minminzemi+81's blog

あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ のし

日航123便 ジャンボ機事故。「マイケル・アントヌッチ・Jr 元米軍大尉」が証言で示すもの【航空機 事故3】

米軍輸送機C130 ハーキュリーズパイロット「マイケル・アントヌッチ・Jr」元 米軍大尉の証言

日航ジャンボ機123便、墜落の二時間後にはアメリカ海軍の救助ヘリが現場に着いた。あの時、救助にストップがかからなければ、もっとたくさんの人が助かっていたに違いない。

f:id:minminzemi81:20190826012856p:plain

C130 ハーキュリーズ

「あの飛行機事故のことは、10年経ったいまも脳裏に焼き付いて離れない」と、アントヌッチ氏が語る。

 

日航123便機を追尾中だった「米軍機C130」が、19:15に墜落現場を現認した。さらにC130より誘導された沖縄海兵隊ヘリが、20:05に現場到着した。アントヌッチ証言によれば、午後七時の時点で「墜落現場の正確な位置」は確定し、午後八時には「人命救助を開始」した“事実があった”ことを伝えている。

 

『JAL123便が管制塔に『緊急』を告げた時、たまたま沖縄・嘉手納基地から横田基地へ、米軍輸送機C130Hで飛んでいた。現場はすぐに発見出来た。現場を確認後、グリフィン隊長は残骸の上空600メートルで、そのまま旋回飛行を続けた。

私は横田基地からの位置を測り、20分後には“正確な位置を割り出し”て横田基地に知らせた。やがて横田基地から連絡が入り、60キロ離れた厚木基地から海軍の救助隊が来ると知らされた。あと一時間で着くという。

彼らは少し離れたところで、ラペル(ロープを使って懸垂降下すること)で二人の乗員を地上に降ろし、検索しようとしている。ゲイリーがヘリと話している間に、私は司令部へ連絡を入れた。『Air craft down I have position YOD 305° 34 NW…』 

 

その時、司令部の命令はこうだった。

『日本の救助隊が向かっている。すぐ基地に戻るように』 

しかし、私は次のように伝えた。

『海軍は救助に入りたいと言っています』 

すると、司令部は次のように言った。

『繰り返す、すぐ基地に戻るように。海軍も同じだ』

もはや、私は『わかりました、帰還します』と答えるしかなかった。

 

降りかけていたヘリの乗員たちは、再びロープを登っていった。その時、我々の900メートル上空に“日本の飛行機”が旋回しているのを認めた。午後9時20分だった。これが現場に来た“最初の日本の飛行機”である。

横田基地で待っていたのは、第316戦術航空団の副司令官ジョエル・シルズ(現、在日米軍司令官/第5空軍司令官/中将)である。グリフィン隊長が報告を終えると、シルズは『よくやった。でもこのことは一切マスコミに話してはいけない』と言った。理由はまったく説明されなかった。』

(※戦術輸送機のベストセラー。米軍・空自など69ヶ国で、半世紀以上たったいまも、現役で活躍している。最新型は『C-130J スーパー・ハーキュリーズ(Super Hercules)』となる。)

 

日本の救援隊は、いったい朝まで何をしていたのか?!

 

『しかし翌日のニュースはもっと衝撃的だった。日本の救助隊は現場を発見できず、やっと着いたのは“墜落の14時間後”だと言っているではないか。

私は焦って自分の地図を取り出し、墜落現場を正確に伝えたかどうか調べた。私には自信があった。伝えた位置は、正確だった。海軍のヘリは私の情報に従って現場に来たのだから、間違いない。

我々はあの時、現場の“上空を飛んでいた日本の救援隊”に後を任せた。それにしても、どうして墜落現場がわからなかったのか? 一体朝まで何をしていたのか? 不思議でならなかった。

 

○マイケル・アントヌッチ・Jr  元 米軍大尉の証言

youtu.be

 

事故から2週間たって『タイム』と『ニューズウィーク』で、生存者が4人いたことを初めて知った。しかし残りの記事は、間違いだらけだった。

“生存者の一人の証言(落合由美さん)”が、私をぞっとさせた。彼女は墜落後、数人の子供達の声を聞いた、と言っていた。ヘリを見て手を振ったが気づいてくれなかった、と語っていたのだ…』と語る。

 

気になるのは“アントヌッチ氏証言”の信憑性。

○その後のアントヌッチ氏は…『1987年3月。私は横田基地を離れサクラメントのマザー空軍基地で、航法教育に携わる大尉として着任したが、そのとき空軍表彰メダルを授与された。そこにはこう書いてある「アントヌッチ大尉とその乗務員は日航機の捜索を決定し、直ちに捜索計画をたて墜落現場を発見し、救助隊を現地に誘導した」

私は空軍が私たちの行動を認めてくれたことは嬉しかったが、表彰を喜ぶ気になれない。私は「まだ生存していた人たちを救出できなかった」と、付け加えたかった』という。この名誉勲章の意味するところは「口止め」の類と思われる。

○事故調査報告書の25P。(捜索・救難活動の状況)米軍機C130Hから発信された墜落位置情報を、救難本部が横田より受け取った旨の記載あり。(12日/19時15分)

f:id:minminzemi81:20190905014214p:plain

事故調査報告書 25P

○ 1994年9月25日に報道番組「ニュース・ステーション」が、アントヌッチ氏の証言を取り上げ「日本政府側の要請により、米軍機は救援活動を中止した」と報道しています。やはり事実であった、と思いました。

日航ジャンボ機墜落事故/「落合証言」の記事です。前後編あります。 

minminzemi81.hatenablog.com

minminzemi81.hatenablog.com

○参考/1980年代のJALのイメージは『スチュワーデス物語』だった。このドラマは、社会現象にもなった。麻倉未稀のテーマ曲『what a feejing』この時代を表している曲。

スチュワーデス物語「What a feeling」1983 麻倉未稀 - YouTube

 

記事引用/『週間文春 1995年9月28日号』『事故調査報告書』

(2300文字、thank you for reading.) <今週のお題> 老いも若きも楽しく研究