CAP) ギアみて、ギア部

44秒 (F//E) はい?

46秒 (CAP) エンジン?

47秒 (COP) スクォーク 7700 (発報)

48秒 (F//E) オレンジエア… ← 

51秒 (COP) これみてください

53秒 (F//E) はい 

55秒 (COP) オレンジエア… ←

57秒 (COP) ハイドロプレッシャみませんか?

59秒 (CAP) 何か爆発…

 

(※1 ここでは、いわゆる“無人標的機”のことと思われるが、未だ確定は出来ない)

(※2 SQUAWK-7700は、国際救難信号E.M.G、CAPは衝撃音からわずか“七秒後に宣言”した。早すぎる手順)

 

○事故調査報告書によれば、圧力隔壁損壊部分から客室内の空気流出しキャビンには“強烈な減圧”が、発生したと主張する。

事故調査委員会はこの減圧計算を行い、衝撃音発生の八秒後には「機内の“与圧はすべて失われ”気温も-40℃まで低下した」ことを示唆している。それでは八秒後以降の、機内の様子に注目して下さい。果たしてそんな状況が生まれたのか?

○落合証言によれば『振動はまったく感じませんでした。霧のようなものは数秒で消えました。酸素マスクをしてぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。体に感じるような急激な降下はありませんでした。機体も揺れなかった』との“整合性”がまるでないことが解る。

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▷参考音声/何回聴いても「オレンジエア」としか聴こえない⇒日本航空123便ボイスレコーダー「スコーク77」オレンジエアの部分をスロー再生 - YouTube

○いわゆる“謎の飛行体”について「1990年10月14日付 朝日新聞記事」に写真・記載あり。通称「オレンジエア」は、開発中の“プロトタイプ”を指し、視認性を良くするため「蛍光オレンジ色」に全面塗装されます。

○この時、相模湾で「追尾システム搭載型 巡航ミサイル」の試射(誤射?)をしていたと思われます。しかし、数多くの航空機が常に飛び交っている「関東南A空域」で、自衛隊がなぜ実験したのか、理解に苦しみます。

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左「ファイアービー」右「チャカII改良型」

(△標的機「ファイアービー」全長7m、全幅3.9m、上昇限度7000m、自重686kg、速度960キロ、航続約60分。△誘導ミサイル「チャカII改良型」全長3.87m、全幅1.76m、高さ0.71m、速度900キロ、上昇限度9.000m、自重182キロ、航続約80分)

○標的機相手に演習していたのが、“自衛隊ではない”のなら、それは誰か?

▷外部リンク/123便に衝突したのはファイヤー・ビーとチャカ2

 

○参考/R-116(レンジ イチイチロク)は、軍事演習用海域のひとつ「チャーリー水域」と呼ばれる。房総半島の南東に設定され「アメリカ海軍に供用」されている。射爆訓練時には航空機や船舶の航行は、全面禁止される。

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エリア116「チャーリー空域」が変更された件

 

②すぐに酸素マスクが、自動的に落ちて来た

 

『お客様からは「うわっ」という声がした。女の人だと「きゃっ」という一瞬喉に詰まったような声。騒がしくなるとか、悲鳴があがるということは、ありませんでした。

耳は痛くなるほどではなく、ツンと詰まった感じでした。ちょうどエレベーターに乗ったときのような感じ。しかしそれもすぐに直りました。

「パーン」という音とほとんど同時に、酸素マスクが自動的に落ちてきた。ジャンボの場合、席の数プラス・エキストラのマスクが落ちてくるので、私の座っていた「56」の二席には三つありました。

それが機内にいっせいに落ちてきたときは、マスクがわんわんわんとバウンドするような感じでした。ひっぱると酸素が流れだして口もとの袋がふくらむ。酸素が出てこないのもあったけれど足りないということはありません。

ただちに録音してあるアナウンスで「ただいま緊急降下中。マスクをつけてください」と、日本語と英語で流れました。マスクのつけ方はとなり同士教えあって、あんがいスムーズにつけていました。

ベルトについての指示はなかった。お客様はまだベルトをしたままでした。煙草をすぐ消すように、という注意はアナウンスでも口頭でもありませんでしたが、禁煙のランプのサインは自動的についたようでした。あとで気がつくと、離陸してまもなく消えていたはずのサインが、ついていましたから』

 

▷FDR・CVR音声記録より/24,200ft(7,376m)、310kt。落合さんによれば、まず最初は機内に「PURが流れた」そうです。“ベルトについて指示がなかった”とは、すでにベルトサイン表示が出ていたと思えます。

 

18時24分~

45秒 (PUR) 酸素マスクをつけてください

46秒 (PUR) 酸素マスクをつけてください

47秒 (PUR) ベルトはベルトを

48秒 (PUR) してください…

 

③白い霧の発生と、緊急降下中のプレアナウンス

 

○「パーン」という音と同時に「白い霧」が発生した。かなり濃くて、前の方がうっすらとしか見えないほどであったらしい。しかし数秒で消え、空気も流れなかった。

 

『しかし緊急降下中といっても、体に感じるような急激な降下はありませんでした。急減圧のとき、酸素マスクがおちてくることはもちろん知っていました。急減圧は何かがぶつかったり衝撃があって、機体が壊れたときに起きると教わっていましたから、そういうことが起きたのだなと考えたのですが。しかし何が起きたのか想像もつきませんでした。

酸素マスクが落ちてくる光景は訓練では見ていますが、実際に経験するのはもちろんこれがはじめてでした。やはり「パーン」という音と同時に白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方がうっすらとしか見えないほどです。

私の席のすぐ前はそれほど濃くはなかったのですが、もっと前の座席番号「47」「48」あたりのところが濃かったように見えました。ふと見ると前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが立っていたのですが、その姿がボヤ-ッと見えるだけでした。

その霧のようなものは数秒で消えました。酸素マスクをしてぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。

すっと消えたという感じだったのです。

匂いはありませんでした。こうした白い霧というか靄のようなものが出るのは、急減圧の場合の現象だ、ということも、もちろん訓練のときに教わっていたことでした。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/伊豆半島上空。機体が右に40°傾き、尾翼破片を落とす。キャビン内では、クルーがエンジン、ランディング・ギアをチェック、異常はなかったが、ハイドロ(油圧)四系統が、すべて不能となったことを知る。機体のダッチロールが始まる。

 

○25分16秒、高濱機長はACC交信前に「ライトターン」 指示を出している。そして21秒「あー、東京。日本航空123便トラブル発生、ただちに、えー羽田に帰ることを要求します。220へ降下し維持したい。どうぞ」と管制官に了解をとり「右か左旋回か?」のリクエストに「右旋回したい」と、即答する。

 

18時25分~

04秒【高度警報音 47分28秒まで鳴動継続】

05秒 (F//E) ギア ファイブオフ

06秒 (PUR) ベルトを必ずしてください

14秒 (F//E) はいはい、ラジャー

15秒 (PRA) ベルトを締めて

16秒 (CAP) ライトターン ←

17秒 (CAP) ライトターン 

19秒 (COP) プレッシャ  (F//E) おっこった 

21秒 (CAP) Ah…TOKYO, JAPAN AIR 123,

24秒 request from immediate e…

27秒 trouble request return back to HANEDA descend and maintain 220 over.

37秒 (ACC) Roger,apprived as you request.

40秒 (CAP) Radar vector to OSHIMA, please.

42秒 (ACC) Roger, you want right or left turn?

45秒 (CAP) Going to right turn, over. ←

49秒 (ACC) Right, right heading 090 Radar Vector to OSHIMA.

52秒 (CAP) 090.

53秒 (CAP) バンクとんな そんなに  

54秒 (COP) はい                   

55秒 (CAP) バンクそんなにとんなってんのに、バカ! 

57秒 (COP) はい                

59秒 (CAP) なんだよ、それ 

 

18時26分~

00秒 (F//E) ハイドロプレッシャがおっこちています、ハイドロが…

02秒 (PUR) ただいま緊急降下中…

03秒 (CAP) バンクそんなにとるな、マニュアルだから【高度警報音2秒間】

05秒 (COP) はい

11秒 (CAP) 戻せ

12秒 (COP) 戻らない

15秒 (CAP) プルアップ

17秒 (PRA) ……

27秒 (CAP) ハイドロ全部だめ?

28秒 (F//E) はい

 

④トイレの上、カーテンのような布がヒラヒラしていた 

 

『はじめはスチュワーデスもそれぞれの席に座って酸素マスクをしていましたが、しばらくしてお客様のマスクを直したりしてまわっていました。そのときはエキストラ・マスクをひっぱって口にあてていました。マスクのチューブは伸ばすとけっこう伸びます。三列くらいはひとつのマスクをつけたまま、まわっていたようでした。

このときも荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。しかし何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながらきょろきょろあたりを見まわしていました。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/駿河湾上空、22,200ft(6,766m)、300kt。機長とACCとの会話。管制官の「大島レーダー誘導のため、方位090(真東)」へとの指示に対して、123便高濱機長が『But now uncontrol.』と応える。なんて哀しい交信か。

 

18時28分~

31秒 (ACC) JAPAN AIR 124, fly heading 090 radar vector to OSHIMA.

35秒 (CAP) But now uncontrol.

39秒 (ACC) Uncontrol roger understood.

 

○この時123便と交信していた、東京航空交通管制部(ACC、通称 東京コントロール)の管制官は、このことをどう感じていたのか。その本人の証言があります。

『「…了解」そう答えながら「おかしいな」と感じた。エンジン出力が低下した、客室内の気圧が下がったなどと、普段ならトラブルの中身を伝えてくるはずだが、機長は何も言わない。心が騒いだ。』すでに“通告出来ない理由”があったのだ。

minminzemi81.hatenablog.com

 

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キャビンは平静を保っている、乗客の小川哲氏撮影。

○上記写真は「1985年10月13日付 毎日新聞記事」に言及あります。写真は56列Hの席から小川哲氏が撮影しました。また「謎の飛行体」と呼ばれる右側窓より撮影した「連続写真」もありました「飛行体の存在を示す証拠写真」となります。

 

『あとになって8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いたとありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。ですから開いたのかどうか、私は確認できませんでした。

きょろきょろしていたとき、私はトイレの上の横長の壁がほとんど全部はずれていることに気がつきました。トイレのドアはしまっていましたが、その上の壁がすっぽりはずれて、屋根裏部屋のような感じで見えたのです。

壁はちぎれたとか破壊されたというふうではなく、継目が外れたと言う感じでした。壁のパネルがどこかにいったのかはわかりませんでした。

そして壁のはずれた向こう側に運動会で使うテントの生地のようなものが、ひらひらしているのが見えました。オフ・ホワイトの厚地の布のようなものです。

ぴんと張ったのでもなく、ヒダの多いカーテンのようでもなく、一枚の布を垂らしたような感じでした。これもあとで整備の人に聞いたのですが、裏のほうにはそういう布があるのだそうです。

それが破れたというふうではなく、風にあおられたようにひらひらしていたのです。そこから機体の外が見えたとか、青空がのぞいたということはありませんでした。

もひとつ私の頭上の少し前の天井に整備用の50センチ四方の長方形の穴があって、蓋がついているのですが、その蓋が私のほうに向いて開いていることに気がつきました。壊れたのではなくて何かのはずみで開いたという感じです。内部は暗く何も見えませんでした。ただ天井の荷物入れが下に開くということはありませんでした。

このときにはお客様は全員酸素マスクをつけていましたから、しゃべったりはしませんでした。酸素マスクをして呼吸するのに懸命で、とても会話どころではなかったのかもしれません。でもとても不安そうにしてきょろきょろしたり、窓の外を見たりしていました。赤ちゃんの泣き声がしたかどうか覚えていません。』

 

○証言『白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした』と『このときも荷物などが飛ぶということもなく』や『テントの生地のようなものが、ひらひらしているのが見えました』これらの証言でも“急減圧は無かった”ことが判る。

○この時起こっていた現象は、ほんの“緩やかな減圧”だろう。 キャビンは充分与圧されていたので、酸素マスクなしでも苦しくなかったことが伺える。

○また、29分30秒辺りからモガリ笛のような“高く低くピィーピュー音”が最後まで続く。R5の扉から“ほんのわずかな空気”が漏れ出していたからではないか?

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○18:30頃に書かれた乗客の遺書が多い。客席では、まだ何とか文字を書くことが出来たようだ『(家族の名前)どうか仲良く がんばって ママをたすけて下さい パパは本当に残念だ きっと助かるまい 原因は分らない 今五分たった もう飛行機には乗りたくない どうか神様 たすけて下さい きのうみんなと 食事をしたのは 最后とは 何か機内で 爆発したような形で 煙が出て 降下しだした どこえどうなるのか しっかりた(の)んだぞ ママ こんな事になるとは残念だ さようなら 子供達の事をよろしくたのむ 今六時半だ 飛行機は まわりながら 急速に降下中だ 本当に今迄は 幸せな人生だったと感謝している』川口博次氏の手帳より

○六時半頃、伊豆半島南端の住民が「ドカーン」という大きな衝撃音を聞き、上空に尾翼付近から白煙(オイル?)を上げて飛ぶ飛行機を、目撃したと証言している。

 

▷FDR・CVR音声記録より/焼津上空、24,900ft(7,589m)、280kt。ここではなぜか、緊張感の無い会話(機内電話)が続く。この時点でフライトエンジニアの福田氏、後部座席の様子を自身で目視チェックすべきではなかったか?それとも、それほどの危機感は、感じていないのか。

 

18時31分~

50秒 (F//E) えーとなにが、こわれているんですか?

56秒 (F//E) どこですか?

59秒 (CAP) あ~あああ

18時32分~

01秒 (F//E) 荷物を収納するところですね?

04秒 うしろのほうのいちばんうしろの

06秒 ほうですね?はいわかりました

11秒 (F//E) あのですね荷物いれてある

13秒 荷物のですね、いちばんうしろですね

17秒 荷物の収納スペースのところが

19秒 おっこってますね、これは降りたほうがいいと思いますぅ

 

⑤客室内では、酸素マスク外しても息苦しくなかった

 

『いつ点灯したのか気付きませんでしたが「EXIT 」と「非常口」を示すエマージェンシー・ライトはついていました。座席上の空気穴から空気が出ていたのかどうか記憶にありません。ライトをつけていた人が、いたかどうかも覚えていないのです。時間的にはそろそろ暗くなるときですから、つけていてもおかしくないのですが気がつきませんでした。

こうしているあいだも飛行機が降下している感じは、ほとんどありませんでした。ゆっくりと左右に大きく旋回しているような動きがはじまったのは、酸素マスクをしてしばらくしてからです。

「パーン」という音からたぶん10分くらいしてからのように思います。このころになって酸素マスクをはずしてみても、苦しさは感じませんでした。ただ、ほとんどのお客様がマスクをしていましたが。』

 

○この頃キャビンでは、大変な操作をしていた。翼下に四発あるエンジン(左1左2右3右4)のストラスレバーを微調整し、ほんのわずかな出力差で機首を北に回頭させようとしていた。CAPがマスクの問いかけに気のない返事繰り返すのは、エンジン操作に集中していたためと想える。123便、神技コントロールの始まり。 

 

▷FDR・CVR音声記録より/静岡上空、24,900ft(7,589m)、280kt。操縦席では、酸素マスクをしていなかった。通常、急減圧が発生した場合、最優先にて「クルーは酸素マスクを着用」します。このことからも「垂直尾翼を破壊するような急減圧」は“発生していなかったこと”が解ります。「R5の窓」とは、最後尾右側にある非常扉の窓である。

 

18時33分~

35秒 (F//E) キャプテン

36秒 (CAP) はい

37秒 (F//E) アールファイブの

38秒 窓が…【高度警報音2秒間】(ブロークン)ですから

39秒 (COM) JAPAN AIR 123 JAPAN AIR How do you read?

41秒 エマージェンシーやったほうがいいと思いますね

44秒 (CAP) はい

46秒 (F//E) マスク我々もかけますか?

48秒 (CAP) はい…

49秒 (COP) かけたほうがいいです

50秒 (COM) 【社用無線呼出音】

54秒 (F//E) オキシジェンマスクできたら吸った

56秒 ほうがいいと思いますけど

58秒 (CAP) はい…

 

⑥高高度24,000ft (7,200m)380ktでダッチロールする

 

○ダッチロール、もしくはフゴイト運動といった現象は、コクピットパイロット達にとって未経験で、全く理解出来ないことだった。それは、キャビンにいる落合さんにとっても同じことだった。

 

『ダッチロールという言葉は知りませんでした。飛行機はあいかわらず旋回をくり返すように左右の傾きをつづけます。振動などは全然ありません。とにかく、くり返し左右に傾いているという揺れ方がつづきました。急な動きとかガタガタ揺れるというのでもなくスローです。だんだん揺れが激しくなるというのでもありません。』

(※ Dutch rollとは航空機が、縦方向と横方向の振動を繰り返す現象) 

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巡航高度24.000feet

『私の席に近い左の窓から見えたのはまっ白な雲だけでした。かなり厚い雲で地上は見えませんでした。お客様は窓の外を眺めたりなかにはスチュワーデスに「大丈夫か」とたずねる方もいました。

機内の様子はあわただしい雰囲気とかパニックなどということではなく、この段階ではまだ何とかなるんじゃないか、という気持ちがあったように思います。ただコックピットからの連絡は何もなくて、みんな不安な表情ではあったのです。』

 

⑦マスクから酸素が終了、救命胴衣を装着する

 

『そのうちに酸素が出なくなりました。いつだったか私がフライトをしていたとき、お客様から酸素マスクは何分くらいもつのか、とたずねられたことがありました。全員が吸った場合18分くらいと計算したことがあります。そのくらいの時間が経過していたのかもしれません。

でもほとんどのお客様は、そのままマスクをしていました。

ちょうどそのころになって私のうしろのL5 (最後部左側)ドア受持ちのスチュワーデスがまわりのお客様に「座席の下にある救命胴衣を取りだしてつけてください」という指示を出しました。

その指示がどこからきたのかわかりません。ふだんのコックピットからの連絡はチーフ・パーサーを通じて各スチュワーデスに伝えられたり、急な場合は乗務員席の電話が全部コックピットと同時につながって受けることができる「オール・コール」でくるのですが、今度の場合はそれはありませんでした。

ライフ・ベストをつけるようにという指示は機内アナウンスではなく、スチュワーデスの口頭で行っていました。まずスチュワーデスが着用してこのようにつけるんです、と教えながら座席をまわることになっています。今度もそうしていました。

前のほうでも、いっせいにベストの着用がはじまっている様子が見えました。スチュワーデスは口頭で座席ポケットのなかにある『安全のしおり』を見て、救命胴衣をつけてくださいと言いながらまわりはじめました。私はすぐに座席下から救命胴衣をひっぱりだして、頭からかぶりました。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/静岡市 井川ダム通過、25,000ft(7,620m)、220kt。R5の扉に不具合が判明し、エマージェンシィーディセント(緊急降下)することとなった。しかし、なかなか高度が下がらない。

 

18時35分~

33秒 (STW) …かんじでございますが

34秒 (F//E) ええとですね、いまあのー

37秒 アールファイブのドアーがあのー

39秒 ブロークンしましたえーそれでー

43秒 えーいまあーディセント

46秒 しておりますえー

51秒【機内電話呼出音】

52秒 (CAP)…

53秒 (COM) 了解しました。キャプテンのインテンションとしては

56秒 リターンツウ東京でしょうか?

58秒 (F//E) はいなんですか?

 

18時36分~

00秒 (COM) 羽田にもどってこられますか?

04秒 (F//E) えーとちょっと待ってください

06秒 いまエマージェンシィーディセントしてますので

08秒 えーもうすこししたら

10秒 あーコンタクトしますのでもういちど

14秒 あー再びコンタクトしますので

16秒 えーこのままモニターしておいてください

20秒 (COM) 了解しました  

 

⑧いまだ高高度をダッチロールする機体 

 

『私は羽田にもどれればいいなと感じていました。しかしまだ雲の上で高度も高いし、ちょっと無理なんじゃないかな、とだんだん不安になってきました。

しかしライフ・ベストが座席の下にあることがわからないお客様や、わかってもひっぱって取りだすことがわからないお客様も、少なくありませんでした。私の近くにも、ベストの場所がわからなくて、取り乱している若い女性がいました。

そのときになって私は、席を立って、お客様のお手伝いをはじめたのです。お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。

私が席を立ったとき、となりの窓際の席にいた男性のKさんが「スチュワーデスの方ですか」と、声をかけました。私は「はい、そうです」と答えてKさんが救命胴衣をつけるのをお手伝いしました。

とても冷静な方でした。ご自分のをつけ終わると、座席から手を伸ばして前後のお客様の着用を、手伝ってくださったのです。

私は通路に出て、L5のスチュワーデスの受持ちのお客様のお手伝いをして歩きました。彼女が私の席よりうしろのほうをまわり、私は前のほう二列分くらいの左右のお客様を指示してまわりました。』

 

▷FDR・CVR音声記録より/22,300ft(6,800m)、ディセンドがうまく出来ずに、逆に上昇を繰り返してしまう。機体破片を落とす。

 

18時37分~

04秒 (CAP) おりるぞ

05秒 ( ? ) ……

07秒 (CAP) そんなのどうでもいい

11秒 (CAP) あ~あああ~

 

⑨徐々に客室内に、不安感が募るようになる

 

『しかしこのころになると、機体の揺れはじっと立っていられないほどでした。激しい揺れというのではなくて、前と同じように左右に傾く揺れなのですが、その角度が大きくなって、座席につかまって二、三歩、歩いてお客様の座席の下のベストをひっぱってちょっと座って、また二、三歩、という感じでした。

まっすぐ歩いてあたりを見てまわるということはもうできません。

救命胴衣は飛行機が着水して外に脱出してからふくらませることになっています。機内でふくらませてしまうと、体を前に曲げて膝のあいだに頭を入れる安全姿勢がとれないからです。しかし私の席の周囲では、ふくらませてしまったお客様が四、五人いました。男の人ばかりです。

こういう場面になると、女の人のほうが冷静なようです。泣きそうになっているのは男性でした。これはとても印象深かったことです。

 

▷FDR・CVR音声記録より/オルタネート(電動モーター)で車輪を出した。これで空気抵抗が増え機体は安定感を得る。しかし…「失速の危険性が増す」ことにもなる。

 

18時38分~

32秒 (F//E) ギヤダウンしたらどうですか?ギヤダウン

34秒 (COP) ギヤダウンでしょうか?

45秒 (CAP) 出せない

46秒 ギヤ降りない

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18時39分~

13秒 (F//E) オルタネートでゆっくりとだしましょうか?

18秒 (CAP) はい、ちょっとまって

59秒 (F//E) スピードブレーキひきますか?

18時40分~

00秒 (CAP) あーあたま下げろ

01秒 (COP) はい

22秒 (F//E) ギヤダウンしました

23秒 (COP) はい

 

ベストをふくらませてしまった若い男性が「どうすればいいんだ」と弱気そうな顔でおっしゃるんですが、ふくらませてしまったのは仕方ないですからそのままでいいですと、安全姿勢をとっていただきました。ひとりの方がふくらませると、そのとなりのお客様もふくらませてしまう。他のスチュワーデスも私も、それに私のとなりのKさんも「ふくらませないで!」と叫びました。

機内にはまだいくらかの空席がありました。ひとりだけポツンと座っている人は、不安になったんだと思います。救命胴衣をつけているあいだに、席を詰めて固まるようになりました。

私は何も聞かれませんでしたが制服を着ていたスチュワーデスは、お客様からいろいろ質問されました。「どうなるんだ」「大丈夫か」「助かるのか」聞いていたのは男の方ばかりでした。家族連れの女性は男の方が一緒だったせいでしょうか、そういう場合でも男の人がいろいろ質問していました。

スチュワーデスはお客様に不安感を与えないように、できるだけ冷静に行動していました。いろいろ聞かれても「絶対大丈夫です。私たちはそれなりの訓練も受けています。絶対大丈夫です。」と答えていました。

そのせいもあって、客室内がパニックに陥るようなことがなかったのだと思います。ただ笑顔はもうなく、彼女たちの顔も緊張していたのですが。赤ちゃん用の小さいライフ・ベストが上の棚にあるのですが、このときにはもうそれを取りだす余裕はなく、大人用のベストをつけたと思います。』

 

○22,400ft(6827m)、200kt、衝撃音より15分が経過した。富士吉田付近。しかし、123便はまだ「巡航高度を保ったまま」なのである。

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○こちらPart2後半に続きます。↓事故の「原因・墜落には、外的要因」があった、と思われます。落合証言と音声記録から改めて、この事故を考えてみたいと思います。

minminzemi81.hatenablog.com

日航123便墜落事故関連ブログです。ご覧下さい。

minminzemi81.hatenablog.com

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○外部リンク/関連記事です、参考にどうぞ。

▷1 *⋆✈ - 日本航空123便墜落事故33年目の記録 -

▷2 *⋆✈ 日航ジャンボ機 - JAL123便 墜落事故 (飛行跡略図&ボイスレコーダー) - YouTube

▷3 *⋆✈ 日航機墜落 simulation of JAL123 B747 Crash accident Pilot's View - YouTube

 

参考/墜落の夏、ウキペディア (14,000文字、thank you for reading.) <今週のお題> 老いも若きも楽しく研究