minminzemi+81's blog

あがら おもしゃいやしてぇ~ よう~ ゆわよ ノシ

新元号が決まり、新年度も始まったので、過去記事の振り返り企画やってみる【春の選抜】

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いましがた、新年号は『令和』と発表した。萬葉集から文字を採録したと云うが、昭和と何が違うのか?音やイメージが、ダブるからね。どうなんだろね。

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新年号は「令和」

検索アクセスが多かった記事 四選発表!

さぁ、平成が終わり令和が始まることになった、新年度の四月ですね!

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過去ブログを発表して心機一転、心を入れ直そう(でも、新しい心がローソンにすら売ってなかったので、無理か?)とりあえず「GoogleとYahoo」からの検索流入の数字から、順位を決定しました!

ではでは、発表します!だららららら…(ドラムロールのつもり)ジャーン♪

第四位✨「大塚国際美術館」想定外に凄かった!展示作品数、展示方法も、我々の想像を超えた「巨大な美術館」でした。徳島県 鳴門市【西洋陶板美術館】

○タイトル、ながっ!去年の年末のことです。徳島県にある大塚国際美術館に行ってきました。その時の珍道中ぶりを記事にしました。とかく絵画芸術は敷居が高いものです。それで“お気軽に行けるところ”はないかと調べ、たいした期待も持たず訪れたのです。するとなんてことでしょう~♪思った以上に素晴らしい美術館だったのですっ!

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第三位✨もうひとつのラピュタ、深山砲台跡と海軍由良水雷隊基地 見所満載、ドタバタ探検記!和歌山市 加太【戦争遺跡】…Part1

○このタイトルも、ながっ!この記事は、現地に二回も冒険(取材)に行き、比較的力を込めて書きました。三部作に分けて書き分けようとした、野心作(笑)なのであります。それで「パート1」と「パート2」はエントリーしましたが、三つ目がなかなか上手くまとまらなくて、いまはペンディング状態なのです。近々完結させま~すね。はい、乞うご期待!

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第二位✨噂の「野口英世の母シカの手紙」を読んでみたら

野口英世さんは千円札の肖像画にもなった偉人なので、けっこう言及は多いのです。ですがそのお母さんである「野口シカ」さんは、ほとんど知られていないのではないか。ある時のこと、シカさんが書いた手紙を読んだのですね。それで「その文字と内容」にショックを受けたのです。皆さんにこの感動を共有したかったので、書きましたよ~読んでね!

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第一位✨あの「しょうこおねえさん」を、再検証してみる。天才 or 奇人?エピソード四選【芸能界】

○意外や意外、検索一位は「しょうこお姉さん」の記事でしたっ!むかし毎朝眺めていたTV「おかあさんといっしょ」で活躍していた、拝田祥子さんを思い出して書いてみたのです。最近はテレビでお見かけする機会も少くなりましたが、まだまだ活躍して頂きたいですね。この記事、万余の方々にお読み頂けたみたいですので、書いて良かったと想いますねぇ!

 

 

<ひとり反省会>とかくブログというものは…

ふと気づいて見れば、あと数ヶ月で「ブログ生活二年目」が終わろうとしています。そして、平成も終わろうとしています。「いやぁ、自分で思った程書けなかったなぁ」なのにサブブログ(実は三個もある。何それ~笑!)まで作ったりもしたね。さぁ「気分一新だっ!」てなことで調子ぶっこいてたが、さらに「もっと書くことが大変💦」になっただけだよぉ~、涙目。

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SNS活動はいまの所七媒体やってます。色々なソースをクロスオーバーさせて「情報充実」させるのが目的だった、けれど…ね。これもねぇ、余りうまくいってないのですね。「はてなブログGoogleマップ、インスタグラム、フェイスブックツイッター、LINE、YouTube」と…やり過ぎだよっ!てか、動画(YouTube)までとても手が回らない。なので、ずいぶんバコバコ書き込んだ(描きかけ保留はメッチャ大量に残っている)気分ではあったが、なかなかブログを量産するにはいたらなかった。いたし方なし。でも何か「新しい分野」にチャレンジしてみたいかな!~はいっ<反省終了> はやっ

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平成時代をまとめてみるならば、この曲かな。

「平成日本を総括する曲」とは、何か?バブル崩壊から始まり大変な地震・豪雨災害もあり、経済も長く低迷した。いま振り返れば『激動の時代』だったカモね。次の令和時代には「希望を持ちたい」ものだね。ならば、この曲かな。中島みゆきの名曲「時代」です!

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そんな時代も あったねと

いつか話せる 日が来るわ

あんな時代も あったねと

きっと笑って 話せるわ

だから今日は くよくよしないで

今日の風に 吹かれましょう

 

(※中島みゆきが作詞・作曲。1975年に発表され『第6回世界歌謡祭』でグランプリを受賞。後に卒業式で歌われたり、音楽の教科書にも採譜されている息の長い楽曲。また『日本の歌百選』にも選ばれた名曲♪)

  

(2000文字、Every day beautiful day!)

じつは不意打ちを食らって、不覚にも涙を流したMVがある!嗚呼、なんてこったい【携帯電話】

 

これはいわゆる「何かの試金石」カモしれません

 

ワタシのいま使っている携帯電話(Huawei Technologies Co.Ltd.製、いま初めて知った、中国製だったことを)に、サービスなのかはたまたプロモーションか、ハナから入っていた曲があった。それが「Dream It Possible」という楽曲なんですが、皆さんこの曲ご存じでしょうか?最初、軽く聴いてピンとこなかった。経験則「携帯⇒ディフォ装備にろくなものは無いっ」といった、先入観から途中で聴くのをやめた。そしてそれっきり、再生することはなかったのでした。

▽ある時、スピーカーを改造することを思い付き、この時ですね。

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音質テストの音源を探していて「Dream It Possible」を音質ビフォーアフター用の聴き比べに、何度も何度も流し続けたのです。はい、コレで聞き馴染みした訳なんですね。んーリリカルソング?この歌詞は何やら「哲学的な感じ」だが、意味がよく解らない。だってエーゴ苦手だも~ん、エーゴ。最初の方だけは、どうにか歌詞は理解出来ましたがね、ははっ。

 

この「Dream It Possible」は誰の曲なの?

 

わたしは走る

わたしは登る

わたしは舞上がる 

無敵なわたし

自分の殻を 抜け出し 弦を弾く

そう わたしは 信じられる!

 

「う~ん、何かイイねぇ。いったい誰の曲なんだろう?」そしてそして、曲調べのためにYouTubeで、検索ヒットしたのがこちらのMVなのです。しかしクレジットはなかった。このクールボーカルはいったい誰だ?歌詞と動画があわさると…ん!

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I will run I will climb I will soar

I'm undefeated

Jumping out of my skin pull the chord

Yeah I believe it

The past is everything we were don't make us who we are

So I'll dream until I make it real and all I see is stars

It's not until you fall that you fly

When your dreams come alive you're unstoppable

Take a shot chase the sun find the beautiful

We will glow in the dark turning dust to gold

And we'll dream it possible

Possible

 

そして…何故か涙してしまった。

ホント迂闊なことにね。

なんか、おかしい?

あれれ…俺て、

ヤバっ!

やっとわかったよ、ジェーン・チャンとは⇒「海豚姫」だった

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ジェーン・チャン(Jane Zhang)
ジェーン・チャン(Jane Zhang)

○中国四川省成都出身の有名女性歌手。特徴ある高い声(イルカ音)が魅力で、中国では「海豚公主 イルカ姫」という愛称で呼ばれているらしい。(海のブタ姫かと思ったゼ…笑)

○おまけ情報/ 中国と欧米の通信大手は「5G」を巡って、激しい開発競争を繰り広げており「ファーウェイ」と、北欧の「エリクソンノキア」が並び先行している。2010年代で主流だった4Gでは、アメリカ企業の技術が完全に席巻していたが。しかし「次世代5G」では、関連特許を世界で最も保有する「ファーウェイ」などの“中国企業が主導権を握る”とみられている。次世代の通信機器が、世界経済に与える「チャイナ・インパクト」は、測り知れないぐらい“大きなモノ”になると予想されている。

 

(1500文字、Thank you for coming.)

感動必至、これは凄い!天才歌人「斉藤斎藤」厳選三首やるときやらねば【文藝作品④】

 

斉藤斎藤氏、傑作短歌三選!

 

いまの気持ち短歌によめば…「みずから心の動き詞に述べよ正直に あら嫌ダ短歌」By ワシ

 

何故か“斉藤斎藤ワールド”に、ハマってしまう不思議、三つの作品。

 

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雨の県道
あるいてゆけば
なんでしょう
ぶちまけられて
これはのり弁

 

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自動販売機と
ばあさんのたばこ屋が
自動販売機と
自動販売機と
ばあさんに

 

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シースルー
エレベーターを
借り切って
心ゆくまで
土下座がしたい

 

 

歌人 斉藤斎藤(さいとうさいとう)

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1972年東京都生まれ。両親から英才教育を受け国立中学・高校を卒業。早稲田大学卒業後、フリーターに。図書館で読んだ短歌本に影響を受け歌作をはじめた。第二回歌葉新人賞受賞。

名前の由来「お名前何とおっしゃいましたっけと言われ斉藤としては斎藤とする」なので本名は斉藤斎藤(本人談)。ある日テレビを観ていたら、NHK短歌の選者だったりもしたので、びっくりしちゃった!そーなのだ。

 

▽オススメ本/『渡辺のわたし』

渡辺のわたし 新装版

渡辺のわたし 新装版

 

 

高額紙幣の肖像画人物に、何故か世間は無関心、女流作家誕生秘話「樋口一葉、奇蹟の14か月」とは【文藝作品③】

 

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樋口一葉
樋口一葉ペンネームで、本名は樋口奈津(なつ、夏子とも呼ばれる。明治五年三月二十五日~明治二十九年十一月二十三日没)明治時代における、初の職業女流作家である。

余りにも短かった彼女の創作活動でした。それで「樋口一葉、奇蹟の14か月」と呼ばれています

 

教育熱心で本好きな父の影響を受け、子ども時代に文学的素養を育んだようです。この写真から受ける第一印象は「利発で気の強い女性」というイメージですね。目鼻立ちがシュとした美人顔ですね。

明治十六年(1883年)、私立青海学校 小学高等科を首席で卒業するが、上級へ進めず退学(学業半ばの11歳で終える)。これは母親の多喜が「女に学問は不要」という考えからといいます。これには憤懣やるかたないことだったでせう。明治二十二年(1889年)、警視庁を退職した父 則義(元、八丁堀の同心でした)は、事業に手を出すが出資金をだましとられ、負債だけを家族に残して同年七月に死去してしまう。

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このことにより一葉は、弱冠十七歳にして戸主となる。残された借金返済と、母と妹を養っていくことになります。そして父親が一度決めた許嫁者とも破談となり、一転して貧窮生活に陥った。

(※明治時代の制度。「戸主(こしゅ)」に一家の統率権限を与えた制度。いまの「戸籍筆頭者」とは意味がかなり違う)

 

「一葉」ペンネーム由来の話

 

よく知られている話では、達磨大師が「葦舟に乗って長江を渡る絵」からヒントを得たというもの。さらに少林寺にて九年座るうち「足がなくなった」という“面壁九年の故事”をもじり「お足(お金)がないの」と一葉が駄ジャレたというもの(これは相当ひどいね)しかし、どうやらこれらは、後からこじつけた「笑い話だった」ようです。

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一葉とは最後に残った木の葉だったのか

次々と欠けてゆく自分の家族を枯木に見立て、それでも自分は「最後の一葉」となっても活きてやる…という「堅い決意の表れ」からだとワタシには想えるのですが、どうでしょうか。

『母上に安らかな生活を与え、妹に良縁を与えることが出来るなら、私は路傍にも寝ようし乞食にもなろう』樋口一葉

(※樋口一家は元々…父親 則義、母親 多喜、長女 藤、長男 泉太郎、次男 虎之助、そして次女の一葉(奈津)、三女 邦子の七人家族でした。▷父親 則義は失意から病床につき、六十歳の生涯を終えました。一葉が十七歳の夏のことでした。▷長女 藤は早くから嫁ぎ、一時は実家に出戻りそしてまた、他家へ嫁いだ。▷長男 泉太郎は勉強好きですが生来病弱でした。明治二十年に二十三歳で突然亡くなりました。▷次兄 虎之助は父母と折り合いが悪く勘当され、実家を遠く離れ薩摩焼の陶工となりました。▷妹 邦子は朗らかでひとあたり良く、竜泉寺の雑貨屋は邦子が担当した。そして最期まで姉の一葉を何かと助け、苦楽を共にしました)

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樋口一葉の旧居跡

 

樋口一葉の転機となる、瀧泉寺町での暮しぶり

 

一葉のよき理解者でもあった父や兄が亡くなると、それ迄の生活すべてが様変わりすることとなった。困窮する一家のために、文士(小説家)を目指すことになります。明治二十六年(1893年)、一葉は新吉原に近い「下谷竜泉(MAPの📍の場所)」において雑貨店、実質的には「子供相手の駄菓子屋」をいとなむことに。この吉原遊廓の近所に住み(斜めに走る道路内は遊廓エリア、現千束)知り得た知見が、後に名作『たけくらべ』となったのです。

 

名作「たけくらべ」の書き出しは、流る如くの名文ですね

 

冒頭文『廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大恩寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き』と物語は始まる。

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本物の花魁がまだいた頃の話

(※花街「新吉原」は、お歯黒溝(おはぐろどぶ、縦135間×横に180間、約265m×360m)に四方を囲われていた。そのさまを城郭になぞらえて「廓」と呼んだ)

樋口一葉さんが駄菓子屋を営んでいた二十二歳の頃、この『たけくらべ』を書きはじめた、というのですから「本物の才女とはオトロしい」ものがありますね。しかしこの文体、じつに読みずらいねぇ…う~ん文語か。名題たけくらべ」とは「背の丈比べ」であり、花街吉原周辺で少しだけ早い目に大人になる、いやならざるを得ない子供達の心情を、我が身に重ね合わせて冷静な描写しています。 

『色に迷う人は迷えばいい。情に狂う人は狂えばいい。この世で一歩でも天に近づけば、自然と天が機会を与えてくれるだろう』樋口一葉

▽リンク/樋口一葉 作『たけくらべ』 初出 明治二十八年「文學界」。

▽でも、これを現代訳にしてしまうと、なんだか風情なくツマラナイ感じになる。やはり現代文では、一葉さんの「一気呵成な息遣い」が消されてしまう気もします。音(朗読)で聴くのが解り良いのかも知れませんね。

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たけくらべ (集英社文庫)

たけくらべ (集英社文庫)

 

 

たけくらべ あらすじ~

 

花街吉原の売れっ子花魁(おいらん)を姉に持つ、美しく活発な少女「美登利」は十四歳。金貸しの子「正太郎」は幼馴染の十三歳、龍華寺僧侶の子「信如」は十五歳で、僧侶の父を恥じると云う内向的少年。美登利と信如は、同じ学校に通っていました。春の大運動会の日。松の根につまづいた信如に…『美登利みかねて我が紅の絹はんけちを取出しこれにてお拭きなされと介抱をなしける』美登利がハンカチを差出し、かいがいしく助けた。これを見た周囲から「美登利さんは、藤本の女房かみさんになるのであらう」などと囃し立てられてしまう。この状況に困惑する信如。一方、美登利もそんな彼を避けるようになってしまう。

雨の降る日に使いに出た信如は、美登利の家の前で下駄の鼻緒が切れてしまった。美登利は鼻緒をすげ替える布れ端を渡そうとしたが、信如と判るとすぐに身を隠した。微妙な思春期に揺れるこころ。信如も美登利に対しまだ気まずさが残る。それでも美登利は恥じらいながらも、布れ端を信如に向かって道路へ投げる。するとどうしたことか信如は、たまたま通りかかった長吉の下駄借りて、その場を立去ってしまった。

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正太郎は島田髷(遊女の髪型か)に結い着飾った美登利に声をかける。しかし美登利は“悲しげな様子”で正太郎を拒絶し「一処に来ては嫌だよ」「後生だから帰ってお呉れよ」と避けるのです。正太郎は「それならば帰るよ」と、ふてくされて行ってしまうのでした。美登利は「大人に成るは厭やな事、何故このように年をば取る」となげきます。やがて美登利は他の子供達とも遊ばなくなってしまう。

『或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懷かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに傳へ聞く其明けの日は信如が何がしの学林に袖の色かへぬべき當日なりしとぞ』そしてある朝のこと。誰かが家の門に差し入れた「造花水仙」を、美登利はなぜか懐かしく思い一輪ざしに飾る。それは信如が僧侶の学校に入った日のことでした。

こうして「淡い初恋の終焉」を感じさせて、たけくらべは終わる。

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(※因みに「水仙花言葉」は、self-love(自己愛)、egotism(自己中心、うぬぼれ)、unrequited love(報われぬ恋)となる。一葉さんは“これで結末を判れ”と、云っているのでしょうか?)

 

その後の樋口一葉の活躍ぶりとは

 

明治二十七年(1894年)には、僅か一年足らずで下谷竜泉から本郷福山へ転居する。『暗夜』『大つごもり』そして『たけくらべ』『にごりえ』などの名作を、次々と怒涛のごとくに作品発表し続けました!

個人的には、「大つごもり」が素敵に思いますね。大晦日の借金にまつわる一悶着。冷静な観察眼で描写しています。でも、文語体なので…うむ。

▽安心してください、現代語訳もありますよ!

現代語訳樋口一葉「大つごもり他」

現代語訳樋口一葉「大つごもり他」

 

そしてそれらが文学界の大御所、森鴎外幸田露伴らにも絶賛されるなか、当時は不治の病と言われた「肺結核」にてわずか二十四歳で亡くなりました。実に惜しまれる早過ぎた死。作家になったきっかけは、樋口家が抱える「借金返済に小説の原稿料」を充てることが、そもそもの目的だった訳ですが…それも果たせず。これは想像ですが「わたしは武家の娘なのですからっ!」そんなプライドをバネに、無理にムリを重ねて傑作を次つぎモノに出来たのだと想いますね。明治初期にはまだあった「没落士族の矜恃」てやつなのかな…?

そう、それで彼女が小説家として活躍出来たのは“ほんのわずかな期間”だったので樋口一葉、奇蹟の14か月」と、いまに伝えられているのです。ほんと奇跡の小説だったんだ。

 

高額紙幣の樋口一葉に、何故か国民は無関心?

 

そして樋口一葉の肖像は、平成十六年(2004年)新渡戸稲造に替り、新五千円札のデザインとして採用されることになる。「お金に苦労した人生を送った一葉さんが、高額紙幣となる」これ何とも皮肉なことか。あ、選ばれた理由は「一葉さんののっぺり顔」が“偽造防止に有効”なんだとか。造幣局でそう聞きましたよ。笑

あの笑福亭鶴瓶が某バラエティ番組にて「なんやぁ~あの五千円札の女!カメにカツラ被せたみたいな顔してっ<笑」と言わしめるほどでした。それにしても「亀にかつら」って、上手いこと言うね…鶴ビンは。笑

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皆さまご存知五千円札です

女性肖像画モデルとしては、明治十四年発行の紙幣 神功皇后※1以来、何と「123年ぶりの採用で史上二人目」となる。日本銀行券としては、女性肖像画の採用は史上初めて※2のことでした。神功是方とは、これもやはり「快挙」といえるでしょうね。

(※1 神功皇后肖像画は、キョソーネが想像で描いた絵なので“西洋人の風貌”をしています。 ※2 二千円札の裏面には紫式部が描かれているが、肖像画ではなく日本絵画です)

▷追記/ 財務省は『日本銀行券を二十年ぶりに刷新すると発表した。新札の肖像画には、一万円札が「資本主義の父」と呼ばれた実業家の渋沢栄一、五千円札は津田塾大創始者の津田梅子、千円札は「近代日本医学の父」といわれる、医学博士の北里柴三郎を用いる』とのこと。その裏面は『一万円札が東京駅、五千円札は花のフジ、千円札は葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の図柄が採用される』とのことです。

(2019/4/9産經新聞 記事)

一葉記念館リンクです。 東京の台東区竜泉にあります(東京メトロ三ノ輪駅から徒歩十分)。

www.taitocity.net

 

参考/一葉記念館 東京都台東区竜泉三丁目18−4、ウキペディア

(4400文字、thank you for reading.)

岡本太郎 我が敬愛する画伯の過激な言葉とその重み【名言書抜】

 

上手くやろう、成功しようとするから、逆に上手くいかない。

 

人生上手くやろうなんて利口ぶった考えは、誰でも考えることで、それは「大変いやしい根性」だと思う。世の中上手くやろうとすると結局、人の思惑に従い社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく上手くはいくかもしれないが、本当に生きているのではない。流されて生きているにすぎない。

 

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才能のあるなしに関わらず自分として純粋に生きることが、人間の本当の生き方だ。頭がいいとか体がいいとか、また才能があるなんてことは、逆に生きていくうえでマイナスを背負うことだと、思った方がいいくらいだ。

 

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自分を大事にしすぎているからいろいろと思い悩む。駄目になって結構だと思ってやればいい。最悪の敵は自分自身なんだから。自分をぶっ壊してやろうというつもりで、そのくらいの激しさで挑まなければ、いままでの自分を破壊して新しい自分になることはできない。

 

僕は「幸福反対論者」だ。

 

幸福というのは自分につらいことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと安全な状態をいうんだ。ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。僕は幸福という言葉は大嫌いだ。僕はその代わりに「歓喜」という言葉を使う。危険なことつらいことつまり、死と対決するとき人間は燃え上がる🔥

 

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それは生きがいでありそのとき湧き起こるのが幸せではなくて「歓喜」なんだ。人間が一番つらい思いをしているのは「現在」なんだ。やらなければならないベストを尽くさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために「いずれ」とか「懐古趣味」になるんだ。懐古趣味というのは、現実逃避だ。

 

「ゲ~ジツは、爆発だぁぁぁ!」

検索結果

 

▽リンク/岡本太郎画伯の古い時代の講演会ですが、示唆にとんだいい話が聴けます。

youtu.be

<岡本太郎、おかもと・たろう>

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明治四十四年。神奈川で岡本一平、かの子、長男として産まれる。東京美術学校に入学、のち1940年までパリに住む。当時のシュルレアリスム運動に参加し、パリ大学で哲学、社会学民族学をまなぶ。帰国後、日本の現代芸術の旗手となり絵画や立体作品の発表を続けた。マスメディアに積極的に出演し「芸術は爆発だぁ!」というセリフで一世風靡した。これで一般的には、ずいぶん誤解されてしまった。代表作品に万博会場の「太陽の塔」「明日の神話」「午後の日」がある。2025大阪万博を前に、再評価されつつあります。

 

(1000文字、thank you for reading.Art is an explosive!)